Hate! B.K.B
俺は痛む身体を横たえ、窓の外を見る。
あれから三日が経った。俺は当然、療養のためにクラスを休んでしまっている。間に週末が絡んでいたので影響は少ないが、出席状況に瑕がつくのは大きな痛手だ。それに、俺を襲った連中がほくそ笑んでいると思うと、はらわたが煮えくり返る。
ここで改めて、俺が憎んでいるB.K.Bについて少し整理をしたい。奴らがどんな存在で、どんなことをやってきたのか。それを考えることで、身体の痛みから少しでも気を紛らわせたい。怒りの感情はいかなる痛みにも勝るというのが俺の持論だ。
ビッグ・クレイ・ブラッド。略してB.K.B。奴らは十数年前、九十年代の初頭か半ばくらいからこの街で頭角を現した。その頃のカリフォルニア、特にロサンゼルス市周辺ではギャング抗争が激化の一途を辿り、今とは比べ物にならないほど殺伐としていたらしい。今でもギャングが跳梁跋扈しているというのに、それ以上だったというのだ。毎日、何十、何百という怪我人と死人が出て、信じられないくらいの血が流れたと聞く。
全米では構成員数三万人のクリップス、対して構成員数九千人のブラッズ、というのが二大黒人ギャングだという括りにはなってはいる。しかしその内情は、それぞれの街や区画に一つのギャング組織があり、群雄割拠しているというものだ。別に二つの大きな組織同士がぶつかっているわけではなく、それぞれの組織はピラミッド型に統率されているわけではない。
分かりやすく言えば、隣街にはAというクリップスがいて、このエリアにはBというブラッズがいる。そのまた別の街にはCというクリップスがいて、さらにDというブラッズがその側にいる。
だが、AとCはどちらが上というわけでもなく、BとDだって仲がいいわけではない。しかしながらまたまた別の街にいるEというクリップスは、ABCDすべてのギャングと中立的な立場を取っている……といった具合に、まるで一貫性はなく、各々が自分たちの地元に根付いたギャング組織を結成して互いに睨みを利かせているという感じだ。暴力をも厭わない彼らは時に激突し、時に手を結ぶ。それに巻き込まれるのが一般人や警察の人間だ。
話をB.K.Bに戻す。
奴らはそんな状態のロサンゼルスの隅っこ、つまり俺がいるこの街に、人知れず誕生した。当たり前だが、結成当初は本当に小さな組織だったらしい。確か、最初のメンバーは十一人。それを作ったのは昔、俺を可愛がってくれていたサムという男だ。そして忌々しいことに、俺の親父、ジャックもその初期メンバーの頭数に入っている。
その連中の事はきれいさっぱり忘れた。辛うじて覚えているのはリーダーだったサムの名前くらいなもので、メンバーたちの顔も、名前もすべて俺の頭の中から消えている。古ぼけた写真もあるにはあったが、今はもう残っていない。
なんとなく、悪い連中なのには気づいていた。可愛がってもらっていた俺は、それを仕方なく認めていた気もする。だが、今ならはっきりわかる。何度でも言う。奴らは許されていい存在じゃない。
B.K.Bはその後、着々と組織を拡大していった。時には抗争で死人を出し、一時期はこの街からその姿を消し去ったこともあったらしい。
それでも奴らは息を吹き返した。そしてまた拡大、抗争、拡大、抗争……数多の若者たちがこの地で生まれ、この地で死んでいった。バカげた連鎖だ。
そしてついに、B.K.Bは最大の失敗をやらかす。
サウスセントラルの悪夢、と呼ばれるその世紀の大事件はカリフォルニアを震撼させた。
この事件は、ロサンゼルス全体のギャングスタをその支配下に置く、という途方もない野望を持ったB.K.Bが引き起こしたものだと聞いた。街々で好き勝手に生きているギャング共を一つのギャングが支配するだなんて、どう考えてもうまくいくはずがない。自分たちの事を組織じみたマフィアか何かと勘違いしていたんじゃないだろうか。
だが、これが中途半端に上手くいってしまった。弱小組織に過ぎなかったB.K.Bは周りを次々と巻き込み、数々のギャングを完全に掌握するまであと一歩のところまで巨大化した。
それでも、悪役に望ましい未来は待っていない。ロサンゼルスで最も危険だと言われるエリア、「コンプトン」の警察が見事にこれを鎮圧し、責任を取らされる形でB.K.Bのサムが捕まった。これが俺の知るB.K.Bのあわれな末路。
今はすっかりその力は失われて見る影もないだろう。しかし、往生際の悪いことにこの街で悪事を働き続けているのだ。俺が、トドメをさしてやらなければいけない。
ここで、「クレイ、友達が来てるよ」と部屋の外からお袋の声がかかって俺は意識を現実に戻された。直後にドアが開いて、お袋と、リカルドの顔が見える。寝そべっていた俺は半身を起こした。
「よう、クレイ。具合はどうだ。様子を見に来たぜ」
ハイスクールの帰り道に、見舞いに来てくれたリカルドが俺のベッドに腰を下ろす。二人分の重量を支えるスプリングがきしんだ。リカルドを案内したお袋はリビングに戻ったようだ。
「お前がこなけりゃ痛みを忘れられたんだがな」
「うざすぎるぜ、お前ー」
拳でぐりぐりと脇腹にクリンチを受ける。やめろ、マジでそこは痛いっての。
「……っ」
「人を痛めつける趣味はねーから、このくらいにしといてやるよ。顔腫れてるけど、骨とか大丈夫なのかよ?」
「あぁ……鼻なんか絶対折れたと思ってたんだけどな。意外と頑丈な自分の身体に驚いてるくらいだ。前歯は一本欠けちまったが」
