表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A Cup of Coffee  作者: タイロン
7/9

Part4-2


 2023年8月初旬、人間界で人工的にオドノイドを作り出すプロジェクトが進められていたことが発覚し、多くの世界に衝撃が走った。当然のことだ。経緯はどうあれ、当初、オドノイドは危険だから排除するという指針を示した人間がすることではない。・・・が、誰しもが初めから気付いておくべきだった。人間がオドノイドの存在を認めるよりもずっと前から、彼らを秘密裏に研究し、利用していた事実に。まして、魔族との因縁が最も新しく深いはずの人間が魔族と与した時点で、既にシナリオは書き上がっていたと言っても良い。

 最初に批判の声明を上げたのは、晶界(ローラ・イーレ)印神界(ヴェダァカシャ)だった。どちらも、魔界の侵攻にかねてから怯え続けていた世界だ。長く続いた緊張の日々でエネルギーを溜め込みすぎたバネが弾けたような、勢いのある対応だった。だが所詮は恐怖心に駆られて動いた者たちの要求で、その内容は単純にオドノイドの再排除と人間界が魔界と手を切ることだ。そして、あわよくば集団の暴力で異世界外交で威張り散らしてきた魔界をどん底に叩き落としてやろうという感情もあったのは間違いない。

 だが一方で、人間は水面下で一部の世界との交渉を進めていた。結果、人間界とは親交のある北神界(イグドラシル)や、以前から生命倫理的にオドノイドの社会的受容を唱えてきた高天原など、人間界側に味方する世界も多く現れることになる。いずれも、オドノイドの価値を理解し、その力を欲しがる世界だったとも言える。オドノイドとなり得るのがなぜか()()()()であるという事実もまた、人間が守られる対象となる要因だったのは言うまでもない。

 

 こうして、消極的かつアグレッシブな反人魔派の世界群と、積極的かつディフェンシブな親人魔派の世界群に情勢は二分されていった。

 たださすがに、すぐに戦争だ、とはならない。界間戦争がどれほど悲惨なものかは既に多くの世界が知るところだ。世の中は、まだ仮初めの平和が続いていた。


 あくまで、仮初めの平和、だが。


 界間戦争とまではならずとも、反人魔派の世界は人間界や魔界の資源調達ルートを阻害したりして、それを撃退するために人間の魔法士や魔族の騎士が出撃するといった小規模な戦闘行為はとっくに頻発していた。―――そんな小競り合いを仕掛ける世界たちは、それが皮肉にもオドノイドの有用性をさらに如実に示す絶好の機会になってしまうと気付かなかったのだろうか。この下らない戦闘の繰り返しで反人魔派の中からも次第に親人魔派に寝返る世界が現れ始めるのは、またもう少し後の話になる。



          ●



 102番ダンジョンは、ジャングル然とした地形が果てしなく続く世界だ。樹上生の危険生物がわんさか生息するためランク4以上が推奨される上級者向けのダンジョンではあるが、ここではマジックアイテムの原料として重宝される鉱物資源が豊富に採れる。人間界ではそれを加工して主に保温グッズや魔力コンロを生産し、一部は海外輸出ならぬ界外輸出もしている国もある。

 だが、主に、と言ったように、実はここで採れる鉱石の用途は他にもある。例えば、米軍が現在も改良を続ける特殊なパワードスーツ『ESS-PA』の部品、とか。試験運用開始から既に7年が経過した今、『ESS-PA』の性能はひとつのブレイクスルーを経て、ランク1の魔法士にすらランク4クラスの魔法士と同等の戦闘能力を付与することが可能な代物と化していた。依然として高ランクの魔法士が使っても恩恵が薄い点は変わらないが、魔法士としての才能が足りない一方で兵器の取り扱いに心得がある軍隊の平均戦力を底上げする意味では凄まじい効果を発揮している。


 故にか、反人魔派の主要世界である印神界はここの採掘拠点の制圧にかなりの戦力を投入してきた。密林は敵にとっても身を潜めやすく、その結果偵察に気付かなかった現地の人間たちは奇襲を受けた。当時駐屯していた警備の魔法士はせいぜいが中隊規模であり、抗戦するもあえなく敗走。拠点施設や現地の輸送設備も占拠された。その後、別の採掘地にも戦線は拡大し、それを奪還しようと人間界・魔界が逐次戦力投入を実行。

 だが、魔界の軍勢と敵対することを念頭に置いていた敵部隊の平均戦力は相応のもので、主力部隊になると人間で言うランク6の魔法士相当の兵士だけで構成された大隊のようなものまで登場したほどだ。当然、瞬く間に戦闘の余波も大きくなり―――。


 それが、この第2次オドノイド動乱における、初めての大規模戦闘だった。

 

 広大なジャングルが一面全て焼け野原と化してなお続いた攻防だったが、最後はIAMOがとあるマジックマフィアに育成を任せていたオドノイド部隊による拠点への夜討ちの特攻爆撃、そして続けて米軍による最新型『ESS-PA』部隊による波状攻撃で採掘設備もろとも敵部隊を文字通り木っ端微塵にすることで幕を閉じた。

 だが、あまりにも極悪すぎる破壊力を目の当たりにした印神界は心が折れるどころか、残虐非道な殲滅作戦に対する報復を宣言した。―――とはいえ、元より武闘派の性格を持つ印神界がその方針を採るであろうことは予想出来たはずだった。

 すなわち人間は、新たなる戦争の引き金を自ら引いたのである。



          ●

          ●

          ●



 報復に対する報復の無限ループに突入してから、1年が経過した。

 主戦場は無人のダンジョンではなく各世界にまで移り、直接戦闘行為に加担する世界は10を数え、戦火は世界地図の端から順々に力を持たない市民をも脅かし始めた。その様相は既に、第2次界間大戦と呼んで然るべきものである。


 「おかしいとは思わないか?」


 「・・・え、急にどうしたんですか?」


 そうは言っても、世界中のあらゆる場所から一斉に心の安まる時間が消え去ったわけではない。


 ここは、IAMOの北京支部。おでん率いる魔法士中隊は、中国西部の山岳地帯から人間界に侵入してきた敵部隊を迎え撃っている先行部隊への増援として、この日の夕方に中国に到着したところだった。

 今は夕食の時間だ。栗毛の新米女性魔法士のシーナは、明日からはまたしばらく落ち着いて食事が出来ないからと山盛りの中華料理にがっついているところだった。だが、そんな忙しそうな部下に、おでんは無茶な同意を求めた。やはりというか、シーナは首を傾げる。これが彼女の同期である氷魔法使いなら、あるいは理解して頷いたかもしれない。明日合流したら、暇なときに同じ事を聞いてみようか、とおでんは考えた。


 「もっと考えろシーナ。脳死で上に言われるがまま戦い続けていたらこれが最後の晩餐になるぞ?」


 「わ、私だって考えてないわけじゃないですよ!?おでんさんの考えてることに追いつけないだけで・・・」


 「別に全部理解しろなんて言っとらんわ。たらな、今まで人間がどれらけ界間戦争になるのを恐れてきたと思ってる?」


 「・・・まぁ、確かに」


 おでんのヒントは、人間界が辿ってきた異世界との関係性の歴史に関するものだ。IAMOが設立されたばかりの時代に第1次界間大戦でボッコボコにされて以来、人間はずっと大人しくしてきた。

 その当時、最も人間界に大きな打撃を与えた魔界が今は味方についたからか、あるいは―――。なにか、必ずなにかしら、突如として態度を豹変させた理由がある。確実な勝算がなければ、こうも思い切った展開に踏み切れるはずがなかった。そしてそれは間違いなく、オドノイドを堂々と使えるようになったから、ではない。オドノイドは強力な駒ではあっても、絶対数は未だ有限なのだ。そもそもにおいて次世代のオドノイドたちの養成は、依然として『荘楽組』を代表とした優秀なオドノイド育成実績のある組織たち頼みなのである。

 しばらく唸ったものの、シーナは結局回答を諦めた。ジョッキを空けたシーナは、その底でテーブルを鳴らす。

 

 「それでも私はおでんさんを信じますから!」


 「お前・・・もう酔ってるのか?」


 「酔ってないれす!」


 どう考えても酔っ払っている部下に抱き付かれて辟易しながら、おでんは目を細めた。部下を可愛く思うのは本当だ。


 だからこそ自分を妄信しないで欲しかった。


          ○


 中国西部の山岳地帯には、西部大開発が始動する以前に無茶な都市開発計画で開拓されたまま放置された街があり、そして今は封鎖されてゴーストタウンとなっている。これが今回の戦場だ。つまり、山岳地帯と言っても実際に行うのは市街地戦である。

