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A Cup of Coffee  作者: タイロン
8/9

Part4-3


 「千影・・・?」


 ―――迅雷・・・じゃない。ベルでもない。ノエルでもない。煌熾、観月・・・いや、どちらも違う。

 目を覚ました伊那は、自分の手を包み込んでいる手の小ささに違和感を感じて、ふとその名を口にした。


 あり得ないはずだった。

 もう、伊那の知っている千影なんてどこにもいないはずだった。


 だけれど、そこには確かに、あの頃と同じ繊細な感情の籠もった眼差しを向ける千影がいた。


 「おはよ、伊那。手酷くやられたね」


 「ホントに、『千影』なの?」


 「ホントもウソもないってば」


 「ぅ・・・」


 「伊那?」


 「ぅぁあぁああぁあ・・・っ!!おっ、お帰り。お帰りっ!!千影―――!!」


 ―――千影が帰ってきた。なんでかは分からないけど・・・いや、きっと迅雷が連れ帰って来てくれたのだ。それを知ったとき、伊那の目からはどんなに痛い思いをしても出なかったはずの涙が溢れ出した。

 下半身を失ってベッドから体を起こすことの出来ない伊那の代わりに、千影の方から彼女を抱き締めた。今までずっとなにもかもから目を逸らして生きてきた自分が、伊那たちにどれだけ不安な思いをさせてきたかなんて想像もつかない。だけど、ほんの少しでも返せるように、強く。


 「ただいま、伊那。ボク、もう大丈夫だよ、伊那。ごめんね、ありがとね、今までずっと」


 「これでまた一緒にいろんなところに行ける!また一緒に美味しいもの食べれるんだよね!それと、そう、ナナシのお墓参りにも行こう!ナナシにもただいまって言ってあげないとダメだよ!それで、それから他にも・・・嗚呼、きっとホントに神様っているんだよ、ねぇ千影!」


 「そうだね、行こう。ナナシにも心配掛けたこと謝んないと」


          ●


 次の朝には、あれが本当にあの《最狂》なのかと誰もが目を疑った。見た目は今までと全然変わらないはずなのに、別人に見えていた。彼女の全身に纏わり付いていた異質なオーラとも呼ぶべきものがすっかり消えて、あんなに気持ち悪かった笑顔に愛らしさすら感じるようになった。

 それからの彼女が受け入れられていくのは早かった。おでんが整えてきたオドノイドに対する意識の地盤をしっかりと踏みしめ蹴り出して、千影はみんなの輪の中へとまさしくかつての二つ名に恥じぬ速さで飛び込んでいった。


 「そうだよ。あいつはこうしてみんなに愛されるべき人間なんだ」


 「なーに達観してるんだよ、ベル」


 「いや・・・お兄さんちょっと感動しちゃって、こうやってかっこつけてないと泣いちゃいそうなんスよ」


 そう言ってベルモンドはハンカチで目頭を押さえるフリをした。迅雷はクスリと笑って、その肩をポンと叩いた。気持ち悪かった芋虫から出てきた美しい蝶は、食事中までみんなに囲まれて逆に近付けず、2人は遠巻きにカップ麺を啜りながらそれを眺めていたところだ。ちなみに、無理に輪に交ざろうとするともみくちゃになって、負けると輪の中から蹴り出される。ノエルがそうなって、夫の不倫を知った妻のような顔で床に転がっている。まぁノエルは男なのだが。


 「班長のおかげなんでしょ?千影が元に戻ったのは」


 「俺はなんもしてねぇよ。千影が自分から出てきたんだ」


 「でもきっかけは班長じゃないスか。やっぱアンタは特別なんだよ、俺たちオドノイドにとって、きっと」


 「そうかもな」


 オドノイドに愛され、オドノイドを愛した。それが迅雷の本質なのかもしれない。彼の人生には常にオドノイドの存在があった。

 そんな暖かい時間を過ごす中、共同スペースの戸が開いて外の吹雪が室内に吹き込んできた。窓際の席にいた迅雷は身震いをする。が、入ってきた人物を見て、迅雷はもっと背筋が凍るような思いがした。いや、正確にはその人物が持ってきたものを見てゾッとした。


 「あの・・・雪姫さん?それは?」


 周辺の見回りから帰ってきた雪姫の手には、なんかメッチャ血液っぽい液体が染み出す布袋が引きずられていた。しかも、その大きさもちょうど大人の男が1人収まるくらいの。心なしか女性のヒステリーみたいな効果音が聞こえた気がする。


 「さっき狩ってきた」


 「ねぇ一体なにを!?」


 「・・・?そのへんコソコソ嗅ぎ回ってたヤツだけど」


 2人の会話が聞こえたのか、押しくらまんじゅうの中心から千影が首を出した。


 「あ、ゆっき・・・うげぁああああああ!?なに!?血まみれなんだけど!?敵襲!?敵襲なんですか!?」


 「いや食材確保してきただけだっつの。元に戻っても相変わらずキャンキャンうっさいなぁ」


 「食材!?食べる気!?いやゆっきーさすがに相手が人間じゃないからって容赦なさ過ぎじゃない!?」

 

 オドノイドも真っ青の発言をした雪姫だったが、しばらく首を捻って「あぁ」と呟いた。それから彼女は持っていた袋の口を開けたかと思うと、おもむろにその中身を千影に投げ渡した。千影はつい反射でキャッチしてしまったが、触った瞬間に「ぐちょっ」というヤバイ音と感触がしてたまらず床に落とした。


