もう大人なので 1
ルーナは、すっかりしょんぼりしていた。
カウチに腰かけ、肩を落として、うなだれている。
魔術師に治癒させたので、怪我は癒えているはずだ。
さりとて、心の傷というものは、体とは違う。
「ルーナ」
ユージーンは、ルーナの隣に腰かけ、頭に腕を回して引き寄せた。
その手で、軽く頭を、ぽんぽんとする。
ルーナは、いつも元気で、明るい。
しょんぼりしている姿は、似合わないのだ。
(とはいえ、恐ろしい目に合ったのだからな。簡単に忘れることはできまい)
思うと、あの2人を取り逃がしたのが、口惜しくなる。
手加減などせず、もっと思い知らせてやれば良かった、と思った。
場所が場所だけに、審議に引きずり出すこともできないからだ。
ルーナが悪者にされるのは、わかりきっている。
もとより、ユージーン自身、お忍びの身。
公にはできないのだから、罰しようもない。
「私……あの2人から、お追従を言われて、ちょっと浮かれてたの……」
「お前の周りには、そうしたことを言う者が、おらんからな。慣れておらぬでも、いたしかたなかろう?」
ルーナは両親が出席する夜会以外、出席したことがなかった。
社交界にデビューはしていても、あまり夜会を好まないのだ。
そして、エスコート役は、たいていトラヴィスかユージーンが務めている。
安全な場しか、今まで知らずに過ごしていた。
ウィリュアートンにしても、ローエルハイドにしても、貴族らしくない貴族だ。
とくに、ローエルハイドは、勤め人ですら、お追従なんて言わない。
だから、ルーナが初めてのことに、多少、浮かれたとしても責められなかった。
そもそも、ユージーンには、ルーナを責める気はなかったし。
「ジーンが来てくれなかったら……私……」
「それは違うぞ、ルーナ」
「違わない……だって、ジーンの言う通りだったもん……」
馬鹿なことをしたと、ルーナは己を責めているのだろう。
ユージーンは、目元を赤くしているルーナに、胸が痛む。
「俺が、もっと強く止めておれば、あのようなことにはならずにすんだのだ」
そう、栗鼠になってさえいなければ。
紅茶だと思い、勝手に飲んだ自分も悪い。
だが、あんな薬を作ったザカリーは、もっと悪い。
あとで、厳しく「開発中止」を言い渡しに行くことに決めた。
ハンカチを十枚くらいは用意しなければならないだろうが、それはともかく。
「お前が悪いのではない。俺の責だ」
「ジーンは悪くない。ジーンの言うこと聞かなかったのが、間違いだったの」
「もう、そのように自分を責めるな。舞踏会に出たからといって、乱暴をして良いことにはならんのだぞ。合意もなしに、事におよぼうとした者どもが悪いのだ」
舞踏会の意味合いを考えれば、誘っていると勘違いをされるのも当然だ、と思う者も少なくはなかった。
昔の自分なら、そう思ったかもしれない。
が、今のユージーンは、そうとは思わずにいる。
「ああいう奴らは、ベッドをともにすることの意味が、わかっておらん」
『好きな人だから、ふれられたいとかふれたいって思うんじゃないの? あなたは笑うだろうけどさ。私は……こういうことって、愛情表現として成立してなきゃ嫌なんだよ』
ユージーンが、まだ王太子だった頃に言われた台詞だ。
その時には、わからなかった。
ユージーンは王太子で、子を成すことが、なにより重要視されていたからだ。
ユージーン自身も、ガルベリーの血を途絶えさせないための行為としか思ってはいなかった。
自らを「種馬」だと、皮肉っぽくたとえるほどには、その行為に、なんら感情を寄せずにいた。
恋というものを知らずにいたら、今でも同じだっただろう。
女性を子作りの道具と考えていた自分が、今さらに情けなく感じる。
当時の自分は、今夜ルーナを襲った者と、たいして違わない。
相手の意思なんておかまいなしだったのだから。
「ジーンは……どうなの?」
「どう、とは、なんだ?」
「だって、ジーンは、あんまりさわったり、さわられたりするの、好きじゃないでしょ? だから、女の人と、そういうことしないのかなって……」
ルーナに話してはいなかったはずだが、察していたようだ。
王太子だった頃は、しかたなく女性とベッドをともにしていた。
さりとて、望んではいなかったし、むしろ、苦痛だったのを思い出す。
「お前の言うように、俺は男女を問わず、体に接するのを好まぬがな。女を抱いたことくらいはある」
「ど、どういう人……?」
「よく覚えておらん」
「え……なんで? 覚えてないくらい大勢だったってこと?」
ルーナが目を見開いて、ユージーンを見ていた。
そのびっくり顔に、苦笑する。
実際は、ルーナの思っているような遊蕩は、ユージーンの好まざることなのだ。
「俺は、そのような“どすけべ”ではない」
「だったら、なんで覚えてないの?」
「乗り気でなかったからであろうな」
「乗り気じゃないのに、ベッドをともにするって……どういうこと?」
隠す話でもないので、ユージーンは、当時の状況について語って聞かせた。
即位後に課される責を果たすため、女性との経験が必要だった、と。
ただ、あてがわれた相手と関係を持っていただけで、気持ちが伴っていなかったのだと、話す。
「好き、とか思ってなかったから、覚えてないのね?」
「そういうことだ。好いた女には、肘鉄を食らわされたのでな」
「えっ?! ジーン、好きな女の人がいたのっ?!」
ルーナの驚きように、ユージーンのほうが驚いた。
話していなかった、というより、話す用がなかったので、話さなかっただけだ。
隠していたのではない。
聞かれてもいない女性遍歴を語ると、嫌な顔をされる。
ユージーンは、経験則から知っていた。
少し語っただけで、初恋の相手に、どれだけ悪態をつかれたか知れない。
「だが、俺は“ふられた”のだ。ゆえに、その女は抱けずじまいであった」
「誰っ?! どんな人っ?!」
ルーナが、やたらに食いついてくる。
ともあれ、しょんぼり気分は飛んでいったようなので、安堵した。
ユージーンは、少し首を傾けてから、言う。
「お前も知っておろう。大公の妻、レティシアだ」
「え………………」
転がり落ちそうなくらい、ルーナが目を見開いていた。
なにをそんなに驚いているのかが、やはりユージーンにはわからない。
ローエルハイドの屋敷では、わりと有名な話なのだ。
未だに料理長に、そのことでからかわれたりする。
「大公が相手ではあったが、なかなかに良い勝負をしたのだぞ」
ルーナに「ふられた男」の印象を残すのも不本意だったので言葉を付け足した。
結果は変わらなくても、簡単に負けたように思われたくなかったのだ。