 ゴーストタウンと言っても人間が生活する最低限の環境が整えられた後の区域だ。これを敵に乗っ取られると、そのまま東部侵攻の足がかりとなってしまう。北京支部は東・一部東南アジアにおけるIAMOの主要な活動拠点であるから、そういった事態を防ぐためにもこのゴーストタウンは重要な最前線である。

 早期に敵戦力の侵入を発見したことが奏功した。地の利も数の利も、ホーム側である人間が圧倒的に有利だった。

 

 ・・・が、IAMOの魔法士部隊は敗走していた。


 その日の戦闘で、シーナは死んだ。

 到着したばかりで最も損害の軽微なおでんの部隊が、その殿を押し付けられたのだ。

 おでんの指示に従い、任務を全うして、そして彼女は笑って死んでいった。


 そして、撤退戦は最小限の犠牲で成功した。


          ○


 現れたのは、機械仕掛けの巨龍だった。


 人間とは別の方向性で圧倒的な科学力を持つ世界である機界(メルキナ)が間接的に参戦してきたのだ。ぽつぽつと人間界側に寝返る世界が出始めたこの時期になって、突如今まで中立の立場を維持していた世界が反人魔派に合流するだなんて、ほぼ誰も予想していなかった。データのない怪物がもたらす圧倒的な破壊の嵐には、為す術などなかった。例え魔法が使えても、メカゴジラに生身で勝てる人間などいないのである。

 むしろ、その混乱の中でたった1人の犠牲しか出さずに撤退を成功させたおでんの手腕は高く評価されるべきだろう。実際、その人的被害軽減率は99パーセントと推算され、まさしく”21世紀の木村昌福”と呼ぶに相応しい活躍であった。


 でも、理屈じゃ納得出来ないことはある。


 「・・・ごめん・・・本当に・・・」


 シーナの亡骸を抱きかかえて、天田雪姫は上擦りそうになる声を噛み殺しながら肩を震わせていた。

 誰もが衝撃を受けていた。だって、彼女が感情を露わにするところなんて、まして涙を浮かべるところなんて誰も見たことがなかったから。《最狂》のオドノイドの下でも眉ひとつ動かさずあらゆる任務を最速で片付け続け、たったの1年で小規模な部隊を任されるほどの才覚を発揮し、戦争になってからも最も多くの敵を惚れ惚れするほど容赦なく葬ってきた。誰もがその無表情な天才は力と引き替えに人間らしい感情を失ったのだと思っていた。

 けれど、本来の彼女はこういう人間だ。そもそも、彼女はずっとずっとこう言い続けてきたはずだ。人死には嫌だ、と。

 誰を責めることもなく、もうただの抜け殻になったシーナに向けてひたすら謝罪を繰り返す雪姫の肩に手を置いたのは、おでんだった。


 「後悔してるのか?」


 「・・・しないはずがないじゃない。それとも、アンタはしてないの?」


 「していない」


 「・・・あぁ、そう」


 「責めないのか?シーナを使い捨てた張本人すら」


 「別にあたしはアンタが悪いって思ってるわけじゃない・・・。分かってるから・・・しばらく、ほっといて・・・」


 あの機龍相手に最後まで果敢に挑んでいたのも、雪姫だった。

 去って行く彼女の背中を見つめて、おでんは疲れたように座り込んだ。仲間たちの不安そうな目が自分に向けられていることに気付いていたおでんは、溜息交じりに語り出した。


 「賢いよ、雪姫は。・・・賢いやつはいっつも後悔してる。あの時ああしていれば、こうだったならってな。なまじ賢いが故に、そのとき違う選択をしていた場合の未来をありありと想像出来てしまうのさ」


 でもな、とおでんは呟く。


 「わちきは後悔はしないって決めてる。後悔したら、あいつ、なんのために死んらのかすら分からなくなるじゃないか」

 

 想像した世界では、死んだ1人は生きているかもしれない。だけど、十中八九、生きてる2人が死んでいる。最善を尽くすというのはそういうことだ。救えたはずの全てを救ってハッピーエンドを迎えようだなんて、世界を100億回繰り返してやっと掴めるような確率論の最果てに存在する妄想だ。だから、人は死ぬとき、自分が犠牲にして来た全ての価値と意味に納得して、笑って死ななきゃならない。


          ●

          ●

          ●


 神代迅雷もまた、最前線で戦っていた。


 ただし、その任務形態は先ほどまで描写してきたおでんや雪姫たちと大きく異なっている。具体的には都市部でのゲリラ戦だ。印神界への大部隊投入に先駆けて拠点制圧を行うのが目的である。もっと身近な例えで言うと、お花見の場所取り係だ。


 戦争開始と共に互いの軍の行き来を防ぐためにIAMOなどが管理する正規の『門』は封鎖された。基本的に『門』がなければ一度に大部隊を送り込むことは不可能だ。しかしその気になれば、新しく生じた位相歪曲を利用することで、直接、あるいはダンジョンを通じて間接的に任意の世界へ少人数を派遣することは可能だ。ぶっちゃけ、人間界が受けている攻撃も同様の手口で侵入されたものがほとんどだ。この時代、世界同士の出入りを完璧にコントロールすることは不可能なのである。

 とにかく、こうして敵世界に侵入した少数精鋭は、最優先で『門』の管理を行っている施設の制圧を行う。安全を確保した上で『門』の封鎖解除して一方的に大量の戦力を送り込むためだ。制圧した管理施設は拠点としても利用出来るため、さらに効率良く戦力の展開が可能になる。

 だが当然、攻められる側もそのセオリーは承知しているため、『門』の管理施設の防衛は厳重になる。従って、この任務を遂行する人間に求められるのは、それだけの厳重な防御壁を確実に突破出来るだけの能力である。

 

 「目標は1人だ!!周囲への被害は無視してもいい!!ヤツを止め―――


 そして、迅雷にはそれが出来る。


 「『駆雷』(ハシリカヅチ)


 魔力を乗せた黄金の刃を水平に振るう。鋒が敵に届く必要などない。なぜなら、この斬撃は視力の限界まで眼前に広がる全てを薙ぎ払うからだ。

 飛ぶ斬撃。魔剣の刀身内部で刃の形に凝縮された魔力の塊を、剣を振り抜く勢いで射出する迅雷のオリジナル魔法だ。マンティオ学園時代に、以前読んだバトル漫画で見て格好良いと思ったから必死に努力と工夫を重ねて完成させた、迅雷にとって一番思い入れの深い、魅せ技にして決め技だった。

 今の彼の魔力は、常人の4倍を上回る。それを、迅雷が本来の魔力を取り戻すまで磨き続けてきた超効率的魔力運用技術で一切の無駄なく振るうとするなら、それはもう、東京ドームを輪切りにしてスカイツリーを縦に裂く破壊力を無尽蔵に撃ち続けられる戦略兵器と言っても過言ではない。

 

 血の雨の中を、下半身だけ残した迎撃兵たちの林の中を、砲弾のような速度で迅雷は駆け抜ける。


 しかし、部分的にでも彼の振るう攻撃力を凌ぐことの出来る者がいれば、その者こそが彼の前に立つことが出来、なおかつ彼を殺すことの出来る究極の兵士であるということだ。

 三面六臂の重装兵。なに、驚くことはない。印神界とは、人間が「わぁ、インドの神話に出てくる人物たちってここの世界が出身だったんだ~!」と知って勝手につけた略称に過ぎないのだ。つまり、この世界には神話の登場人物の子孫や、あるいは本人たちがわんさか暮らしている。

 迅雷は無言でその三面六臂に斬りかかったが、ひとつの腕に持つ蓮花を模した盾でいなされ、他みっつの腕に持つミニガンの掃射を受けた。

 突風を操って間合いを離脱した迅雷は、建物の影に飛び込んだ。切れた頬から垂れる血を手の甲で拭い捨てて、落胆したように敵を確認した。

 

 「知ってるぜ、『ヴィシュヌ』。神話系は好きでよくウィキ見てた。ま、さすがに出会い頭に弾幕ぶっ放すとは思わなかったけどな」


 「俺はお前のことなぞ知らんがな」

 