 「いやぁぁぁっ!?なにこれ!?な、に、こ、れ!!ねぇマジで!!いくらオドノイドでもこんな明らかにヤバイもので餌付け出来ると思わないで!?ねぇ聞いてる!?」


 「殺したばっかりのドラゴンに歯が折れる勢いで齧り付いてたヤツがよく言う」


 床に落ちたのは、野球ボール程度の大きさのなんかの臓器だった。いよいよエグすぎる品のお披露目に、千影を取り巻いていたみんなもサーっと部屋の隅まで逃げていく。

 あーあ、とでも言いたげな表情でその臓物を拾い直した雪姫は、もう一度千影にパスするフリをし、ビクンと震える彼女を鼻で笑った。


 「これさっき森の中で捕まえた動物の肉なんだけど」


 「・・・だましたな!?ゆっきーのくせにボクをだましたな!?」


 「勝手に勘違いしてただけでしょ」


 「ウソだ!絶対途中から楽しんでた!つかそんなもん投げる時点で趣味悪い!!」


 「でもアンタ内臓好きだったじゃん」


 「ああ言えばこう言う!!ボクは君をそんな風に教育した憶えはないです!!」


 やいのやいのと姉妹喧嘩を始めた雪姫と千影をよそに、迅雷は雪姫が放置している布袋の中を確かめた。入っているのはチルド済みの大きな肉の塊だ。どうやら、本当に獣を狩ってきたらしい。ご丁寧に皮も剥いで、枝肉にまで加工されていた。さっき投げたのは掻っ捌いた際に取った内臓のようだ。


 「天田さん、とりあえずシャワー浴びてきたら?血の臭いすごいし」

 

 「・・・それもそうか。じゃあちょっとアンタそれ手頃な大きさにカットしといて。今夜のために仕込むから」


 一緒に暴れた千影も汚れてしまったので、2人はシャワーを浴びに部屋を出て行った。百合の香りにつられて男共がソワソワしているが、そもそもシャワールームは1人個室だ。

 迅雷が返事をする間もなく雪姫は行ってしまったので、他のみんなも迅雷が後はなんとかしてくれるという雰囲気を出し始めた。深い溜息を吐いて、迅雷は袋の中身を引きずり出した。雪姫が捕まえてきただけあって肉は極低温にされていたため、血抜きは急がなかったらしい。迅雷はあんまりその辺は詳しくないから、とりあえず部屋の中でカットすると床を汚してしまうかもしれないと思って外に運び出した。

 すると、ちょうど騒ぎを聞いて遅れてやって来た煌熾と観月と鉢合わせて。


 「なにしてるんですか神代さ・・・ひぃっ」


 「どうした春・・・うわぁっ」


 「そのリアクションをされるのは俺じゃない・・・」


 殺戮の繰り返しでPTSDに陥っている2人が全身の皮を剥がれた死体を見て反応してしまった。この2人の場合、これだから戦いの前にクスリでもキメておかないとダメなのだ。

 ちなみに、迅雷の場合は単に平時の抑鬱状態を見かねた医者が士気昂揚の目的でスピードを処方していただけだ。・・・が、なんとなく察した人もいるかもしれないが、今日の迅雷は割と明るい。でも別に今日はクスリは使っていない。変わったのは千影だけではないということだ。


 だが忘れてはならない。


 2人の心を救ったのは、昨日交わした約束であることを。

 彼らがバンザイで楽しんでいるのは死へのジェットコースターであることを。 

 

          ○


 その夜、ミシロ班が奪取した印神界の『門』の管理施設に設置された本部より、明日からの作戦命令があるから映像通信の回線を開くようお達しがあったのだが・・・。


 『Hey, everyone! This is ODEN-CHAN, your soul idol speaking NANORA~ ♡』


 モニターに映ったのは、カメラの前で寝そべってあざとい笑顔を浮かべる銀髪の女狐だった。画面にチラッと映る谷間を見た男性魔法士たちの飯をかき込む手が止まる。それを見て女狐ちゃんはさらにご機嫌な様子で脚をパタつかせる。いつかの疾風もこの女については少女時代から童貞の目には毒なヤツだと言っていたが、なるほど、さらに成長した彼女のセックスアピールはありとあらゆる男にとって刺激的である。

 しかし、世の中には一定数の巨乳には反応出来ないインポ野郎もいるわけで。


 『む、お前ら、今わちきのこと「アンタはアイドルってキャラじゃないらろ」って思ったな?』


 「ソンナコトナイデスヨ」


 『わちきにウソが通じると思うなよ。全員、顔は憶えたからな』


 おでんは頬を膨らませて、寝そべっていたデスクからヒョイと降りた。着物がはためいて下着が見え・・・見え・・・なかった。というか、いつも着物の隙間からキワドイ肌色を覗かせて男性魔法士たちを翻弄している彼女は、果たしてそもそも下着を着けているのだろうか。・・・だがブラくらいつけてなかったら胸とか醜く垂れ下がりそうだし・・・謎の深い女だ。

 それにしても、態度が軽いというかなんというか。極寒の大地にプレハブ小屋をほっ建ててみんなで身を寄せ合って暖を取る魔法士たちへの労いとか、そういうのはないのだろうか。いや、ないか。よく考えたら、仮設とはいえ共同スペースには普通に省エネエアコンがついているわけだし。

 作戦命令と言いながら、命令される側である魔法士たちは夕食中だった。もっとも、これはおでんが許可しているからだ。この作戦中に限らず、おでんはいちいちミーティングのためだけに部屋に集めるより、勝手に集まる飯時のついでに全員への命令や指示を出すようにしていた。


