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A Cup of Coffee  作者: タイロン
4/9

Part3-2


 オドノイドたちの着の身着のままの欧州旅行は、大陸を東へ横断する形で決行された。

 その真意は定かではないにしろ、おでんの下した決断は功を奏していたと言える。むしろ、仲間を失った悲しみを乗り越えるというシークエンスを経て、おでんの求心力はより強まっていた。


 旅先の街では適当な仕事で金銭を稼ぎながら、気の赴くままに各国の名所を巡ったりもした。

 もっとも、中にはオドノイドがどうだの知ったことではないと人間同士でドンパチやっている地域もあったが、むしろそういった地域こそ彼女たちには美味しいイベントの宝庫だった。雇われ少年兵として自分たちを売り込んでやれば、金も武器も、そしてなにより新鮮な食料も手に入る。・・・千影は良い顔をしなかったが、食っていかねばならない仲間たちの事情を理解していたから、敢えてなにも言いはしなかった。

 

 そうして、彼らの旅は、未だ誰一人欠けることなく続いていた。船を下りてはや3ヶ月が経とうとしていた。ナナシを初めとした比較的年齢の高い仲間数人に自動車免許を持たせ、道中でキャンピングカー1台とセダン4台を買ったり盗んだりして足を確保した彼女たちは、早くもアジア旅行の中盤に差し掛かっていた。

 既に先進国を中心として多くの国と地域ではオドノイドの駆除作業が完了していた。千影やおでんにとっては縁の深い日本も例外ではなかった。原因としては、それらの国では高感度の魔力センサを街中の至る所に設置出来る環境が整っていた点が挙がる。特定の地域に留まって活動していてはいずれ必ず足が着く。千影はネビアの安否を気にしていたが、IAMOの元を離れた今の彼女たちの情報アクセス権限では討伐されたオドノイドたちのリストを確かめることは出来なかった。


 もはや、この一団はこの世に唯一残されたオドノイドたちのオアシスとなってしまったのかもしれない。

 その日の彼女らは、カザフスタン共和国の西側にある現中央アジア最大の湖、バルハシ湖の西部湖畔にある街、その名もバルハシに滞留していた。

 暖かい格好をしてホテルの窓から夜のバルハシ湖を眺めながら、千影は同室に泊まっているおでんに語りかけた。


 「未だにベッドで眠れるオドノイドなんてボクたちくらいだろうね」


 「さぁな」

 

 おでんは夜景に興味がないのか、ベッドに寝転がって天井を見つめていた。千影は窓を閉めて、その傍らに腰掛ける。


 「また考え事?」


 「またもクソもあるか。わちきはずっと考えてるのら」


 おでんは口をへの字にした。千影は苦笑してからお礼を言った。

 もう2ヶ月近くは争いと無縁の平和な生活を送っていた。時折、位相歪曲と出くわしてモンスター退治をするくらいだ。それだって、千影やおでんにとっては日常的に強大なモンスターを討伐する任務に駆り出されていたIAMO時代と比べればぬるすぎる作業だ。モンスターに襲われる人々を救った結果がついてくるので、悪いことばかりでもないが。

 おでんは、新調したスマホでネット検索を始めた。前まで使っていたスマホは、おでんだけでなく持っている者全員の分を破棄した。もちろん追跡を切るためである。登録情報も全て新規だ。それでも繋がりを追われる要素はないでもないが、こうして堂々とインターネットを利用出来る状況は作れていた。


 「千影、次はロシアに行こう」


 「ロシア?」


 「じきに冬になる。気候が厳しい場所の方が安心なのら。・・・まぁここも大陸性気候でフツーに厳しんらけど」


 「大陸性気候って?」


 千影の頭のてっぺんでアホ毛がハテナマークになる。するとおでんの耳跳ね髪がぴくんと揺れる。


 「夏はクソ暑くて冬はクソ寒いってコト。それとも千影には比熱の話をした方が分かりやすいかもな」


 「まぁいいよ後でググっとくから」


 ・・・堂々とネットが使えるようになったせいでおでんが知識自慢を出来るタイミングが減りつつあった。威厳ピーンチ!!

 というのは冗談だ。千影は単に話の腰を折らないようにしただけである。

 いや、でもあんなに元気そうだった耳跳ね髪を垂らしてションボリしているおでんを見ると冗談で済んだのは半分だけかもしれない。


 「とにかく、なのら。そろそろまた平和な生活とはおさらばしないといけない時期が来ると思う。見ろ千影、さっき出た速報なのら」


 「・・・なるほどね」


 おでんが見ていたのはIAMOのホームページだった。その一番上にはオドノイドの駆除計画に合わせて作られた特設ページの、最新の更新情報を表示するリンクがある。

 それによれば、計画の長期化に伴っていよいよ魔界が戦線に参入してくる可能性が示唆されていた。

 元々は魔界―――というより、魔界の2大国家である皇国・リリトゥバス王国との関係破綻を防ぐために、彼らの要求に従う形で決行されたのがこの計画だ。そこに魔界が援軍を出すというのは、痺れを切らしたからか、あるいは協力体制を構築する方針になったからか。詳しいところまではまだ分からないが、どちらにしても、遂にオドノイドを追い詰めるために切れるカードは全て切る姿勢が確定したのは間違いなかった。


 「これは予想してた?」


 「いいや。少し驚いてるところなのら」


 「ホントに驚いてんのかなぁ・・・」


 「やりようはある。それにこの状況、案外利用出来るかもしれないしな」


 ニヤリと笑って、おでんは荷物の中から手鏡を取り出した。タネも仕掛けもない、普通の鏡である。寝る前に身嗜みを整えるワケではない。ただ、ちょっとしたアイテムだ。

 おやすみの挨拶をして、おでんは鏡を覗き込んだっきり眠り込んでしまった。千影はおでんの手から鏡を取って、枕元に置いた。それから千影は自分のベッドに潜り込んで、明かりを消した。

 でも、千影は眠らない。眠るが、消防隊員のように仮眠するだけである。おでんが最も無防備になる夜の間だけは、千影は絶対に意識を手放すことをしなかった。船を下りて以来、ずっとそうしてきた。海上をたゆたっていたあの頃と違い、陸には敵が多い。もしも予期せぬ襲撃があっておでんがいなくなるようなことがあれば、千影たちは壊滅するだろう。それは混乱の中でまとめて虐殺されるか、そうでなくとも中心を失って散り散りになって野垂れ死ぬかという意味だ。だから、千影は必ず、夜の間ずっとおでんを守ってきた。もっとも、「予期しない襲撃」なんてものは今までひとつもなかったが。・・・いや、ひとつあった。夜中にボール遊びしていた若者たちが蹴ったボールが、宿の窓ガラスをぶち破ったときはビックリした。

