Talk! B.K.B
俺が連れてこられたのはセントラルパークから歩いて十分ほどの場所にある朽ちた木製の建物だった。一度強風で崩れたものを無理やり素人が突貫工事で直したような、そんな印象を受けるほどボロボロになっている。
その外壁にはびっしりとタギングが施され、入り口にはホワイトハウスに立つ星条旗の如く、大きな赤いバンダナが棒先に括り付けられて風に翻っていた。
俺の身体の震えはまだ止まっていない。
「ここは、なんだ……」
前を歩くサーガも、横につくギャングスタ二人も何も答えなかった。
建物の中は、その外見からはまったく想像がつかないものだった。さして広くフロアに、長椅子が部屋の奥に向かっていくつも並んでいる。その先には祭壇。そして聖母マリアの絵画や十字架が壁に飾られている。
これは……まさか、教会か? 質素ではあるが、中にはタグも描かれておらず、ゴミなども落ちておらず、極めて清潔に、そして静謐に保たれている。
そのうちの一つの長椅子にサーガが座った。胸で軽く十字を切った後、手を組んで黙祷をしている。まさか、ギャングスタの大物らしき人物が信心深いとは意外だった。この教会も、彼がメンバーに指示をして作らせたのだろうか。
「適当に座らせろ。それと、お前たちはちょっとだけ外で待っててもらえるか。コイツと二人で話がしたい」
「俺達は構わねぇが、平気か?」
二人がサーガの身を案じている。俺が危険だと思われているのか。
そもそも俺と話すってのはどういうつもりだ。俺はコイツに用なんかねぇってのに。隙をついて逃げてしまおうか。速攻で足がもつれて転ぶのがオチだが。
「あぁ……平気だ。左足一本動かないくらいで、俺が誰かに負けるとでも思うか?」
「そうは言ってねぇよ。じゃあ後でな、ニガー」
ニガーは黒人同士で使われる呼び名だ。本来は差別用語であり、禁止用語である。ギャングスタみたいなガラの悪い黒人連中はあえてそれを互いに使うわけだ。ただし、人種に強く依存する単語なので、みだらに多人種がニガーと言うと殺される事もあるので注意が必要である。
「好きなところに座れ」
震える足でよろよろと歩き、俺はサーガからかなりの距離をとって別の長椅子に座った。
「そろそろ、その頑丈なマスクを脱いだらどうだ」
「……俺を……どうするつもりだ」
それには応じず、枯れた声で質問を絞り出す。よくやったと自分を褒めてやりたい気分だ。こんな化け物の中の化け物を相手に、一対一の状況で口を利くなんて。いつ襲いかかって来るか分かったものじゃない。次の瞬間には俺の額に風穴が空いていたって何も不思議なことでは無いのだ。バイク用のヘルメットだって、銃弾までは防げないだろう。
怖い……ただ、ただ、そう思った。
「お前がセントラルパークで何をしていたのかを答えるのが先じゃねぇのか?」
サーガがズボンのポケットに手をやった。俺はびくりと反応する。
だが、サーガは取り出したタバコに火を点けただけだった。いや、あれはジョイントか? まぁ、もうどっちだっていい……
「あぁ……B.K.Bの……」
「B.K.Bの?」
クソッ! どうせ殺されちまうんだ! 言えよ! 言っちまえ! いつまでビビってんだよ、くそったれの根性なしが!
そんな思いとは裏腹に、俺の舌はまるで痺れたかのように上手く回らない。それに口の中が乾いて気持ちが悪い。飲み込もうとしたカラカラの唾に水分は無く、苦味しかない。
「いや……」
「クレイ」
「……!?」
今、コイツは俺の名前を呼んだのか!? まさか! いくらなんでも俺の正体がバレているはずがない!
