表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
A Cup of Coffee  作者: タイロン
6/9

Part4-1

居るはずの者が居ない。居ないはずの者が居る。現が首を締める。幻を抱き締める。


主人公がコーヒーをゆっくり飲まなかっただけの分岐世界の、その終幕へ。



 2023年、3月。今年も穏やかな春がやって来た。


 病室の戸がノックされ、続いて暢気な声がした。迅雷は「はーい」と返事をする。


 「としくん、おはよー。調子はどう?」


 「なんか別人になった気分のような、そうでもないような・・・かな」


 「なんだかよく分かんないねー」


 「なんだかよくわかんないんですよ」


 そう言って、慈音は迅雷のベッド脇の椅子を持ってきて腰掛けた。迅雷は風情のない患者服だが、慈音はセーターやスカートに春らしい彩りを醸してくれていた。窓からの日差しは麗らかだが、ちょっと眩しかったので、迅雷はブラインダーを半分閉めた。それでも、小鳥のさえずりは聞こえてくる。

 慈音にお願いされて、迅雷は上着の前掛けボタンを外した。露わになった逞しい上半身には包帯が巻かれていた。慈音は痛いのかと聞くが、迅雷は首を横に振って笑った。


 迅雷が入院しているのは、病気や怪我をしたからではない。いや、一応、病気だったのは確かか。迅雷には、生まれつき異常な魔力量を体内に有してしまうCEM(先天性魔力過剰症)という疾患があった。

 通常、魔力量というのは精神や肉体の成長に合わせて増加するものだ。だが、仮にそれに見合わない魔力量を常に体内に留めていると、脳や体への負担がかかって別の機能障害を負ったり正常な成長が妨げられたりする。さらに、最悪の場合は体内で魔力が暴走してしまい、魔力の属性によって感電したり内側から燃え尽きたり溺れたり・・・とにかく死に至ることもある。そういった事態を防ぐために、CEMと診断された赤ん坊は生まれて間もなく、魔力発生源である心臓に魔力生成能力を低下させる『抑制』(レストリクション)という魔法を施される。

 もっとも、『抑制』なしだと死んでしまうほど重篤なCEM患者は少なく、大抵の場合は小学校低学年から中学校入学くらいの年齢で釣り合いが取れる程度だ。一応、CEM患者も成長と共に魔力量は増加していくが、それを考慮しても概ねその時期には『抑制』は不要となり、手術を受けて解除する。そうして、その後は周りのみんなよりも多少魔力量の多い人として普通に生きていける。

 ・・・だが、迅雷の場合はそのマイナー側だった。出産直後から成人男性の平均魔力量と同等の魔力量があったため、生命の危険が伴っていた。しかも、体が本来の魔力に追いつくより早く幾度かAEM(後天性魔力過剰症)までも発症していたため、お医者様が「『抑制』解除後の予測平均魔力量的にギリギリ大丈夫なんじゃないすかねー?」と判断した頃には既に23歳の誕生日を迎えようとしていた次第である。

 

 なお、迅雷が自分がCEMであることを知ったのは、高校を卒業した頃だ。母親に知らされたときは、結構ショックだったのを覚えている。今まで小学生並みの魔力量しかないのがどれだけコンプレックスだったことか。だが、それでも最後は『高総戦』でマンティオ学園のユニフォームを着て活躍するところまで頑張ったのだ。あの日々は間違いなく迅雷が血の滲むような努力の賜物だった。

 ・・・振り返ると色々と、思い出も、思い入れも、思うところもあったが、それも過去のものだ。

 何年も予定していてついに昨日入院したかと思えば、手術はあっさり済んでしまった。傷もかなり小さいので、午後の検査で正常と判断されれば明日にはもう退院出来るそうだ。なんだか嘘のような話だった。


 「もっと前から知ってたら、としくんも真牙くんとか雪姫ちゃんと一緒の大学行けてたのかな」


 「良いよ別に。俺英語苦手だし」

 

 そうは言ったって、迅雷も日本の中ではそれなりに魔法士養成実績がある都内の大学の課程を修了した。学歴やCEMの件で期待値が高いため、大学4年の夏頃にはIAMOの内々定も取れていた。まぁ、親のコネもちょっとはあるが。

 ちなみに慈音は都内の公立大学で看護の勉強をして、この春からは地元一央市の病院で働くことになっている。内緒の話、最初は医学部志望だったが勉強をやっても出来ない彼女にはハードルが高すぎて一浪の末に看護学科に落ち着いた経緯がある。この仕事はしょっちゅう怪我する迅雷を見ていて目指すようになったらしい。明確な夢が出来て良かったねと言うべきなのか、迅雷が反省すべきなのか。

 

 迅雷はまた服のボタンを留め直す。慈音は、迅雷の荷物の中にあるT○EICの参考書を手にとった。・・・が、すぐに頭から湯気を出して元の場所に戻した。


 「しーちゃんも大概だな・・・」


 「こ、これでも500点は取れるようになったんだよ!?」


 「俺なんて前に750点取ったけどね~」


 ドヤ顔するならせめて800点は取らないと格好付かない気がする。ちなみに、そんなことを言う作者は迅雷以下である。ヤバイ。

 

 「・・・ねぇとしくん、ホントにIAMOで良いの?」


 「どうして?」


 「だってさ・・・その・・・」

 

 「ネビアのことか?」


 慈音は黙って頷いた。

 ネビア・アネガメント。

 かつて、迅雷が恋をした、オドノイドの少女だ。そしてもう、彼女はいない。

 彼女はIAMOの魔法士に殺された。だが、あの一連の騒動の最終盤、IAMOは駆逐対象だったはずのオドノイドを組織に迎え入れて「人間に非友好的な」オドノイドに標的を改めることで事態を終わらせた。

 だったら、彼女の死は一体、なんだったのだろう。マンティオ学園の優秀な学生として友達と楽しく学校生活を送っていただけの彼女の死に、なんの意味があったのだろう。今となっては、迅雷も慈音も、あの子と一緒にあの教室で笑い合った誰もが・・・そう考えずにはいられなかった。


 だけど、それでも迅雷には憶えていることがあった。


 「どこまで腐っても俺たちは市民を守るために魔法士になったんだ、俺を人殺しにさせないでくれ・・・ネビアを追いかけてた魔法士の人が言ってたんだ。すげぇ辛そうにそう言ったんだ。結果はああなったけど、でも、俺はあの人が言った言葉を信じてるんだ。IAMOがどうだろうと、魔法士たちの想いはずっと昔から変わらないんだって。だから、俺はIAMOで魔法士になるよ」