 

 おでんは時折なにかにうなされるが、すぐに健やかな寝息に戻る。千影はその原因を知っているので、特に心配はしなかった。

 そう、千影は原因を知っている。ひょっとしたら、一緒に行動しているオドノイドの仲間たちの9割が未だにおでんの力の正体を知らないかもしれないが、千影は知っている。おでんがプロフィールはもちろん、何気ない会話でも作戦の説明の時でさえも自らの力に関する情報を徹底的に秘匿する中で、千影はかなりその事情について詳しい人間だ。だから心配はしない。

 

 「へくちっ」


 「・・・それよりおでんは服装が一番心配だよ・・・」


 可愛いくしゃみをするおでんに、千影は面倒臭そうに布団をかけ直してやった。

 拘りが強すぎるのもいかがなものか。湖畔のこの街では、既に外の気温が10度を切っている。それにも関わらずおでんは夏の頃と同じはだけた白いぶかぶかの着物を愛用している。本人は痩せ我慢しているが、さすがにこれ以上北上したらアウトだろう。ロシアに入る前に、無理にでも暖かいタイツとダウンジャケットを着させようと決意する千影なのだった。



          ●



 「それじゃあレッツゴー!」


 「なのらー!」


 翌朝、さっそく車に乗り込んだ千影とおでんは、後部座席から運転席まで身を乗り出して前方を指差した。テンションにつられたナナシが一気にアクセルを踏んで、2人は座席まで跳ね戻され、強打した後頭部を押さえている。安い車の座席は背もたれが硬いのだった。

 行き先は、とにかく北。ひとまずは首都アスタナ方面を目指す。大都市を利用するのはリスキーだが、冬に備えて早期に生活物資の補充をしておくことが狙いだ。そのため、出来るだけ「臭い」を消しておくために道中は車中で眠るようにする。ただし、街に着くまで車は止めない。早い方が良いからだ。運転手を交代させながらノンストップで移動し続ける。


          ○

 

 そうして走り続けて2日。なんとか無事に彼女たちはアスタナに到着した。首都級の大都市は久々で、ちっこい組は少しテンションが上がっている。

 

 「よーし、じゃあお前たち、行ってくるのら!くれぐれもわちきの指示には従えよー!」


 なんだか奔放だが、実はこれでいい。今までに立ち寄った街でも状況に合わせてこうしてきた。

 仲間たちのほとんどはまだ年端もいかない子供だ。20歳を超える者など両手で数えれば指が余る。引率者なしの数十人単位の子供軍団がまとまって街を闊歩した方が違和感を覚えられてしまうのだ。

 みんなを見送って、よしと息巻くおでんだったが、すぐに千影に腕を掴まれた。


 「おでん、ちょっとこっちに来て」


 「な、なんじゃいきなり。まずは生活道具を新調・・・」


 「まずは服!」


 「い、いやなのら~!この着物はわちきのアイデンティティなのであって寒いから脱いで良い物じゃないのら~!」


 「はいはい分かった分かった。ほんなら行きましょかー」


          ○


 30分後。


 「ぶふーっ!だ、誰www」


 毛糸の帽子ともふもふのマフラーとちょっと大きめのダウンジャケットと黒タイツと雪道用ブーツという完全防備で戻って来たおでんを見て、千影は思わず噴き出した。そうは言っても着ているもので言えば千影とほとんど同じなのだが、いかんせんギャップが酷い。


 「らから言っとったじゃろ!!ちきしょー・・・!」


 「で、でも似合ってる似合ってる、可愛いって大丈夫」


 「素材が良いから悪くなりようがないらけなのら」


 銀髪碧眼で色白で暖かい格好をしているという、漫画でありがちなロシア人美少女の要件を全て満たしたおでんは、満更でもない様子だ。もっとも、いくら持っている魔力が強いと体毛や虹彩の色にも影響が出ることがあると言っても、地毛が銀色の子供などアルビノでもない限りほぼ実在しないのだが。それでもおでんが銀髪なのはかなりの例外である。それこそ真っ当な人間の少女として生きていればモデルとしての道が確約される程度には。


 冬の装いに着替えたおでんは、しばらく唸って、薬局を探そうと言い出した。千影は察して、近辺の薬局を探した。

 そこでおでんが購入したのは薬ではなく、中二病のマストアイテム、眼帯だった。いつもは仮面で覆っていた右目を眼帯で封じて、おでんはやっと落ち着いたように額を拭った。久々に暖かい格好をしたら、かえってちょっぴり暑いらしい。


 金と銀の姉妹は、それからやっと最初に行こうとしていたホームセンターに向かった。いずれは猛吹雪の最中で野宿をする日が週単位で続く可能性もある。出来るだけ頑丈で高性能な道具が、それなりな数、必要だった。

 だが、レジに並んだ千影はおでんの持っているカゴの中身を見てギョッとした。その中には夥しい数のサバイバルナイフが放り込まれていた。千影はその中のひとつを手にとって確かめる。魔剣の技術を転用して作られた品のようで、硬いものでも魔力を通すことで通常のナイフよりも簡単に切れるのがウリらしい。


 「なにこれ戦争でもすんの?」


 「キャンプは戦争なのら」


 「またはぐらかす・・・」


 「(ここでそんな物騒な話が出来ると思うか?)」


 要するに物騒な用途で買うらしい。


 結局、買ったものはありったけのサバイバルナイフの他に組み立て式テント2個、発電機付き懐中電灯5個、ロープ10本、ワイヤー10本、ブランケット30枚、たくさんの保存食、浄水器3個、ホイッスル10個、大人数用の調理器具一式、雨具30着だ。着火道具やコンパスなど一般的なサバイバルグッズに含まれるものを買っていないが、魔法や技能で代用可能なものはケチっている。運べる荷物の量に限界があるからだ。

 買い物を終えて、千影とおでんは台車を借りて大量の荷物を店外に運び出した。それは端から見たらキャンプ道具その他諸々が自分で勝手に動いているように見えるほどだ。大体、こんな小さな女の子2人にこの仕事を任せてどっかに行くなんて、気が利かない男共だ。一番容積が大きいキャンピングカーを運転している仲間を電話で呼びつけ、10分後に駆け付けたそれに、ゴミ収集車もかくやといった勢いで大荷物を詰め込んだ。

 2人も車に乗り込んで、行って良しのサインで、再びキャンピングカーは街のどこかへと消えていく。

 おでんは助手席に座って、運転席のメーターを確認した。アスタナに到着した時点で補給したばかりなのでガソリンはほぼ満タン、時速は制限速度よりちょっぴり速め。少し考えて、おでんは納得したように頷いた。