しかし危ないところだった。「なにっ」などと驚いた声を出してしまえば、自分の身元を晒すようなものだ。最悪の場合、関係が深いK.B.Kの連中を割り出されて始末されてしまうかもしれない。消されるのは俺だけで充分だ。
アイツらに迷惑はかけられない。俺は死んだって身元だけは明かさないぞ。
「どうしてだって顔がそのヘルメット越しでも分かるぞ」
「……何の話をしてる」
どうなってるんだ。当たり前だが、俺はこんな奴と面識なんてない。何でコイツは俺の事を知ってる? いや、そもそも俺の事を知っていたとしても、なぜ俺だと分かってるんだ。顔は見せてないってのに。
「お前の話だ」
「ふん……」
だがそれでも俺は認めないぞ。コイツは当てずっぽうで言っているに違いない。俺が認めなければ、結局誰だったのかなんて分かりっこない。
「ま、何も言いたくないなら適当にくつろいでてくれ。俺は聖書でも読んでるとしよう」
「俺を……殺すんじゃないのか」
「さぁ、どうだろうな」
サーガは宣言通り、祭壇に置いてあった聖書を読み始めた。何がしたいんだ、コイツは。
聖書に視線を落とすサーガは完全に無防備だ。俺はコイツがいかに悪党だからといっても、殺したりするつもりは無い。俺は人殺しなんかじゃない。サーガが自分は襲われないだろうと、たかを括っているのであればそれは正解だ。そして、逃げられないだろうと思っているのならば……それも正解だ。
奴の意識は俺から外れている。別に怒ったり威圧的な態度を取られているわけでもない。むしろ逆だ。理由は分からないが、奴は穏やかに接してくれている……つもりなのだと思う。
だが、それでも俺は恐怖心を抑え込むことが出来なかった。この、サーガという男に慣れることが出来なかった。嫌いだとかそういうレベルの話をしているんじゃない。
たとえば、腹を空かせた野生のグリズリーやライオンを目の前にしたときに人間がどう感じるだろうか。今は何もしてこないから安心だ、なんて思えるか? きっと、今の俺と同じ気持ちだ。こっちを見ていなかろうが、次の瞬間に気変わりして食われないと、撃たれないと、どうして言える。
チラリとその顔を伺う。聖書に集中しているようだ。
背は大きくないがでっぷりと太った身体。髪は短く刈り込んであり、髭も丁寧に長さを揃えて手入れしてある。服は上下ともにベン・デヴィスか。これはグレー色の地味なものだが、それに対比して真っ赤なオールスターが映える。
首元にはチェーンで小さなロザリオを下げていて、そこに濃いロークをぶら下げている。どことなくチカーノの格好に近く、大物のギャングスタにしては質素だ。
見た目だけで言えば、もっと迫力のあるギャングスタは多いだろう。実際、セントラルパークに集まっていた連中は誰もが屈強に見えた。
それでも……このサーガという男が出す空気感は誰からも感じることが無かった。人に与える圧というものが、身体の大小でも、恰好の貧富でもないということが、嫌でも理解させられる。
「あん? 何でこっち見てんだ? 何か話す気になったか」
「馬鹿言え……」
「暴れたり逃げたりしねぇのは褒めてやるよ」
それが出来りゃやってるっての! お前に気圧されて出来ねぇんだよ!
声には出さず猛抗議をしていると、後ろの教会の扉が開いた。タイムアップか……いよいよ処刑人の登場というわけだ。
俺は振り返れない。
「よう、早かったな、ドッグ」
サーガは動かない俺とは違い、立ち上がってソイツを歓迎した。奴が電話で呼んだのだろうから当然だ。ちなみにドッグは親友とも言うべき、心の通った相手に使う呼び名だ。
「久しぶりだな、ニガー。元気にしてたか」
「あぁ、よく来てくれた」
パンパン、と互いにハグをして背を叩き合うような衣擦れの音が聞こえる。
久しぶりだと? 処刑人はギャングメンバーじゃないということか。ギャングスタ御用達の殺しの外注業者がこの街にいるとは恐れ入った。
「それで、クレイ。お前はこんなところで何をやってんのかなぁ」
サーガの声ではなく、別の声。つまりこれは背後から教会に入ってきた処刑人の声だ。しかもこれは……
上手く動けなかったはずの身体が反射的に素早く振り返った。
「なっ……! メイソンの兄ちゃん……!?」
「よっ。怪我はなさそうだね」
どうして彼がここに……!? サーガが呼んだのはメイソンだったのか!?
「クレイが遊びに来てるぞって連絡があったんだ。それで俺がお前のガラを引き取りに来たってわけ」
「待て待て……! 待てよ! 何がどうなってるのか、俺にはさっぱり……」
「ニガー。クレイには本当に何も話してないんだな」
サーガの言葉にメイソンは肩をすくめる。
「クレイが思い出さなきゃ、そして気づかなきゃそれでいいと思ってたんだけどね」
「コリー・メイソン……コイツはブラックホールってニックネームで呼ばれてた。俺達B.K.Bの初期メンバー11人、イレブントップの一人だ」




