Part1
あらすじに書いてる通り、エイプリルフールネタになります!ごゆっくりどぞ~!
2016年4月10日、日曜日、正午。
神代迅雷は、直華と慈音、それから千影を連れて一央市の商店街をぶらついていた。改めて順番に紹介すると、黒髪黒曈で端正といえば端正な顔立ちの高1の少年と、クシャッとした前髪が特徴の中1の妹、パッツンヘアーがチャームポイントの同い年の幼馴染み、そして金髪を赤いリボンでサイドテールにした赤目のロリッ子である。え、知ってる?そっすか・・・。
そんなこんなでお昼時になり、昼食をどうするか相談した結果千影の提案で一央市ギルドにあるレストランに行ってみようという話になった。
・・・のだが。
「お兄ちゃん、私ここに入るの小4の冬の野外活動以来かも・・・」
「だ、だが入らないと昼飯はないぞ・・・」
一央市ギルドは、現代的なデザインでガラス張りの高層ビルである本館や、異世界やダンジョンに繋がる『門』を管理している「渡し場」がある別館、『高総戦』の地区予選の舞台にも使われる大きな魔法戦用アリーナ、他にも魔法やモンスターに関する研究を行うための様々な施設が密集している、街のランドマークだ。しかし、その一方でどの施設も日常的に利用するのは魔法士や研究者ばかりであり、子供にはあまり縁の無い場所だ。
入り口の自動ドアの向こうでは、大勢の大人たちが行き交っているのが見える。迅雷も直華も慈音も、みんな揃って自分たちみたいな子供が入っていっても大丈夫なのか分からず、尻込みをしてしまっていた。
しかし、千影だけは変に緊張している3人を尻目に悠々とガラスの暖簾をくぐってしまった。千影はまだ10歳の少女ではあるが、その正体はランク4の魔法士だ。ギルドだろうとIAMOの施設だろうと、今更なにも緊張することはない。
先日の戦いを見ていて分かってはいたことだが、迅雷は改めて千影が本当にあの幼さで魔法士をやっているという事実を認識する。
「どしたの、ボーッとして?行こうよはやく」
千影に誘われるまま、迅雷たちも恐る恐るギルドの中に入ってみる。ギルドの中に入ってみる、だなんて改まった表現をするのがよっぽど馬鹿馬鹿しいのだが、ちょっと背伸びをしてみる少年少女の抱く緊張感というのはいつだってそれくらい新鮮なものなのだ。
「ち、千影ちゃん、レストランってどこだっけ?」
「そういえばどこだっけ?わかんない」
右も左も分からない大冒険であっちこっち行ったり来たりする迅雷たちに、それを気に掛けた受付係の女性のひとりが手でメガホンを作って声を掛けてきた。キャラメル色の髪をポニテにした、可憐な女性だった。
「どうしたのかな、キョロキョロしてたみたいだけど?」
「ひゃい、すいません!い、いや、俺・・・じゃなくて僕・・・?僕たち今ちょっとギルドのレストランをご利用させていただこうかなと思いまして――――――」
説明しよう!!
普段から関わりのある女性といえば妹とか居候のロリとか同い年のお向かいさんとかばっかりで、とにかく迅雷は年上のお姉さんとしゃべるときすごく緊張してしまうのだ!!
