理屈は抜きで 3
「おとーさま」
「なんだい、ルーナ」
「どうして、ジーンは、おウチにいないの?」
赤味がかった髪に、濃褐色の瞳。
彼女、ルーナティアーナは、ウィリュアートン公爵家の1人娘だ。
当主であるトラヴィスと妻サンジェリナの間に産まれた。
トラヴィスは側室を娶らないと公言しているため、妻は1人。
が、サンジェリナは体が弱く、2人目の子供は望めない。
現状、ルーナだけがトラヴィスの後継ぎではある。
「彼は、家族ではないからね。お外に住んでいるのだよ」
「どうして、ジーンは、家族じゃないの? どうして、お外にいるの?」
トラヴィスに苦笑されても、3歳のルーナには意味がわからない。
苦笑いをしながら、トラヴィスがルーナを抱き上げた。
「ルーナは、本当に宰相様のことが好きだね」
「さいしょーさま?」
「ユージーン殿下のことさ」
「ジーン? ルーナ、ジーンのこと大好き」
実のところ、トラヴィスには、公爵家を娘に継がせる気などない。
弟もいるのだし、弟の子の中には、男子だっている。
トラヴィスが跡を継いだのは、偶然の成り行きなのだ。
兄が大きなしくじりをしたために、当主の座が落ちてきたに過ぎない。
もとより当主になる気もなかったので、執着心もなかった。
トラヴィスは、ルーナが好きな相手を選ぶことを望んでいる。
今の彼女にはわかるはずもないが、政略的な婚姻を、彼女の父は、よしとはしていないのだ。
幸運なことに、トラヴィスは善良で欲のない人物だった。
1人娘の幸福だけを願っている。
「だから、ジーンがいないと、さみしい」
「でもね、ルーナ。彼は、とても忙しいのだよ」
「忙しい?」
「お仕事がたくさんあってね。それでも、時々は会いに来てくれるだろう?」
うーん、とルーナは、そのちっちゃな頭で考えていた。
ルーナが「ジーン」と呼ぶ人物は、この国の宰相をしている。
トラヴィスより1つ年下ではあるが、とても優秀で、かつ剛腕。
とにかく決めたらやるし、譲らない。
さりとて、ルーナには、彼の「お仕事」については、わからないのだ。
「でも、おとーさまは、お仕事があっても、おウチにいるのに」
「ここは、私の家だからねぇ」
「ジーンは?」
「ここは、彼の家ではないし、彼には彼の家がある」
また、父に苦笑されているが、ルーナは首をかしげるばかり。
どうしても、大好きな「ジーン」が傍にいないことに納得できずにいる。
家族と、そうでない者との違いもよくわかっていない。
屋敷にいる者は、みんな、家族なのだと思っていた。
主やら勤め人やらという区別がついていないのだ。
「ジーンは、たいこーさまやレティさまの家族なの?」
両親に連れられ、ルーナは、しばしばローエルハイドの屋敷に行く。
前は、必ず「ジーン」がいたのだが、最近はいない。
その理由も、ルーナはわからずにいる。
「いいや、違うよ、ルーナ」
「ジーンは、誰の家族?」
「そうだねぇ……国王陛下の家族かな」
「国王へいか」
「この国の王様だよ」
知らなかった。
とはいえ、ルーナに、その「格付け」は理解できない。
ウィリュアートン公爵家が、貴族の中で、どんなに大きな力を持っているかすら知らないくらいだ。
ほかの貴族や、その子息、令嬢から妬まれ、羨ましがられる出自だとの意識などルーナにはなかった。
ここで生まれ育っているのだから、わかるはずもない。
ウィリュアートン公爵家は大派閥であり、由緒正しい貴族だった。
が、トラヴィスは、それを鼻にかけることのないめずらしい部類の貴族なのだ。
だから、当然に、ルーナに「爵位」がどうのこうの、という話はせずにいる。
「ルーナ、そろそろ寝る時間だよ」
トラヴィスにかかえられたまま、ルーナは、まだ考えていた。
目まぐるしく思考が、あっちこっちしている。
(ジーンは国王へいかの家族……国王へいかは王宮にいる人……ジーンも、そこにいる? 王宮は、どこにあるの?)
貴族の本邸は、王宮の外にある。
ただし、公爵家ともなると、重臣の役目も担っているため、王宮内に私邸も持っていた。
そこで暮らす貴族も少なくはない。
どちらかと言えば、トラヴィスが変わり種なのだ。
「さぁ、ベッドにお入り」
そっと、ベッドに寝かされる。
布団をかけたあと、トラヴィスはルーナの頭を撫でた。
「おとーさま……」
「なんだい?」
お母さまはどうしているの?と、聞きかけてやめる。
母の姿が見えない時、それを聞くと父が寂しそうな顔をすると知っていた。
たぶん聞かないほうがいいことなのだ。
小さいながらも、そんなふうに感じている。
「明かりをつけておいてね」
「ああ、わかったよ。おやすみ、ルーナ」
「おやすみなさい、おとーさま」
扉の閉まる音が聞こえてから、閉じていた目を開けた。
なぜだか、ひどく不安になる。
もう何日も母の姿を見ていない。
物心ついた時から、たびたびこういうことはあった。
めずらしいことではなく、数日後には、いつも母は姿を見せるのだ。
わかっているのに、不安が消えない。
ひどく息苦しさを感じる。
室内が暑く思えて、布団を蹴散らした。
目を閉じても、まったく眠くならない。
意味もなく、悲しくなる。
「ジーン……ジーンに、会いたい……さみしい……」
悲しいという感情から派生した想いが「寂しい」に繋がっていく。
母が姿を見せないのも「ジーン」がいないのも、寂しくてたまらない。
ルーナは目を閉じ、体をくるんと丸めた。
「王宮……どこにあるの? どうして、ジーンは、おウチにいないの?」
きらきら。
ルーナの瞼の裏に、鮮やかで濃い金色が広がる。
深みのある緑の瞳をした人物の姿が、くっきりと見えた。
瞬間、ルーナの姿がベッドから消える。