 そろそろ他の連中も必要なものは買い揃えた頃だ。目的を達し次第すぐにアスタナを出る。最初からそういう話で決めていた。おでんは電話で他の車にも仲間たちを回収するよう指示を出した。

 都会が少し名残惜しくて車窓の外を眺めながら、千影はおでんに訊ねた。


 「ここを出たら次はどこに行く?」


 「このまま北上してペトロパブロフスクへ。そこで一旦車は捨てて鉄道に乗り換える。喜べ、かの有名なシベリア鉄道なのら。それで、そうさなぁ―――オムスク・・・いや、ノヴォシビルスクまで行こう」


 「そんで?」


 「そんで、飛行機でヤクーツクまでひとっ飛びするのら。世界で一番寒い街って言われてる場所らな。冬の間はそこを拠点にしよう。でも覚悟しとけよ、ヤクーツクに着いたらまた生活費を稼ぎ直さないといけないんらからな。そのための野宿グッズなのら」


 「あんなにあったお金がもうなくなっちゃうんだ・・・。じゃあまた一攫千金大作戦だね」


 「そーなるな」


 ガスステーションに向かう道すがら、淡々と今後の方針を語るおでんの言葉を、千影はワクワクしながら聞いていた。


 けれど、幼心に遙かを夢見た冒険譚にも終焉が近付いていた。

 彼女たちの新たなる旅路を阻むように、遂に異変は起きた。

 

 突如、西の方で轟音があった。地響きがキャンピングカーに乗る千影たちにまで伝わってきた。慌てて千影が外を見ると、煙が上がっていた。そう遠くない場所だ。


 「な、なに?モンスター・・・?」


 「馬鹿、あんな破壊を引き起こせるモンスターなんて高濃度魔力地帯じゃないとお目にかかれないのら」


 「じゃあ・・・!?」


 「ま、そろそろかとは思ってたさ。ひとつ助けにいってやろう」


 おでんは運転手を小突いて、車を爆心地に向かわせた。一瞬だけ渋滞したが、その後の道はまるで帰省ラッシュの上り側のようだった。わざわざ好んであんなおっかない所に近付くヤツなどそういない。ある程度接近したところで、おでんは車を止めて、Uターンさせた。車のナンバーと運転手の顔まで控えられてはさすがに今後の移動に差し障る。


 だが、軽い気持ちで打って出たのは失敗だった。

 走って現場に到着した彼女たちを待ち受けていたのは、道路のど真ん中で燃え盛る車と、そして、とある人間(怪物)だった。


 「やぁ、久し振り、とでも言っておこうか。オデン、チカゲ」


 「やれやれ、よりにもよって初手がお前か・・・これは骨が折れるな」


 おでんは、地獄のような背景に似合わぬ穏やかな笑顔を向けてくるその人間に苦しい笑顔を向けた。

 金髪碧眼のジェントルマンの名は、ギルバート・グリーン。IAMO実働部隊総司令官、すなわちこの世の全ての魔法士たちの頂点に立つ男だった。そして、その魔法士としての実力も現世界4位。3人のランク7に次ぐ、最も最強の座に近い男でもあった。


 「ところでオデン、なんだかいつもと様子が違うね。そっちの服装も良く似合っているよ」


 「今から殺すヤツの見た目を褒めるヤツがあるか。やっぱりクレイジーらぞ、お前―――!!」


 僅かな空気の流れの変化を読んで、おでんは千影の腕を掴み大きく跳んだ。

 どこから取り出したのか、おでんは先端に錨のついた鎖を投げて近くのビルの壁面に突き刺した。そのまま鎖は虚空の中へと巻き取られて、2人の体は一気に上昇する。その直後に、さっきまで彼女たちがいた空間が奇妙な爆発を起こした。ギルバートが風魔法を応用して作った「見えない空気の箱」が一気に縮小して内部の空間を圧縮したのだ。爆発は、ほぼ体積ゼロにまで圧縮された空気が高温になって発生したものだ。


 「千影、あれは駄目なのら!逃げるぞ!」


 「で、でも車の中に―――」


 「もう死んでる!分かれ!まともにやり合ったら次に死ぬのはわちきかお前なのら!!」


 「ッ!?」


 言われるまでもなかった。千影が甘えていただけだ。この頃まともな戦闘がなかったからショックで混乱していた。街の中に警報の不協和音が鳴り響く。この旅の始まった日と同じように、千影はおでんを抱えて漆黒の翼を広げた。


 「もうギルさんに見つかった以上出し惜しみはなしで良いよね!」


 「ああ、ぶっ飛ばせ!そのまま全員拾ってトンズラじゃ!!」


 空を突っ切る小さな有翼人種を見つけた人々は空を指差し叫ぶ。オドノイドか、と。

 

 だが、違った。

 左右で大きさの異なる翼を広げ、逃げる2人の前に立ちはだかったのは、漆黒の鎧に身を包む魔族の騎士だった。

 知る者は知っている。彼の名は、アルエル・メトゥ。魔界、リリトゥバス王国騎士団の、騎士団長その人だ。その戦闘力は、人間界の基準で言えばランク7の魔法士に匹敵、あるいは上回る可能性すらもある、怪物を超えた怪物。


 「逃がすと思うか?」


 「邪魔!!」


 もはや敵の正体を確かめることもなく千影は斬りかかった。

 でも、世界最硬の金属『オリハルコン』を鍛えて作られた彼女の小刀『牛鬼角(アボウラセツ)』は、ただの生身の掌に受け止められた。

 呆気にとられる間もなかった。ゾッと、歪な刀身を持つ剣が、千影の頭に影を落としていた。

 次の瞬間、千影は全てを察して、おでんを掴む手を放した。


 「おい待っ、ちかっ」


 「ごめん、おでん。みんなのこと、最後まで―――」


 「千影ッ!!」


 地表へと吸い込まれていくおでんの視界に、大輪の赤い花が咲いて、散った。


 




          ●

 





 ナナシは全速力で車を走らせていた。

 おでんには敵に車のナンバープレートを見られてはいけないと言われていたが、それに背いた。

 轟音を聞いたときから嫌な予感がしていた。

 

 そして、現場に駆け付けたナナシが見つけたのは、上空から落下してくる少女の姿だった。服装だけでは誰だか分からなかっただろう。だが、その少女から生えている”それ”を見て、すぐにそれがおでんだと理解した。そして、彼女がその姿を晒さなくてはならないほどの窮地であることも。

 だが、様子がおかしい。上のことばかり気にして、まるで着地のことを考えていないかのようだった。あの高さから地面に打ち付けられれば、死なずともしばらくは行動不能なダメージを受けかねない。聡明な彼女の取る行動とは思えなかった。


