だって嫌なんです 2
ずし。
「ルーナ。膝に座るのはよいが、落ちぬように気をつけるのだぞ」
「慣れてるから大丈夫」
「しかしな。お前も、もう6歳だ。年々、体も大きくなっている。そのうち、俺が支えねば、落ちてしまうかもしれん」
「なら、ジーンが支えて」
「む。それもそうか」
ユージーンは、いつものごとく執務室にいる。
書き物の最中に、ルーナが現れるのも常となっていた。
3歳で、初めて転移してきてからこっち、ルーナの転移はめずらしくなくなっている。
ほとんどユージーンの部屋に入り浸りと言ってもいい。
父親であるトラヴィス・ウィリュアートンも諦めていた。
ルーナの転移は、意図的なものではないからだ。
ふっと、ユージーンに会いたいと思うと、転移しているらしい。
だから、止めようがなかった。
ユージーンは、ほとんどルーナの子守りと化している。
むしろ、トラヴィスは恐縮しているようだった。
即位しなかったとはいえ、ユージーンは王族だ。
しかも、今では宰相として王宮を仕切っている。
本人がどう思っているかは無関係に、周囲からは「大物」扱いされていた。
「あのねえ、ジーン。私、学校に行きたくないの」
「貴族学校か?」
ユージーンは、書類に目を通し、あれこれと書きつけながらも、ルーナの話を、ちゃんと聞いている。
ルーナが転移してくるようになり、こうした器用さも身についたのだ。
なにしろ、今より幼かったルーナは、ユージーンが仕事中でもおかまいなし。
ちょっとでもユージーンが返事をしないと、機嫌を悪くして泣き出した。
とはいえ、ユージーンとて仕事を投げ打つわけにもいかない。
結果、ユージーンは仕事とルーナの相手を同時に行う「技」を手に入れたのだ。
3年経った今では、もうあたり前になっている。
ルーナの腰に軽く左手を回し、落ちないように気をつけているのは、当時と同じだけれども。
「6歳になると、貴族学校に行く子が多いんだって。でも、私は行きたくないの」
「行きたくないのであれば、行かねばよかろう。俺は、貴族学校になど、行ってはおらん。サイ……教えてくれる者がいたのでな」
命の恩人であり、育ての親であり、教育係でもあった人物を思い出した。
が、その名を口にはしない。
口にすると胸が痛むからだ。
首にかけたネックレスを、少しだけ意識する。
ユージーンが、その人物のために買ったものだ。
結局、渡せないままになったため、ユージーンが使っている。
「家庭教師を雇えば、学校に行く必要はないと思うがな」
「お父さまが、年頃の友人を作るために、学校に行けって言うんだもん」
「それは一理ある」
「もお! ジーンは、私の味方して!」
ぐいぐい。
ルーナが、ユージーンの服を引っ張った。
シャツが、くしゃくしゃによれている。
今日は、このあと議会に行く予定はないが、ルーナに服をくしゃくしゃにされ、服を着替えるはめになるのも、いつものことだ。
もはや、慣れた。
「では、トラヴィスの理屈を覆す根拠を示せ」
「こんきょ?って、なに?」
「学校に行きたくない理由だ。それが、もっともだと思えば、味方をしてやる」
傍目からは、ユージーンがルーナを甘やかしていると思われている。
さりとて、ユージーンに、そんなつもりはない。
ただ、ユージーンは、無自覚に庇護欲を振り回すところがあるのだ。
子供なので、大人と同じようにできないことは多い。
食事やら着替えやら、1人でできないことは手伝っている。
つい最近まで、服のボタンだってユージーンが留めてやっていたくらいだ。
それでも、ユージーンにとっては「世話をしている」意識しかない。
甘やかしているなどとは、ついぞ思ったことがなかった。
「この間のパーティ、ジーンが来てくれなかったせい」
「この間のパーティ……ああ、あれか。リディッシュ公爵家の」
「そう。私、すごく嫌な目に合ったんだから」
「嫌な目とは、どういうことだ?」
ユージーンは書き物をやめ、視線をルーナに向ける。
膝の上で、ルーナは口をとがらせていた。
その「嫌な目」を思い出しているらしい。
(確か、リディッシュには、ルーナと同じ年の子がいたな。名は、ベアトリクスであったか)
ユージーンの頭には、貴族の情報が山積みになっている。
王宮の重臣は、貴族で構成されているため、把握しておく必要があるのだ。
主な家族構成や血筋、略歴くらいは頭に入れている。
「トリシーは、私の赤毛がみっともないって言って……一緒にいたウィンに、髪を引っ張らせたの」
「なんだとっ? それは、イジメではないか! そのようなことを、リディッシュでは許しておるのかっ!」
ローエルハイドの屋敷で勤め人をしていた頃、イジメはしてはならないことだと教わっている。
仲間外れにしたり、無意味に小突き回したりするのは、悪いことなのだ。
とくに、強い者が弱い者を、理由もなしに虐げるとは言語道断。
「トリシーもウィンも行くみたい。パーティで、学校のこと、話してた」
「だから、行きたくないのだな」
こくっと、ルーナがうなずく。
本当に、嫌そうに顔をしかめていた。
「トラヴィスは、なんと言っている。話したのだろ?」
「話したけど……お父さまは、逃げても解決しないって……ちゃんと話して仲直りしろって言うの。でも、ルーナ、なんにもしてないんだよ? ケンカしたんなら、仲直りできるけど……そうじゃないもん……」
逃げても解決はしない。
それは、そうかもしれないが、果たしてルーナが歩み寄って「仲直り」ができるだろうか。
(できんだろうな。トラヴィスは、わかっておらんのだ)
トリシーこと、ベアトリスは、おそらくルーナに悪意を持っている。
ルーナに、というより、ウィリュアートン公爵家という、自分の家よりも格上の貴族の娘を妬んでいるに違いない。
でなければ、むやみに嫌がらせをしてきたりはしなかったはずだ。
「そのようなところ、行く必要はない! 俺がトラヴィスに話をつけてやる!」
「ホント? 本当に、行かなくていい?」
「むろんだ。お前の勉強くらい、俺が見てやる。それで、文句はなかろう!」
ルーナが、パッと顔を明るくして、ユージーンに抱きついてくる。
寝る間もないほどユージーンは忙しいのだが、ルーナに暗い顔をさせておくのはしのびない。
それに、自分の目のとどかないところでイジメられてはいないかと、四六時中、気になってしかたがないだろうし。
「あ~、安心したら眠くなってきたぁ。もう、今日は、こっちに泊まる~」
「では、寝間着に着替えねばな。着替える前に寝てはならんぞ」
「面倒くさい~、眠い~」
「しかたがない。手伝ってやるから、着替えるまで我慢いたせ」
ルーナを抱っこしたまま、ベッドのほうに歩いていく。
ここは執務室だが、ルーナ用のものも、かなり置かれていた。
3歳からルーナは、ここで生活しているも同然だからだ。
目をこするルーナを着替えさせつつ、ユージーンは考えている。
(明日の公務は早目に切り上げて、トラヴィスに話をつけに行くとしよう)