 「そっか」


 「そうですとも。それと日本にも支部出来たからワンチャン英語使わなくても済むかもだし」


 「うわぁ、聞いちゃダメな本音を聞いた気がするよ~・・・」


 確かに、色々なことがあった。良いことばかりじゃなかった。辛い思いもした。

 でも、2人は今、ちゃんと幸せだった。


 

          ●



 「失礼します!班長、そそ、総長がお見えになっております!」


 「え~・・・なんでまた、ヤツも暇じゃなかろうに」


 4月。

 海上学術研究都市『ノア』のIAMOノア支部のオフィスのひとつに、可愛らしい栗毛の女性が駆け込んできた。班長と呼ばれた長い銀髪の若い女は、デスクから足を降ろして、大きな欠伸をした。コート掛けに吊していた狐の面を着けて、報告に来た部下の案内付きで彼女は執務室を出た。

 総長と呼ばれた金髪碧眼の男は、一般職員用の休憩スペースで待っていた。


 「やぁ、急ですまない」


 「まったくもってな」


 銀髪は、彼の向かいに座って長い足を組んだ。

 銀髪の部下は、IAMOの一番偉い人にタメ口を利く上司を見てギョッとしていた。彼女は今年度からの配属だから知らないのだ、この銀髪の無礼は今に始まったことではないことを。銀髪は溜息を吐いて、シッシと手を振った。


 「シーナは下がって良いぞ」


 「は、はひっ。失礼いたします!」


 シーナと呼ばれた女性は大袈裟にお辞儀をしてテーブルの角に激突し、額を押さえて駆け足に去って行った。テーブルに血が付いていないか確かめて銀髪は苦笑した。


 「そろそろ敬礼を採用したらどうなんら?あいついつか局内で死ぬぞ?」


 「あくまでもIAMOは軍隊じゃないんだけれどね」


 「おんなじようなもんじゃろ。なんならお前の代で総長の肩書きを総帥に改めて見たらどうかな?そうなるとわちきは現状少佐か中佐ってとこか」


 冗談を言い交わしたあたりで、2人は「ハハハ」笑い合った。・・・が、最初に注意をしておくと、この2人、ものすごく仲が悪い。IAMOのロンドン本部やノア支部で何年か働いてきた者は、だから、あのテーブルの周囲の空間だけ空気が黒く淀んで見える・・・らしい。


 「で、今日はなんの用でございましょうか、ギルバート・グリーン総長殿?」


 「そういえば君の昇進祝いがまだだったと思ってね。ツタラ六等、実働部総合対策室2課長兼ツタラ班班長就任おめでとう」


 「これはこれは、総長直々にお祝い頂けるなんて光栄至極です」

 

 もうお分かりだろう。この銀髪と狐面の女の名前は伝楽(ツタラ)―――今まで我々がおでんという愛称で呼んでいた、オドノイドだ。ロシアでのあの日から6年と約半年。19歳の彼女は背が伸びて女性としても美しく成長したが、その見透かすようなエメラルドの瞳も、頑として白い着物を着続ける拘りも、仮面で右目を隠す中二病魂も、舌足らずなところも、人を食ったような態度も、昔からちっとも変わってはいなかった。

 彼女はオドノイド駆除計画完了以降もIAMOで魔法士として数々の功績を重ね、今やオドノイドであるにも関わらず異例の若さで対策2課長にまで登り詰めた天才児として、IAMOにおいて知らぬ者がいないほどの存在となっていた。さらにはIAMOとオドノイドの架け橋となった立役者としてメディアに大々的に取り上げられたこともあり、IAMOの外に出てもかなり有名だ。

 ・・・もっとも、オドノイドがIAMOの魔法士として活動していたのはオドノイド駆除計画以前からあったことだ。当時と違うのは、それが活躍していた(オフィシャル)暗躍していた(アンオフィシャル)かという点でしかない。おでんが提案したことは、つまるところ元の居場所に収まり直すだけの話だったのである。

 

 一方のギルバートだが、今の彼は聞いての通り現IAMO総長である。2018年度をもって前総長レオの任期が終了し、総長選にて多くの人々の推薦と支持を得た彼がその後釜につくこととなった。彼が現在の職についてからは、前総長時代よりもさらに異世界との融和策が推進され、特にオドノイドの一件以来の付き合いからか、魔界との関係は他のどの世界よりも良好となっていた。今後は人間界が魔界とその他の異世界の仲介役として世界間のバランスを調整する重要なポストを担っていくことになるだろう。

 また、この6年でギルバートは、レオの引退と入れ替わる形でついに魔法士としても最高位であるランク7に認定され、名実共に全魔法士たちの頂点と呼ぶに相応しい人間となった。もっとも、未だにIAMO公式の魔法士ランキングでは日本警察所属の神代疾風がその一番上に居座ってはいるのだが。

 総長となって以降、ギルバートはこうして積極的に組織内の様々な地位の部下たちとの交流を続けていた。より上から下まで信頼し協力し合える組織環境を作るのが表向き、クリーンな組織性を維持するための偵察というのが裏側の事情である。もちろん、表も裏もどちらも大事な目的であることに変わりはない。


 「たらなぁ・・・いくらフレンドリーとは言っても総長ともあろうお方が一般職員向けの休憩所でカップの自販機のコーヒーを飲んでるっていうのは、見ようによっては皮肉のつもりかと思われるぞ?」


 「ふむ・・・確かにそれも一理あるな。さすが、オデンは気が回るね。以後気を付けるよ。それで、オデンもコーヒーで良かったかい?」


 「最近のマイブームは紅茶なのら。良い香りがするじゃろ?」


 そう言って、おでんは着物の袖から水色の水筒を取り出した。熱い飲み物が大丈夫なヤツだ。気遣いを無碍にされてギルバートは苦笑した。まぁ、これだって今に始まったことではない。


 「じゃあ今度、昇進祝いに本場イギリスの茶葉を贈るよ。それで、どうだい、仕事の方は?楽しそうにやってるようだったけれど」


 「ああ、楽しいよ。上司と違って部下っていうのは可愛いもんさ。でも課長になってからは事務仕事が多すぎて敵わんなぁ。目が疲れてどうしようもない」


 「事務仕事にはブルーライトカットのメガネをオススメするよ。私も使ってるんだ。まぁでも、順調そうで良かった。オドノイド初の管理職だから風当たりが強いんじゃないかと心配してたんだが、杞憂だったかな」


 「風使いにとってはあんなのそよ風さ。それより、そろそろ本題に入ったらどうなのら?わちきが忙しいのにお前が忙しくないワケないじゃろ?」


 「じゃあ単刀直入に言うよ。そろそろ君も、ドラゴンスレイヤーの肩書きは欲しくないか?」


 「・・・な」


 「『な』?」


 「なにそれ超欲しいのら~っ!」


 