「しっかしほんと、見事にボコボコにされたなー。学内の半グレだって? 犯人の目星はついてんのか?」
リカルドはベッドから離れ、俺の部屋を物色し始めた。棚に飾っていたスパイダーマンのフィギュアを手に取って弄っている。
「さっぱりだな。でもこのまま泣き寝入りなんてごめんだぜ」
「お前ならそう言うと思ってたよ。それで探し出したとして、どうする気だ? ぶん殴るのか?」
「あの時はそうしてやりたかったが、それだとワンクスタやギャングスタと何も変わらねぇだろ。先生に申告して処罰を受けさせるくらいが関の山だろうな」
「ふーん」
訊いておいて、さして興味もないのか、リカルドはコミックのページをペラペラとめくり出す。これもスパイダーマンだ。俺もコイツも、アメコミの大ファンなので趣味は大抵合う。
「俺がもし、報復に全員ぶっ飛ばすって言ったらお前は満足だったのかよ。それを手伝うとでも?」
「まさか。気は確かかって言って止めてたんじゃねーの? 怒りに我を忘れて高校デビューだなんて今どき流行らねーよ。お前の活動を支持してんのは、俺がロサンゼルスいちの平和主義者だからだぜ?」
何か面白いコマが描かれているページだったのか、リカルドは短く笑った。
「犯人捜しくらいには付き合ってくれるのか? てか、付き合え」
「別に構わねぇけど大っぴらにはすんなよな。俺だって怪我なんかしたくねーよ」
「分かってる。ボコられてる間に少しだけ相手と話したんだ。ワンクスタだってのは認めてた。家族にメンバーがいる奴や、メンバー入りを目指してる連中なのは間違いない。それだけでもかなり絞れるだろ」
学内で軽く聞き取り調査をすれば分かりそうだ。ただし、誰が敵なのか分からないため、聞き取りを行う相手は慎重に選ばなければならない。
不幸中の幸いと言うべきか、ワンクスタやギャングスタはそのファッションが特徴的なので目立つ。登校時にその恰好をしている奴は皆無なので、休日に出歩いてさらなる調査をする必要があるが、そこにハイスクールでの聞き取り結果と一致する顔を見つけることが出来れば完全にソイツは黒だ。
「学校にはいつから来るんだ?」
「休むのは明日までだな。明後日には行くよ、ご大層な松葉杖ついてな」
「ならせめて動き出すのは松葉杖が取れてからだな。目立ちまくりだっての」
リカルドの意見はもっともだが、俺はそんな事を待つつもりは無い。学内に巣食っているワンクスタの奴らに俺の顔は割れているのだ。松葉杖という目印が無くても常にマークされているだろう。
「いいや、俺は動くぜ。むしろ俺が目立ってるなら、お前が手伝ってるのは目立たなくなっていいんじゃねぇか?」
「何だよ、別々で動くって事か。俺はてっきりお前の横であれこれ手伝わされるものだと思ってたぜ」
「俺がクソした後にケツを拭く仕事かと思ったか? 校内で聞き取りして怪しい奴のリストを作るだけだ。別行動の方がいい」
「呆れるくらいのタフさだな。身体も中身もよ。ボクサーでも目指したらどうだ? ハイローラーになれるぜ、お前」
リカルドが、やれやれと肩をすくめる。決まりだ。
ちなみにハイローラーとは金や女に不自由しない大金持ちの事を表す。俺の夢はそんな事じゃないっての。
「そういえば、悔しいがもう一つ、お前に話したいことがあった。ファイブガイズで出くわしたギャングスタ、覚えてるだろ?」
「もちろんさ! 内心ビビりまくりだったが、あんなに興奮したのは久しぶりだぜ! 忘れるわけねーだろ!」
「何でちょっと楽しそうなんだよ、お前? ムカつく野郎だな」
相手は忌々しいギャングスタだ。今言ってたようなボクシングやNBAのスーパースターに出会ったのとはわけが違う。それでも気安く面と向かって話せるような存在ではない、というのは共通しているので浮かれてしまっているようだ。
「うるせー。そんで、アイツがなんだってんだ?」
「俺がボコられてる最中に奴が現れたんだよ。別にワンクスタの連中とグルだったんじゃねぇ。たまたま奴が通りかかって、そんでワンクスタはビビって逃げていきやがった。俺を置き去りにしてな」
「マジかよ! ちょっと身体見せてみろ! 実はどっかに風穴空いてんじゃねーのか、クレイ!」
「だあっ! 触んな、くそったれ!」
冗談がらみに俺をおちょくってくるリカルドを押しのける。こうやってちょっとでも力を入れると、身体中が痛みで悲鳴を上げる。畜生め。
「ま、生きてるってことは何もされなかったんだろ」
「まぁな……むしろ俺を家まで運んでくれやがった。何を考えてんのかさっぱり分からねぇ」
「おい、お前……家を知られたのか? まさか売りのカモにされんじゃねぇだろうな。それとも軽い悪戯のつもりで家を燃やされるんじゃ……」
興奮していたリカルドの顔が、嘘のように青ざめていく。俺も同感だ。何が起こっても不思議ではない。だが、もう済んだことでウジウジと悩んでいるのも癪だ。あのベンとかいうギャングスタが突っかかってきた時に考えるしかないだろう。
「どうなるか分からねぇから先に言ったんだよ。しばらくここに来るのはやめとけ。話なら明後日以降にハイスクールで。いいな?」
「わ、わかった……そんじゃ、俺、帰るわ」
明らかに怯えた様子のリカルドが立ち上がった。コイツには悪いことをしてしまったなと心で詫びるも、さすがにギャングスタ相手のいざこざには巻き込みたくない。
とにかく俺はあと一日、ゆっくりと身体を休めることにした。