あまりのキョドりっぷりには、一緒に来た女の子たちもドン引きだ。しかし、受付のお姉さん―――日野甘菜は、そんな迅雷にも優しくレストランへの行き方を教えてくれるのであった。
迅雷は感動と共にその名前を胸に刻み、案内された通りエレベーターを目指したのだが、間もなく今度はどっしりした低い男の声が掛けられた。聞き覚えのある声に振り返れば、大柄で色黒な炎魔法使いの先輩、焔煌熾だった。彼は、休日にも関わらずなぜか学園の制服姿だった。
「あれ、焔先輩?」
「おう。神代、だったよな」
「『みしろ』です」
「・・・すまん」
出逢って3秒で気まずい沈黙に突入。
空気を読んだ・・・というよりは面白がってだろう。慈音が自分の名前当てクイズを出して煌熾が正解して、話が仕切り直された。まぁ、間違えはしても食堂でたまたま相席しただけの迅雷や慈音のことを覚えてくれていただけでも良い先輩には違いない。直華と千影も話に混ざってさっきの気まずさが消え去ったまでは良かったが、千影が迅雷のお姉さん耐性の低さについて暴露し始めたので(迅雷を除いて)爆笑が巻き起こる。
「はははは!あー・・・いや、すまん、つい。ふぅ~・・・それで、2人は神代の妹さんかな?」
「あ、私はそうです!直華って言います。お兄ちゃんがお世話になってます」
「ほぅ、立派な妹さんがいたんだなぁ」
兄の先輩に褒められ、照れ臭そうにする直華。
「でねでね、ボクは千影!とっしーとは、そうだなぁ・・・・・・兄妹じゃないけど、毎晩一緒に寝てる関係・・・?」
「そうかそうか・・・・・・え?今なんて?」
突如千影を中心に時間が止まる。別にやましいことなんてなんにもないのだが、煌熾の笑顔が不自然に凍り付くのを見て迅雷も青ざめる。
「本当に?」
「うん」
○
直華のフォローでその場を切り抜け、迅雷たちはようやくレストランの席に座ることが出来た。他の客の中には、今度受注するクエストの作戦会議やパーティーの資金繰りの相談など、まさに魔法士っぽい会話をしている人たちもいる。もっとも、予想と違って客の半分は迅雷たちみたいにご飯だけ食べに来ている様子だったが。
さっきから格好悪いところばっかりだった迅雷は、少し格好付けたくて昼食代は全部奢ってあげることにした。迅雷と千影は豚カツ定食、直華と慈音はサンドイッチ。そこまで高くならなくて内心迅雷はホッとした。料理を待つ間、タダ飯にテンション高めな直華と千影が、昨日していた模擬戦の約束について話をして、慈音がそれをニコニコしながら聞いている。
●
「さっきから慌ただしいですけど、なにか催しでもあるんですか?」
淡い水色の髪と瞳の少女、天田雪姫は今日も今日とてダンジョン潜りで武者修行・・・と思っていたのだが、ギルドの様子が普段と少し違うことに気が付いた。通りすがった職員の青年を呼び止めると、青年も雪姫に気付いて足を止めた。
「天田さんじゃないですか。いや、実はさっき5番ダンジョンに探索に出てた『スリーセブンズ』さんから『ゲゲイ・ゼラ』ってモンスターの捕獲に成功したって報告があったんですよ。で、今それをこっちに搬入する準備を急いで整えてるところなんです」
「『ゲゲイ・ゼラ』?――――――あぁ、思い出した。それ確か5番ダンジョンの探索規制がかかる原因になったヤツでしたよね」
「あ、知ってました?よく告知見てるね。1ヶ月くらい前から目撃情報が入り始めて、怪我人多数だったので5番ダンジョンはランク3以下は入れないようにしてたんですよ。しっかし、『ゲゲイ・ゼラ』は討伐でクエスト出してたんですけど、まさか捕獲しちゃうなんて本当凄いものですよね。なんて言ったって『特定指定危険種』の1種ですし」
怒鳴り声がして、青年は慌ててお辞儀しながら仕事に戻った。
程なくして、例のモンスターが搬入されてくる。そうなれば、「渡し場」から研究施設の区画に設置された、研究資料の収容施設までの運搬経路が整理されて面倒臭くなるはずだ。そうなる前にさっさとダンジョンに入ってしまおうかとも思ったが、少し悩んで、雪姫はせっかくだから『特定指定危険種』とやらを一目拝むためにちょっと待ってみることにするのだった。
●
昼食を取り終えた迅雷たちは、食後のコーヒー(直華だけオレンジジュース)を楽しみながら談笑していた。そんな折に、館内放送でなにやら面白そうな話が流れてきた。
『お知らせです、本日12時30分に5番ダンジョンに生息が確認されていた「特定指定危険種」であるモンスター、「ゲゲイ・ゼラ」が捕獲されました。現在、捕獲された「ゲゲイ・ゼラ」を本ギルドに搬入する準備を行っております。コレに伴い、異界転移門棟2階「渡し場」から研究区画までの一部通路を一時的に通行不可といたします。皆様にはご迷惑をお掛けしますが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします。なお、モンスター搬入はご見学頂くことは出来ますが、その際はくれぐれも安全に十分にお気を付けくださいますよう―――』