          ●


 

 オドノイドが公式にIAMOで活動を開始したり、新型コロナウイルスの脅威を乗り越えたり、人間界と魔界が仲良くなってきたり、世界は様々な面で変化の時代を迎えていた。日本じゃ元号も令和に変わった。そして警視庁魔対課A1班もまた、例外ではない。令和5年度の名簿を作成しながら、副班長の小西李は班長の神代疾風に向けてぼやいた。


 「遂にあの頃メンバーも私とタイチョーだけになっちゃいましたねぇ・・・」


 「冴木はA2の班長、松田はB1の副班長・・・ホイホイここを出て行きやがって!みんな薄情だーッ・・・!」


 ちなみに、A1班で最もベテランだった塚田さんはあまりにもベテランになりすぎて華々しく退職した。そっちは仕方がない。

 

 「大丈夫ですよ、私は最後までタイチョーの下で働くつもりですからっ」


 「小西ぃ・・・」


 「・・・惚れました?」


 「Fu○k!俺のパートナーは生涯真名1人だけだ!」

 

 というよりも、警視庁で李みたいなイカレポンチを使えるのが神代疾風か冴木空奈くらいしかいないだけの話だ。だから疾風が空奈に泣きつかない限り、李が異動になることはないだろう。

 次はどんな個性的な仲間が入ってくるのだろう。ちょっぴりの期待と、大きな緊張で疾風は襟を正すのだった。



          ●



 研が講義を終えて教員室に戻ると、秘書から部屋に忘れていったスマホに着信があったことを知らされた。履歴を見て、研は「あぁ」と呟く。

 

 「あいつ今日帰ってきたのか」


 「誰でした?」


 「紺だよ」


 研がIAMOの設立した魔法科大学に魔法工学の講師として招かれてもう5年だ。准教授となってこの研究室を立ち上げたのは3年前。最近じゃアメリカの企業との共同研究も軌道に乗って、すっかり研究者ライフを満喫している。

 でも、だからといって研が自分の本当の、一番大事な居場所のことを忘れたことなど一度たりともない。岩破から研が継いだ『荘楽組』は今も生き続けている。オドノイドの件を経てマジックマフィアとしての『荘楽組』は解体され研を含め構成員もIAMOに吸収されてしまったが、それでも業界における『荘楽組』の存在感は失われてなどいない。

 

 研が電話をかけ直すと、コール音が3回しないうちに繋がった。 


 『あ、もしもしィ?悪ぃな。講義中だったか?』

 

 「気にすんな。で、どうよ」


 『ま・・・昔みてぇなスリルはなかなか味わえねぇな。とりあえず良さげなのは拾っといたぜ』


 「そうか。ま、週末にゃ帰るからそれまでは頼むぜ」


 『へいへい』

 

 電話を切った後、椅子にどっかと腰掛けた研は天井を仰いで、スリルか、と呟いた。

 それは最近の研も感じていた。もちろん今の学者生活も悪くないが、いざIAMOと手を結んでみると退屈でいけない。今までも幾度となく鬼ごっこの鬼役をやってきたが、いつまで経っても鬼を交代出来ないのがこんなにつまらないとは知らなかった。紺ほどじゃないが、所詮は研もスリルジャンキーだったわけだ。まぁ、考えてみれば最初から分かっちゃいたことだ。

 色々とキリが良くなったら、馬鹿共を焚き付けてまたIAMOに唾を吐いてやっても良いかもしれない。

 

 「先生、笑顔が恐いですよ。またなにか悪巧みですか・・・?」


 「いやぁねお嬢さん、ダークヒーローほど中途半端なキャラってねぇよなって思ってたんだ。ワルはちゃんとワルじゃねーとダメなんだ、コレが」


 


          ●




 幸せで満ち足りた、退屈な時間の中でこそ育まれる運命の(ひず)みがある。

 そして6年の時を経て、再び物語は動き出す。




          ●


 

 職員たちの間じゃ美味いと評判のノア支部の食堂だが、天田雪姫は最近、こう思うのだ。自分で作った弁当の方が美味いんじゃね、と。いよいよ自分が料理の腕を極めすぎたのか、食堂が過大評価されているのかは分からないが。

 昨日は任務でちょっと忙しくて弁当を用意出来なかったので食堂で昼食を取っていた雪姫だったが、こういうところに来ると避けて通れないイベントがある。例えば、今日は栗毛の同期に見つかるとか。


 「あれ、その水色の髪。やぁっぱりユキさんじゃないですかぁ!食堂に来てるなんて珍しい!」


 「・・・」


 「・・・え、も、もしかして私の顔忘れちゃいました?シーナですよ、シーナ・エバンズ!ついこないだまで研修一緒だったじゃないですか!?」


 「・・・いや憶えてるけど・・・」


 IAMOの実働部は、入ってから1年間はミッチリ研修を行う。雪姫とシーナはそのとき同じ班の仲間として活動していた。ちなみに、同期らしく砕けた態度で会話しているが、シーナは現在23歳、雪姫より1つ年上である。この2人が同期なのは、雪姫が大学を2年飛び級で卒業したためである。・・・「2年飛び級したのに1歳差?」と違和感を感じた諸君は正しい。誕生日の問題とかではなく、実は大学在学中に雪姫は一度無茶をして、怪我の療養で1年ほど休学していた経歴がある。だから、実際は1年早く卒業したと言う方が正しい。


 「で、なに?つまんない話したら皿の上のもの凍らせるよ」


 「さすが、冷たい!!」

 

 これでも高校のときと比べたら多少は社交性を身に付けたと褒めてあげるべきだ。

 もっとも、雪姫がこうして他人を相手にするようになったのは、単純に自分の出世に有益な情報を他人が持っている可能性を考慮するようになったからでしかないのだが。しかも本人にその考え方を隠すつもりがない。

 シーナは凍らされる前に山盛りのシーフードパスタを半分平らげてから、話を再開した。


 「聞いてくださいよユキさん!ウチの班長ったら、ギルバート総長とタメ口でおしゃべりしてたと思ったら、とんでもない仕事持ってきたんですよ?配属されたばかりの新人にまでついて来いとか、もう命が幾つあっても足りないですよぅ!」


