Employment! Guardian
「交渉成立だな」
俺が相手のリーダーと握手をすると、張りつめていた緊張の糸が少しだけ緩んだ。
コンプトン市内のとある一軒家の中、俺はたったの数人の護衛だけを引き連れてこの凶悪な街で交渉にあたっていた。
相手はコンプトン・ニュージャック・クリップという、その名の通り、新興のギャング勢力だ。略してC.N.Cと呼ばれている。
メンバーはたったの十人ほどという小さなギャングで、クリップスを名乗ってはいるが、ブラッズであるB.K.Bの傘下に入った珍しい集団でもある。すべてのメンバーが十八歳前後で、古い考えに縛られないというのが彼らの方針に強く影響している。
そのシノギもまた新しく、SNSなどで大々的に顧客を募り、通信販売のような形でヤクをばらまくという、ローカルにこだわらないビジネスを確立していた。こういった革新的な手法は俺達B.K.Bも学ぶ必要がありそうだ。
もちろん、細々とやるのに比べてFBIの目を掻い潜るのに苦労しそうだが。
リーダーの男は俺と同い年の若造だが、ここまでのビジネスを考え付くやり手だ。もしかしたら資金力はさらに拡大し、B.K.B以上の力を持つ大ギャングに成長するかもしれない。
だがそうなる前にこうやって手を携えられたのは朗報だ。無論、力をつけた途端に裏切りなどが発生しないよう監視しておく必要があるが、面と向かって敵対している勢力に比べればいくらかマシだ。
手の内が分かる分、対処もしやすい。
その辺りは俺よりもサーガの方が上手いだろう。C.N.Cが儲かっているのであれば、B.K.Bにもそれが流れてくるような仕組みを作ろうとするはずである。
ちなみに今回の交渉では、B.K.Bが仕入れたヤクをC.N.Cが買い取るという約定が出来た。ただし、先にB.K.Bのハスラー達が顧客へ捌いた後の残り物なので、供給量は変動する。
その代わり、C.N.C側は少しばかり安く買い叩けるという構図だ。
「美味い話ならなんぼでも聞くぜ、老舗のブラッズギャングさんよ」
「お前たち、よっぽど金が好きと見えるな。それならギャングなんかじゃなく、普通に真っ当な商売を始めた方がもっと大々的にやれるんじゃねぇのか?」
「分かってねぇな。ここはコンプトンで、俺達は黒人だ。そんなことがやりたきゃ、とっくに一人でロサンゼルスに出てる。ここで仲間と揃って金を持つことに意味があるのさ」
やはりか。生まれた土地は俺達を必要以上に縛り付ける。家庭の境遇、周りの仲間、街中にいるギャング構成員。その呪縛から逃れることは、外野が思う以上に難しい事のようだ。
比較的若く、柔軟性のある頭を持っていると思しき彼らでさえこうなのだから、俺のお袋がどれだけ難しい選択をしたのかを改めて思い知らされる。
距離的には同じ街の中で、あくまでもB.K.Bのテリトリーから比較的治安のよいエリアにある生家への引っ越しに過ぎないが、それでも大した決断だ。
「そんなに仲間が大事なら、俺達とも手を組んだ以上、B.K.Bを差し置いて抜け駆けだなんて考えないことだな」
「おーこわっ。そちらさんこそ、俺達に不利益な粗悪品なんか持ってくんじゃねぇぞ。仲良くやろうや」
「その言葉、信じるからな」
ようやく俺が手を放し、解散となる。
何の変哲もない薄汚れた一軒家の外には、俺達が乗って来たポンコツの車の他に、新車のベントレー、メルセデス、BMW、レクサス、キャデラックなどの高級車がずらりと並んでいる。
こんな貧困地区には不釣り合いな代物だ。すべてC.N.Cのメンバーの持ち物だろう。ここまで儲かっているのかと感心させられる。車の次は、家も改築し始めるかもしれない。
「サーガはどうだか知らないが、アンタらもこうなりたいと願ってるのか?」
同乗しているウォーリアーのOGに問いかけた。今回も筆頭はガーディアンである俺だが、ウォーリアーとハスラーから数人ずつが一緒に来ている。
「ハイローラーにか? 当然だろ。ただし、高い車よりは服に金をかけたいな」
「俺は幼い娘にたらふく食わせてやりたい」
「俺はあれだ。アジトを立派な物にしたいな」
様々な意見が飛んでくる。ただし、C.N.Cの小僧共に比べて年齢的にも落ち着いているためか、自分自身よりは仲間や家族を思っての使い道を選ぶ者が比較的多かった。
ところでハイローラーとは、金や女に苦労しない大金持ちのことを表すスラング(方言)で、C.N.CのNの部分に当たるニュージャックも「新入り」を表すスラングだ。