 『というかお前たち、なんか今日はいいもの食べてるな』


 「良いでしょう司令官殿、天田女史手製のビーフ(?)シチューですよ」


 最前列に座っていた、世界に3人だけのランク7のその一角、フレッド・アナスタシアがフォークで突き刺した満足サイズのサイコロ肉をカメラに近付けた。画面越しにも柔らかそうなことが伝わってくる肉におでんは目を輝かせたが、残念ながら彼女の分はない。


 『いいなー、わちきも食べたいなー。なー雪姫ー、帰ったらわちきにもなんか作ってくれよー。なんで現場のお前らの方がわちきより美味そうなもん食ってるのらー?』


 「・・・はぁ・・・」


 『露骨に面倒臭そうな顔するなよ!少しは上司に媚びを売れ!ちきしょー・・・というか、わちきは雑談のために通信してるわけじゃないのら。長々とくっちゃべっていたら敵に探知されて夜襲を受けるぞ』


 「いやアンタが勝手にくっちゃべってるだけじゃ・・・」


 『口答えすな』


 これ以上言うとあとが恐いので、雪姫は悔しそうに頬杖を突いて黙り込んだ。おでんは基本的に温厚だが、あんまりコケにすると「お仕置」と称して問答無用で意識を刈り取ってくることがある。暴力ではなく、例の全くもって詳細不明で正体不明の能力で。雪姫でさえおでんのその能力から逃れられたことは一度もない。しかもチカラを行使した本人からすれば遊びのようなものらしいから始末に負えない。画面越しにも有効なのかは知らないが、効かなかったならそれで次に顔を合わせたときまで引きずられかねないし、どっちみちこれ以上楯突く気にもなれなかった。

 癖の強い魔法士というだけなら数居るが、その中でも突き抜けて扱いにくいことで有名な天田雪姫をも上から押さえ付けたおでんは、千影を囲んで明るい雰囲気の部下たちを一望して満足そうに頷いた。


 『その様子らとわちきの計算通りに事は進んらみたいらな。さぁて諸君。丁度良い。今宵の宴は勝利の前祝いになるぞ』


 一同はおでんの突拍子もない発言に首を傾げたが、一方の彼女は既に確信めいた表情をしていた。

 実は、既に前回の戦闘で人間界の勝利は決定したようなものだった。

 というのも、重要なのはヴィシュヌの戦線離脱である。「彼」は存在としては1人だが、件の変身能力の応用で大量の自分自身を作り出して「一騎当千」を数の意味で実現してしまう超特級兵士だった。故に、彼が行動不能になったということは、兵隊の数と質両面において印神界にとって非常に大きい打撃を与える。

 もっとも、そうは言っても印神界にはヴィシュヌと肩を並べるほどの戦闘能力を誇る兵士はまだまだいる。無論彼を遙かに凌ぐほど強力な兵士も多くはないが確実に存在している。だが、それはもはや問題にはならない。


 現在この部隊が攻略に取り組んでいるのは、印神界北部にある主要国である。主要ということは、異世界外交においてもそれなりに重要な国であり、それ故に『門』の管理施設が存在する。それを奪取すれば、さらに人間は高い効率で印神界に兵力を展開出来るようになる。

 基本的に、異世界との戦争においては単騎で圧倒的な能力を持つ兵士を送り込んで突破口を開くところからが重要となる。迅雷たちが最初の『門』の管理施設を奪取した作戦が好例だ。これは、『門』が封じられれば大量の戦力を一度に送り込めなくなるため仕方がない。

 だが同時に、敵味方が入り乱れて銃や魔法の乱射戦を行う以上は、ランチェスターの法則がそれなりに成立することが予測される。つまり、展開力の大幅な強化は優秀な個人戦力を少数投入するよりも分かりやすく趨勢を決する要因であると言える(実際は交換比という値も絡み、この戦線においてはそれが大きく影響を見せているが)。

 現状、ホームグラウンドで戦っているため当然数で勝っているはずの印神側が押されているのは事実であり、彼らとしてはこれ以上自分たちの庭で人間たちの展開力が強化されてしまうのは好ましくない。だから、必ずこの戦線は死守しなくてはならない。

 しかし、その目的を遂げるためには件のランチェスターの法則に則って大量の兵士を動員するのが手っ取り早いはずなのだが、悲しいことに印神界における輸送技術は人間に遠く及ばない。しかも最悪、街に対して爆撃を行わないようにしているだけで大型、あるいは大量の船舶・航空機のような目立つ輸送手段を取れば即座に例の超音速機で沈められる可能性がある。よって、まずその輸送を確実に成功させるために要する時間を稼ぐために、ヴィシュヌと比肩する優秀な個人を先んじて戦線に投入することになる。


 ・・・が、ここが実がネックである。その選択は印神界の勝利への道筋と根本的に相容れない。数と質を確保出来るヴィシュヌで自分の世界における要所を守り、数は確保出来ないが圧倒的な質を誇る兵士たちで敵の世界を攻める―――それが印神界の取った戦略だったのだ。それが、防衛布陣におけるヴィシュヌの穴を埋めるために彼らを呼び戻せば、つまるところ印神界の「攻め」は頓挫する。なぜかという問いは愚問だ。最初に異世界戦の定石について話をしたはずだ。

 攻撃出来ない戦いに勝利はない。あるいは恐ろしいまでの持久戦を耐え凌げば、相手のリソースが枯渇して根負けしてくれる可能性もあるが、この第2次界間大戦においてそれは期待出来ない。反人魔派の世界で未だに戦闘を続けているのは印神界のみであるのに対し、親人魔派はほとんどがいつでも人間界をサポートする体制を維持している。