 「じゃあ風邪でも引けば?」


 「・・・」


 「ハァ・・・なんなの?あたしがその仕事の内容について聞いてあげれば満足するワケ?」


 「聞いてくれますか、聞いてくれるんですね!?いやぁ~なんだかんだ言ってやっぱりユキさんは良い子です!」


 「ウゼぇ・・・」


 「あーっ!!待って帰らないでっ!?」


 こんな女を相手にしていたら雪姫じゃなくても面倒臭くて席を立っているところだ。腕を掴まれ、雪姫は席に引きずり戻される。本当は振り払っても良かったが、なんだかんだ言ってシーナはかなり優秀な魔法士だ。なにせ、いきなりあのツタラ班に引き抜かれたくらいなのだから。だからか、雪姫の勘は告げていた。コイツは多分面白い情報を持っている、と。

 そして実際、シーナは雪姫が興味を持つような仕事の話を持ってきた。


 「ドラゴン退治!するんですって!」


 「・・・へぇ」


 ドラゴンとは、あの大きくて翼で空を飛んで火を噴く、あのドラゴンである。様々な世界があって、それぞれの世界に多種多様な生物が存在する中で、自然界の頂点に君臨する”最強の生物”だ。一口にドラゴンと言っても様々だが、それでも例外なく、適当なドラゴンの名を出せば、途端にあの『ゲゲイ・ゼラ』も霞むほどである。

 シーナの話では、とあるダンジョンでドラゴンの出現が確認されたらしい。大生物災害だが、これが案外、2、3年に一度はあることだったりもする。つまり大して珍しくもない。そして基本的に、それを討伐して安全を確保するのはランク7の魔法士が率いるチームだ。だが、今回はなぜかその話が総合対策2課に降りてきた。

 もしかしなくても、あの新2課長への就任祝いだろう、と雪姫は推測した。新しいドラゴンスレイヤーを輩出するのが狙いなのか、あるいは目障りなオドノイドをドラゴンに殺してもらおうとしているのか・・・まぁ、後者はギルバート・グリーンの考えにしては頭が悪すぎる。新2課長の実績を鑑みれば成功する方にボーナスを全額賭けても良い。


 「その作戦、あたしも参加出来るかな?」


 「へっ?い、いやいやいやなに言ってんの!?ドラゴンですよ、ド・ラ・ゴ・ン!?自分から好き好んで戦おうとする変態なんて班長だけで十分ですから!」


 「ドラゴン討伐に貢献した実績があればかなりの武器になる。アンタも分かってんでしょ」


 「それは・・・まぁ。そういえば、ユキさんの班長って私と同じで”始まりのオドノイド”の1人の・・・」


 「《神速》の千影。戦力としては十分じゃない?」


 誰が呼んだか”始まりのオドノイド”。トルマチョーヴォ空港での戦いを狡猾に生き残り、後にIAMOの魔法士としてオドノイド殲滅を推進し、『THE HYDRA』討伐で戦いに幕を閉じた5人のオドノイドを指す言葉だ。新2課長である伝楽や、雪姫の所属する班の班長である千影もそれである。

 だが、シーナは雪姫に可哀想な人を見る目を向けた。それには、妥当な理由があった。


 「《神速》は昔の話で、今は《最狂》でしょ。大変なんじゃないですか?チカゲさんってオドノイドの中でも一番イカレてるってもっぱらの噂なんですよ」


 「さぁ。子供のお守りは慣れてるから、なんとも」


 「え、ユキさん結婚してたっけ?ってかそもそもお守りってなんなんですか」


 「してない。まぁ会えば分かるよ」


 無事面白い話が出来たシーナは温かい昼食を食べ終わって、2人は席を立った。世間話をするつもりはないが、ドラゴン退治について彼女の上司と直接話をするために、雪姫はシーナに同行した。そうして歩いていると、通路で立ち話をする職員たちの声が聞こえてくる。

 

 「マジでヤリたい放題だぜ。どんだけしてもデキねぇのは分かってるし、おまけにいくらボコろうが嬲ろうが朝には元通り。どんなプレイでも無邪気に笑って応じてくれるぞ」

 「冗談よせよ、あんなガキ・・・」

 「つかよく咥えさせようとか思ったな。次は絶対食い千切られるぞ」

 「それが結構上手いんだよ。また誘うつもりだぜ、お前らも来るか?」


 れっきとした成人男性が普通に下世話な話をしているだけだ。普段なら別に気にもならない・・・が、こればかりは雪姫にとっては耳につく話だった。それが誰のことかなんて名前を尋ねるまでもない。シーナがおっかなそうに雪姫の横顔をじっと見つめてきた。きっと自分は恐い目をしているのだろうと、雪姫は想像した。でも、この怒りはなんら咎められるものではないはずだ。雪姫はシーナの隣を外れ、立ち話をする魔法士たちに靴底を鳴らして近寄っていく。

 けれど、雪姫がその魔法士たちに掴みかかる前に、別の女が彼らに声をかけた。

 

 「そんなにオドノイドが気に入ったなら次はわちきとするか?」


 「うぎっ!?ツタラ2課長・・・!?いえ、そんなとんでもない!」


 「遠慮するなよ、死ぬほど絶頂させてやるぞ?例えば、そうらなぁ・・・」


 「ご、午後から任務なのでこれにて失礼します」


 その銀髪の女が魔法士たちの1人の股間に手を触れようとしたら、その男は飛び退いてお辞儀をし、踵を返した。他の連中も彼に続いてその場を去って行く。・・・が、彼らがどれだけ不満を感じているのかは表情を見れば明らかだった。


 「(クソッ、あのガキ・・・バケモノ風情が何様のつもりだ。総長のお気に入りだかなんだか知らねぇが調子乗りやがって)」


 「そのバケモノ風情より階級が低いお前たちは一体なに風情じゃ?」


 小物を追い払った銀髪の女―――おでんは、深く深く溜息を吐いた。


 「あいつは吹けば飛ぶような塵芥風情が穢して良い存在じゃないのら」


 「・・・伝楽、2課長」


 「で、お前が例の天田雪姫じゃな?聞いてたより良いヤツそうじゃないか」


 「・・・・・・良いんですか?」


 「良くはないな。でも新入りのお前がいきなり暴力沙汰を起こしたらお先真っ暗なのら。らから今後万一またこういう話を聞いたらわちきのところに来い」


 それには及ばないといった目をする雪姫を見て、おでんは小さく鼻で笑った。

 上司の登場に少し遅れてシーナが駆け寄ってきた。静観していたくせに惚れ惚れした顔をされても、返す言葉に困るところだ。シーナ自身は間違いなくおでんのことは受け入れているので、彼女が考えていることはオドノイド差別というよりは、千影という個人に対する偏見だろう。