 「それで良いのか神様。知らないでいたツケがこの有様だぜ」


 今度は仮称ヴィシュヌが無言で動く番だった。魔法ありのファンタジー世界だからって、科学兵器が明確に魔法に劣るようなことはない。機械は素直だ。使用者が焦っても恐怖しても困惑しても躊躇しても、銃はとりあえず引き金さえ引けば必ず殺せる威力を発揮する。まして確固たる戦意の下に行われる機銃の掃射はヒトにとって普通に脅威である。

 迅雷の言う通り、敵の情報がなかった故に多くの犠牲を出すこととなった。だが、だからといって降伏するわけにはいかない。援軍が来るまでの時間を稼ぎ、あわよくばこのまま殺す。全方位を見渡す3つの顔と、ありとあらゆる攻撃を確実に捌く6本の腕。本来、一面二臂の人間如きがタイマンを張れる相手ではない。

 ・・・が、現状を鑑みて、そのような油断は一切不要。ヴィシュヌは目の前の剣士から、人間界の最強戦力として有名な神代疾風にも匹敵するほどのプレッシャーを感じていた。


 音だけでも精神がイカレそうな破壊は迅雷が隠れていた建物の壁を容易に削り飛ばしてその姿を露わにしたが。


 迅雷の姿がブレる。

 この世には2種類の人間がいる。

 銃弾を見て躱せない人間と、躱せる人間だ。

 ちなみに、前者が99.99パーセント、後者が0.01パーセント。え、1万人に1人はいんの?人間こえー。

 だが、迅雷の場合はその0.01パーセントの中でもさらに異質だった。


 「お前・・・本当に人間なのか・・・?」


 ヴィシュヌは戦慄していた。

 ピストルから出てくる銃弾を偶然ではなく、しっかりと見て自分の判断で弾道から体を外すことが出来る人間が1万人に1人いたとして、では、3丁の機関銃からそれぞれ秒間100発の勢いでばらまかれる銃弾の雨を見て適確に間を潜る人間はどれくらいいるのだろうか。

 いいや、正確には全部躱しているわけではない。体の大きさがある以上、この密度の弾幕を完全に回避するのは物理的に不可能だ。だから、迅雷は回避の間に合わない弾は剣で弾き飛ばし、斬り落とし、あるいは剣の腹で跳弾させて他の弾に当てることで凌いでいた。

 だが、迅雷の最も恐るべきは、その神業じみた剣の舞いを最低限の挙動で実現している点にある。だから、ヴィシュヌの目には迅雷の姿が「弾丸よりは遙かに遅い弓矢をいなしながら敢然と挑みかかってくるまぁまぁの凄腕」程度にしか見えない。現実と感覚の乖離、その違和感に対する戦慄。


 異常なまでの「速さ」に対する執着。


 気が付けば、迅雷の刃はヴィシュヌの喉元に迫っていた。

 咄嗟に構えた盾に剣が触れ、花火のような光を散らす。


 「う―――ぉ!?」


 「チッ」


 ヴィシュヌはそのまま手に持つ機関銃で迅雷に殴りかかった。1丁で数十キログラムもの質量を持つ鉄の塊だ。そうあり得る話ではないが、仮に腕力に任せて振り回せば下手な刃物よりよほど残虐な鈍器になる・・・が、迅雷をそんな鈍重な攻撃で捉えられるわけがない。

 迅雷は空いている左手で盾の縁を掴んで手繰り寄せ、逆上がりの練習でもするように盾を駆けのぼりながら斬り上げてヴィシュヌの体制を崩し、勢いのままその直上に飛び上がる。そして左手を虚空に伸ばし、『召喚(サモン)』を詠唱破棄(トラッシングスペル)で発動、空間に穴が空いて翡翠の剣が出現する。左手にも剣を得た迅雷は落下の勢いに回転力をかけて連続でヴィシュヌを斬りつける。着地してなお一切の隙もなく絶え間ない連撃を繰り返した結果、ヴィシュヌの盾が砕け散るに至り―――。


 ヴィシュヌは、まだ2本の腕を残していた。その手にあるのは光を放つ円盤だ。その光の正体は、神話のモチーフとなった、破邪の炎である。

 剣には剣を。光は形を変えて刃を成す。ヴィシュヌは壊れた蓮花の盾を投げ捨てて光刃で迅雷の斬撃を迎え撃った。同じ伝説を持つ盾で防げなかった攻撃を受けきれるはずなどないのに。

 迅雷は、二刀を同時に振り下ろす。枝のように光刃はへし折れ、剣を持つ腕も盾を捨てた腕も機関銃を持つ腕も全てまとめて一閃した。


 しかし、その直後にヴィシュヌの姿が突如、神鳥の姿へと変わる。迅雷のトドメの斬り上げは、小型化したヴィシュヌの肉体を捉え損ねた。


 神話においてヴィシュヌとは千の名を持つ無形の宇宙神として語られる存在であり、アヴァターラという形で多くの別の姿を持つ存在である。古代の人間たちにそのような幻想を抱かせたその本質は、この変幻自在の変身能力にある。実在・非実在を問わずありとあらゆる形状へと瞬時に自らの肉体を作り替える、全変身能力の頂点と呼ぶべき能力。その変身では質量すらもが自在に変化する。バタフライ効果が本当にあるなら宇宙の果てから順に星々が砕け散ってもおかしくないほどの、恐るべき自由度である。さらに凄まじいのは、身に付けている物品までもが変身能力に巻き込まれるところにある。これにより、彼は今のような重装備のまま軽やかに飛び回る鳥となってあらゆる戦場に赴き、あらゆる危機から脱出することが出来るのである。


 けれども、だからなんだという話である。


 翼を広げて離脱を図ろうとしたヴィシュヌの翼を、迅雷は先んじて掴み取っていた。


 「・・・神殺しの気分はどうだ、人間」


 「アンタは神様なんかじゃないんだよ。ヒトの分際で粋がるな」


 迅雷は吐き気でも催したかのような顔をして、ヴィシュヌを両断した。 

 

 「恥を知れよ。神様ってのはこんな風に手が届くもんじゃねぇだろ」

 

 ヒトの姿で死ぬことすら叶わなかった神様気取りの末代を見下ろして、迅雷は下らなそうに吐き捨てた。

 敵の援軍が迅雷を包囲すると同時、市街地の奥で爆音があった。『門』の管理施設のある方角、というよりもピンポイントでその地点である。ミシロ班―――迅雷の仲間が施設に対して攻撃を開始した合図だった。


 敵は、まるで迅雷が単騎で攻め込んできたかのように錯覚していたかもしれないが、別に迅雷は独りで敵の殲滅から施設の奪取までしなくちゃならないワケじゃない。当たり前だ。現実の戦いで敵地のど真ん中に1人で乗り込む馬鹿兵士も乗り込ませる阿呆指揮官もいるはずがない。常に味方同士でフォロー可能な状態や失敗時の撤退方法を確保しなければ作戦は成立しないのだから。戦いとは生き物なのだ。

 ただ、これももはや済んでしまえば関係のない話である。今回の作戦は上手くいった、それだけのこと。

 迅雷が分かりやすく脅威をアピールしてやれば、それが陽動だと分かっていても止めなければならないが、止めようと思うと市内に配備しているほぼ全ての戦力を投入しなければならない。そして、迅雷の仲間たちは最低限にまで減らされた警備兵たちを突破して楽々拠点攻略を完了させる。


 ジリジリと距離を測りながら銃口を向けてくる敵兵たちに、迅雷は簡単な2択を放り投げた。


 「質問されたら答えるだけの生き人形と物言わぬ肉人形、アンタらはどっちになりたい?」


          ●


 人間が過去の戦争から見出してきた戦いの法則も戦術理論も、魔法士の練度が高まった現代ではなんの意味も持たないらしいことは分かってきたなぁ―――と、迅雷は溜息を吐いた。

 命の奪い合いに求めるものではないと分かった上で言うが、ロマンの足りない現実である。先日の戦闘が「ゲリラ戦」だったとは、迅雷自身が既に全くそう思えない。少し年季の入った中二病心にはあんな幼稚で一方的な勝利など掠りもしなかった。昔、強大な怪物を前に奮戦する自分を想像して良い気分になっていたことが今ではすごく恥ずかしい。


 迅雷を含むチームが『門』の管理施設を占領してから1週間が経った。施設攻略に成功したその日にはとっくに人間界と印神界を繋ぐ『門』は掌握していたため、人員や物資の移動が自由自在の状況だ。現在、迅雷は一度人間界のIAMOロンドン本部に帰還して休養を取っている最中だが、今でも『門』の向こう側では印神界の兵力と国連軍・IAMOの混成部隊が交戦を続けている。