 さらに、そういった背景から人間は撤退する印神界の精鋭たちを追う形で、今まで人間界に残って印神界の軍勢からの侵略を防いできた戦力を攻撃に回す選択も安心して行える。神代疾風やギルバート・グリーンにまで北部戦線に合流されてしまっては、せっかくの防御策も意味がない。人間の持つ輸送能力を鑑みれば、むしろ攻め落とされるまでの時間を早める結果にさえなりかねない。


 正直、印神界がまだ粘って戦い続けていること自体がセオリーから外れていると言えなくもない状態だった。そして、その雰囲気は既に兵士たちの間には充満していたのではなかろうか。どんなに戦争の狂気に呑まれていても、最前線に立つ彼らがそれを理解出来ないはずがなかった。

 だから、今の印神界の兵士たちにとって最も重要なことは、この世界のお偉いさん方が素直に負けを認めるまでの短い期間を、可能な限り死者を出さずに戦い抜くことへと移っていく。そのために、攻めは捨てて守りを選ぶだろう。結果、ヴィシュヌを倒したことで印神界の切り札を芋蔓式に引きずり出す事が出来る。というより、既に引きずり出せた後だろう。連中の手元には既にロイヤルストレートフラッシュが揃っていて、後は手をこまねいてこちらの出方を窺っていると見て間違いない。


 ・・・と、おでんがここまで説明したところで疑問に思った魔法士が数名手を挙げた。おでんは手近にいた女性魔法士を指して発言を許可した。

 

 「・・・その展開だと、私たちってそんなヤバイ連中と戦わなきゃいけなくないですか?」


 『まぁそうなるな』


 考えてもみれば当然である。

 引きずり出したまでは良いが、その切り札によってせっかくここまで攻め込むことが出来た魔法士たちがまとめて返り討ちに遭ってしまったら最悪だ。ヴィシュヌと戦ってみなが敵世界の脅威を肌で認識したばかりであるが故に、なおさらそこから先の確実な勝算が見えなかった。

 だが、おでんは不敵な笑顔を崩さない。彼女の視線の先で、迅雷と千影が表情を引き締めた。


 『やれるよなぁ、わちきの可愛いファイブカードたち?』


 

          ●


 迅雷は、悪路走行で鉄板にケツを叩かれながら、いつもの錠剤を口の中に放り込んだ。千影が興味津々で覗いてくるが、迅雷はそれをすぐにポケットにしまい込んでしまった。


 「なにそれ?」


 「よせよ、ただの酔い止めだ。お前はキャンディーでもなめときな」


 「とっしーもキャンディーだった方が幾分楽だったんじゃないの」


 「分かってんなら聞くなよタチが悪い。そういや千影はマジックマフィア出身だっけな」


 「商品として取り扱ってたお薬は頭に『火』か『爆』の字がつくやつだけだったよ」


 「オイオイなにを治療してたんだお前ら、そいつは死ななきゃ治らねぇ末期患者用の特効薬だっつの」


 迅雷はうんざりしたように首の骨を鳴らした。幼児退行から戻ったかと思えばこれだ。蝶よ花よの美少女のする話じゃない。

 だが、それぐらいで具合良い。今から演じるのは劇薬専門のお医者さん、メス代わりの魔剣を担いで治すのは世の中、治療費はポーカーの賭け金からたんまりと。いつだってお医者さんはハードなお仕事だ。純真なおにゃのこには務まらない。

 大戦の決着(オペレーシ)をつける作戦(ョン:カリ・ユガ)は、至ってシンプル。今から攻め込むのは豪雪地帯の国の中心地だ。移動には地下鉄が盛んに利用されている。それこそ、端から端まで縦横無尽に。印神界も地下鉄技術に関しては人間を鼻で笑い飛ばせるだろう。今回は、人間もそれを利用させてもらう。広大な地下迷宮に潜って管理施設を目指してモグラアタックを決める。線路の上を走るだけなら、いちいちスパイを送ってルートを調べなくたって路線図がいくらでもあるから、道に迷う心配もない。


 「そろそろ着くぞ。本当にやれるんだな?神代、千影」


 今回の作戦では、陽動を行わない。全戦力を持って一点突破を狙う。敵戦力を鑑みれば戦力を分散するほどの余裕がないからだ。・・・が、これがあくまで建前であることを、このときの魔法士部隊の誰もが知る由もなかった。

 アラートが鳴る。車列の進行方向1キロ先に敵部隊が構えているとのことだ。このまま突っ込んだら横殴りの鉛の雨ということだろう。


 「減速はしないでくださいよ先輩。これは前哨戦なんすから」


 「頼むからフロントガラスが割れる前になんとかしてくれよ・・・!」


 「雨雲吹いて晴らしゃ、いよいよホントに風神様ってね―――」

 

 久方ぶりだった。こんなにも昂揚感に体を突き動かされるのは。

 迅雷は、千影と一緒に車を飛びだし屋根に乗った。

 今回の作戦では、臨時の班編成が行われた。そして、迅雷の班は、迅雷と千影の()()()()()()()

 最初は無茶苦茶過ぎる作戦内容に懐疑的な意見が多く飛んだが、そんな彼らは今に再確認することになる。自分たちの指揮官が決して妄言を言わない女であるということを。



 ―――ウソだろ。あの2人って出逢って1週間も経ってないんだぞ?