「そういうお前はどうなんだ、クレイ?」
一人のハスラーから逆に質問される。
「俺は自分が裕福になってることの想像すらつかないよ。片親で、今でもアルバイトばかりだ。それでも金があったら……大学と、大学院にも行きたいかな」
既にギャングとなった今、大学すらも行かないだろうと思ってはいるが、懐に相当の余裕があるのであれば、今のアルバイトの時間を学業に費やすのも悪くない。
この街の平和が盤石なものになれば、ガーディアン内でさえ俺の必要性は薄くなるだろう。
「そんなに楽しいのか、学校や勉強は? 俺達はほとんど行ってないから未知の領域だ」
「楽しいから行きたいってのとは少し違う。ジャックの息子だったせいで、それへの反発心から抱いてた夢さ。真逆の道を歩んだら幸せになれるんじゃねぇかってな。それを見てみたい」
「ジャックが死んじまったから不幸だったかどうかは、本人にしか分からねぇさ。ただ、お前が学校に行きたい気持ちも別に否定はしねぇがよ」
「そうそう。俺は当時のジャックと話したこともあるが、奴は常に命を張る覚悟を持ってた。もちろんそれは仲間や家族、街のみんなの為だ。それを全う出来たんなら必ずしも不幸じゃねぇさ。その犠牲のおかげで今のお前や俺達が生きてるとも考えられる」
親父にそんな聖人君主みたいな真似ができたとは思えないが、この場合、何も知らないのはむしろ俺の方だ。彼らがそう言うのなら、素直に受け入れよう。
「そう言えばあの頃のE.T.は、今のサーガと比べてもギラギラしてたな。気さくではあるし、近寄りがたいわけじゃないが、正直なところ面と向かうと恐ろしかったよ。全員が喧嘩っ早くて強くて、そのくせ人前でもワンワン泣くほど涙もろくてよ。それを担いでるB.K.Bも全体的にひりついてた。そんな時代だったな」
「今じゃ、社会全体がお上品になっちまった。ガキをしつけで殴りゃ実親でさえパクられ、噛みつかれそうになって犬を蹴飛ばしゃそれだけでニュースになる。ぶん殴られて育ってきた俺らからしたら、信じられないな」
現代人は法で守られているようで自由を失い、粗暴だった時代に比べてどんどんと打たれ弱くなってきている、そういう類の皮肉に聞こえる。俺には必ずしも昔がよかったとは思えないがな。
「生涯現役のサーガは除いて、現役の頃のE.T.は凄かったんだな。若かった頃、と言った方が良いか」
「意外に感じるだろうが、あの中でのサーガは割と落ち着いてる方だったんだぜ。当時は他の無茶苦茶な面々に振り回されてるイメージが強かったな」
「冗談だろ、サーガが振り回されるだって? その頃のメンバーじゃなくて良かったよ」
あれだけのカリスマ性と統率力を発揮している男が御せ無い人間なんて、想像がつかないな。いや、当時の彼はリーダーじゃないので御することはしないのか。
「そうそう。今ある幸せを噛み締めな。でも、さらに何十年も経ったら、この時代の話ですら若い奴には信じられなくなるんだろうな」
「C.N.Cがいい例だ。ギャングがあんな商売するか、普通? この世界はいろいろと変わっちまうもんなのさ。ギャングが銃じゃなく、コンピューターウイルスで人を脅して金を巻き上げるような時代にな」
「それを疎ましく思うって話か?」
「いいや。何かが変わるって事は、俺達みたいなおっさんも変わっていくしかねぇ。いつだって、若い奴らは飛んでもない事を考え付くもんだしな。俺らの活動だって、じいさま方から見れば突拍子もないことに映ってたはずだろ」
最初は彼らが話しているのは保守的な意見、つまりC.N.Cのような革新的な連中を否定するだけの意見だと思っていたが、実はそこへの理解も示すものだった。
「残すところは残すが、変えるところは変える。もしB.K.BがC.N.Cみたいな商売を始めるんなら、クレイ、その要はガーディアンになるはずだぜ」
「俺達に? なぜだ?」
「情報を調べて、後方から支援してる自宅待機組がいるんだろ?」
なるほど。多くの学生メンバーのことか。それは思いつきもしなかったが、彼らは卒業後には普通に社会に出る。その案が叶うことはないだろう。
ただ、そういった知能犯的な奴を仲間として迎え入れるのは大賛成だ。銃をラップトップに持ち替えた、インテリ系のギャングスタがいたって面白いだろう。
