Blame! B.K.B
翌朝、気持ちの良い目覚めを得た俺は、意気揚々とハイスクールへと向かった。クラスメートらに挨拶しながら着席すると、先に来ていたリカルドと目が合った。どことなくやつれているように見える。さすがに無視は出来ない。
「よう、どうした?」
「ん? あぁ、おはよう」
「寝不足か?」
リカルドは肩をすくめるだけで否応とも言わない。分かりやすく、隠し事が下手なやつだ。俺が肩に手を置くと、目を逸らしてリカルドはボソリと呟いた。
「今朝、兄貴が怪我したんだよ。家の前でさ。標識にタグを書いてたワンクスタを注意したって」
タグ、というのはカラーギャングの連中がスプレー缶を使って書き記す縄張りの印だ。俺達の街では、通りのあちこちで真っ赤なスプレーで書かれたB.K.Bという文字のタグが見られる。ワンクスタは本物のギャングスタではない、見かけ倒しの半グレを表す。ワック(ダサい)とギャングスタを掛け合わせた造語だ。
こういったつまらない真似をするのも、ギャングの影響が強いせいだ。奴らが関わっていなかろうと、副作用的な被害の数は馬鹿には出来ない。被害はママゴトじみた小さなものかもしれないが、見過ごしていいはずがない。
「クソが……怪我は平気なのか?」
「かすり傷だよ。でも、またタグは書きに来やがるだろうな」
「つまらない悪戯しやがる。でも、また怪我をしちゃ大事だ。悔しいだろうが、兄貴にもほっとくように言って、次は警察に連絡しろよ」
本当は俺だってタギングを許す気などない。それでも、誰かが傷つくのを回避できるならばそっちを選ぶ。タグは通報して、あとから街の職員に消してもらえばいい。いたちごっこで何度も何度も消されれば、スプレー代がバカバカしいと思って観念するはずだ。ワンクスタ相手なら、大した意味を持ったタグではなく、愉快犯でしかないと思う。
しかし、これがギャングスタ相手ならもっと厄介だ。奴らは人目につく場所にタグを施すし、誰かがこれを消した場合はその報復が行われる可能性もある。殺しにまで発展することは稀だが、警察車両だろうとお構いなしに燃やされてしまう。そのため人々には手が出せないでいる。
「言ってはおくけど、兄貴も次はバット持ち歩くって息巻いててさ。困ったもんだよ、あんな阿呆は放っておきゃいいのにな」
「そこまでの気合だったら、俺の考えにも賛同してくれるかな? お前の兄貴」
「いや、ウチの周りで悪さすんなって思ってるだけだよ。お前ほど立派な志があるわけじゃない。別にB.K.Bがどうとかは考えてないね、あれは」
リカルドの兄貴のような考えは珍しいものではない。とにかく、自分と関係のないところでやってくれ、という考えだ。ギャングを根絶しようという俺を否定はしない。だが、力までは貸してくれない。いわゆる中立的な立場を取る。別にアンケートを取ったわけではないが、この考えの人間が一番多いのではないだろうか。
それならば、ワンクスタではなくギャングスタ、つまりB.K.Bの活動エリアの中心付近に住む人々が、火の粉を払うために立ち上がりはしないのかという疑問が生まれる。だがこれは無理だ。アジトやメンバーの家が集まっている一角は、そのほとんどがメンバーの家族であったり、関わりの深い人間たちのコミュニティで形成されている。そして、ギャングスタはファミリーや地元を愛し、他者に対するそれとは比べ物にならないほどの厚遇を持って接する。これが厄介だ。奴らと住民の結束を強くし、ギャングは悪い存在であるという事実から当事者たちを盲目的にしている。
一度はその中に呑まれていた俺は良くそれが分かる。幸いにも数年でお袋の実家という、B.K.Bのコミュニティから少し離れたエリアに引っ越した俺はそれに気づくことが出来た。
「ワンクスタだってのはどうして分かったんだ? バンダナか?」
「バンダナもそうだが、お前だって見れば分かるだろ? 纏ってる空気っていうか、迫力が全然違う」
これには頷かざるを得ない。ギャングスタに対峙したときは絶望感と怒りを感じるが、ワンクスタに対峙したときは怒りよりも先に侮蔑と苦笑いが浮かんでくる。
「どんな奴らだった?」
「あー……俺は見てねー。中学生くらいのガキどもだったって話だ」
「馬鹿な憧れを持ってる、典型的なクソガキか。早く自分らの間違いに気付いてくれれば良いのに」
ワンクスタは比較的、年齢が若い傾向にある。ギャングにも13、14歳であれば入れるのだが、その若さで手荒い集団暴行に耐えれる人物が少ないからだ。一度、苦渋を味わい、心と体を鍛え直して数年後にメンバー入りする、というのがお決まりのパターンらしい。そんなことに心血を注ぐのならば、勉学やスポーツに打ち込めないものかと思うのだが。
ここで先生がクラスルームに入ってきた。名残惜しいが、ワンクスタへの悪態をつくおしゃべりはここまでだ。
……
ようやくこの時がやってきた。俺は昂る心を抑えようとするが、やはり本心に嘘はつけない。胸を張ってホワイトボードの前に立つと、持参したレポート課題の紙を目の前に持ってきた。
横に控えている黒縁メガネの先生に視線を送る。彼は軽く頷いた。
「んじゃ、みんな聞いてくれ。俺のレポート課題のテーマはズバリ、街にはびこるギャング組織の壊滅についてだ」
皆が一様に驚いた顔を見せた。してやったりだ。これは、そんなこと一度も考えた試しが無かったという意味だろう。いいんだ、これから俺がお前たちの意識を変えていく。