 誰かがそう言った。誰もが同じ事を思っていた。目の前で起きていることが俄には信じられない。

 迅雷と千影の連携は、何年も同じチームで戦ってきたタッグかと見間違うほどに呼吸が合っていた。

 ノータイムで互いの位置を入れ替える千影の魔法である『トラスト』を駆使した変幻自在の機動戦闘は大軍で待ち構えていたはずの敵部隊を容易く掻き回して壊滅させていく。ますます《最狂》と呼ばれていた頃を微塵も感じられなくなるような、極めて冷静かつ理論的な動きだった。

 そして当たり前だが、迅雷も迅雷だ。彼の攻撃力の前ではどんな防御もまさに紙屑同然である。ランク7連中同様、ああいうのが人間を名乗るには無理がある。


 ―――誰もが驚いたこの連携だが、2人の息が合うのは必然だった。迅雷の異常なまでの「速さ」への執着は、そのまま千影に対する執着だったから。彼の心に巣くっていたどす黒い執着心が、千影とのたった5日間の思い出の中に散りばめられたデータを徹底的に掻き集め、咀嚼し、自分の一部へと還元してきた。迅雷の「速さ」は千影の「速さ」なのである。

 故に彼らは互いを見失わない。思考の速度まで彼らはシンクロしている。後悔と罪悪感と憎悪だけが、彼らの絆を7年もの歳月をかけて風化させるどころかダイヤの輝きを放つまでに磨き上げてきたのである。


 数分で盛大な歓迎パーティーをお開きにした迅雷と千影は、再び車に戻って市街地へ突入した。さすがに一般市民の避難は済まされており、街は閑散としている。敵の目がない道を確認しつつ、そのまま、魔法士部隊は迅雷と千影を先頭にして地下ルートに侵入した。人間界の常識とはちょっと違う構造の、閑散とした地下鉄駅を駆け下りながら、迅雷は司令部への報告を行った。


 「地下鉄駅への突入に成功。オーバー」


 『こちら司令部。こちらでも確認しました。作戦の続行を、あ、ちょ司令官!?』


 ノイズが走った。おでんがマイクを奪ったらしい。迅雷は何事かと眉を寄せた。


 『お前たち、良いペースなのら。でも一旦止まって話を聞け、次の指示を出す』


          ●

          ●

          ●


 駅のホームまで降りた迅雷たちは、そのまま線路の上を走り出した。

 だが、直後に前後から強烈な閃光が迫ってきた。列車だ。擦れ違うようにではない。このまま進めばすぐに正面衝突する形で突っ込んでくる。しかも、車体の周囲を積み荷で太らせて人間が通り抜けられる隙間を潰した状態で、だ。


 「おいおい、今日のダイヤ組んだのは誰だよ・・・」


 こんな日の積み荷ともなれば十中八九、爆弾だろう。迅雷たちは確かに人間離れしてるかもしれないが、ゴジラじゃないのだ。こんなものをぶつけられれば血液凝固剤なんか投与されなくても余裕で死ねる。

 だが、焦ることはない。おでんは最初からこういう攻撃が来ることを想定してフォーメーションを指示していた。うってつけの人員が、この部隊にはいる。

 迅雷と千影は真後ろに控えていた、フレッド・アナスタシアと先頭を交代した。


 「ランク7をナメるなよ―――!!」


 フレッドの掌から紫色の魔法陣が展開され、直後に無人地下鉄爆弾はその本来の破壊力の全てを解き放った。見ての通り、彼は結界魔法を使ったわけではない。だが、驚くべきことに爆風は彼の魔法陣を越える頃にはそよ風になっていた。しかも、崩落してくるはずの天井が瓦礫になりながらも重力に逆らってふよふよと中空に留まっている。重力魔法のさらなる発展、これが、フレッドの魔法だ。

 そして、後ろから迫っていた方の列車はというと、最後尾に構えていた天田雪姫によって凍らされていた。走りながら、既に彼女は足下に魔法の準備を施していた。それを一斉に発動することで、100メートルに渡る車列全体を一瞬で極低温状態にしたのである。当然、低温では爆薬が起爆することはない。


          ○


 「ダメです・・・連中、バケモノです!!依然同じ速さで真っ直ぐ管理施設に接近して来ます!!」


 爆破作戦が想像以上に効果を発揮しなかった。しかも、駅間を塞ぐ隔壁封鎖を行っても正面から一撃で粉砕される。脳筋とかそんなレベルではない攻撃力を持つ存在がいるのは明らかだった。間違いなく、先日別の管理施設を襲撃したあの魔法士だ。

 守るべき砦である『門』の管理施設に設置された司令部内では地下道各所に設置されたカメラからの映像を基に多くのオペレーターが報告をし続けていたが、その声には悲愴感すら感じられる。先日の戦いでヴィシュヌが致命傷を負わせたはずのオドノイド兵の全員が戦線復帰していたことも、印神側が落胆する原因になっただろう。

 だが、一方でこれくらいは想定内でもあった。やられる一方だからといって、この国の軍司令部は馬鹿ではない。司令官は、作戦を次のフェーズへと移行する旨の宣言をした。


 「そもそも、地下を堂々と突っ切れるだなんて考える人間が一番馬鹿だったのだ。あるいは、都市機能の重要なピースを担う地下鉄設備を大規模に損傷するような作戦は行わないとでも踏んだのか・・・。奴らは甘かった。我々が奴らが思うほど弛緩などしていないことを見せてやれ!!」


