理屈は抜きで 2
馴染みのある小ホール。
座り心地も知っている1人掛け用のソファ。
正面の長ソファに、すっかり顔馴染みになっている者が座っていた。
呼び出され、ここに案内されてから、男2人で向き合っている。
いつもはいる執事やメイド長の姿もなかった。
テーブルの上には、紅茶が2つ。
湯気が立っている。
おそらく冷めることはない。
「きみは、いつも身につけているだろう?」
聞かれて、首元に手をやった。
ロケット付きのネックレス。
思い入れのある品だ。
向かいの長ソファのほうから、手が差し出される。
これといって考えることもなく、ネックレスを外して、渡した。
それを、どうするつもりなのかは、わからない。
が、警戒はせずにいる。
警戒しても無駄だと知っているからだ。
自分と向き合って座っている人物の恐ろしさは、身に染みている。
自然の脅威と似た、人間の本能に影響をおよぼすほどの力。
その力の前では、いかに自分が無力か、どれほどちっぽけな存在であるかを思い知らされるのだ。
「今、なにやら光った気がするぞ? なにをした? なにか、力を付与したのではないか? もしや、大公の悪口を言ったら、俺の口を縫う魔術ではなかろうな?」
「きみは、私が、それほど優しいと思っているのかね?」
「確かにな。大公であれば、俺を丸焦げにする」
「その通りだよ。口を縫うなどという親切心を、私に期待しないでほしいね」
相手が恐ろしい人物だと身に染みてはいるが、怯むことはない。
媚び諂ったり、下手に出たりしたこともなかった。
どのみち、あがいたところで、どうにもならないのだし。
「これでいいだろう」
相手から、ネックレスが戻される。
やはり、とくに、これといって考えず、首にかけた。
怪しげな魔術がかかっているかもしれないのに。
ここ、ロズウェルド王国は、この大陸で、唯一、魔術師のいる国だ。
そのため近隣諸国とは、一線を画している。
戦争の脅威に晒されることもなく、国は豊かで穏やかだった。
難があるとすれば、外交よりも国内事情だと言える。
「譲位は、来月だ」
すでに、弟である第2王子の即位が決まっていた。
形だけではあったが、正妃選びの儀を執り行い、滞りなく準備は進んだ。
半年前には、即位の条件である正妃も迎え入れている。
「俺が宰相となるのは、もう少し先になる」
「私の息子を、あまり煩わせないでもらいたいね」
「煩わせてなどおらん。宰相となるのに、必要なことを聞いているだけだ」
「朝から晩……いや、朝から朝までつきあわせているそうじゃないか」
「わからぬことがあると、気持ちが悪くて眠れんからな」
呆れ顔も気にしない。
彼は、そういう男なのだ。
ユージーン・ガルベリー。
現在、24歳になる彼は、2年ほど前まで、この国の王太子だった。
現国王の第1子として産まれ、彼自身、自分の即位を信じていた。
むしろ、即位をすることにしか、己の存在意義を見出せないまま、22年生きてきたのだ。
それが、2年前、とある女性との出会いにより、それまでの人生のすべてが打ち崩され、引っ繰り返されている。
結果、彼は王太子を辞め、代わりに弟のザカリーが即位することになったのだ。
「なににしろ、彼が、早くきみから解放されることを願っているよ」
うんざりした口調で話す相手を、畏れてはいるが、恐れてはいない。
相手は自然の脅威に匹敵する。
だとすれば、死ぬ時は死ぬのだ。
それを、実際にユージーンは、知っている。
大公こと、ジョシュア・ローエルハイド。
黒髪、黒眼は、人ならざる者の証。
その大公の逆鱗は「たった1人の愛する者」にあった。
大公は、彼の妻を害する者を、けして許さない。
その妻こそが、ユージーンの人生を変えた、初恋の相手でもあるのだが、それはともかく。
「そのネックレスには、きみの魔力を隠す力がある」
「隠す……」
「なにしろ、きみは、魔力が、だだ漏れだ」
「そうか。俺が、与える者となれば……」
「魔力が国王に向かって流れていくのを、魔術師たちは不可思議に思うさ」
ロズウェルド王国の魔術師には、国王から魔力が与えられている。
契約を交わすことで、魔力の分配が受けられるようになるのだ。
とはいえ、国王は魔術師ではなく、魔力を与える者であり、魔術は使えない。
当然に、魔力調整もできなかった。
魔力調整をし、大勢の魔術師に魔力を分配するのは、魔術師長の役目となる。
その魔術師長たった1人に、最初の魔力は、与えられるのだ。
さりとて。
与える者となれるのは、ガルベリー1世の直系男子のみ。
そして、その資格を持っているのはユージーンだけだった。
ザカリーに、その資格はない。
第2王子として扱われてはいたが、ザカリーは、現国王の息子ではないのだ。
それでも、民は「国王が与える者」だと信じている。
即位したザカリーに、その資格がない、などと露見すれば国が乱れるのは間違いない。
ロズウェルド王国は魔術師によって成り立っており、その頂点にいるのが、国王とされているのだから。
「きみの間抜けさには、苦労させられるよ」
ユージーンは、弟のザカリーを魔術師長として契約を結んでいる。
つまり、与える者であるユージーンからの魔力は、ザカリーに向かってのみ流れるということ。
魔術師は、ほかの魔術師の持つ魔力を感知する魔術を、常に使っている。
自分の身を守るためでもあり、守るべき主のためでもあった。
本来、魔力は、与える者である国王から、王宮魔術師の中より選ばれた魔術師長へと向かっていなければならない。
国王であるザカリーに向かって流れるはずはないのだ。
それでは、逆流していることになる。
しかも、与える者は、ひたすら魔力を与えるだけで、自分の魔力を隠す魔力抑制すらできなかった。
王宮魔術師にもなれば、魔力が、ユージーンからザカリーに流れているのを感知するのは、さほど難しくはないだろう。
「そこまでは、考えがおよばなかった」
即位しないとの決断をした時だ。
国に乱れを生じさせないため、ガルベリーの直系男子だと、周りから信じられているザカリーを即位させることにした。
とはいえ、やはりユージーンは魔術師ではないので、大公の言ったような危うさには気づかなかったのだ。
「きみは馬鹿ではないが、とびきり間が抜けているからねえ」
「大公が、その間抜けに手を貸すとは思えん。そうか。ジークなのだな」
大公は返事をしない。
それが、返事だった。
ユージーンの従兄弟、ブルーグレイの瞳の少年は、もうこの世にいない。
彼は常に大公の隣にいたので、大公にも、なにがしかの想いがあったのだろう。
「もう1つ、おまけをつけておいた。ロケットの中に、きみの言葉を刻むといい。魔術が使えないきみには、発動のきっかけが必要なのでね」