『特定指定危険種』に分類されるのは、IAMOが設定する指標で言うとSレート以上の最高クラスの危険生物だ。安全に対処するためには、ランク5以上の魔法士が数人で当たることが推奨されているほどである。それが捕獲されて安全に見学出来るというのは、他の地域よりも危険なモンスターが現れやすい一央市においても極めて珍しいことだ。興味が湧かないはずがない。
「とっしー、これは見に行くしかないよ!早く行こう!」
「ちょいまち・・・」
大人ぶってコーヒーを注文して、結局渋い顔をしながらカップに口を付けていた千影が、アナウンスを聞いた途端になみなみと残っていたそれを飲み干して、迅雷を急かした。
そして、迅雷も急かされるままコーヒーを一気に飲みきるのであった。
「よっしゃ、行こう行こう!」
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April Fool Special "A Cup of Coffee" ; Part1
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急いだおかげで、混む前に「渡し場」に入る事が出来た。特等席だ。と言っても、既にそこそこ人が集まっている。迅雷はホットコーヒーの一気飲みで焼けた舌を気にしつつ、出来るだけ見やすそうな位置がないか少し周囲を探ってみた。
「ついでにまた焔先輩と会えたりしてね」
「あ、ねぇとしくんとしくん!」
「お、いた?」
「いたいた、あれ」
慈音に肩を叩かれ、迅雷は彼女が指す方を見た。でも、全然煌熾の姿は見えない。だが、代わりに迅雷の目にはもっと鮮烈な色が映った。日本人にはとてもあり得なさそうな、あまりに自然な水色の髪。
「あれって・・・」
「雪姫ちゃんだよね」
入学初日で、学園トップクラスの実力者である煌熾に試合を挑んであっさり勝利してしまった、絶対零度の少女。そんでもって、なぜか街中の洋食店でバイトしていた料理上手なアノコ。遠目でも、彼女であることだけははっきり分かった。千影も迅雷の背中をよじ登ってその姿を確認するが、一方で彼女に苦手意識があるらしい直華がちょっと萎縮している。
直華には悪いが、せっかく見つけたのだから迅雷と慈音は、雪姫に挨拶をしてみることにした。
「天田さんだよね、こんにちは」
「・・・・・・」
「・・・おーい」
しかし、案の定というか、雪姫は迅雷の方を見はしたが、返事もくれずに視線を戻してしまった。だが、次は慈音がチャレンジする番だ。これしきで諦めるほど慈音は弱くない!!
「ね、楽しみだね!どんなモンスターなのかな?」
「・・・」
「やっぱりこう・・・黒くておっきいのかな?」
慈音が純真な顔でそんなことを言い出すと、迅雷の背中に乗っかっていた千影が迅雷の耳元に唇を近付けた。
「・・・黒くておっきいの」
「やめなさい」
「想像した?」
「や・め・な・さ・い」
気まずそうに赤面する迅雷を見ていよいよ千影はニヤニヤと調子の良い顔をする。
千影と迅雷が下世話な内緒話をすると、雪姫は舌打ちをして離れて行ってしまった。慈音が残念そうに肩を落とし、迅雷は千影にジト目を向けた。
「お前のせいだぞ~」
「え~?なんのこと?」
実際なんのことか分かっていない直華は首を傾げるだけだった。
迅雷が千影のほっぺたをムニムニしてオシオキしていると、今度こそ探していた先輩から声が掛けられた。奇しくもさっきと同じように背後から。
「あれ、神代たちじゃないか。やっぱり見に来たんだな」
「あ、焔先輩だー」
煌熾も、迅雷たちがいるんじゃないかと思って探していたらしい。奇遇なものだ。きっと縁があるのだろう。
それから少し経って、見物客の行列は外にまで延びているらしい。しかし、肝心の『ゲゲイ・ゼラ』はなかなか現れる様子がない。暇を持て余し、煌熾がスマホで件のモンスターについて検索をかけた。その画面を迅雷は覗き込む。
「んー、画像ないんですね」
「人間が生存困難な環境に生息するらしいからな」
「はい、はい!ボク知ってる。『ニーヴェルン・ラ・シム』って世界だよね。大気の酸素濃度が60%以上なんだって!で、しかも残りのほとんどが毒ガスなの!」
「へぇ・・・千影ちゃん物知りなんだぁ」
「まぁね~♪」
直華に感心されて千影が真っ平らな胸を張っていると、ようやく5番ダンジョンの『門』が輝き始めた。つまり、通行が開始されたということだ。いよいよ衆目の下にさらされる5番ダンジョンの怪物をフレームに収めようと迅雷はスマホのカメラを起動して背伸びした。
最初に見えたのは、なにか黒くて硬そうな突起物だった。また千影が得意げな顔をするので、迅雷は軽くデコピンしてやった。そのまま、ゆっくり、ゆっくり、その突起物は『門』から出てくる。床から6メートルはある高さにあるそれは、まずモンスターの体の一部であるのは間違いなかった。カメラの音が一層騒がしくなる。
しかし、気付く者は気付いていた。
『スリーセブンズ』の魔法士たちの姿が見えない。『ゲゲイ・ゼラ』を捕獲したというパーティーだ。
彼らは、どこへ消えた?