 カメラで常に魔法士部隊の現在位置は把握出来ている。実は、この地下道には既に列車爆弾を布石とするトラップが存在している。単純にして凶悪なそのトラップ―――すなわち、水攻めだ。

 豪雪地帯であるこの街ではその気になれば大量の水を素早く用意することが可能である。この事態を見越して準備は進めてあった。

 片側は列車爆弾で崩落した天井から、そしてもう片側は魔法士たちの進行方向にある駅から流し込む。隔壁を使えば水の移動方向は制御可能であり、駅間距離は長いため別の駅から水が逃げ出すこともない。一本道のど真ん中で構内を完全に満たす水量の挟み撃ちを行う算段だ。


 水は爆弾より厄介だ。対処不可能と言っても良い。

 超高熱の火炎魔法で大量の水を一気に蒸発させて対応?馬鹿を言ってはいけない。仮にそんな桁外れの火力があったとしても、密閉空間で凄まじい水蒸気爆発に巻き込まれておしまいだ。

 では電気分解はどうか。これも馬鹿としか言いようがない。蒸発パターン同様に頭のネジがトンでいるアイデアだが、一応、雪解け水は氷晶核だった海塩粒子等の電解質を含むため導電性が全くないわけではない。だから、途方もない大電力を発生出来るのなら理論上は可能と言えなくもない。・・・が、仮にそれが可能だったとして、分解して発生するのはなんだ?水素と酸素である。水素爆鳴気。ちょっとでも火花を散らしてみれば良い。悲惨な爆発事故に至ることなど目に見えている。

 そして、凍らせるという作戦だが、これもマズい。出来上がるのは分厚い氷の壁だ。部分的に凍らせるだけというのも難しい。津波を例に出すと大袈裟だが、要するに莫大な量の水を一度にぶつければ生じる圧力をは想像を絶するものとなる。薄氷1枚でお茶を濁せるような威力ではない。単純に質量攻撃としても水攻めは有効なのだ。

 これで八方塞がり―――いや、一本道だからたかだか二方塞がりの計略で、魔法士たちは水流にミンチにされることになる。彼らは優勢であったが故につまらない読み違えをして、無惨に全滅したのだ。


 「85番隔壁、88番隔壁を封鎖後ただちに放水開始せよ!!」


 指揮官の命令で、トリガーが引かれた。


 「両隔壁封鎖確認」

 「放水開始!!」

 「水流、Aポイント到達確認!」

 「Dポイントもクリア!10秒後に目標地点へ到達します!」

 「B、Cポイント水流到達、残り5秒!」


 ここまで散々説明したのだ。不測の事態はない。問答無用の激流が地下空間を席巻した。各放水開始箇所、水流制御用の封鎖隔壁、水流進行ルート上のカメラ、それぞれをモニタするオペレーターたちの報告が次々となされていく。そして遂に、水没予定地点を映すカメラにも激流の先端が映った。


 「敵部隊への水流到達を視認!高速で水流が凍結されていきます!」


 「問題ない、パターンCだ!敵頭上に砲撃部隊を展開、万一地上への脱出を試みる様子があれば即座に粉々にしろ!」


 現在も、カメラには自ら進路も退路も断ってしまった魔法士部隊の様子が映っている。凍結が速かったため今の水流に呑み込まれた魔法士は精々1割程度に留まったが、想定の範囲内だ。あれだけ怒濤の勢いだった魔法士たちは他の道がないかとそこら中を右往左往して思案する姿が見える。まさに立ち往生といった様子だ。もちろんそんな都合の良いラッキーはない。氷に穴を空けて通ろうものなら第2波の水を流し込む。彼らに残された道はこのまま餓死するまで地下空間に閉じこもっているか、天井を砕いて鉄火の嵐の中に飛び出すか、二つに一つだ。


 一部始終を確認した印神界の司令官は、滝のような汗を軍服の袖で拭って椅子に落ち着いた。これでもヒヤヒヤしていたのだ。考えられる抜け道は全て潰してきたが、それでもなにか見落としていないかとずっと不安だった。もちろんその場合のプランもあるが、時間の都合で、もうこれ以上大がかりなトラップは設置出来ていなかった。

 だが、彼に与えられた最後の砦としての役割はこれで果たされた。きっと戦後は英雄的所業ともてはやされるだろうが、今の彼の頭にあるのは街や国、軍の仲間たち、ひいては印神界の未来を少しでもマシに守れたことへの安堵だけだった。

 司令官は、もう一度足に力を入れて立ち上がり、司令部と、そして現場の仲間たちに労いと激励を投げた。


 「お前たち、よくやってくれた!敵はこちらの思う壺だ!だが油断するな!敵はまだ死んだわけではない!!連中の墓に戦勝記念の駅の建設が決まるまで警戒は緩めるんじゃないぞ!!」


 『了解!!』



 士気に再び火が灯されたその直後、司令部の後方で轟音があった。



 「なにがあった!伏兵か!?」

 

 非常アラートが鳴り響き、オペレーターたちの間で動揺が走る。だが、司令官はある意味こんな事態もあるのではないかとは思っていた。先ほども言った通り、彼は常に見落としがないかを不安に思っていたからだ。想定外は必ず起きる。だからこそ、彼は冷静に状況の確認を急がせた。

 だが、オペレーターからの返答は彼の想像を遙か上を行くトンチンカンな内容だった。



 「そ、それが―――()()()()()()()()()()()()()()()です!!」


 

 「な・・・はぁぁぁぁぁ!?」


 地下道のカメラには、依然として氷の壁に閉じ込められた魔法士たちの混乱する様子が映し出されている。だが、司令部を襲う振動はどう考えても気のせいではない。

 

 (地下道のはダミー映像?いや、前回の戦闘から今日の間でここまで精巧な映像を用意するのは不可能だ。では、オドノイド兵の中に、自分だけでなく他者の分身を作れるヤツがいた?・・・突拍子もない話だが、クソ、映像よりはまだあり得そうだ。ならばこれが正解か?)