 ・・・なお、この展開の立役者となった迅雷たちのチームだが、これが意外に凱旋したところでもてはやされるわけでもない。もう人間的に終わっていると思われているからだ。一度、迅雷はちょっと寂しくなってそそくさと逃げようとする同僚になぜ逃げるのか聞いたことがある。すると、答えはこうだった。どいつもこいつも人間味がない、笑ってても笑ってるように見えない、あるいはむしろ情緒不安定で一緒に居て落ち着かない、名前どころか顔すら憶えてくれない、同じ目線に立って会話出来ない―――と。

 別にそんなつもりはなかったが、ググってみたら案外そう大袈裟な回答でもなかったことを知った。戦闘ストレス反応、シェルショックだ。内側から見ていても気付かなかったが、どうやら迅雷のチームはみんなちょっとイカレてしまっているようだった。

 例えば思い返すと、迅雷は最近あまり感情が動かなくなった気がする。少年時代は全力で剣を振るうときに雄叫びを上げていたが、今ではめっきりそれがない。攻撃に感情の昂ぶりが付随しないのだ。まるで、1000時間プレイしたゲームの1000回やっつけたモンスターに対して○ボタンを押して予め動きの決まっている攻撃をしているみたいに。

 現代戦において人間界はPTSDに関する研究を生かして兵士のメンタル管理を徹底してはいたが、殺人行為の繰り返しや仲間の怪我、死といった事象は戦争という状況では避けられない。当然、全体の何割かは管理の網からこぼれ落ちる。とりわけ、優秀な人間ほどそうなる。勝てば勝つほどその手を血で汚し、生き残れば生き残るほど仲間の死に立ち会う。自分が狂っていると気が付いたときにはもう、戦いから退く方法が分からなくなっている。


 だけど、それでも迅雷は確信を持ってこう思うのだ。別に、自分の中から感情が消えてなくなったわけではないと。

 食堂で食べるラーメンは美味しいと思う。日本人魔法士のためにメニューに追加してくれたんだと聞いたときは嬉しくなった。周囲の魔法士たちの会話の内容だって、利用価値の有無に関係なく気になる。―――だから自分はまだ大丈夫、そう言い聞かせるように迅雷は呟いた。


 「あのコンビが復活、ね・・・誰と誰のことだろ」


 「隣、良い?」


 「どうぞ」


 急に背後から話しかけられた割に、全然驚くこともなく迅雷はそう応えた。

 でも、そう言って隣に座った女の髪が視界の端で揺れたとき、迅雷は思わずそちらに振り向いてしまった。鮮やかで淡い、水色の髪と瞳。


 「・・・天田、さん?」


 「久し振り。元気してた?」


 「・・・人違いでした」


 「馬鹿にしてんの・・・?」


 いや、だって迅雷の知っている天田雪姫はこんな風に挨拶をしてくれる人間じゃなかったはずだ。というかそもそも誰かの隣に自分から座るようあことなどあるわけがないのであってうんぬんかんぬん。でも、気を取り直してラーメンを啜り出そうとしたらものすごい冷気が漂ってきたので、やっぱり人違いではなかったようだ。


 「まぁ、俺は見ての通りだけど」


 「話は聞いてる。大活躍らしいじゃん。昔のアンタからは想像出来ないね」


 「かくかくしかじかで真の力に目覚めたんだよ」


 「なるほどね」


 迅雷は本当に「かくかくしかじか」で説明を済ませたのだが、雪姫は大してツッコむ気がないようだった。それもそうだろう。雪姫は今まで多くの情報を仕入れてきている。それは迅雷のことだって例外ではなかった。迅雷もそれをなんとなく察していた。なぜなら、それは迅雷も同じだからだ。彼が印神界に乗り込んだ頃は、中国西部戦線が佳境を迎えていたのだ。


 人間界に戻ってきて、迅雷はそのラストを聞いた。それは散々なものだったが、結果から言えば、一応、例の機龍を撃破して人間界から敵部隊を排除することには成功している。

 ただ、厳密には、人間が勝ったわけではない。おでんや雪姫たちが撤退をしてから数日後、中国本土への侵攻を続けていた件の機龍を問題視した魔界のリリトゥバス王国が、最終兵器である双頭の火竜『アグナロス』の投入を決定。科学の龍と魔術の竜の一騎打ちは一昼夜続いた末に後者の勝利で幕を閉じた。

 そして、その勝利を皮切りに魔界が機界への報復攻撃を決定した。まともに戦争に参加する旨の宣言をせずに攻撃を仕掛けてきた理不尽に対しての制裁という理由らしい。ごもっともではあるが、機界の住人たちは魔族の連中にだけは言われたくないと思ったに違いない。

 即日、皇国の主力部隊を中心とした巨大戦力を機界の各主要国家の首都直上にこじ開けた『門』を通じて突撃させるという暴挙に及んだ。だが、この不条理さこそまさしく、魔界が方々から酷く恐れられる最大の理由であった。彼らは少しでも時間を与えれば位相の壁をぶち破ってどこにでも現れ全てを踏み潰して欲しいものは全て奪い去って悠々と去って行く。今までも魔界は好き勝手暴れ放題だったように見えたかもしれないが、それでもここ数世紀は大人しくしていた方だったことを痛感させられたのは、もはや敵対世界だけではなかったはずだ。

 しかも、今回は魔界が息を整える期間を人間界を中心とした他の親人魔派の世界がフォローする構図が出来上がっている。未だ多くの市民が残っている市街地に機龍のような大味な兵器を投入することは出来ず、それ以外の兵力では戦線拡大を抑え込むのが関の山で、首都奪還作戦が達成困難であるのは明白だった。

 たった1日で機能停止した機界を見て冷静になったのだろう。そこから今日までの1ヶ月弱のうちに反人魔派だった世界は次々と降伏宣言をした。その中には、今度の動乱の言い出しっぺの片翼である晶界までもが含まれていた。

 

 要するに、迅雷が帰ってきた頃には、人間と戦う意志がある世界がさっき足がかりを作ってきた印神界だけになっていたという話だ。作者目線で言えば、まるで史実における二次大戦末期の日本のような有様である。あとは核が落とされないことを願うばかりだ。

 

 「ねぇ、迅雷。やっと戦争が終わるよ」


 「ちゃんと終わるまでそういうことは言わねぇ方が良いと思うぜ」


 「それもそっか」


 雪姫は、じっと迅雷の目を覗き込む。みんなの憧れだった雪のお姫様にこんなに真剣に見つめられて、迅雷は光栄そうに首を傾げる。すると、雪姫は小さく笑った。


 「なんか・・・今のアンタとは気が合いそう」


 「うお・・・なんか久々にグッときた」


 「()()()()()()()()と思うけど?」

 

 「そうなの?」


 「そうだよ」


 確かめ合って、お互いに苦笑した。夢のような悪夢だ。

 その後はしばらく無言の時間が続いたが、先に食事を終えた迅雷は席は立たずに箸だけを置いた。隣では、雪姫が迅雷のことを気にせず優雅に食事を続けている。それをなんとなく見つめていて、迅雷はふと―――と言うと語弊があるか、さっきから気付いてはいたが、話の流れで聞くのを遠慮していたことを訊ねた。


 「髪型、変えた?」


 「気付いた?」


 雪姫らしくはないが、だけど、懐かしくてよく似合うシンプルな二つ結び。


 「まぁ。なんとなく見たことあるような、ないような」


 「ちょっとガキっぽすぎるかなぁとは思ってるんだけどね」


 「可愛いし良いんじゃない?」


 「あぁ、そういうのストレートに言えるタイプか」


 「童貞じゃあるまいし」


 「そーですか」


 迅雷の左手を見て、雪姫は肩をすくめた。


 「あたし、シスコンなのかも」


 「ほら、やっぱ気が合うじゃん。良い意味で」


 「本当だ」


 席を立って、食器を片付ける。

 廊下を迅雷と並んで歩きながら、雪姫はぽつりと、零した。


 「ねぇ、死なないでね。あたし、人死にだけは嫌なの。もう、本当に」


 「分かってるよ。ちゃんと籍を入れるためにも生きて帰んないと」


 「なんだ、ソレまだだったんだ」


 「オッケーはもらってんだよ?」


 「そりゃまぁおめでとう。・・・ちゃんと、大事に思ってんだよね?」


 「俺と気が合うんでしょ?」


 「・・・」


 「天田さんこそ、死ぬなよ?戦争が終わったら同窓会でも開こうぜ」


 「ん。それも悪くない気がしてきた」


 迅雷は雪姫の突き出した拳に拳を合わせた。小気味の良い音がした。


 2人とも、3日後からは大規模な部隊に加わる形で印神界の戦線に参加する。戦況報告では十分に優勢とのことだ。最後のダメ押しを行うのが主な役割となるだろう。

 現場の指揮は現在はかつて総司令官時代のギルバートの補佐官をしていた現総司令官のアンディというアフリカン・アメリカンが執っているが、明日の大規模戦力投入に際してアンディと交代でおでんが入る。長期戦による疲弊を考慮した采配だと言っているが、もはやそれが方便であることは誰の目にも明らかだ。迅雷や雪姫が観察する限り、もはやオドノイドである彼女の命令で戦うのが嫌だなどとゴネる魔法士はいない。彼女より頭のキレる人間がいないのは周知の事実だった。いよいよあのオドノイドがかつてのギルバート・グリーンの地位を己がものとする日も近いかもしれない。