「たっ、退避!!ランク4未満の魔法士もすぐに下がって、とにかく避難し
搬入作業のために『門』のすぐ傍で待っていたギルド職員が血の気の失せた顔で叫んだが、その声も姿もなにもかもが突如『門』から溢れ出した漆黒の奔流の中へと消え去った。
「・・・・・・え?」
迅雷にはその瞬間、なにが起きたのか、理解が出来なかった。
気が付けば、床に転がっていた。
悲鳴、悲鳴、悲鳴――――――決して狭くない空間を席巻する阿鼻叫喚に迅雷は跳ね起きた。
「ナオッ!?しーちゃん!?千影!?」
「2人とも大丈夫!!とっしー、早く立って!!」
「ちか―――」
千影の声に安心したのも、束の間だった。その後ろ、沸き立つ煙の中に揺らめく巨大な黒い影に迅雷は戦慄した。
今の謎の黒い大破壊で壁に空いた大穴から風が吹き込んで、汚れたヴェールを取り払い、その怪物の正体が現れる。
光沢のある黒い甲殻に覆われた、恐竜のような頭部。ギョロリとあまりにも不自然に大きな目玉。6メートルは超えるだろう巨躯。針金のような体毛。前脚に生えた長大な漆黒の一本爪。蟹の鋏にも似た奇妙な形状の翼。海獣のヒレに似た後ろ脚。
これが『ゲゲイ・ゼラ』、これが『特定指定危険種』。姿を見ただけで呼吸の方法を忘れた。それは、形を得た死という名の終焉だった。
「とっしー、ナオ担いで!」
「・・・っ、あ、あぁ!」
爆風で薙ぎ倒された直華は気絶しているようだった。千影の鬼気迫る声に再び我に返った迅雷は直華を負ぶった。その千影も、慈音に肩を貸していた。慈音は脚を怪我しているようだった。
「くそ、くそ、なんだよこれ・・・!!最悪だ・・・・・・!!」
恐怖に支配されて思わず出た「最悪」という単語だったが、しかし最悪という概念の下限など誰が決められただろう。
『門』から、さらにもう1体の『ゲゲイ・ゼラ』が出現した。
「神代、今のうちに早く逃げろ!」
「焔先輩、でも、先輩は・・・!?」
「俺は避難誘導を手伝う!すぐに逃げるから心配するな!」
「な、なら俺も!」
「お前は妹たちを連れてるだろ!」
「っ・・・!」
後ろでは、敢えて残った魔法士たちが『ゲゲイ・ゼラ』を討伐するために戦闘を開始した。様々な属性の魔法が雨のように乱れ飛び、怪物を襲う。
迅雷は唇を噛んで、出口を見据えた。迅雷はライセンスだって持っていない。魔法士じゃない。ランク3の魔法士でもある煌熾に任せて、自分は逃げて良いのだ。むしろ逃げるべきなのだ。
だけど、どうしても、背後の悲鳴に振り返ってしまった。煌熾が、建物の揺れに足下を掬われた親子を助けようとしていた。
「大丈夫です!やつが来る前に逃げてください!早く、手を取って!」
気丈にも笑顔で手を差し伸べる煌熾だが、迅雷には『ゲゲイ・ゼラ』の視線がその親子に注がれるのが見えていた。傷を負った怪物のどす黒い殺意が風のように彼らを包み込んでいくようだった。
煌熾も、それに気付いていた。