 不正解だ。


 突如、全てのカメラの映像が切り替わる。

 

 『ハロー、現代のクシャトリヤ諸君。ドッキリは楽しんでもらえたかなーん?』


 映り込んだのは、銀髪のオドノイドだった。


 『なにをしたかって?聞きたいか?聞きたいじゃろーな。良いぞ、もう気付いても遅いから教えてやる。そもそもの話―――』


 「クソ!!お前たち、敵の説明なんぞ聞いてる場合じゃないぞ!!すぐに迎撃部隊を回せ!!出撃中の部隊もすぐに戻らせるんだ!!」


 「りょ、了解!!」


 正解とか不正解とか、関係ないのだ。最悪ではあるが、こうなった以上、打つ手は一つだ。

 地下道関連の作戦に確実性を与えるため、殆どの戦力をその1箇所に集中させてしまっていた。司令部を守れる戦力はほとんどない。・・・だが、まだ終わってはいない。司令官は、とある女性兵士個人に向けて、確認を行った。


 「『シヴァ』、いけるな?」

 

 「私を司令部に残しておいたのは正解だったみたいですね、司令官殿。―――えぇ、やってみせます。この命に代えてもここは死守いたします」


 現印神界最強の兵士。今代の『シヴァ』の継承者、カーリー。2柱の神の力を宿した究極の破壊神。そしてまた、迅雷にも匹敵する魔力量と、迅雷を遙かに上回る実戦経験を誇る歴戦の猛者でもある。その実力がどの程度のものかと言えば、人間界への攻撃を行っていた2日前までは、彼女1人のためだけに神代疾風とギルバート・グリーンの2人が最前線に引きずり出され、それでもなおジリジリと押されていたと言えば想像出来るだろうか。

 真性の『最強』が、今再び出陣する。


          ●

          ●

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 「屋内戦だ!遅刻はダメだが曲がり角で敵さんとラブコメすんのもダメだぞ!」

 

 背面ゲートから施設内に突入した迅雷たちは、数班ごとに分かれて制圧行動を開始した。敵兵の殆どは地下道を走っている自分たちの幻影のケツを追っかけて出払っている。これ以上ないチャンスだった。

 

 「やっぱりおでんが噛むとヤバイね」


 「あの人のやることにはついていけねぇよ」


 迅雷と千影は、最短ルートで敵の司令部を目指しながらそんな会話をしていた。

 地下鉄構内に突入した直後、おでんが出した指示。それは、適当な監視カメラに端末を繋げ、というものだった。目的はもちろん、カメラへのハッキングだ。だが、その範囲がえげつない。そのたかだかシステムの末端の1台を始点として、おでんは地下道だけでなく地上のカメラまで全ての『目』を掌握した。どんなスパイ映画の天才ハッカーも顔面蒼白で逃げ出しそうなとんでもないハッキング技術だが、もはや彼女のマルチタレントっぷりを見てきた迅雷たちにはそこまで驚くことでもなかった。ただ、その後なにをしたかについては企業秘密とのことだった。

 カメラを無効化した魔法士部隊は、元々の作戦プランを完全に捨てて地上ルートから管理施設を目指し、そして強襲に成功した。

 

 正面から銃で武装した敵がやって来る。敵は迅雷たちの接近待たずに発砲したが、見えればこっちのものだ。迅雷は右から、千影は左から、銃弾をすり抜けてあっという間に懐に潜り込み、粉々に斬り刻む。

 だが、迅雷は違和感を覚えていた。

 

 「千影」


 「うん、変だね」


 敵が少なすぎる。・・・いや、敵が少ないのは狙い通りだが、それにしても少なすぎる。そして他のルートからは普通に戦闘音がする。それはおかしい。ここは司令部まっしぐらのルートのはずだ。他のルートよりも防御が堅くて然るべきである。

 

 「一応、用心しておくか―――」







 

 迅雷がそう呟いたそのときには、既に彼の喉元に刃が触れていた。

 三叉槍『トリシューラ』、かの破壊神の振るう終焉の刃が。

 

 






 簡単に首が飛んだ。

 鮮血の噴水が天井まで赤く染めた。


 


 ・・・が、飛んだ首を確認する者はいなかった。


 


 「あっぶねー・・・」


 「自分で言っといて油断しちゃダメじゃん」

 

 「助かったよ」


 迅雷の首は無事であった。当然、千影も。

 死んだのは『シヴァ』だった。終ぞ一言も発することなく、彼女はあの静かな廊下でただ事絶えていた。

 どんなに強くても、どんなに魔力があっても、どんなに経験豊富でも、《神速》には敵わない。あの一瞬のうちに、千影は『トラスト』で迅雷と位置を交換したのだ。位置交換後も直前の運動は保持されるため、『トラスト』発動前から予測回避運動を取っていた千影が代わりに刃を受けることはなく、そして迅雷は『トラスト』の発動にすぐさま理解・対応を行った。それだけのことだった。

 迅雷は浅く裂かれた喉に手を触れて、面倒臭そうに口の端を歪めた。

 

 「あれって件の『シヴァ』か?」


 「そうっぽいね、あの武器は報告にあった。やっぱ戻って来てたみたいだね」

 