 「班長~!」


 「シーナか。なんじゃ、同期2人で仲良くランチタイムか?ますます聞いてた話と違うな、雪姫」


 「いえ、そういうわけではなかったんですが、2課に新しい仕事が降りたと聞いて」


 「耳が早いな。ま、丁度良いのら。これも運命の巡り合わせかな。2人ともついてこい」


 ついてこい、とは言ったが、おでんが2人を連れてやって来たのは特務課のとある班のオフィスだった。とある、と言うとまた引きを入れてる感じがするでしょ?まぁ千影の部屋なんだけど。

 メンバーである雪姫を連れているので、おでんはノックもせずにドアを開いた。


 「入るぞー」


 「―――ぶいーん・・・・・・あれっ、おでん?わー、おでーん!ひさしぶりー!」


 綺麗な金髪を赤いリボンで結んでサイドテールにした、紅い瞳の少女。年齢で言えば今年で高校3年生になるが、歳の割に小柄な彼女は学生服を着せれば中学生くらいに見えるだろう。

 おでんに気が付いた千影は手に持っていたものを床に放り、部屋の端から入り口まで1回のジャンプで跳んでおでんに抱き付いた。おでんはそれを、くるりとダンスのように体を回転しながら受け止めた。胸に顔を埋めてあどけない笑顔を浮かべる千影の頭を撫でて、おでんは優しく笑う。


 「あぁ、久し振り、千影」


 「えっへ~・・・む?ゆっきーも一緒?意外ー」


 「まぁな。あとその隣のアホ面がわちきの班の新人で、名をシーナという。仲良くな」


 「はーい。よろしくねリンゴちゃん!」


 「えっ?いや私はシーナ・・・」


 「じゃ、入るぞ~」


 シーナはツッコもうとしたが、おでんが遮ってしまった。千影が人をいきなりあだ名で呼ぶのなんていつものことだ。取り合うだけ無駄である。

 お昼だからか、オフィスには千影以外には誰もいない。いや、今戻って来たから千影と雪姫以外、か。おでんは適当な椅子に腰掛けて、チカゲ班の下っ端にもてなすよう命令した。下っ端は年下上司の態度でこめかみに青筋を浮かべながらも律儀にお茶を淹れてあげた。千影とおでん、雪姫の3人は客人用のソファに揃って座り、勝手におしゃべりを始めてしまった。

 ・・・だけど、もうさすがにシーナはツッコミを我慢するのが限界だった。


 「・・・あ、あの、チカゲさん、やっぱりどうしても気になるんでひとつ聞いても良いでしょうか・・・?」


 「うん、いいよ?」


 「その・・・」


 言い淀んでシーナは唇を引き結んだが、数秒をかけて、意を決したように千影の目を真っ直ぐ見据えた。



 「なんなんですか・・・この部屋は・・・?」


 

 ファンシーな壁紙にはところどころクレヨンでの落書きの跡があった。

 テレビは点きっぱなし、流れているのはアニメばかり。

 ソファのカバーには何度かジュースをこぼしたかのようなシミがいくつか残っている。

 ボールや、ドールハウス、ゲームのコントローラ、割れた乗り物の模型、胴体が千切れた人形・・・床にはいろんなオモチャが散乱していた。

 壁に表彰状と一緒に飾られているのは写真ではなく絵・・・それもなにか、異質なまでに黒と赤で満たされたおぞましい絵だ。

 

 小さな世界の中心で、その部屋の主は無邪気に首を傾げた。


 「なにって、ボクの部屋だけど?」


 それが完璧な答え・・・だったのだろう。

 見てはいけないものを見た、と、シーナは直感していた。

 だが、シーナをここに連れて来た張本人は部屋から逃げ出そうとする彼女を捕まえた。


 「想像以上か?でもな、これが現実じゃ。目を背けるな。全ては目の前の光景のありのままを受け入れるところからしか始まらん」


 シーナは、おでんに千影の真向かいに座らされた。

 これで分かった。なぜもうランチ休憩の時間も終わるだろうというのに、この部屋にはほとんど人がいない理由が。

 地獄だ。この世の歪みを凝縮したような空間でこれ以上息を吸えば自分まで錯乱するかもしれない恐怖がシーナの脳と脊髄に悲鳴を上げさせている。ここから逃げ出せと、理性と本能両面から。だが、おでんは彼女をここから逃がしてくれない。見えない首輪を嵌められているようだった。


 「雪姫にも弁明はしとかないといけないな」


 おでんは、変わらない調子で語り始めた。


          ○


 なにも、昔から千影がこんなだったわけではない。

 むしろ本来の千影は、年相応の愛嬌と、幾度も死地を越えてきた者としての聡明さを併せ持つ、優しい少女だった。

 そして、そんな彼女をこうしたのは、他でもないおでんの選択だった。


 殺した。


 殺した。


 殺し尽くした。


 おでんに言われるがままヒトを殺し、同族を殺し、友を殺し、自分を殺そうとした人間たちに媚びを売り、醜く生き残った先でもまだ多くの命を殺し、殺し、殺し続けてきた。


 濃密な死と裏切りと絶望の核に居座り続けた千影の心が壊れるのに、そう時間はかからなかった。

 僅か数ヶ月で擦り切れた彼女の精神は、その瞬間から、こうして幼さの殻に籠もってしまった。


 どんなに残虐な殺戮を繰り返したって、幼いからと言えば看過される。なにも考えなくたって、幼ければ勝手にみんなが都合良くしてくれる。幼さの前では全てが仕方ないことになる。だから「素直で頑張り屋な女の子」の千影はこれからもおでんやIAMOに言われるがままにしていれば良い。

 だけれど、みんなの目に映る現実の千影は、戦う前には破壊と貪食の衝動で目に爛れた輝きを灯し、戦いとなれば例え手足が千切れようが内臓を曝け出そうが終始狂ったように笑声を響かせながら暴れ回り、戦いが終われば今度は自らが築き上げた屍肉の山を貪り尽くして全身を真っ赤に染めて、無邪気な笑顔と共に帰ってくる―――そんなバケモノでしかなかった。

 倫理観が欠落していて、喜怒哀楽すらもが破綻した、誰の目にも明らかな《最狂》はそうして誕生した。


 でも、あの当時のオドノイドがひとまずの生存権を得るには、それ以外になかった。社会進出なんて夢のまた夢、オドノイドと共存出来るという思想を世界に浸透させるだけでも10年ではまだ足りないようだ。ゆっくり話し合いをしている時間なんてなかった。

 だから、おでんはそれがどれほど千影を苦しめるとしても、自分と、そして千影の命をその10年後に繋ぐためにこの選択をするしかなかった。

 ベル、ノエル、伊那―――あの日一緒に生き残ったオドノイドの仲間たちは、今でも千影と会うと複雑そうな顔をする。彼らも、ナナシという大事な仲間を殺し、千影を壊してまで生き残ろうとしたおでんに抱いた怒りや憎しみをぶつけたことはあった。それでも、今の彼らには当時のおでんのことが理解出来なくもなくて、そして、おでんに対して抱いてきた変わらぬ信頼や友情も、彼らには否定出来ないでいたから―――。