          ●


 そして3日後。

 作戦の最終確認を終えて、さていよいよ『門』を潜ろうというところで、迅雷は指揮官に呼び止められた。内部広報誌で何度も見た、長い銀髪とエメラルドの瞳、狐の面、白い着物、そして尊大な口調の舌足らずと属性過多の女だ。


 「未来のランク7をこき使えると思うとワクワクするな」


 「うげぇ。お手柔らかに頼んますよ指揮官殿」


 「冗談じゃ、そんな本気で嫌そうにするな」


 ツッコミのつもりでおでんが殴ろうとすると、迅雷はそれを手で受けた。ぱす、と軽い音を立てて止まったおでんの拳に、迅雷は苦笑する。


 「つい、癖で」


 おでんも肩をすくめ、それから。


 「死ねると思うなよ」


 「・・・」


 今度は本気のフェイントを絡めた蹴りを受け、迅雷はケツをさすりながら駆け足で『門』を潜った。


          ○


 迅雷は部隊の仲間たちと一緒に移動を始めた。その中には、今までも同じ班でやってきた連中や合流した雪姫、そしてフレッド・アナスタシア、神代疾風やギルバート・グリーンと肩を並べるランク7の使い手の姿までもがあった。余談だが、要するに、おでんは弱冠22歳にして未来のランク7だけでなく現役バリバリのランク7をも顎で使う超重要ポストを獲得したということになる。これは本当に超ヤバイ偉業である。彼女が塗り替えたギネス記録はこれで何個目だろう?もう考えるのもアホ臭い。

 また、大規模な部隊のため当然さらに小さい単位の班に分かれるが、迅雷は先日の拠点攻略作戦から引き続き自分の班―――()()()()()()を率いる。ここまで、色々あった。七種薫は戦死した。迅雷と煌熾の階級が逆転した。真牙が異動で他班に行ってしまった。観月は両足を失ったのに『ESS-PA』を使ってまだ戦線に立っている。印神界に乗り込む際には長期作戦のために新メンバーとして3人ものオドノイドが配属された。本当に、色々と。


 現在、印神界は冬の入りだ。支給された防寒装備に身を包み、部隊はまず車で市街地を西へ移動した。彼らの最初の目的地は施設直近にある飛行場だ。印神界における展開力強化を狙って優先的に奪ったものだ。戦場は既に海を越えてかなり遠くまで移っており、強襲のためにはが航空機が必須なのだ―――が、滑走路に並べられている「それら」を見て、迅雷も雪姫も呆れたように口元を緩めてしまった。


 「・・・国連軍がいろいろ資材搬入してるなとは思ってたけど、こうして完成品を見るとゾッとするね」


 「現地で超音速ステルス輸送機組み立てるなんて数年前の軍人でもビックリするんじゃない?」

 

 「魔族がどうのって言うけど、ここまで来りゃ人間も大概だろって話だな。こんなの使えるなら魔法士なんかより爆弾をデリバリーしたら良いのに。世界中どこへでも半日以内にお届けいたします~って」


 「総長の意向らしいよ。伝楽がそう言ってた」


 「分かんねぇなぁ・・・」


 ここにはいくつかの政治的な意味がある。


 ひとつはやはりお金の問題だ。超音速爆撃機を飛ばしまくって焼夷弾の雨で街を焼き尽くして降伏を迫るのは簡単だが、それを十分な設備のない異世界でやるにはコストがかかりすぎる。もちろん設備を用意するなんてもっと莫大な金が必要だから論外だ。何度も爆撃機の燃料や爆弾を補給するより、魔法士を投下した方が時間はかかるがよっぽど安上がりなのだ。

 そして、あくまで「私たちには話し合う意思があります」とアピールする目的もある。少なくとも印神界の科学技術水準では人間の超音速機を撃墜出来るような迎撃システムは存在しない。そのため、これを戦場の上空に飛ばせば「その気になれば一気に街を爆撃することも可能だけど、でも敢えてそれはしません」と示すことになる。これは半ば脅しに近い降伏勧告と言えるが、考え得る限りで最も穏便な勝利手段である。もっとも、ここにはギルバート・グリーンという人間の過剰な破壊行為を嫌う性格が出ていると言えなくもない。さっさと敵地を焼き払いたくてウズウズしている軍大国はいくつもある。ギルバートがそのような国々の頭を押さえ付けて居られるのは、これが異世界外交の問題だからだろう。大体、人間は売られた喧嘩を買っただけで、別に印神界を滅茶苦茶にして暴力で住人を追い出して乗っ取ろうとしているのではない。ギルバートはここを履き違えないように言っているだけのことだ。

 それからやはり、人間とオドノイドの混成歩兵部隊の威力を見せつけることは大事だ。戦争が長引くにつれて次第に曖昧になってきたが、この戦争の主題はオドノイドの是非を巡る世界と世界の対立である。最終的に全ての世界にオドノイドを受け入れる、あるいは最低でもこの問題に関与しないという意思を示してもらわなければ戦争が終わらない。だから人間は、味方をしてくれる世界に対して継続的にオドノイドの価値を強調し続けなければならない。あるいは、この戦場の末端から人間と協力して戦うオドノイドの姿を見た敵兵たちにオドノイドとの共存可能性を感じさせることが出来れば御の字だ。


 とまぁ、他にも色々と都合や思惑はあるのだが、大まかな目的はざっとこんなところだ。知ろうが知るまいが、今から戦場に赴くことには変わりない。迅雷も雪姫もこれ以上は議論をしなかった。


 全員が乗り込むや否や、輸送機は離陸する。

 20分程度で迅雷たちを乗せた輸送機は市街地を飛び去り、真っ白な野山を越え海面に影を落とし、それから数分で機体はマッハ4にまで加速する。この時点で、機外の様子を映すカメラのフレームレートに人間の視覚は置き去りにされていた。

 超音速機はソニックブームによる公害問題が実用上の課題のひとつとして議論されてきたが、それはあくまで旅客機として運用する場合の話だ。敵国上空に味方を輸送することが目的なのであれば、地上への騒音被害や衝撃波による建築物への被害はそう深慮する必要はない。人間の占領した地域を飛び越えたら、後は全速力で戦場へと向かえば良い。

 この輸送機が向かっているのは、おおよそ大西洋を横断する程度の距離にある国の西部に広がる針葉樹林地帯だ。印神界北部の主要国領内に進軍するための突破口を開くための戦線である。地球で言う偏西風と似た気流に逆らう形での飛行のためやや遅れるが、それでも1時間前後で目標地点への降下作戦を開始可能な計算だ。


 「そろそろか・・・」


 モニターにうっすらと雪雲に覆われた大地が見えた頃、迅雷はおもむろに荷物の中からなにかの薬を取り出した。いや、迅雷だけではない。ミシロ班のメンバーの人間組、煌熾と観月もそれぞれ似たような錠剤を服用した。気になった雪姫は迅雷にその薬を見せてもらって、顔をしかめた。

 

 「ちょ、これ・・・」


 アンフェタミン錠剤―――通称”スピード”。調べれば分かると思うが、そういう類の品だ。


 「ツッコみはナシで頼むよ。医者から飲めっつわれてんだ」


 「・・・やめれるんだよね?」


 「これでも作戦のときしか飲んでないんだぜ」


 迅雷はモニターに目をやった。輸送機は既に砲弾の飛び交う戦場の上空に到達していた。機体は上昇しつつ減速を開始し、みなが防寒装備やパラシュートなど降下の準備を整える中で、迅雷はシニカルな笑みを浮かべる。