あえて大学に行って探すというのはどうだろう? いいや、ダメだ。わざわざ無垢な学生から犯罪者を新たに作る必要はない。仲間にするのであれば、既にサイバー犯罪に手を染めている者だ。
だが、そんな奴とはそうそう知り合えないだろう。まず、こもりっきりで表に出てこない。尻尾を掴まれそうになっても巧みに身を躱すはずだ。
ギャングのように徒党を組んで地元にテリトリーを持っているわけでもない。会いに行くにも全米のどこなのかさえ分からない。もしかしたら米国内ではないかもしれない。
しかし、この考え自体がすでに間違いなのだろう。たとえ仲間だからと言って一緒の場所にいる必要はないし、顔も住所も知らなくたっていい。連絡さえつけばそれで問題ない。そういった考え方をするのが新たな時代のスタンダードなのかもしれない。
こればっかりは俺にも抵抗があるが。
……
それから数日をかけて、俺は次々とヤクや武器の売買ルートを確立させていった。
初めはハスラーの手伝いだと聞いていたのに、結局ほとんど俺に丸投げじゃねぇか。連中ときたら、一緒についてきてるだけだ。
だが、そんな小さな不満よりも、俺がB.K.Bの懐を広げる舵を切っているというのは案外と気分がいい。
それでデカいツラしようってわけじゃないが、ある程度は他のお偉方も俺の意見を無視できないようになってきたわけだ。サーガだって、そう遠くない内に俺をガキ扱いできなくなるだろう。
しかし、交渉にはトラブルもつきものだ。あちらから武器の取引を持ち掛けてきたセットとの交渉の場で、いきなりドンパチが始まった時には肝を冷やした。双方に一人ずつの死者が出て、後日、こっちのウォーリアー本隊が奴らを丸ごと潰して落ち着いた。
無駄足どころか大きなマイナスだ。一度ウチへの包囲網から寝返っておきながら、またB.K.Bと敵対しようという奴もいるという危機感を再認識させられた。
そこで一旦取引相手を増やす活動は停止し、俺は本来のガーディアンのお役目である地元の警護へと戻ってきている。
こうしているのが普通なはずなのに、ずいぶんと懐かしく感じてしまう。
そして、いつの間にかシザースがその活動にほとんど参加してくるようになったのは何故だ。お前はユニフォームによるとウォーリアーのはずだろう。
「クレイ、そこの先のコンビニで喧嘩があったってよ」
「……わかった」
なんでお前がウチの連中よりも早く情報を掴んでやがるんだ。
その点に関しては不満しかないが、喧嘩の火消しなどはガーディアンが行うことが多い。近所の住民が起こす喧嘩など、ほとんどが大した問題じゃないが、たまに余所の人間が関わっていることがあるので注意が必要だ。
シザースの情報に従い、俺達は数人のガーディアンで現場に駆け付けた。
喧嘩自体は終わったらしく、顔を腫らして地べたに座り込んでいる白人の若い男と、その背中を支えている女がいた。
この辺りは地元のエリアでも外縁部に位置し、比較的治安はいい場所だ。別の街の一般人がこうして通りかかることも多い。
「おい」
「げっ! ギャング!?」
「あぁ、正解だ。誰にやられた? 大丈夫か?」
追撃を食らうと身構える二人組。しかし、俺の言葉にキョトンとしてしまう。ギャングスタが心配してくれたのだから、当然の反応だろう。
「あ、えっ? 彼女に声をかけてきた下品な男だよ。守ろうとして殴り合いになったが、このざまさ」
「立派なこった。酔っぱらいのおっさんとか、そんなところか?」
「その通りだ。彼女が警察を呼ぶと言ったら逃げていった」
その時、けたたましいサイレンと共に、一台のポリスカーがやってきた。治安が良い立地だけあって、近隣の住民かコンビニの店主か、あるいは本当にこの女が通報したに違いない。
「動くな!」
ピストルを構えた警官が二人、俺達に向かって怒鳴る。確実に勘違いをされている。これはマズイ状況だ。
「俺達は何もやってねぇぞ!」
まずシザースが怒鳴り返した。もちろんこんなものは何の効果も期待できない。残念ながら怪我人のカップルの方は、俺達に有利な証言をしてくれるわけでもなく黙っていた。
「うるさいぞ、ギャング共! 両手を後ろで組んで、地面にうつ伏せになれ!」
「シザース、諦めろ。お前らもだ、仕方ねぇ。ここは大人しくパクられるぞ」
別に何もしていないが、俺達の何人かは違法銃を所持している。下手に抵抗して射殺なんか御免だ。
俺の指示で全員が地面に寝そべり、警察署へと連行されることになった。