 

          ○


 事のあらましを聞いて、雪姫はただ溜息を吐いた。

 知ってはいた。たかだか数度ではあるが、雪姫はかつて本来の千影の性格や振る舞いを見たことがあるのだから。・・・その分、幼児退行した千影の有様を見たときは目を疑ったが、それもとっくに受け入れていた。

 それを聞かされたおでんも、納得したように茶を啜った。

 そして自分の話だということにも理解を放棄して、千影はもう別の遊びに没頭していた。


 「・・・で、2課長」


 「おでんで良いぞ、特別に」


 「・・・伝楽。結局、ここに来た理由はそれだけですか?」


 「いいや、これはついで。過去話は面白くても本題にはならんからな。というか、雪姫の方こそわちきに話があったんじゃないのか?」


 「ええ」


 「ま、とりあえず先に言っとくと、オッケー♪」


 「・・・・・・」


 「そんな白けた目をするな・・・。あれじゃろ、ドラゴン退治したいって。千影の実力を鑑みればチカゲ班を作戦に加えるよう進言してみる価値はある。そんであわよくばバンバン昇進してゆくゆくはランク7に・・・とまぁ、言わんでも知ってるのら」


 「はあ・・・じゃあそういうことで」


 「なんじゃ、怒らんのか。大抵のヤツは自分の言おうとしたことを『知ってる』って言われると顔を真っ赤にするのに」


 「そっちの発言の方がよっぽどおちょくってますよ」


 「・・・ま、野心を隠すつもりがないのも良いが、ほどほどにな。今は良くてもいずれ別の人間の下に就く日も来ようて。上司の目に付いたら昇進させてもらえんくなるぞ」


 話は済んで、また後で作戦関連の資料や今後の会議の予定などについて連絡を寄越すと約束し、おでんはシーナと一緒に部屋を出た。雪姫はまたこれから子守だろう。おでんには分かるのだ。彼女が千影のことをなかなか会えない妹の代わりのように感じてしまっていることを。


 「難儀なヤツよな。どいつもこいつも。そう思わんか、シーナ?」


 「IAMOはもっとステキな場所だと思ってましたよぅ・・・」


 「いつかのクソ総長の受け売りにはなるが、地球って星には上にも下にも闇がわだかまってるもんなのら。さーて、用件も済んだしさっそくドラゴン退治の準備を進めるのらー!」


 「おー・・・」





          ●

          ●

          ●





 IAMO実働部に入隊した迅雷は、T都・・・日本に都はひとつしかないからまぁ東京都なのだが、そこにあるIAMO日本支部にてさっそく新人研修の班分けで同僚との顔合わせをしていた。


 (新天地ではどんな仲間たちと、どんな生活が始まるんだろうなぁ・・・!)



 ・・・・・・と、思っていたのだが。


 

 「なんか・・・懐かしい顔触れっすね」


 諸々の式典行事やオリエンテーションが済んで自由に声を出せるようになった瞬間、迅雷はそう言った。

 メンターに当てられた先輩魔法士は、高校時代の先輩である焔煌熾(ほむら こうし)。そして、3人いる班員は、中学時代からの腐れ縁である阿本真牙(あもと しんが)と、マンティオ学園のライバル校だったオラーニア学園の二刀流使い七種薫(さえぐさ かおる)、あとなんか全然関係ない春日観月(かすが みづき)という日本人の女の子。紅一点がまるで異分子のような空間が展開されていた。

 この班以外はどこも夕食ついでに親睦会と称してどっかへ行ってしまった。真牙が観月に気を利かせていろいろ話を振ってやるが、どうやら観月は内気な性格らしくかえって黙り込んでしまった。


 「ま、まぁそしたら俺たちもどっか食いに行こうか?前に班の先輩に教えてもらった焼き鳥の美味い店を知ってるんだ。今日はお祝いをかねて特別に俺の奢りだぞ!」


 「そ、そんな申し訳ないです自分ちゃんとお金は出しますから!」


 「そこは素直にごちそうさまですって言えば良いんだよ春日さん」


 迅雷は苦笑いして手招きした。もう煌熾は先を歩いている。


          ○


 酒の席では、顔を合わせる機会のなかった大学時代にそれぞれがどんな経験をしてきたかの話をした。例えば迅雷がCEMで、先月ついに本来の魔力を取り戻したから強くてニューゲーム説とか。迅雷と真牙なんかは時折SNSや電話でやり取りをしていたから割と最近のところまで情報鮮度が同期されているのだが、煌熾や薫、そしてそもそもなんも知らない春日は興味深そうにしていた。

 ちなみに言っておくと、この世界線では煌熾をリーダーとして設立された学生パーティー『Deep in Solt』、通称『DiS』は()()()()()。そもそも、あれは『高総戦』の全国大会の裏側に足を踏み込み心が折れた迅雷を立ち直らせたかった真牙が思いついて煌熾に話を持ちかけたからこそ生まれたものでしかない。だからこの世界線では、煌熾と迅雷、真牙の繋がりはただの高校時代の先輩後輩なのである。


 あと、観月は酒が入るとめっちゃおしゃべりになるが、同時に怒り上戸だということも判明した。しかも記憶が残るらしい。翌日の気まずそうな顔といったら。乾杯だけでもと一杯勧めた煌熾はアルハラで訴えられないかとハラハラしていた。彼女がみんなに馴染める日は来るのだろうか・・・ッ!?


