ぷんすかしてるので 1
「いいじゃねーか、婚姻くらいしてやったって」
「婚姻くらいとは、なんだ。そのような簡単な話ではないのだぞ、ジーク」
「彼の言う通り、としか言えないのが残念だね」
ユージーンは、ローエルハイドの屋敷に来ている。
ルーナのことを相談するためではなかった。
ルーナの言った「おたんこなすび」の意味を聞き取りに、レティシアに、会いに来たのだ。
(鈍間や出来損ないという意味であったか。ならば、俺は、おたんこなすび、ではない。ルーナにも誤解を正しておかねばならん)
すでに聞き取りは終わっているのだが、帰り際にジークに呼び止められている。
結果、小ホールで、大公とも顔をつきあわせるはめになった。
大公は、ユージーンから初恋の相手であるレティシアを奪った相手だ。
大公さえいなければ、おそらく彼女は自分と婚姻していた。
とユージーンは思っている。
さりとて、ユージーンの初恋は終わっていた。
振り切るのに十年ばかりかかったのだが、それはともかく。
今ではレティシアを「遠縁の者」として扱っている。
まったくの赤の他人というわけでもないからだ。
気軽な話し相手でもあり、しばしば「新語」の聞き取りをするため、会いに来ていた。
ユージーンは「民言葉の字引き」を編纂中なのだ。
マジ、ヤバい、ウザい。
これは、ユージーンがローエルハイドの屋敷で覚えた言葉だった。
ロズウェルドにはない言葉で、屋敷ではレティシア語として認識されている。
字引きを作ることで、貴族言葉にはない表現の豊かさを国にもたらすだろうと、ユージーンは考えていた。
「でもサ、四六時中、一緒にいるんだぜ? 婚姻してるも同然じゃねーの?」
ジークの言葉に、ユージーンは首を横に振る。
大公も、少し苦笑いを浮かべていた。
ジークは、2人の反応の意味がわかっていないのか、首をかしげている。
その仕草に、ユージーンの中で、いつかの光景が蘇った。
『子ができたらって話か?』
『できちゃいけねーの? オレ、ちょっと見てみたい』
従兄弟であった少年の、無邪気な言葉。
その時も、ユージーンは同じ返事をしたのだ。
簡単ではないのだ、と。
あの時は、大公とレティシアの話をしていた。
今は、自分とルーナだ。
どのような巡りあわせか、と思う。
(あの折は、俺が大公に業を煮やしていたが……俺も変わらんな)
ユージーンにも、かかえているものがあった。
そこから逃げることはできない。
そして、逃げるつもりもなかった。
生まれながらに背負ってきたし、自分は「そういう者」だと自覚している。
ユージーンは、王なのだ。
たった1人、その事実と向き合ってきた。
王であるがため、大事に想ってきた者の手すら放している。
それほどまでして、守ってきたものがあった。
いずれ責任は果たさなければならない。
(初めて、この屋敷を訪れた頃は、俺も簡単に考えていられたのだが)
体は大人になっていても、心は、まだ幼かったのだ。
すべて自分の思う通りになると、先々のことに不安のひとつもいだかずにいた。
けれど、実際には、なにも思う通りにはならなかった。
1人では着替えもできず、道に迷い、自分で考えることもせずにいたからだ。
自分の愚かさを、ユージーンは、未だに悔いている。
忘れてはいけないと思っていた。
覚えていなければ過ちを繰り返し、大事な者を失う。
したいことと、できることは違う。
できることと、すべきことも違う。
やりたくないことと、すべきことも、また違うのだ。
「以前、私がした提案について覚えているかい?」
「覚えている」
16年前から、ユージーンが、かかえている悩み。
その解決策として、大公は、ひとつの案を提示している。
とはいえ、大公から率先して示してきたのではない。
ユージーンが、無理に訊いたのだ。
「俺も、ひとしきり考えてみたのだがな」
「なにもかもが丸くおさまる結果は得られない」
「そうだ。どの道を辿っても、行き止まりにしかならん」
大公から訊いた際、ユージーンは散々に頭を悩ませている。
が、結果は、大公の言う通りだった。
誰もが納得する答えには辿り着けない。
「そもそも、ルーナのことを、きみは、どう思っているのだね?」
「好きなんじゃねーのか? 嫌いなら傍に置いとかねーだろ?」
「ああ、そういう意味ではないよ。私が訊いているのは女性として、彼女を、どう思っているか、ということさ。きみだって、女性として見ていない相手とベッドをともにはできないだろう?」
とたん、ジークが、うえっと声を上げる。
なにやら気まずげに、肩をすくめていた。
「父上には、なんでもお見通しかー。オレだって、もう15なんだしサ……」
「咎めてはいないから、安心おし」
「まぁね。わかってんだけどね」
そうか、と思う。
ジークは、従兄弟の歳に近づいていた。
来年には追い付き、そこから先は追い越していくばかりだ。
従兄弟に女性経験があったかはともかく、今のジークにはあるのだろう。
「あ! そこか! そーいうこと」
「そうだよ」
ユージーンも、形だけの婚姻をするつもりはない。
なにもなく、ただベッドで眠るだけなら、1人でかまわないのだ。
「あれのことは、大事に思っている。可愛いとも思うが、女としては見ておらん」
「へえ、そうかい」
大公が、ひょこんと眉を上げる。
なにか意味有りげではあったが、ユージーンは、問い質さなかった。
どうせ訊いても返事などしやしないと、わかっている。
大公は、常に、どっちともとれるような言いかたをするのだ。
言葉だけを投げつけて、あとは相手が判断すればいいと考えているらしい。
「ルーナが可愛いってのは、オレも同感」
「ジークは、彼女と婚姻したいのかな?」
「それはナシ。幼馴染みだし、可愛いってのは認めるけど、オレの好みじゃねーんだよ。あいつ、すげえ暴れん坊だからな」
今度は、ユージーンが深くうなずく。
ルーナが暴れん坊だというのは確かだと、誰よりも知っていた。
つい最近、歴史書を、ぶん投げられたばかりだったので。