 「まともじゃなさそうだな―――!!」


 急停車して、ナナシはドアを蹴り開け飛び出した。

 空に向けて吼えるおでんの真下まで駆け込み、地面に激突する寸前でスライディングキャッチ。


 「おでん!なにがあった!」


 「うるさい!!放せ!!」


 「オイ、おかしいぞお前!落ち着け!どうしたんだよ!」


 「あいつら、千影をやりやがった!!」


 「は?・・・はぁ!?」


 ナナシは上空を見上げた。

 炎のような髪。漆黒の鎧。

 その男の腕には、血液を滝のように垂れ流してぐったりする千影が掴まれていた。冗談でもなんでもなく、生きているのか死んでいるのか分からない状態だ。

 青い眼光が自分の瞳孔の中に流れ込んできた瞬間、ナナシは未だかつて感じたことがないほどの恐怖を受けた。


 「逃げよう・・・おでん。バカでも分かる、アレはダメなやつだ・・・」


 「ふざけるな!!あいつを見殺しになんて出来るか!!」


 「ふざけてねぇ!!俺だって千影のことは助けたい!!でもあれはもう無理だ!!いつもみたく冷静になって考えてくれよ!!」


 「わちきは―――ッ!!」

 

 聞き分けのないおでんの顔を、ナナシは殴り飛ばした。奥歯が数本折れるほどの力で殴った。そして掴んで引きずって、車の中に押し込んだ。壊れるくらい強くアクセルを踏み込んで、タイヤから煙を出しながら発進した。

 あの悪魔は車を追ってこない。さすがに車のスピードには追いつけないか、あるいは泳がされているだけなのか。―――千影を捕まえてぶった斬ったくらいだ。たかだか時速100キロ程度で逃げる大きな鉄の塊に遅れを取るとは思えない。だから、泳がされているのだ、恐らく。

 死にたくない。生き残りたい。でも、どうしたら良いのか分からない。ナナシの空っぽの脳味噌では真っ直ぐ逃げるくらいしか思いつかない。おでんの知恵が必要だった。

 ナナシは助手席に頭から突っ込んだおでんのケツを叩いた。


 「どうだおでん、落ち着いたか?」


 「・・・・・・そうらな」

 

 「じゃあ頼むぜ、俺はどうしたらいい」


 「まず死ねセクハラ野郎」


 おでんはナナシの顎を踵で蹴り上げた。車の運転がブレたが、おでんはガバッと跳ね起きてハンドルを掴んだ。そのまま、一気にUターンをかける。窓を開けて、おでんは口の中に溜まった血を、折れた奥歯と一緒に道路に吐き捨てる。

 ナナシはハンドルを奪い返そうとしたが、腕をナイフで刺されて思わず引っ込めた。


 「おいテメェまだ―――」


 「千影は必ず生きている。信じろ」


 「ッ・・・!」


 「千影は助ける。あいつがいないとわちきのプランが瓦解する。らから、絶対に助け出す」

 

 おでんの目は既に生き返っていた。その目には憎悪とも言うべき暗い光が宿っていたが、少なくとも彼女がもう通常通りの思考能力を取り戻しているのがナナシには分かった。それが分かれば、例えナナシが不可能で無茶だと思う行動でも、十分に信じて従える。


 「そうでなきゃな。その目のお前は信じられる。いいぜ・・・助けに行こう、俺たちの大事な仲間を!」


 牙を見せて強気に笑い、ナナシはハンドルを取り戻した。

 彼だって千影が大事だ。助けたい。

 今度の時速100キロは勝利への全速力だ。


 「でもさっきの悪魔はどうするんだ?」


 「殺す」


 「出来るのか?千影があんなボロ雑巾にされたんだぜ?俺たちだけでどうやって倒すんだ?」


 「出来る。あと訂正な。ヤツは()()()()()()()()。お前は黙って千影を回収しろ」


 アルエル・メトゥは、律儀にそこで待っていた。

 おでんは車を飛び降りる。降り立った彼女の背に広がる柔らかい銀色の輝きは、7本の狐の『尾』だ。これが彼女の真の姿だった。


          ○

 

 「やはり戻って来たか」


 「こう見えても戦士なもんでな。友の仇には相応の返礼をしないと気が済まないのさ」


 アルエルは、意思疎通魔法を使っていないにも関わらず自分の言葉を理解して、あまつさえ自分たちの言語で言葉を返されたことに驚いた。さっきの狂乱ぶりからは想像もつかないほど、おでんの精神は静まりかえっていた。

 

 「ちなみに、もう勝負は着いてる」


 「―――ッ!?」


 アルエルは、声を聞いて振り返る。瞬きもしていなかったはずなのに、おでんは既に背後にいた。


 しかも、その手に千影を抱えて。

 

 「なにをした・・・?」


 「お前にらけは言われたくないな。ナナシ!!受け取れ!!」


 通り過ぎる車に、おでんは窓からズタボロの千影を放り込んだ。

 その一瞬、彼女と視線が交錯する。千影は「なんで来たの」と言いたげな表情だったが、それこそ「なんで」だ。おでんはニヤリと笑ってみせた。


 直後、棒立ちの状態だったアルエルが突如時速100キロを超える自動車を追い越すほどのスピードで動いた。

 だが、もはや読めていた挙動だ。おでんもまた、風に乗って彼の前に立ち塞がる。

 虚空から取り出したサバイバルナイフに魔力を通して強化し、斬りかかるが、アルエルはそれをまたしても生身で受け止めた。どんなに鍛えた肉体でも、刃物を受けて火花を散らしながら弾き返すなどということがあるだろうか。

 バランスを崩したおでんに、アルエルは千影の血がついた、歪な刀身の騎士剣を振りかざす。

 しかし、この程度の応酬はまだ序の口。緑色魔力と黒色魔力を具合良く練り混ぜて、自分を包み込む大気に命令を下す。


 「闇遁天術、万華鏡」


 真っ黒に染まった空気がリングをなし、まるで何本ものフラフープを回すように、おでんの体を軸にして回転する風の刃を成す。それはアルエルの剣を弾き返し、おでんに再び反撃の隙を与える。

 風の圏内から逃れようとするアルエルに、おでんは大量のサバイバルナイフを投擲する。そのナイフは、互いに衝突し、軌道を変えながら、不可解なほど正確にアルエルの移動先に雪崩れ込んだ。

 だが今度はアルエルが不可解な現象を引き起こす。彼が突如分身したのだ。片方はナイフの雨を全身に浴びて絶叫しながら倒れたが、もう片方が平然と次の攻撃を仕掛けてくる。倒したアルエルは既に黒い粒子となって消滅した。