ただ、解せないのは先生の顔が少し曇っているという点だ。彼は教師だし、犯罪組織の壊滅を考える若者に称賛を与えるべきではないのだろうか。いや、そうか。こういった言動によって、俺が良からぬ輩に危害を加えられないか心配してくれているのだろう。
「この街にはブラッズのギャングがいることはみんなも知っての通りだ。よく事件なんかを起しているよな? 俺はそういった連中がいなくなればいいと思ってる。悪いがどうやって、というのは色々と考えている途中だ」
いくつか野次が飛んだ。発表するならそこを考えろよ、とかいう他愛もない言葉だ。俺はそれを手で制して先に進む。
「でも、奴らがいなくなった街にどんなメリットがあるのか。それと今現在どんなデメリットを抱えているのかをまとめてきたんだ。これを聞いて、一人でも多くの奴がギャング組織の壊滅を望むという俺に賛同してくれると嬉しい」
まず、治安がいい他の街の例をつらつらと並べた。夜に一人で出歩けたり、暴力沙汰に巻き込まれることなんてない。落し物は高確率で持ち主の元に返ってくる。騒音が少ない、道端にゴミが落ちていない、などだ。
どれもこれもその街にとっては当たり前の事。だが俺達にとっては夢物語のような話だ。実際、そんな街あるはずがないだろうと誰かが叫んだ。そう、これがここに住む俺達の常識なんだ。外の事は知らない。街を出れば、市を出れば、州を出れば、国を跨げば……俺たちの想像もつかないような世界が広がっている。テレビをつければそんな光景も映っているというのに、どこか違った、自分たちとは一生関わりのない魔法か何かだと思い込んでしまっている。
そして、デメリット。今述べたメリットのほとんどをかき消してしまっている原因はギャングだ。彼らは暴力で人を傷つけ、殺し、金を奪う。それに対抗、あるいは同調する形で周りも粗暴になるという影響を受けてしまう。町全体の民度が低くなればゴミだって道端に捨てられるし、あたりかまわず騒いでいる酔っ払いや薬物中毒者も増えてしまう。
ギャングの商売もデメリットだ。クスリ、武器、盗難車、賭博、人さらいに殺し。どれもこれも街の汚点を増やすばかりの代物。何一つ良いことなんかありゃしない。
「以上が、俺がこの街からギャングを消したいと考えている理由だ。聞いてくれてありがとな。この考えに賛同する奴がいたらいつでも歓迎するから声をかけてくれよ」
そして、発表を終えた俺を待っていたのは、リカルドと他数人のまばらな拍手と、先生の「あとで研究室に来てくれ」という冷たい声だった。
……
面と向かって椅子に座っている黒縁メガネの先生は、まず最初にやんわりと力なく笑った。そして、カップに入った甘いカフェオレを手渡してくれる。
「見事な発表だったよ、クレイ。熱いから気をつけて飲んでくれ」
「ありがとう、先生。それで、どうして俺はここに?」
「うん。君の考えは何一つ間違っちゃいない。周りの目を気にせず、よく声を上げたね。先生は素直に称賛を贈りたいと思ってる。でも、それと同時に心配だとも思っているんだ」
やはりそうか。この考えがいつかギャング共の耳に入り、俺に危害が加わるのを先生は恐れているんだ。
「学校という限られた場所でなら私たちも君の自由な意思を尊重したい。そして君の身も守ってやることが出来るだろう。しかし外ではそうもいかないんだ。分かってくれるね?」
「もちろん、それは覚悟してる。いつかはぶつかるんじゃないかって。でも、それを恐れて誰も何も言わなかったら、いつまで経っても悲しむ人は減らない」
「覚悟というのは、君自身の他に、君の家族や賛同してくれた友達、ご近所さんたち、さらにその友達や家族、そしてさらにもっと……すべての人を守るという覚悟だと思っていいのかな? きっと、自分だけの問題ではなくなる」
俺は鼻で笑ってやりたい気持ちをぐっとこらえた。最初から俺はこの街のすべてを変えるつもりなのだ。賛同していようが反対していようが、ギャングがいなくなればすべて解決する。そしてそれは絶対に良い未来を生む。
「この学校にも色んな子が通っているのは分かっていると思う。その中には、君が否定している組織のメンバーを家族に持つ子や、直接的な関わりがある子もいるだろう。それほどまでに街に深く根付いているのがこの問題の現状だ。君の意見が広まった場合、学校で堂々と非難される彼らはどう思うだろうね?」
俺は固まった。意味が分からない。家族が悪事に手を染めているのであれば、それをやめさせるのが当然ではないか。非難されるのではなく、進んで非難する側に回って家族を叱るべきだ。
「確かに良くない噂は後を絶たないとも。それは決して褒められたものではない。だが、貧困に喘ぐ者たちがやむを得ず必死で生きているのも事実なんだ。貧困街に暮らす人々は、元は奴隷階級だったという悲しい背景を抱えていて、それが負の連鎖を生んでいる。それを監視しつつも、ある程度は黙認しているというのがこの街の……」
「なんでだよ!!」
カップを床に落とし、俺は立ち上がった。
「貧困が悪事を助長しているのなら、なおさら悪事に手を染めている連中は考えを改めるべきじゃねぇか! 生まれた環境のせいにすんな! 俺だって元はギャングの息子なんだからな!」
クソが! 黙認だと!? 悪いことは悪い! そんなことはガキだって分かる常識じゃねぇか!
逃げるように研究室を飛び出したところで、大きく視界が一回転する。どうやら誰かに足を引っかけられたようだった。