          ●


 IAMO日本支部は出来て新しい。東京を拠点として、一央市と二央市にあるそれぞれのギルドとの提携を図り、より迅速かつ効率的に日本国内のモンスター対策関連事業を進めることに注力している。IAMOは元々人間や異世界からの旅行者が起こす魔法が絡んだ犯罪の取り締まりも管轄とするが、特に警視庁のお膝元である都内を最たるものとして警察の魔法士が十二分に高い能力を持っている日本では、その点での棲み分けが進んでいた。


 もう3ヶ月ほど研修を続けて、小暑の頃。さすがの観月も焔班の空気に慣れてきて、焔班の各地におけるモンスター駆除の成績は、次第に正当に評価され始めていた。特に、父親が有名人の迅雷なんかは、ただの七光りではないことを示せたことで相当ホッとしていたようだ。

 焔班は、この月からは一央市ギルドを拠点として活動をしていた。実家は県外にある煌熾や薫、観月はギルドの宿舎を利用しているが、迅雷と真牙にとっては久々の地元帰りになる。真牙は自分の部屋が道場の稽古道具の保管場所に模様替えされていてガッカリしていたが、迅雷の方は無事だった。家の性格というのはよく出るものである。


 いつものように迅雷が実家から出勤してきて少し休憩していると、先に来ていた観月がIAMOの内部広報誌を持ってきて、迅雷のデスクに置いた。どうやら早朝のうちに事務所に届いていたものらしい。


 「見てくださいよ、これ」


 「なになに?『新たなるドラゴンスレイヤー誕生!!』・・・あぁ、例のノア支部新2課長のオドノイドの子か」


 「すごくないですか?未だかつてこんなに大躍進を遂げた魔法士なんていませんよ、きっと」


 「いやまぁ凄いけど・・・・・・ん?」


 迅雷は本文を読んでいるうちに、また懐かしい名前を見つけて唸りを上げた。


 「春日さん、これ借りても良い?」


 「え?うんいいよ」


 迅雷は広報誌を持って、ギルド1階の受付まで降りた。そこで業務の準備をしていたキャラメル色の髪の女性を見つけ、手を振った。


 「おーい、甘菜さーん。おはようございまーす」


 「お、迅雷くん。おはよう」


 受付係の日野甘菜、迅雷とは6年来の知り合いだ。さすがにもう三十路だが、きちんと年を取るつもりはないようだった。いい加減もっと若い世代に看板娘の座を譲るべきだろうと迅雷がからかうと殴られた。自分は18の頃から看板を張らせてもらっていたくせに、女性というのは年を取るとこうも不貞不貞しくなるものなのだろうか。慈音までこうならなければ良いなぁ、と迅雷は切に願っている。

 というのは置いといて、まぁそれでも迅雷と甘菜は仲が良い。まだ甘菜も独身だから変なウワサが立ってしまうくらいには。

 迅雷は持ってきた広報誌を広げて、ページの右下辺りの文章を指差した。そこには、ドラゴン討伐任務の参加者全員の名前が記されていたのだが、その中の1人に「天田雪姫」という名前があった。


 「甘菜さん、これ見ました?」


 「あー、これね!さすがというかなんというか、相変わらず無茶やってるみたいね、あの子。ここまで来たらいっそ『あの子は儂が育てたのじゃ』って胸を張るべきなのかしら」


 「あっはは・・・まぁもう心配しすぎる必要もなくなったってことじゃないですかね」


 「そうだねぇ・・・君も雪姫ちゃんも、みーんなこんなにおっきくなっちゃったもんねぇ」


 その後も少しおしゃべりをして上に戻っていく迅雷を見送って、甘菜は弱ったように嘆息した。迅雷が雪姫の隣にあった名前についてなんの話もしようとしなかったことに、甘菜が気付かないわけがなかった。甘菜があの子と関わった時間はほんの1、2分のことだが、それでもこの一央市ギルドから始まったオドノイドの事件の発端にして終端であるあの子のことを忘れるわけがない。そして、甘菜がそうであるなら、迅雷がなにも感じないはずがなかった。迅雷がその名を見たときになにを思ったのか―――さすがにそこまでは、甘菜などには知りようもないが。

 甘菜は、幼かったあの少女も迅雷たちのように大きくなっちゃったのだろうか、と下らない想像をした。



          ●



 「え、今日は神代休みなんですか?」


 「あぁ、なんでも大事な用事だとかで」


 もう一央市での活動期間も終わろうという頃、迅雷が欠勤したことで薫は目を丸くした。今まで私用で休暇を取るようなことがあまりないヤツだったから、意外に感じたらしい。

 

 「そういや、もうそんな時期か」


 「なんだか露骨に訳知り顔ですね、阿本さん」


 「別にそういうつもりじゃないんだぜ。ただ、そんな顔しちゃうくらいには濃い思い出なのよ」


 「ちなみに、なにがあったかとかって―――」


 「聞いたら疲れるよ。迅雷は本当はIAMOが嫌いなんだ。オレには分かる。だから今日くらいはサボってデートしてても許してやんねーとな」


 「デ、デート・・・ですか?」


 話の繋がりが見えない観月は首を傾げてしまったが、煌熾が手を叩いてみんなを現実に呼び戻し、仕事は再開された。


          ○


 マンティオ学園の校庭の端には、石碑がある。名は刻まれず、骨も埋められていないが、かつてこの学園に在籍していたある女子生徒の墓だ。もうだいぶ前からあるので、今の生徒たちで石碑の意味を知る者はほとんどおらず、そして気味悪がるわけでもなく、石碑は言ってみれば、ただそこに存在していた。


 夏休みの序盤で、校庭では7年前と変わらず運動部の生徒たちが雄々しい掛け声を響かせている。木陰に置かれたその石碑の傍に腰掛けて、迅雷と慈音は、ネビアと一緒に後輩たちの青春を眺めていた。


 「若さって素晴らしいねー」


 「まだ俺たちも若者ですよ」

 

 「そっかぁ、若者かぁ」


 ひとしきりしんみりし終えて、気分転換にそんなしょうもない話をしていると、2人を見つけて手を振ってくる人がいた。かつての迅雷と慈音の担任だった、志田真波という女教師だ。数年前に髪型をショートに変えたらしい彼女は、まだそれから数度しか会っていない迅雷にとっては新鮮味がある。

 慈音も手を振り返して、真波が座れる場所を空けた。真波は、石碑にお菓子とジュースを備えてから、手を合わせ、それからやっと慈音の隣に腰掛けた。石碑のお供えは今日だけでいっぱいいっぱいになってしまっていた。

 勘が良いのか、3人分のアイスを持ってきた真波は、迅雷と慈音に好きな味を選ばせて、自分も残ったひとつを取った。


 「2人とも、今年も来てくれたのね。IAMOも看護師さんも、忙しいんじゃないの?」


 「休んででも来ますよ。それに今たまたま仕事でこっち来てますし。それに先生だって。やっぱりちゃんと手入れしてくれてるじゃないですか」


 「大切な教え子なのよ、一度だって忘れたことはないわ」


 ただの岩を愛しそうに撫でられる彼女のような先生は、きっとそう巡り会えるものじゃない。当時の1年3組の生徒たちの気持ちを汲んでここに石碑を建てることを提案してくれたのだって、真波だった。


 「いつか、私がマンティオ学園にいるうちに、ここに堂々と名前を刻んであげられるようになったら良いなぁ」


 「なりますよ、絶対に」


 「あら、神代君は去年『きっと』って言ってたのに」


 「知ってますか?この前IAMOから新しいドラゴンスレイヤーが生まれたんですけど、そいつ19歳のオドノイドなんですよ?このままいけば、世界はもっともっとオドノイドの存在を受け入れていくんじゃないですか」