 再び『万華鏡』で剣を受け止めようとしたおでんは、しかし直後に風の刃ごと叩き斬られることとなる。こめかみに鋒がめり込み、血が噴き出す。咄嗟におでんは身を翻して横に転がった。こめかみから鼻まで、頬骨が見えそうなほど深々と顔の左側を裂かれたが、あと一瞬反応が遅れれば輪切りになった脳味噌を晒すところだったと思えばかなりマシだったことが分かるだろう。回避の際にゴムが切断された右目の眼帯がはらりと地面に落ち、追撃で踏み込んできたアルエルの足に潰された。

 転がりながら、アルエルの顎を狙って蹴りを放つ。しかし、まるで虫を手で払いのけるような仕草で、アルエルはおでんの蹴りを打ち払い、バランスを崩した彼女の下腹部に膝を入れた。

 呻き声を上げて吹っ飛びつつも、おでんは爪で地面を捉えて体勢を立て直す。

 アルエルが指を差してきて、おでんは気付き、7本の尾で全身を包んだ。直後、『黒閃』―――魔族のアルエルは『テネブラエ・ルーメン』と呼ぶ黒色魔力の奔流がおでんを襲った。

 一方、おでんがそうしてアルエルを釘付けにする間に、ナナシの運転する車は千影を乗せて点になるまで走り去っていた。

 黒色魔力で構築された尾で『黒閃』を凌いだおでんは、ゆっくりと立ち上がって口の周りに付着した血液を拭う。大口を叩いても、正面からやり合えばこんなものだ。大体、ランク7に匹敵する強さの敵と一対一でまとも渡り合えるなら、こんな逃亡劇を演じなくとも追手の全てを殺害して堂々とIAMOを屈服させている。

 

 「女子の腹を思い切り蹴るなんてエグいな・・・」


 「どうせ元々子を生めない体なんだろう、オドノイドというのは。それにしても、まだ分からないな。お前がさっき、私からあの金髪のオドノイドを奪い返したときになにをしたのか」


 「不思議か?まぁ不思議じゃろーな。”そういう能力”さ。―――ああ、ちなみにわちきはもうお前の”特異魔術(インジェナム)”の仕組みを知ってるぞ」


 「・・・なに?」


 おでんは不敵に、あるいは、おでんの能力の正体を暴けずにいるアルエルを愚弄するかのように、いやらしい笑みを浮かべた。


 (―――ハッタリだ)


 アルエルはすぐにそう思った。彼は自分の”特異魔術(インジェナム)”―――すなわち魔族がひとりひとり、それぞれに固有の特殊な能力―――に名前を付けていない。つまり、誰にもその能力を教えるつもりがない。おでんと同じ、情報アドバンテージの思想だ。そして事実として、今までアルエルと相対してきた全ての敵対者は、ただ一人の例外もなく彼がなにをしているのか全く理解出来ないまま、一方的に屠られてきた。

 それが、このたった十数秒のやり取りで、言葉も刃も圧倒的に不足しているこの時点で暴かれるようなことなど天地がひっくり返ってもあり得ない。


 「ハッタリら、と考えてるな?試してみるか?」


 「いや、良い。これ以上狐とじゃれ合っているわけにはいかんからな」


 「結構」


 アルエルの頭上に、黒い円環が浮かび上がった。それだけではない。彼の異名にもなった左右非対称の翼がより非対称性を増した。

 容姿の変容だけではない。彼の魔力もまた、瞬間的かつ爆発的に増加し、変質していく。


 「『レメゲ」


 「想遁禁術、奈落より来る畏友の慫慂―――」


 けれど、おでんの謳うような呪詛を聞いた瞬間に、アルエルは突如膝から崩れ落ちた。


 「・・・な・・・にが・・・?」


 「実はな、戻って来たとき冷静に見えたかもしれんが、あれでもわちき、結構ムカついてたのら。らからな、どうしてもお前を暴力で殺してやりたくてわざわざ相手してやってたのらけど―――でも、わちきが最初に言った言葉を覚えてるか?本来なら最初のおしゃべりの時点でお前はわちきに負けていた」


 「貴・・・さ・・・・・・」


 意識が遠退く。ただそれは、懐かしく、心地よい微睡みのようでもあって―――。

 眠る子供をあやすように、おでんはアルエルの耳元で優しく秘密を囁いた。彼は悔しそうに口元を緩め、目を閉じた。

 

 そしてもう、()()()()()()()()()()()()()()()


 「安らかに眠れよ、王国騎士団長。お前がマトモなヤツで良かった」


 生き物は、異世界で死ねば体内の魔力が霧散して故郷へと還る。それはどれほど屈強な戦士でも同じ。黒い粒子と化して消滅するアルエルを見送って、おでんは少し名残惜しそうに弔いの言葉を贈った。

 本当のところを言うと、おでんはもう少しアルエルとおしゃべりがしたかった。

 なぜって?決まっている。


 彼の”特異魔術(インジェナム)”の仕組みを知っているという言葉がハッタリじゃないことを証明して、彼の焦り、困惑し、悔しがる顔を見たかったからだ。


 肉体の硬化、高速移動、異常に増大する破壊力、分身・・・アルエルがおでんの目の前で披露した数々の、まるで法則性の見出せない現象だ。だが、なんでもありに思える正体不明の能力というのは、得てして圧倒的に汎用性の高いひとつの能力の応用に過ぎない。例えば、「対象が有する力を自分に上乗せする」とか。―――まぁ、もう過ぎたことだ。二度とこんな珍しい能力の持ち主と相見えることもないだろう。

 

 「さて・・・あとの問題はギルバート・グリーンか」


 さも容易く勝利したように見えるが、さっきおでんが使った術は隠し球中の隠し球だった。日にそう何度も使えるようなものではない。軽い頭痛に苛まれながら、おでんは今も千影を乗せて逃げ続けているであろうナナシに電話を掛けた。


 『も、もしもしおでん!?無事なのか!?』


 「当たり前なのら。それよりお前は無事か?ギルバートに追いかけられたりしなかったか?」


 『したよ!!絶対死んだと思った!!』


 「じゃあなんで生きてるのら・・・」


 『酷い!?いや、本当にもうダメだと思ったんだよ。思ったんだけどよ、そしたら――――――』 


          ●


 「―――bollocks」


 瓦礫のベッドで目を覚ましたギルバートは、仕方なしにそう吐き捨てた。




          ●


 

 