直後に、その巨体からは想像出来ない恐るべき瞬発力で『ゲゲイ・ゼラ』が襲いかかる。そいつを包囲していた魔法士たちが小石のように蹴り散らされ、血塗れの爪はあっという間に煌熾の真上に影を落としていた。その爪から親子を守ろうとして、煌熾が腕力に全ての魔力を注ぎ込んで立ち向かう。
「させ、るかぁぁぁぁぁ!!!!!」
その咆哮を聞いたとき、もう迅雷には抑えられなかった。
みんなを『守って』あげて――――――あの日交わした唯との約束が、背後の地獄からの逃避を許さなかった。
「ダメ!!とっしー、戻って!!」
千影に直華を任せて、迅雷は『召喚』と叫んだ。ただの量販品の魔剣を掴み取り無謀と知っていても駆ける。
直後、全てが真っ白に染まった。
○
「死ぬ気ですか」
白く、白く、白い、希薄で鮮烈なその少女は、くだらなそうにそう吐き捨てた。
煌熾と、彼が守ろうとした親子を包み込むその純白は、雪だ。『ゲゲイ・ゼラ』の突き立てた爪はその柔らかそうな雪の壁に阻まれていた。
「天田・・・なんで・・・なんで逃げてないんだ!!お前はまだライセンサーでもないのに、どうしてだ!?今のは助かったが、お前がこんな無茶なんてしなくたって良いんだ!!」
「逃げるなんて、冗談。『特定指定危険種』ですよ?・・・せっかくそんなバケモノをこの手で殺すチャンスだっていうのに・・・なんで逃げないといけないんですか」
引き裂くように口の端を歪め、雪姫は獰猛な笑みを浮かべた。しかし、その眼光に宿っているのはむしろ煮えたぎるような憎悪と激情だ。
「巻き添え食う前にその人たち連れてさっさと逃げれば良いじゃないですか。前にも言いましたよね。あたし、人死にが出るのだけは嫌だって」
「・・・くそっ」
素直に喜べる状況ではないが、この親子を逃がすチャンスはもうこれっきりだろう。煌熾は親子の手を取って走り出した。
そして、まるで大瀑布を従えているかのように、雪姫を取り囲む吹雪が唸りを上げる。雪姫は後ろで剣を持ったまま呆けているクラスメートにも視線を投げた。
「なにボーッと突っ立てんの?」
「お、俺だって・・・」
「神代、良いから走れ!」
「でもっ」
「走れ!!」
煌熾は、一気に駆け抜けて親子を「渡し場」から放り出していた。それでも迅雷のために手を伸ばし声を荒げる煌熾と雪姫の背中を何度も交互に見て、迅雷は奥歯が折れそうなほど強く歯を食い縛った。
「・・・俺に出来ることなんて、なにもないんだな・・・」
誰に言われるまでもなく、本当は分かっていたことだった。もうじき16歳になろうというのに、その魔力量たるや小学生のそれと変わらないような神代迅雷に、あんな凶暴な怪物と戦える可能性なんてこれっぽっちもないのだと。
雪姫に背を向けて、迅雷は出口を目指す。頭の中で自分の声が自分に対して無尽蔵の嘲りを吐き散らしていた。約束のひとつも守れない愚図な自分が情けなくて、悲しくて、格好悪くて、変なことに拘って・・・ホラ見ろ、誰のせいでお前の大事な妹も幼馴染みはまだそんなところで立ち止まってお前のことを待たなきゃいけなくなっているんだ?