 「父さんとギルバートさんには悪いなぁ」


 「屋内戦だからボクらに分があっただけだよ」


 もう死んだ敵の話だ。これ以上は気にせず、迅雷と千影は司令室に踏み込んだ。

 最大戦力で迎え撃たれたにも関わらず、どうやら2人が一番乗りだったらしい。問答無用で、迅雷は最初に『駆雷(ハシリカヅチ)』を一発お見舞いして下のフロアを吹き飛ばし、それから頭上で震える司令官に鋒を向けて宣言した。


 「俺の雷は地上から空に落ちるぜ。黒焦げにされたくなけりゃ早いところ降参しな」


 「・・・なぜ、生きてる・・・『シヴァ』はどうした?」

 

 「分かんねぇヤツだな、俺が生きてるんだぜ、それが答えだろ」


 「だがお前のその喉元の傷!!お前はヤツの刃に触れたはずだ!!触れただけで全てを『破壊』する『シヴァ』の能力に!!なのになぜピンピンしてやがるのかって言ってるんだ!!」


 「ちょっと裏技を、な。知ったら気が狂うぜ、やめときな。これでもほんの一端だ。俺だって出来るなら頼りたくない」


 司令官は思い知った。想定外なんてものじゃない。この人間は埒外の存在だ。

 コイツと出くわしたばっかりに、印神界はヴィシュヌもカーリーも失った。司令官にはもう、これ以上このバケモノと戦う手立てなどない。―――いや、手立ての有無はもはや問題ではなかった。屈辱、その一言に尽きた。考え抜いた作戦の全てが歯のない歯車だったわけだ。

 だが彼は、そう、言うなれば運が悪かったのだ。印神界があと2年も早くこの戦争を仕掛けていたのなら、あるいは結果は違っていただろう。自決が頭をよぎった彼を、千影が拘束した。


 「もう良いじゃん・・・死ぬことないよ。そろそろ、みんなの声を暖かい部屋でくつろいでる人たちに聞かせてあげるべきじゃないかな」


 少女の声色に嘘の臭いがないことも、屈辱的だった。

 全くその通りだ、と零して、司令官は通信回線を開いた。






          ●

          ● 

          ●





 2024年11月末日、印神界が事実上の降伏宣言を行ったことで第2次界間大戦は幕を閉じた。最初期の小規模紛争から数えても1年3ヶ月程度と、大戦と言うには極めて短期間であったが、この出来事はかつての第1次界間大戦以上に世界同士のパワーバランスを改変することとなった。

 だが、戦勝世界の代表である人間界は、このとき得た立ち位置をとても倫理的に運用する選択をした。元より現IAMO総長であるギルバート・グリーン主導の下で異世界との融和政策が推進されている最中で起きた衝突だったためだ。

 親人魔派として大戦に参加していた世界も、このムーブメントに協調する形で反人魔派世界だった世界に対して物資や人員の派遣を行うことで復興支援を開始することとなった。もちろん、これは軍隊を駐屯させて監視の目を置くことも大きな目的だったが、こと人間に対してこれ以上無闇に事を構えようと考える者は一部の馬鹿を除いて存在しなかった。恐怖だけでなく、彼らの態度が実に道徳的だったためだ。多くの命を奪った敵であるため感謝までは出来ずとも、初めから仲良くしておけば良かったと後悔する程度には。

 さらには観光やビジネスなど種々の目的で異世界旅行や世界間貿易を強力に推進するプロジェクトが、民間企業からも立ち上がるようになった。史上2度目のグローバリゼーション革命である。


 そして、当然この戦争の主題であったオドノイドもまた、これから少しずつ世界へと受け入れられていくことになるだろう。人間の魔法士たちは、魔族の騎士たちは、印神族の兵士たちは、多くの世界の政治家たちは見ていた。オドノイドは子を成せないだけで、ヒトと共存出来ることを。いずれは、かつて人間の少年とオドノイドの少女のした恋も美談として語られる日が来ると信じたい。


 別に、戦争を肯定する意図はない。先にそれを断った上で次のことを言わせてもらう。我々はその真実を知っておかねばならない。

 戦争がもたらすものは悲劇だけではない。悲劇という対価を払い、未来の子供たちが喜劇的な未来を獲得するのだ。喜劇が尽きれば再び悲劇を支払って喜劇を得る。人間に限らず、あらゆる世界において、ヒトはそうして歴史を前へ前へと進めてきた。

 表のあるものには必ず裏があるように、裏のあるものには必ず表がある。有形無形に関わらず、全ての物事は両面的に存在するのだ。


 然して、世界は新たなる喜劇の時代―――まさしく人々が当たり前のように「異世界とか外国より身近なんですが」と言える時代へと進もうとしていた。



 

          ●




 だが、タイトル回収が済んでめでたしめでたし、とはいかない。


 まだなにも終わってなどいない。

 これから始まるのだ。


 神代迅雷は再び剣を握る。我が物顔でのさばる平和の鼻先にその鋒を突き付けるために。

 世界は変わる。それを思い知って、時間と運命の濁流の中で悩み、苦しみ、迅雷は始まりの少女との再会でここに辿り着いた。次に世界を変えるのは、迅雷だ。


 いずれまたそう遠くない日に破綻することが分かりきってるこんな仮初めの喜劇なんて、全部粉々にぶち壊して、まっさらな世界にして、そして―――。


 全部終わらせて、千影に殺してもらうために。

(2020/04/30 22:54投稿)

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