 「――――――う、ん―――」


 温かくて、柔らかいものに包まれていた。

 ほんの直前まで自分が立っているのは夢の中だと分かっていたように、今度は緩慢にしか体が動かないことで、これが現実だということを理解した。

 そっと髪を撫でられる感触を得て、千影はうっすらと目を開いた。


 「なんじゃ、もう起きるのか」


 「・・・おでん」


 体を起こそうとして、千影は激痛を思い出して元の姿勢に戻った。さっきまでの柔らかい感触に体を受け止められる。それはおでんの膝枕だった。千影はせっかくなので、もっと上の柔らかい太腿に頭を移動してむふふと笑う。


 「これは・・・百合だねー・・・」


 「元気なのは分かったがもうちょっとこのまま休んでおけ。まら傷が完全には塞がっていないのら」


 「車の中、すごい血の臭い。なんとかしないとね」

 

 「もう良いさ。そろそろこの車ともお別れなのら」


 「あぁ・・・そっか」


 千影が窓の外を見ると、夕陽が沈もうとしていた。千影が時刻を訊ねると、おでんはそれが千影の感覚よりも24時間後の夕陽であることを説明してくれた。

 彼女たちはアスタナを出てからひとときも休まず北上を続けていた。もうじき、ペトロパブロフスクに到着するだろう。まだ油断は出来ないが、ここまででギルバートが追ってくる様子はなかった。

 だが、30人いた仲間たちは、街を脱出した時にはもう、半分にまで減っていた。おでんは仲間たちの話から、おでんと千影が出くわしたのはギルバートだったが、あの時既にアスタナ市内には彼が率いてきた魔法士たちと、そしてアルエル・メトゥが率いる王国騎士団の精鋭たちが待ち構えていたことを知った。

 おでんに現状を知らされた千影は、酷く悲しそうな顔をした。当たり前だ。昨日まで4ヶ月の間、毎日顔を合わせ、苦楽を共にしてきた仲間たちを一度にたくさん喪ったのだ。


 「責めろよ。もっとわちきを責めれば良い」


 「そんな顔してる君をボクが責められるわけないじゃん」


 「・・・甘いんらよ、千影。お前は気に入ってるヤツに対して甘すぎる。そういうのは優しさとは違うのら」


 千影がこれほどの深手を負ったのは、全部おでんの責任だった。彼女は多くのことを知り、秘匿し、操作し、状況を作り上げてきた。だが、アルエル・メトゥに関してだけは完全に無知だった。だから失敗した。責め立てて、なにを考えているのか問い質される方が気が楽だった。ある意味、四面楚歌の旅が始まってから今日までおでんが人間らしい良心を忘れずにいられるのは、千影の甘さによって定期的に胸に痛みを感じているからかもしれない。


 「ところでおでん、結局、どうやってギルさんから逃げ切ったの?」


 「あ、そういえばまだ挨拶させてなかったな。おいナナシ、ちょっと車線変更」


 「へい」


 慣れた調子で安全確認して、ナナシは隣の車線に入り込んだ。それから少し減速して、さっきまで後ろを走っていた仲間たちの車の横に並んだ。

 おでんは、千影の体を労るように抱き起こして、車の窓を開けた。すると、隣の車の助手席に乗っていた青年が千影に気付いた。彼もまた窓を開けて手を振ってくる。


 「よう千影、おはよーさん」


 「あ、おはよう紺・・・・・・紺!?なになんでどういうこと!?」


 その青年は、紺色の髪で、常に顔面に糸目と薄ら笑いを貼り付けている、自称千影のお兄ちゃんだった。


          ○


 それから2時間後、彼女たちはペトロパブル駅に到着した。現在では本線から外されているが、歴史で見れば開業当初から存在する、れっきとしたシベリア鉄道の駅である。

 駅に向かう前に、町の店で合流出来なかった仲間たちがアスタナで集めていたものを集め直していたため少しだけ時間がかかってしまったが、なんとか電車が来る前に間に合った。

 これまでの旅を支えてくれた盗難車と安い中古車たちにはたくさんの感謝をして、お別れをした。最後に洗車くらいしてあげたかったが、仕方がない。おでんの勧めで、思い出としてナンバープレートだけ剥がして、荷物の中に加えた。もっとも、そう勧めたおでん自身は、車から自分たちが追跡されるまでの時間を稼ぐことしか考えていなかったが・・・こういうことは言わぬが花である。


 千影は、もう傷などなかったかのように軽やかな足取りで、駅のホームを踏んだ。踊るように一回転して、その景色を一望したのだが。


 「お~、これがシベリア鉄道かぁ・・・・・・うーん」


 「千影?」


 「・・・いや、思えばボク別に鉄オタじゃないから見てもあんま感動しないなーって」


 「乗れば少しは気分も上がるさ」


 大陸性気候は、気温の日較差も大きい。夜の底冷えで鼻の先を真っ赤にしたおでんはマフラーに顔の半分を埋めながらそう言った。吐く息はもう白い。仲間たちも、それぞれで身を寄せ合うようにして新天地へ連れて行ってくれる鉄の箱の到着を待っていた。

 

 「そうだ、ブランケット買ってたよね」


 千影は、荷物からブランケットを取り出して仲間たちに配り、自分はおでんとくっついて1枚のブランケットにくるまった。待合のベンチに座って空を眺めていた千影は、いち早くそれに気付いて静かに呟いた。


 「あ、雪」


 「―――『あ、雪』じゃねぇよ」


 ・・・が、さすがにもう我慢の限界の紺が口の端をひくつかせた。


 「お前ら俺のことなんだと思ってんの?誰がテメーらのピンチに颯爽と駆け付けてギルバートのやつ撃退してやったと思ってんの?俺だよ俺、命の恩人だぞ。感謝こそすれこんなただの荷物持ち扱いしやがって・・・」


 「とか言いながら割と率先して荷物持ってくれてるじゃん。ほら、おでん。こういう男の人がやっぱステキだよねー♡」


 「ねー♡」


 「よーし覚えてろ電車に乗ったときがお前らの旅の終わりだからな」

 

 紺は一緒にぶりっ子しているガキ共に拳骨を食らわせてやりたかったが、今は組み立て式テントの箱2つと大量の備蓄食を抱えていて両手が完全に塞がっていた。その隣で同じく山のような荷物を抱えさせられている男連中(ナナシは性別不明だが)はみんな遠い目をしている。紺は今日初めて合流したから知らないのだろうが、もはやこんなのは今に始まったことではないのである。



 それからしばらくして電車はやってきた。

 降り始めた雪は、やがてその勢いを増していく。純白の闇の中を進む列車の中で、彼女たちはしばしの眠りにつく。


          ●


 凍てつく大地を東西に貫く鉄道の旅は、意外にも船旅の頃を思い出すほど快適だった。

 ギルバートたちの攻撃は前情報がほとんど存在しない奇襲であり、それ故に作戦の成否どころかフランスのル・アーブルで沈没した輸送船のオドノイドたちに生存者がいるという情報すらもが公には浸透していなかった。だから、爆心地のアスタナの人々はともかくとしても、そこから距離のある地域の人間たちはニュースで派手に煙が上がる市街地の映像を見せられても実感が追いついていなかった。