「・・・死ねば良いんだ」
―――俺なんか。
その呟きを、誰かが聞いていたのだろうか。
迅雷のすぐ横を黒が閃いた。
もう一体の怪物が吐き出した『黒閃』だった。
「待って・・・」
だけど、その闇は迅雷のことを無視して、彼のことを待ってくれていた、千影や煌熾たちへと吸い込まれて―――。
「待てよォォォォ!!」
轟音と共に、たったひとつの出口が崩落した。
「あ、あ・・・あ、ああああああああああああああああ!!」
なんでこうなった、なんて言えた義理ではない。もはや考えるまでもなく迅雷のせいだ。千影も直華も慈音も煌熾も、迅雷さえいなければとっくに逃げ果せていたのに。
今度こそ堰を切って溢れ出した涙を地面に垂れ流して迅雷は崩れ落ちた。
けれども、現実はそこまで迅雷に対してシビアではなかった。―――今日に限っては。
「とっしー、顔を上げて」
「・・・え・・・千影?」
「死んだと思った?」
瓦礫の山から這い出てきた千影が、困ったように笑った。頭や腹部からは決して少なくない量の血を流し、その美しかったルビーの瞳も、その片方が失われていた。でも、確かに千影は生きていた。
「みんなは・・・?」
「大丈夫だよ」
千影の声は、なぜかとても落ち着いていた。この一瞬でなにかのスイッチが切り替わったかのように、恐いくらい優しかった。千影は迅雷に歩み寄り、そっと彼を抱き締めた。
「とっしー、ごめんね。ボクが、つまらないことを恐がっていたせいで、君にこんな思いをさせちゃったんだよね。・・・ごめんね、ごめんね」
「なに、言ってるんだよ・・・俺は・・・」
「ううん。ボクが、最初からこうするべきだったんだ」
抱擁を終えて、千影は『召喚』を唱えた。彼女の小さな手に、聖柄の小刀が握られる。
千影はひとつ、短く深呼吸をした。
誰も聞いたことのない警報が、ギルドに響き渡った。
翼が、尻尾が、鉤爪が。
可憐な少女の姿が、おぞましい異形の怪物へと変貌する。
それこそが、少女の本当の姿であり、本当の力だった。
漆黒に染まった眼球に浮かぶ金色の眼光が煌めいたときには、既にその手にあった刃が鮮血に汚れていた。
○
止まって見える『ゲゲイ・ゼラ』の喉元に刀を突き刺し、肉を引き裂き、首をねじ切ってやった。こんなにも簡単なことだった。もはやこの怪物の急所がどこであるかなんて関係ない。僅かな怒りと諦めを乗せた爪でその巨体が挽肉の山になるまで斬り刻んだ。
雪姫が戦っていた『ゲゲイ・ゼラ』が、異変に気付いて千影に『黒閃』を放つ。対して、千影もその尻尾の先に黒色魔力を凝集し、解き放つ。怪物同士、同じ技。なんという皮肉か。
千影の『黒閃』は押し負けて、黒の奔流が千影の左腕を吹き飛ばした。だが、もう痛みなどない。怒った迅雷に頬をつねられたときの方がよっぽど痛かった。荒い肉の断面から血を噴き出しながら、千影は吼えた。
「っ・・・ああああああああああッ!!」
砲弾のように突撃してくる巨躯に回し蹴りを叩き込む。音を超える速度で叩き込まれた蹴りは、千影の脚の骨ごと『ゲゲイ・ゼラ』の黒光りする頭角を粉砕した。それでも千影は止まらない。再び尻尾から『黒閃』を放ちながら、千影は空中で一回転―――高速で振り回された『黒閃』が極太のアーク溶断のように『ゲゲイ・ゼラ』の胴体を真っ二つにした。
千影は片足で着地し、臓物で床を汚し悲鳴を上げる怪物を蔑むような目で見下ろした。
「しぶとい・・・」
『ゲゲイ・ゼラ』の蟹の鋏に似た器官から発せられた『黒閃』を千影は翼で弾き、散らし、その器官を黒色魔力を練り込んだ爆破魔法で粉々に吹き飛ばした。
30秒だった。
あれだけたくさんの人たちが苦しんで、泣き叫んで、逃げ惑ったというのに、その圧倒的な絶望は千影がその気になった途端たったの30秒で片付いてしまった。
なんとか戦えない人たちを逃がそうと怪物に立ち向かった魔法士たちの努力と犠牲は一体なんだったのだろうか。最初から千影がなにもかも諦めていれば、なにもかも上手くいったのに。
「本当、ボクってつまらない―――」
2頭いた『ゲゲイ・ゼラ』が消え去っても鳴り止まない警報。
人々の恐怖の視線が千影に集まる。誰も、これで助かっただなんて思っていないようだった。
オドノイドとしての姿を見られればこうなることなど、分かっていたことだ。千影はそれが恐かった。迅雷と出逢って、神代家での生活を始めて、まるで本当に普通の子供のような日常が手に入った気でいた。それを失うことが不安で不安で堪らなかった。くだらない勘違いだった。千影はバケモノだ。怪物すら容易く屠り喰らう真性のバケモノだ。
だけど、これで良かったはずだ。千影は、それでもここにいる人たちを、多少なりは守ることが出来たはずだから。
「千影・・・」
最後に迅雷に怯えた目をしてもらえて、良かった。
夢から醒めるときが来た。
「・・・じゃあ、ね。バイバイ、とっしー」
(2020/04/05 00:07投稿)