 「そうなんだ・・・日常はこんなに変わらないのに、世界って、知らないうちに結構変わっていくものよね」


 「本当にそう思います」


 迅雷は、空を仰いで雲を数えた。

 夢から醒めて、違う人を好きになって―――それでも、あの笑顔が忘れられない。

 世界は変わるのだと知ってしまった。


 ―――オドノイドなんて、存在しなけりゃ良かったのに。


 「としくーん。おーい?」


 「いや起きてますからね」


 「うそだよ、絶対今幽体離脱してたよ」

 

 「むしろどんな状態だったのか気になるわ!」


 「こんな状態?」


 迅雷が、死んだ魚のような目をして自分の真似だと言い張る慈音にくすぐりでオシオキをしていると、真波が大袈裟に笑った。

 その後は仕事のこととか、いろいろ積もる話はたくさんあったので1時間はしゃべって、迅雷と慈音は学園を後にした。


 それから2人が電車に乗って向かったのは、未だに一央市最大級の座を守り続ける郊外のショッピングモールだった。あの日辿った道を慈音と一緒になぞるのは、もう毎年の恒例行事になっていた。さすがに海に行けるほど暇じゃあないし、歳も大人になったから、回るお店は違ってくるけれど。

 やがて日は暮れて、人々は家路に就き始める。毎日やってくる、切なく温かい時刻のワンシーン。迅雷たちもまた、モールの前の広い道を歩いて帰る。


 「・・・」


 「大丈夫、こわくないよ。しのは、どこにもいかないよ」

 

 何度も何度も横を気にする迅雷と繋いだ手を、慈音はそっと頼もしくしてくれる。

 

 「だからとしくんも、どこか行っちゃったりしないでね」


 「分かってる。大丈夫―――」


 互いに見つめ合っているこの時間だけが、不安を忘れさせてくれる。





          ●

          ●

          ●



 「うーんっ・・・」


 地球の潮風を感じて、皇国の王女アスモは気持ちよさそうに背伸びをした。駆け足で鉄の渚を走る主を、ルシフェル・ウェネジアは日傘を持って追いかける。けれど、解放感に中てられたアスモは背中の翼を広げて、空へと舞い上がってしまった。


 「人間界の海は悪くない。命の源という感じがする」


 「姫、はしたないです。スカートなのですから飛ぶのはおやめください」


 「やれやれ・・・」


 翼を閉じて、アスモは自由落下を開始する。ルシフェルはそれを受け止めざるをえないからだ。一瞬のお姫様だっこに満足したようで、アスモは本来の目的を達することにした。車を呼んで、海上学術研究都市『ノア』の摩天楼のジャングルへと迷い込む。

 それにしても、アスモは思うのだ。支部とは言うが、もうアスモたち異世界人からすればノア支部の方がロンドン本部よりずっと身近で馴染みがある。あるいは人間たちにとってもそうなのではなかろうか、と。ちょうど、アメリカで言うワシントンD.C.とニューヨークのように。

 閑話休題。アスモが今日人間界に来たのは、いつものお忍び旅行ではない。6年前から毎年行っているIAMO総長との直接会談と互いの世界の視察のためだ。どちらの世界で開催するかは毎年交代で、今年はたまたま人間界である。よくある、総理大臣や大統領がカメラの前で椅子を並べ、様々な事柄について近況報告しあい、夕方や夜のニュースではこんな雰囲気でお話をされていました、と紹介されるあの感じだと思ってもらえれば十分だ。


 ヒトに危害を加えようとするオドノイドは後を絶たず、そのため今でもオドノイドの脅威を排除するために世界中、ひいては異世界にまで捜索網は張り巡らされて駆除は続いている。

 だが、元を正せばオドノイドは人間だ。だから、少しでもヒトと共存する意志のあるオドノイドを、IAMOは積極的に受け入れて、関連機関で衣食住を確保し人間と同じように教育を施す体制を整えてきた。その宣言が出されたときには、『昨日の敵は今日の友』という美しい見出しが与えられたものだが―――それに乗じて今後は魔界にもオドノイド向けの教育機関を設立して積極的にオドノイドを受け入れていくという意向を表明する、というのが今日のメインとなる話題だ。

 

 ・・・こう言うと聞こえは良いが、実態はこうだ。


 要するに、優秀なオドノイドは保護して衣食住を確保してやって、その代わり同族狩りの魔法士として育成する。そして立派に仕立て上げられたオドノイドたちは死んでも困らない兵士としてオドノイド駆除作戦に駆り出される。そして、駆除作戦で新たに使えそうなオドノイドを見繕い、欠員を補充する。

 もちろん、彼らはただの対オドノイド専用兵器というわけでもない。特に”始まりのオドノイド”の活躍は目覚ましいものだ。直近ではその一人が率いる魔法士部隊がドラゴンの討伐にまで成功したという。彼女は通常の魔法士として見ても優秀だ。ひょっとしたら既にヒトの手に負えない怪物が誕生してしまった後なのではないかとさえ思えてくるほどに。


 ただ、それはまだまだ表向きの話。


 かくしてオドノイドの価値は示された。


 「進捗はいかがですか?」


 アスモが訪ねたのは、『ノア共立オドノイド研究所』だった。オドノイドの成長メカニズムや生態の研究を目的とする施設だ。そしてそこには、保育園のような施設が併設されている。外には遊具がたくさんある庭があって、建物の内は子供が喜びそうな明るく可愛らしい情緒に彩られている。

 アスモを見つけると、子供たちが歓声を上げて駆け寄ってくる。彼らは孤児だ。親を亡くしたり、捨てられたり、理由は様々だが、今は失った寄る辺をここに取り戻した子供たちである。アスモはそれを大きく腕を広げて迎え入れた。


 「よーしよし、おいで!」


 「見て、お姫様!あたしね、こんなことも出来るようになったの!!」

 「ぼくの方がすごいもん!」


 少女の額から黒い『角』が生え、少年の腕から得体の知れない長い『脚』が生え――――――。



 ここでは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が進められていた。



 より強力な兵士を、より多く、より効率的に。

 倫理など、好奇心と実益の前ではなんの意味も持たないという真実を、悪魔の姫はよく知っていた。


 「あれも憐れだな。積み上げてきたものを使われるだけ使われて自分だけがまた振り出しなんて」


 「お姫様、なぁに?」


 「いいや?なんにも。大丈夫、なにも気にしないで良い。妾はお前たちを愛してる―――例え世界が滅びようとも」

(2020/04/20 15:00投稿)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