7.再び現場へ
イリスはアパートの敷地を出るまで俺の袖を引っ張っていたが、ようやく振りほどいた。
「どうして急に引き上げるんだ!もとはといえばお前が話を聞きたいっていうから会ったんだぞ!」
「もう聞きたいことはないです。」
「どうしてだ?篠原って男は合鍵も持っていたんだぞ?お前の言う殺人事件説を信じるなら、ここでもう少し話を聞いて動機とかを探るべきじゃないのか?」
そう問い詰めるとイリスは冷静な声でこう言った。
「動機を探ったところで犯人は確定しませんよ。証拠にもならないですし、それに・・・」
「それに?」
「それらしい理由があったとしても、殺人を犯すような動機を理解できませんし、知りたくもありません。」
いつもの間抜けな声とは反対の冷たく、吐き捨てるような言い方に俺は寒気がした。
「さて、もう少し調べてみますかー!」
声は急に明るさを取り戻し、イリスはマンションの方に向かって歩き始めた。
「調べるって何をだ?」
「もう一回現場に行ってみましょう。何かわかるかもしれませんし。」
亡くなった山下さんの部屋に入ると、鑑識が後片付けを始めていた。
「にしても、結構散らかっていますねー」
自殺という判断がされたとはいえ、鑑識はできるだけ現場を保存して調べていたが、部屋は衣類やゴミなどが散乱していて掃除は行き届いていないようだ。
「ゴミも何日も捨ててなさそうですよ。」
そういいながら奥の部屋に入ろうとしたとき、一人の鑑識が不透明なビニールをもって部屋から出てきた。
「ちょっとすみません!」
イリスはその鑑識を呼び止めた。
「こっちの部屋になにかあったんですか?そのビニール・・・何が入っているんですか?」
「ああ。これは押収品とか証拠品とかじゃないですよ。ベランダでカラスが死んでいたんです
よ。そのままにしておくのもよくないと思ったので、私たちの方で処分することにしました。」
「へー。珍しいことがあるんですね。」
イリスは露骨に驚いた態度をとった。
「マンションの管理人曰く、たまにあるそうです。多分巣が近いとかで。」
「そうなんですね。そのカラスはいつ頃死んだんだろう?」
「さあ。私たちは動物の死にはそこまで詳しくありませんが、死後硬直もしているので、半日くらいは前だと思いますよ。」
「そうなんですね。ありがとうございまーす。」
鑑識は撤収作業に戻り、俺たちは奥の部屋に入った。
奥の部屋には大きな窓があり、ベランダに続いている。リビングのようだが、この部屋もきれいとは言えない。部屋の真ん中にあるローテーブルはテーブルの面が見えないほど物が置かれている。
もう一つ扉が存在し、少し空いている隙間からベッドが見える。おそらく寝室だろう。
この部屋からは有益な情報は得られそうにない。それは部屋を一見し、すぐに寝室を見に行ったイリスも同じようだ。
俺も念のため寝室を見てみたが、普通の女性の部屋のようだ。枕元には鳥の置物が置いてある。誰かに恨まれたり、殺されるような要因となるものはなさそうだ。しかし、逆にここに住んでいる女性が自殺するとも思えない部屋だ。自殺をする人の特徴として、身辺整理が挙げられるが、そのような痕跡もなく、生活感にあふれている。
「手掛かりはなさそうだな。まだここを調べるか?」
「そうですね・・・。手がかりはベランダでカラスが死んでいたことですかね。」
「それは偶然だろ?たまにあると言っていたじゃないか。」
「カラスが死んでいたこと自体は偶然だと思います。でも、ちょっとおかしいですね。」
なにがおかしいのだろうか。カラスが死んでいた偶然を認めないならまだしも、それ以外で何が引っ掛かっているのだろうか。
「なあ、なにがおかし・・・」
イリスはすでに部屋を出ていた。先輩をおいていきやがって。
慌てて俺も部屋を出ると、イリスは靴を履き、505号室から出ようとしていた。
「ちょっと待てイリス。勝手に行動するなと言っているだろ。」
「先輩が遅いんですよー。私ちょっと行きたいところがあるんで行きますよー。」
そう言って靴を履いている俺をおいて505号室を出て、廊下を歩き始めた。俺も急いで505号室を出たとき、手前の506号室の扉があき、第一発見者の一人である川村さんが出てきた。これから出かけるみたいだ。
イリスは先に廊下を歩いていたが、俺と川村さんは目が合った。
「あ、川村さん。これからどこかに行かれるんですか?」
「ええ・・・。ドラッグストアに。」
そこまで話した時、前を歩いていたイリスがこちらに気づき、逆走して俺と川村さんのところに来た。
「川村さん!どこかに行くんですかー?」
「え、ええ。これからドラッグストアに行きます。」
「ドラッグストア?」
三人はエレベータに向かいながら話した。
「はい。頭痛薬を買おうと思って。能力のせいで、山下さんの遺体を発見した時からまだ気分がすぐれなくって。時間がたっているのでだいぶ良くなったのですが、まだ頭が痛むので頭痛薬を買って寝ようと思います。」
「そうなんですねー。大変ですね。」
エレベータに乗り、ドアが閉まって沈黙が訪れて気まずくなったが、イリスが沈黙を破った。
「あ、そうだ!川村さんは管理人さんに頼んで山下さんの部屋を開けてもらって、遺体を発見したんですよね?さっきは詳しく話を聞けなかったので、今一度聞きたいです!」
イリスは川村さんに管理人さんから聞いた話をざっくりと伝え、間違いがないかを確認した。
エレベータは1階につき、俺たち3人はマンションの入り口に向かって歩き出した。
「そうですね。間違いはありません。私が3時ちょっと前に帰宅すると、隣の部屋から死体の気配を感じました。このマンションはペット禁止ですので、考えたくはありませんでしたが、人間だと思いました。山下さんを心配したのもあるんですが、死体の気配で気分が悪くなり、明日の朝まで待てなかったので、管理人さんを無理やり起こして鍵を開けてもらいました・・・。」
ここまで話すとマンションの入り口についた。
「そうですか。わかりました。じゃあお気をつけてー。」
イリスはそう言って川村さんを見送った。