 「もしまだヒンドゥー教徒がいたら今すぐおうちに帰った方が良いぜ。こいつを見たら改宗待ったなしだ」


 これから殺し合うのは神話の世界の住人だ。故に、この作戦にインド人はほとんどいない。今や中国を抜いて世界1位となった人口も相まって日本以上に優秀な魔法士の絶対数が多いあの国から人員を連れてこられないのは大痛手だ、とおでんが苦笑していた。この戦争が終わったら、今度はヒンドゥー教徒が宗教戦争でも始めるかもしれない。

 

 ハッチが開き、気圧差で凄まじい突風が機内に舞い込んでくる。

 迅雷はおでんがいる本部と通信を行い、眼下の戦闘状況が予定通りに調整されていることを確認した。ひとつ深呼吸をして、『雷神』と『風神』、二振りの魔剣を背負う。


 「さてと。それじゃあお先に。いっちょ本物の神風ってやつを吹かせてくるぜ。後は予定通り俺の降下から30秒後に降下開始するように。」


 パラシュートもつけずに、迅雷は輸送機を飛び降りた。

 頭から真っ逆さまに落ちていく。恐怖はない。勇気の出る魔法の薬を使っているから。迅雷は周囲の大気を魔法で搦め捕って空気抵抗を殺しつつ下降気流を生み出して、さらに加速を続けた。その最終速度たるや、乗ってきた輸送機の3倍である。この勢いで人間サイズの質量が地面に衝突すればなにが起こるかなど、もはや説明するまでもない。


 直後。



 一帯に広がる針葉樹林が一瞬のうちに良く耕された畑へと様変わりした。



 だが、この暴風の大爆発で吹き飛ばされた範囲内に、味方はいない。司令部の指示で直前に大急ぎで撤退させたからだ。

 そして印神界の兵士たちはなぜか血相を変えて撤退を開始した人間を見て困惑し、指揮官はなにかが来るとみて下手な追撃はせずその場で警戒を続けるように指示を下した。だが、それが間違いだった。

 結果、千人規模の印神界の部隊だけが、粉々に消し飛んだ。

 

 爆心地に影ひとつ。


 巻き込まれなかった者たちもなにが起きたのか理解出来ずにパニックを起こす。一発で千人の仲間が吹き飛ぶなど、常識的に考えてあり得ない破壊力だ。そしてその混乱の中に後続の魔法士たちが降りてくる。それはまるで終末論の具現化のような光景だっただろう。

 地形ごと兵士を押し流す氷河や天に届くほどの火柱を遠巻きに眺め、迅雷は司令部に報告を行った。


 「初動は成功」


 『あぁ、見ていた。凄いな、1キロ四方は吹っ飛んだぞ。畑も死体(肥料)も一発なんて開拓民が見たら大喜びしそうらな』


 「帰れる希望のない遭難をしたら考えてみますよ。それで―――」


 『30分後に連中は次のカードを切る。「ヴィシュヌ」は生きてるぞ、ポイントCで待ち伏せを仕掛ける。必ず先手を打て。ミシロ班とアナスタシア班を最初に回す。交戦開始に併せて他の班を向かわせるから、ここでなんとしてもヤツを()()()()()


 「マジすか、ワケ分かんねぇ・・・でも、了解」

 

 迅雷は確かに真っ二つにした鳥の死体を思い出して眉を顰めたが、ヴィシュヌが生きているのは、例の変身能力の応用で説明出来る。「2人の自分」という形に変身するだけだ。実際は、2人以上いると見て間違いないだろう。おでんは、次の増援は全員ヴィシュヌという気持ち悪い軍隊で参戦してくると見ている。

 迅雷は通信先を切り替え、この戦域にいる自軍全体に呼びかけた。



 「司令部(お狐様)から次のお仕事だ。ミシロ班(ウチ)アナスタシア班(フレッドさんち)はこれよりポイントCに移動開始。ウチの大好きなかくれんぼだ。見つかったら死ぬから良い感じに頼むぜ~、()()()()()()()()()

 


 簡単な了解の返事を合図に行動は開始された。これからヴィシュヌ軍団が到着するまでに少し時間があるから、迅雷たちが茂みに隠れながらコソコソ移動する間に、おでんの作戦についてちょっと解説をしておくことにする。


 まず、最初に解決しておくべき疑問は、なぜ敵は最初からヴィシュヌ部隊を投入しなかったのかという点だろう。確かに、それも一理ある。ヴィシュヌは最終的には完敗を喫したものの、変身能力抜きでも迅雷を正面から受け止められるような実力者だ。標準的な魔法士部隊なら中隊規模でも単騎で撃退出来た可能性がある。

 しかし前提として、迅雷がそうだったように、人間側は完全にヴィシュヌが死んだと信じて疑っていなかった。心理的死角、印神側は人間が優勢を決定づけるために追加の切り札である神代迅雷やフレッド・アナスタシアを投入したこのタイミングでこの隙を突き、返り討ちにするつもりでいた。ボクシングにおけるカウンターのようなものだ。目に見える面でも、目に見えない面でも、そうした方が遙かに膨大なアドバンテージを稼ぐことが出来る。


 ・・・が、おでんはこの展開をほぼ完全に予見していた。「ほぼ」というところに彼女は歯痒い思いをしていたようだが。彼女は汎用性の高い能力の分析に関してはエキスパートだ。既に「変身」という根幹が露見している上に、迅雷の戦闘報告を受けた時点で彼女はこの「変身能力」の弱点やジレンマを把握していた。これ以上どう応用してこようが、もはやおでんにとって全く脅威たり得なかった。

 つまり、印神側が持っている情報アドバンテージは既にただの幻想と化している。


 そして、おでんは死角を維持するところから作戦を開始した。

 

 味方にさえ自分の知った情報を完全に秘匿した。それは、昨日まで指揮を執っていたアンディですら例外ではない。そうして敵の想定通りに動き、予定通りにジョーカーを切らせるために。そうなれば、印神側はもう後には退けなくなる。負ければせっかくの切り札が無駄撃ちになる。失敗は許されない。勝たねば次がない。守備側が切り札を切るというのは、そういうことだ。

 これが、切り札を出して攻め損ねても早々に撤退して作戦を練り直せる攻撃側との決定的な違いだ。

 

 印神界の航空技術はたかが知れている。人間のように空輸で大量の戦力を投入することは出来ない。だから地上から来る。鳥の姿に変身して飛んでくる選択肢もあるだろうが、そんな目立つ群れは元の姿に戻る前に撃ち落としてしまえば良いから問題にならない。能力のジレンマを考えればあまりそんな無駄なことに割くリソースはないはずだ。

 そして、森林戦は悪路だ。戦力の展開・輸送には舗装路を使えるに越したことはない。当然、その道路を守るための兵が配置はされているだろうが、そもそも迅雷たちミシロ班は印神界にどこだかも判然としない場所から突入して、そこから主要都市の中心部まで侵入して管理施設を強襲したようなチームだ。派手な活躍で隠れがちだが、その隠密行動スキルは筋金入りである。

 余談になるが、実はこのスキルは、ベルモンド、ノエル、伊那―――ミシロ班に配属された3人のオドノイドによって支えられている。迅雷が彼らの名前を呼んだ時点でもう気付いていた人もいるかもしれないが、この3人はおでんと共にユーラシア大陸を縦横無尽に渡り歩いた”始まりのオドノイド”たちだ。敵しか居ない世界の渡り方を、彼らは少なからずおでんの行動や選択から学んできた。その後の同族狩りの日々においても、おでんには奇襲や騙し討ちに関して相当の技術を仕込まれている。ほとんど真っ当な魔法士としてしか育成されていない迅雷たちにあのような活躍を可能とさせたのは彼らのサポートのおかげだ。

 

 ・・・さて、長い解説もここまでとしよう。そろそろ時間だ。


 ノエルの能力で視覚を共有した状態で、迅雷は敵軍の輸送車の列を視認した。きっかり30分、おでんの噂に嘘はなかったようだ。目を開き、背負った剣に手を掛ける。


 「スリーカウントで一気に叩く。3、2、1―――」

 

 

          ○



 3時間後、ヴィシュヌ部隊の9割以上を損耗した印神界の軍は奮戦も虚しく後退を余儀なくされた。おでんの作戦が完全にハマった結果だ。次はまた市街地戦となるだろう。

 だが、人間側の損耗も決して少なくはなかった。やって、やられて、出来上がったのはおでんが言うところの肥料の山だ。戦闘終了から間もなくしてやって来た医療班がそこら中を駆け回って怪我をした魔法士たちを回収している。