 しかも、列車は4人個室のため、仮に同じ列車にオドノイドへの危機感を抱いている人間がいても接触する時間は食事の時間程度と限りなく少なく済む。一度乗ってしまえば、降りるまで大きな荷物を訝しまれる事態を避けられる点でも好都合だった。


 その移動の最中に千影は、なぜ紺が自分たちに合流することになったのかの経緯を―――岩破の死や、『荘楽組』がIAMOに吸収されたこと、そしてIAMOの内部にいたおかげで千影たちの情報を掴み、IAMOを裏切って奇襲を妨害しに来たということを知った。

 自分が知らないうちに、また親しい人を亡くしていたことを聞かされた千影のショックは大きかった。けれど、『荘楽組』がIAMOにに吸収されたことと、千影たちの情報を掴むこととは、本来の時系列と順序が逆であることを教えられても俯き続けるわけにはいかなかった。岩破の遺志を継ぎつつも研を新たなリーダーとして生まれ変わった『荘楽組』は、千影が生きていることを信じて、助け出すために打てる手を全て打ってこんなところにまで追いかけてきてくれたのだから。


 まぁ、だからといって、荷物持ちの任から解放してやるようなことはないのだが。


 心の底から面倒臭そうな顔をする紺にありったけの荷物を押し付けて、千影たちは当初の予定通り、ノヴォシビルスクで列車を降りた。

 降り続いた雪は街を白く彩っている。久々の雪に小さな足跡をたくさん残しながら、千影はノヴォシビルスクでこれなら、これから飛ぼうとしているヤクーツクなんてどんなものだろうかと想像を膨らませた。・・・が、もはや街全体が雪に埋もれて大きな山になっているんじゃないだろうかという謎の発想に至って顔色を青くした。そんな場所で野宿しながら日銭稼ぎだなんて冗談じゃない。

 千影がそんなことばかり心配していると、おでんにストレートに馬鹿と言われるのであった。そりゃ当たり前だ。そんなことになる場所に人が住んでいるわけがない。


 次の目的地は郊外にあるトルマチョーヴォ空港だ。空港へはバスで向かうことになる。バスに乗る際はさすがに隠しきれなくなった大荷物が目を集めたが、そもそもが空港に向かおうとする大所帯だ。おでんが動画配信の企画で使うキャンプ道具だと適当なことをぬかすと、割とアッサリご理解頂けた。都会の人間でも、ロシア人というのは大らかな性格なのだろうか。

 

 バスに揺られながら、ナナシはスマホをいじっていた。千影がそれを気にして画面を覗き込もうとすると、ナナシは気を利かせて自分から見せてきた。


 「天気予報とフライト情報を見てたんだよ。明日以降また天気が荒れるみたいだからさ」


 「・・・、・・・!?ナナシが賢くなってる・・・!?」


 「ふっふっふ。伊達に4ヶ月もおでんと一緒に行動してねぇのさ」


 千影はアホ担当だと思っていたナナシの成長に愕然とし、そしてなんか劣等感というか敗北感というか、耐え難い屈辱で打ち震えた。だが、わなわなする千影を押し退けて、おでんもナナシのスマホに注目した。


 「ふむ、まぁわちきが確認したときと変更はなさそうらな」


 「なんだよわざわざそんなこと言って。負け惜しみか?」


 「そういうことはわちきに勝ってから言えよ」


 「てかおでん、今更だけどお金大丈夫なのか?飛行機のチケット代ってこんなに高いんだな。今まではチケットなんて組織の方で勝手に用意されてたから知らなかった」

 

 「大丈夫なのら。あれでも最初からちゃんと計算して金は残してあったし・・・追加の財布も合流したしな」


 そう言って、おでんはナナシの隣に座っている紺を見た。なにか視線を感じた紺が振り返ると、おでんはニッコリと笑った。


 「・・・それ俺?」


 「お兄ちゃん、お小遣いちょーらいっ、なのらぁ♡」


 直後、紺がいきり立って拳骨を振りかぶると、おでんは「きゃーん」と気持ち悪い悲鳴を上げて頭を抱えた。それがさらに癇に障ったのか、紺の拳からバチバチと電気が漏れ出してさぁ大変。バスの中で暴れられては敵わないので、2人の間に挟まれたナナシはケンカの仲裁を強いられるのであった。

 ただ、航空券を買った時点でピッタリ逃亡資金が尽きるという計算を説明したら、紺は渋々財布の中身をいくらか貸してくれた。業界の人間からはただの狂った人殺しみたいに扱われている紺だが、根は案外マッチ売りの少女に手を差し伸べてやれるヤツなのかもしれない。もっとも、彼の人格が歪んでいる点は誰にも否定出来ないので、どちらかといえばマッチ売りの少女を強引に誘拐して、暖かい部屋に放り込んだらまだお湯も注いでいないカップ麺を投げ渡すようなヤツというのが妥当かもしれないが。

 

          ○


 賑やかなバスの旅は1時間ほど続き、彼らが空港に到着したのはおおよそお昼時だった。なぜか仲良くなった他の乗客たちとは、手を振ってお別れをする。

 今までにも様々な都市は巡ってきたが、ここまでの旅では一度も飛行機を使っていない。だから、『ノア』に居た頃もずっと研究施設周辺だけが活動範囲だったほとんどの仲間たちは空港を見慣れておらず、だだっ広い大地にいきなり建っている横にも縦にも大きなガラス張りの建物を見るなり、しきりに感心していた。

 だが、外で突っ立っていたって飛行機には乗れないので、みんなでさっそく航空券を買いに行こう・・・としたのだが、おでんは券売機を無視して1人でさっさとカウンターに並んでしまった。


 「お、おいチケット買うならこっちじゃないのか・・・?」


 「お前まさかわちきが航空券を当日に買うとでも思ってたのか?」


 「えっ」


 数分後、全員分の航空券を持って戻って来たおでんは、ナナシの鼻先に指を突き付けた。ニタァと笑って、彼女はバスでも言った言葉を繰り返す。


 「そういうことはわちきに勝ってから言えよ?」


 「ぐっ、ぬぬぬぬ・・・」


 おでんは、ナナシより先にフライト情報を調べていたのはもちろんだが、実は鉄道に乗る前から航空券は全員分を押さえていた。そうでないと、運が悪ければ全員が同じ便に乗れない可能性もあったのだから、当然と言えば当然である。大体、予約しておいた方が安く済むし。