 迅雷はそのただ中で地べたに座り込んでいた。自分のものか他人のものかも分からない血に濡れて、もう心身共にボロボロだった。彼と背中合わせで一緒にへたりこんでいる青年はノエルだ。彼は腹部の出血が酷いが、オドノイドだから命に別状はないようだ。既に血管は繋がり始めていた。怪我を重ねた結果器用に再生する順序を操作出来るようになったとか。文字通りの怪我の功名というわけだ。空を覆う灰色の雲を見上げて、今にもあっち側へ魂が持って行かれそうな2人に声がかけられた。


 「生きてるか?」


 振り向くと、煌熾だった。煌熾は観月とベルモンドに肩を貸されていたが、3人とも別段重傷を負った様子はなく、迅雷はホッとした。


 「まぁ、俺はなんとか」


 「僕も大丈夫です・・・ただ」


 ノエルが言い淀んで目をやったのは、迅雷が腕に抱いている中学生くらいの少女、伊那だ。彼女は下半身が吹き千切れるほどの重傷で、夥しい量の血液で付近の雪を真っ赤に染め上げていた。ただ、これだけの傷にも関わらず、まだ呼吸を続けている。浅いが、テンポは安定している。彼女の場合、おでんたちと行動していた時期にはかなり幼かったため、オドノイドとしての発達が特に進んでいたのが幸いしたのだろう。なんにせよ同じオドノイドであるノエルやベルモンドから見てもおぞましい生命力だった。

 なんにせよこれでミシロ班は全員生存、あれだけの激戦だったのだからこれ以上を望むのは贅沢だろう。肩から降ろされた煌熾は雪の上に寝転がり、同じ輸送機でやって来たかつての後輩のことを思い浮かべた。


 「天田も無事かな」


 「雪の積もった戦場で遅れを取るとも思えないですけどね」


 「それもそうだな・・・」


 雪姫は他の班と共に後退する敵軍の追撃を行っているが、司令部からそう深追いはしないように命令されているはずだから、もうじき戻ってくる。

 迅雷は医療班に伊那を預け、よろよろと立ち上がった。戦闘中は常に全身に『マジックブースト』をかけていたため銃創の痛みも無視して強引に体を動かしていたが、人体の限界を超える無茶苦茶な機動戦闘を長時間続けたら、必ず後に皺寄せが来るものだ。またしばらく全身筋肉痛だろう。煌熾はベルモンドが1人で支えることにして、迅雷は観月の肩を借りて歩き出した。


 「さてと、そんじゃま―――」


 その直後だった。



 途轍もない速さで、なにかが、大きく口を開けて一直線に迅雷に飛び込んできて。



 「いぃっただきまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ぁがぱっ!?」


 迅雷は「癖で」それを掴み取った。

 ()()()()()()()()()()()で襲撃してきた、その怪物を、事も無げに。


 「なん・・・?」


 遅れて、狂笑の余韻と共に積雪の地面を真っ二つに割る衝撃波が到来した。迅雷は観月の体に腕を回して地上に縫い止めたが、迅雷の後ろにいた煌熾とレイモンドが嘘みたいに軽々とと数メートルは跳ね上げられていた。いや、その被害はもはや後方数百メートルに渡って巻き起こされていた。

 だが、そんな大災害にも関わらず迅雷は多少痛そうに顔をしかめるだけだった。

 

 しかし、左手に掴んだ「それ」の正体を見た瞬間、迅雷は心臓が締め付けられる錯覚を覚えた。


 

 側頭部に赤いリボンで結われた薄汚れた金髪。

 誰のものともしれぬ血と脂で醜く汚れた口元。

 闇夜に浮かぶ凶月のように爛々と光る黄金の瞳。

 ゴムのように張りだけはある真っ白な肌。

 迅雷の傷口に牙を突き立てて血肉にむしゃぶりつこうとした、その怪物を見て浮かんだ名前。



 「千影、なのか・・・?」


 少女もまた、目を見開いていた。


 「とっしー・・・?あ、あううぁあぃ、ぃ」


 次の瞬間、千影が悲鳴を上げた。まるで断末魔のような絶叫だった。驚き思わず迅雷は手を放してしまった。地面に落ちた彼女は頭皮から血を流すほど激しく頭を掻き毟ってのたうち回り始めた。


 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!違う違う違う違う違うんだよ!?ボクはボクでボクがボクはなにも全部だって仕方ない違う違うそんなことないボクはただとっしーのことを食べたくて違うイヤだおかしいよボクなにをやめて見ないで―――」


 「ちか・・・」


 「見ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッッッッッッ!!」


 「っ・・・!?」


 千影の体が黒く爆発した。背中から噴出した闇は一瞬で森の木々の高さを超え、千影の体の内側から明らかに異常な音がした。「彼女」が壊れて崩れて失われていってしまいそうな、得体の知れない恐怖が迅雷を衝き動かす。なにかを抑え込もうとして自分の体を強く抱き締める千影を、迅雷は気が付いたときにはその上からさらに強い力で抱き締め、もう一度彼女の名前を呼んでいた。


 「こっちを見ろよ、千影ッ!!」


 呆気ないものだった。短い悲鳴と共に、千影の異変は止まった。

 震える千影の瞳を覗き込んで、迅雷はそっと笑みを浮かべた。


 「俺の目を見て。千影」


 「とっしー・・・ボク・・・」


 「ずっと―――ずっと、逢いたかった。逢って、もう一度話がしたかった」


 「・・・ボクに、そんな資格、ないよ、ぉ・・・!」

 

 あれだけ強固に何者をも拒み遮ってきたはず《最狂》の殻が、ほんの一瞥のうちに崩れていく。凶月の瞳は、あの美しかったルビーの輝きを取り戻そうとしていた。

 嵐が過ぎ去って、千影と迅雷の名を交互に呼ぶ声が近付いてきた。


 「・・・ゆっきーが呼んでる」


 「そっか・・・やっぱり、そうだったんだな」


 迅雷がこの戦線に来た本当の目的は、再び千影と逢うためだった。

 駆け付けた雪姫に、迅雷はもう大丈夫だ、と微笑んだ。



          ●

 


 ・・・もっとも、千影の連れて来た衝撃波に巻き込まれた大勢は全然大丈夫ではなかったが。鼓膜が破裂した者が十数名はいるようだった。防寒装備の耳当てがなければもっと酷かったはずだ。まぁそれはそれ、医療班が頑張って治療してくれるだろう。千影の減給は免れないのだけは確かだが。


 それにしても、IAMOの仮設キャンプというのは意外に快適だ。さすがに寝床はぎゅうぎゅう詰めだが、魔力を込めるだけで簡単に給湯可能なマジックアイテムが用意されているので遠慮なくシャワーが浴びられる。まぁ実際はそれなりに魔力を食うから、魔力がほぼ底なしの迅雷としては、という注釈文がつくのだが。あとは、一応普通の洗濯機も置いてあるので血と汗で汚れた服も多少は綺麗に出来る。

 食事についても、キャンプならそれなりなものが用意されている。大抵の人は冷食や即席麺で済ませているが、共同スペースにはキッチンがあるので作りたての料理も楽しめる。

 やはり、戦場での兵士のメンタルケアという観点から、仮設キャンプの設備に対する投資が重要視されるようになったということだろう。衣食住のどれか1つだけでも快適にするだけでも、人間は人間らしさを忘れずに済む。それでも迅雷や千影のようにどこか歪んでしまう者は出てくるが、その割合は少なくとも過去に起きた戦争で生まれた戦争後遺症患者の数と比べれば雲泥の差だろう。


 傷の手当を終えて、壮絶な痛みに耐えながらシャワーでさっぱりしてきた迅雷は共同スペースで一息つくことにした。

 共同スペースはがらんどうだ。ヴィシュヌ戦を経て部隊の疲弊はかなりのものだったので、仲間たちのほとんどは早々に寝てしまったようだった。ここ数ヶ月は本当に碌に眠れていない迅雷にはぐっすり眠れる彼らが羨ましくもあったが、一方で眠ってしまったら次はどんな夢を見るかも分からない恐怖心もあった。もう目を覚ます度に夢の中で無惨に死んだ人たちに電話をかけて無事を確かめて回るのは懲り懲りだ。


 「良い匂いがする」


 「そろそろ出来るよ」


 キッチンでは、制服の上からエプロンを着けた雪姫がトマトシチューを作っていた。迅雷は彼女の言葉に甘えて、キッチンに一番近い席に座った。5分ほどして、味見をした雪姫は数秒吟味して満足そうに頷いた。まぁ、満足そうと言っても表情は相変わらずの無だったが。