 まぁ、おでんとしてはクレジット支払いでもっとスマートに予約を済ませておきたかったのだが、オドノイドの全処分が決まったあの日からオドノイドには人権なんてものはないので、当然今まで使っていた銀行口座も全部差し押さえられてしまっている。おかげで、大量の現金をカウンターに放り投げたときはさしもの無表情な受付さんにもギョッとされたものだ。

 全員に航空券が行き渡ったのを確かめて、おでんは説明を始めた。チケットに書いてあるのはロシア語と英語のみなので、分からない仲間たちのためだ。


 「わちきたちが乗るのはS7の深夜の便なのら。荷物の検査もあるから22時くらいには待合室に入ろう。・・・そう、まら結構時間はあるのら。あんまりソワソワしているとかえって怪しまれるから自由にしてもらって構わんが、時間があるということは逆に言えば敵にとっても追いつきやすくなるということなのら。くれぐれも警戒は怠るなよ」


 千影もナナシも、他のみんなも、おでんの言葉を深く受け止めてしかと頷いた。平均年齢の低さに見合わぬほど統率の取れている集団行動に、紺が口笛を吹く。・・・が、ヘラヘラする紺にも、千影が従うように釘を刺すのだった。


 その後、彼女たちは窓から滑走路の見える、空港内のカフェに来ていた。

 ナナシがみんなの席を回って注文をまとめてくれている。


 「わちきはコーヒー。もちろんブラックな。それと・・・あ、このワッフル美味そう、これもな!」


 「千影はどうする?おでんと一緒か?」


 「ううん。・・・ボクはミルクでいいや。おでんもナナシもよくあんな苦いの飲めるね~。それとホットケーキ!」


 「うっす了解。んじゃコーヒーにミルクにオレンジジュースにあとワッフルホットケーキサンドイッチパスタ―――」


 「なぁお前らそれ俺の金なんだからな?泣きながら食えよ?」


 千影は春頃に背伸びをしてコーヒーを飲んでみたことがあったのだが、あんな飲み物はもう懲り懲りだった。そして紺はもうこんな遠慮のない連中にお金を貸すのは懲り懲りだった。


 空飛ぶ乗り物自体にもまだ実感が薄い仲間たちは、甲高い轟音と共に次から次へといずこかへと飛び立っていく銀翼を指差して驚きと感動で目を輝かせている。まだ幼い連中は、おでんのところにやって来て、その袖を引いた。


 「ねぇおでん、あれどうやって飛んでるんだろう!?」


 「それはな―――」


 言いかけて、おでんは正面でホットケーキを食べる手を止めた千影と目が合った。察したおでんは小さく笑う。


 「まぁたまには千影にも聞いてやれよ。きっといろいろ教えてくれるのら」


 「えー、千影にわかんの?」


 「分かるさ。こいつ、こう見えて物理学には強いんらぞ。なぁ千影」


 「お、おでんがボクに出番を譲る・・・だと・・・!?もしやニセモノ!?」


 「イヤならわちきが説明しちゃうぞ」


 千影は慌てて幼い連中相手にも分かるように噛み砕いて揚力の話をし始めた。千影も幼いと言えば幼いが、育った環境にはいつもインテリジェンスな連中がいた。昔から好奇心の強かった千影は、暇があればそんな彼らから多くの話を聞き、学んできた。特に今の揚力のような流体力学に関する知識は、彼女が得意とする超高速戦闘の中で起こる特殊な現象を彼女自身が理解して、体を制御するのに一役買っていると言ったら納得してもらえるだろうか。


 ロシアの昼は、今まで旅してきたどこよりも短い。おやつの時間にはもう、かすかに空が黄みがかっていた。微笑ましく飛行機ではしゃいでいた子供らも、今は疲れてしまったのか静かだ。

 少し落ち着いたところで、おでんは手を叩いて仲間たちの注目を集めた。ここが、オドノイドたちの旅のひとつの節目になる。まるで季節のように静と動を交互に繰り返す、終わりなき旅の節目だ。


 「今夜、ここから無事に飛び立ったとき、わちきたちはまたしばしの平穏を取り戻す」


 空を背に、おでんは言葉を紡ぐ。


 「あの日、わちきたちは存在そのものを否定された。あの日、帰る場所も海に沈められた。多くの仲間たちを殺された。―――それでも、わちきたちは今日まで生き残ってきた。お前たちのおかげなのら。わちき一人じゃここまで来られなかったと思う」


 「急になんだよ、らしくない」


 「かもな。でも、ずっと思ってたことなのら。ナナシ、お前にもな。らから言わせてくれよ。・・・みんな、ここまでわちきのことを信じてついてきてくれてありがとう。本当に感謝してる。そして、これからもよろしく頼む。みんなで老いて朽ちるその日まで、果てしなく生き続けよう。わちきたちには必ず、存在する意味がある」


 おでんの言葉に対して、改めて覚悟を決める者などいなかった。みんな、とっくの昔に彼女に自分の未来を預けていた。ただ生きるだけで意味がある。そう信じて。



 そして、運命の夜は来る。







          ●







 ある者は嫌いな戦友を偲び、身嗜みを整える。


 「仇くらいは討ってみせるさ。仕事のついでに、ね」


          ○


 ある者は眼下に従えた騎士たちを鼓舞する。


 「これから始めるのは全ての民が恐怖を忘れ平和に酔いしれる喜劇の序章だ!だが残念なことにその幕は鉄より固く城壁より厚いときた!故にそれを切って落とせる者はこの世においてお前たちしかいない!よって魔姫の名の下に命ずる!!醜くのさばり続けるドブネズミどもに思い知らせよ!!ヤツらに生きる意味などないということを、徹底的にだ!!征け!!今宵の戦は血塗られた聖戦である!!」


          ○


 ある者は夜の帳を服の形に仕立て直したコートを羽織り、”最高傑作”の名を与えられた剣を帯びる。


 「―――行こう」







          ●






 「――――――始まった」



 21時、トルマチョーヴォ空港は完全に封鎖された。

 理由は明白。極秘裏に追跡が続いていたル・アーブルの生き残りを掃討するためであった。

 警報が鳴り響き、迅速な避難誘導が為され、施設内の移動制限が設けられる。オドノイドだけでなく、民間人までもがなんの前触れもなく、空港に閉じ込められた。隣で怯える人間すらもが、あるいはオドノイドかもしれない―――なにひとつ信用の出来ない地獄が生まれていた。

 そして、その地獄を生み出してでも使命を果たさんとする者の鬼気迫る宣言が響き渡った。


 『これより、空港内に潜伏するオドノイドの殲滅を開始する!!』



(2020/04/10 21:00投稿)

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