 質素なポリエチレンの器に盛るのがちょっともったいない宝石のようなシチューを渡されて、迅雷は「おぉ」と小さく歓声を上げた。


 「今でも料理してるんだ」


 「自分なりの精神安定剤みたいなものかな」


 雪姫はそう言ってエプロンを外し、「ちょっと待ってて」と共同スペースを出て行った。迅雷は彼女を見送りながら、スプーンを口に突っ込んだ。


 「やっぱ美味いな・・・」


 迅雷が皿の半分ほどまでシチューを食べ進めた頃、雪姫が千影を連れて戻って来た。迅雷と目が合って千影はまだ気まずそうにしていたが、雪姫はそんな千影の手を優しく引いて迅雷の向かいに座らせた。まるで夏姫の面倒を見ているときのような雪姫を見て、迅雷はあの2人の関係性というのをなんとなく理解した。

 雪姫は自分と千影の分のシチューを盛って千影の隣に座った。団欒というにはぎこちない、静かな時間が幾許か過ぎた頃、雪姫が大きな溜息を吐いた。


 「なんなのアンタたち、このあたしがこんなに気を利かせてやってんのに」


 「「すみません」」


 「今までどうだったのかとかそういう簡単な話も出来ないワケ?」


 「「すみません」」


 「つか人の話聞くときはこっち見ろや」


 「「本当にすみません」」


 お前にだけは言われたくない、とツッコんだらもっと怒られるに違いない。理不尽だ。

 雪姫は猫舌のくせにさっさとシチューを平らげて、席を立った。


 「ゆ、ゆっきーどこ行くの・・・?」


 「外」


 「え、雪すごいよ?超寒いよ?」


 「あたしの班、そろそろ周辺の警戒だから」


 迅雷と千影を2人きりにするための方便かと思ったが、担当割りを見るとどうやら本当のようだった。全部見越してやっていたのだろうか。「ごゆっくり」と言って手をヒラヒラ振り、雪姫は部屋を出て行ってしまった。


 「天田さんってイケメンだよな」


 「そうだね」


 迅雷と千影は顔を見合わせて、可笑しそうに笑った。


          ○


 プレハブ小屋の壁に背を預けて、雪姫は寒空を見上げた。


 「これくらい・・・してやらないといけないじゃん」


 あの4月、一央市ギルドに『ゲゲイ・ゼラ』が現れたとき、雪姫がもっともっと強くて2頭ともあっという間に倒せていたなら、あるいは千影がああなることはなかったかもしれない。IAMOであの子と再会したとき、そう思ってしまって、それからずっと責任を感じていた。

 でも、あんなに別人のようだったあの子が今日迅雷と巡り会って、嘘のように心を取り戻した。なんとなく分かってはいた。雪姫はあの子にとって、決して特別な存在なんかじゃないということを。あの子にもう一度本当の自分を取り戻させてあげられるのは、迅雷だったのだ。

 そして、今の雪姫にはもうひとつ、分かるような気がした。きっとおでんは全部見透かしていたのだ、と。千影の心を救えるのが雪姫でも自分でもないことも、雪姫の苦悩も知っていたのだろう。だからおでんは、ドラゴン退治に連れて行って大きな功績を与えるところから始めて、雪姫をたった1年ちょっとでここまで連れて来てくれたのだろう。あるいはもっと前から、今日という日のこの瞬間のために舞台を整えていたのかもしれない。―――それもこれも、結局は推測の域を出ないけれど。


          ○


 迅雷が食後のコーヒーを淹れていると、千影にも1杯淹れてくれるよう頼まれた。


 「なんだ、飲めるようになったのか」


 「まぁね」


 千影は惜しげもなくミルクと砂糖を投入したコーヒーに口をつけて得意げな顔をしている。雪姫が甘やかしたせいで変な常識がついてしまったのだろうか。

 迅雷はマグカップを持って千影の隣に座り直した。千影も不器用にはにかんで、それを受け入れる。向かい合うよりも、こうしている方が落ち着いて話が出来るような気がしていた。


 失い続けた迅雷と、壊し続けた千影。静寂に包まれる小さな空間で、2人は互いの辿ってきた人生を振り返った。知って、知らされて、次第に心が解けていくような感覚を得る。

 すると千影は、自分でも驚くほどに次から次へと言葉が溢れ出すことを知った。後悔や苦悩、屈辱、自己嫌悪―――彼女はずっと、それら全てを無意識に偽りの幼さの殻に閉じ込めてきたのだ。やっと相応しい捌け口を見つけられた感情の奔流に、7年越しに言葉という形が与えられていく。思えば最初からそうだった。迅雷には、千影という異物を受け止めてくれるなにかがあって、千影は誘蛾灯のような彼に強く引き寄せられていた気がする。


 「ボク、ワガママばっかり言って最後には後悔ばっかりしてきた。とっしーからも逃げ出して、そのくせネビアには自分のことを勝手に重ねてさ、結局ボクは2人の人生をメチャクチャにしただけだったじゃん。ボクがなにかするたびに全部台無しになっていくの。あの時だってそうだった。みんなで生き残りたくて逃げ回ってたはずなのに、ボクはまたみんな壊しちゃった。たくさんの人を傷つけて、殺してきた。イヤだけどそうするしかないって自分に言い聞かせて、みんなのために頑張って、そうするうちにだんだん自分が分からなくなっていって、気が付いたらもうなにがなんだか全然分かんなくなってた。恐いはずなのに、痛いはずなのに、悲しいはずなのに、鏡に映るボクはいっつも笑ってた。それがすごく気持ち悪いのにもうどこから抜け出せなくなってた。そこから出ちゃったら、今度こそもうボクの居場所はなくなっちゃうような気がしたんだ。ボク自身がそこにいられなくなるような感じが。結局、ボクは一体なんのためにあの日生き残ったんだろう。分かんない、全然もう・・・なんにも分かんないよ・・・」


 「俺はずっと千影のことを恨んでた。憎かった。全部お前のせいだって。今でもそう思ってる」


 「・・・」


 「なんでお前らオドノイドのくせにのうのうと生きてんだよって、ずっとずっと思ってきた。じゃあなんでネビアは殺されたんだよ。千影があの日余計なことしなければ、俺の人生はこんなことにならなかったんだ。千影がオドノイドの力を使わなければ、『ゲゲイ・ゼラ』なんかどうでも良いって言ってれば・・・あの時、こうしてもっとゆっくりコーヒー飲んでいれば良かったって・・・ずっとずっと後悔してきたんだ・・・」


 糸が千切れては絡みついて捩れて雁字搦め。千影が憎くて仕方ないはずなのに、気が付いたら自分まで責めている。あぁ、そうだった、と思い出す。迅雷は最初から、自分のことが嫌いで仕方なかったのだ。それなのに、千影まで憎くて、オドノイドが憎くて、IAMOが憎くて、なにもかもが憎くて仕方なくて、それでも、今日千影を抱き締めて、どうしようもなく不安になってきた。本当に自分は千影のことを恨めているのか。行き着くところまで来てしまった今になって、なんで、今さらこんな想いを抱くことになってしまうのだろう。


 「俺ももう、なんにも分かんないよ・・・」

 

 「あは。分かんない同士だね」


 今出来る最高の笑顔を浮かべ合った。

 あの頃のような眩しい千影の笑顔は、もう見られない。

 あの頃のような夢見がちな迅雷の笑顔は、もう見られない。

 迅雷は、千影は、なにが欲しかったのか。なにを守りたかったのか。

 もう過去は遙か彼方。時間は決して巻戻らない。

 

 「ねぇ、とっしー」


 「うん?」


 「ボクを殺して」


 「・・・・・・・・・」


 「お願い」


 「・・・いいよ・・・分かった。俺が千影を殺すよ」


 「ありがと」


 「その代わりさ、千影」


 「・・・」


 「代わりにさ、千影は俺を殺してくれるか?」


 「うん。・・・分かった」


 「ありがとう」


 ただほんの少し違った未来では互いを愛せていたはずの2人は、肩を寄せ合ってそう誓った。


 

 「「全部終わりにしよう」」



 全てが終わる、その最後の瞬間を共にしよう。


 千影との出逢いで始まった迅雷の物語は、千影との出逢いで終わる。

―――この世界は壮大な茶番だ。


(2020/04/20 17:00投稿)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