Dive! B.K.B
バルン、バルン! という、単気筒エンジンの軽く心地よいレスポンスが俺の体を震わせる。ようやくリカルドと共に免許を取得した俺は、ついに今夜、B.K.Bのお膝元に向けて出発するところだ。
ちなみに今週末はバイトを休んでツーリングの予定がある。グレッグはバイトのふりをして家から出てきて合流し、俺とリカルドのどちらかの後ろに乗る約束だ。
ヘルメットはオフロードバイク用のものにゴーグルをはめて完全に顔を隠す。車体もヘルメットも白を基調としたカラーリングなので、闇夜では若干目立ってしまうのが玉に瑕だ。
カメラ、つまり携帯電話は首からストラップで吊るしてシャツの胸ポケットに入れてある。コイツを落としたら証拠も何も残らないので、状況によっては命の次、乗っているバイク以上には大事なものになる。
「ヘッドライトは……なんだよ、バイクってライトが消せないのか」
球を外してしまおうかとも思ったが、途中で事故を起こしては元も子もないのでこのまま出発する。
奴らのテリトリーの中心部までは、バイクや車であれば十五分ほどの距離だ。バカみたいに飛ばせば五分くらいだろうが、俺はそんな危険運転はしない。
時刻は夕暮れ時で、会社や学校からの帰りで行き交う車もそこそこの量だ。自転車や歩いている住民の姿もある。
だが、やはり目的地に近づくにつれて壁や看板、路上に描かれているB.K.Bの真っ赤なタギングが嫌でも目に付き始めた。ワンクスタがいたずら半分で描いた紛い物ではない。正真正銘、ギャングのタグだ。
緊張のせいか、口の中に苦いような酸っぱいような、とにかく不快な味が広がった。
歩く人の中に、とうとうギャングメンバーらしき奴がいるのに気づいた。カーキのチノパンに上半身は裸だ。バンダナを垂らしているかどうかまでは見えなかったが、ソイツの前をバイクで通り過ぎる。
ミラーをちらりと見ると、ソイツもこちらを訝しげに見ていた。背中にわずかばかりの怖気と、冷たい汗が流れる。
それから数ブロック走り、俺はエンジンを止めた。目立たない物陰にバイクを立てて降車する。無論、ヘルメットは取らない。顔が割れては大変だ。
タイミングよく、夜の闇が街を包み始めた。街灯の下にさえいなければ個人を特定するのは難しいだろう。だが、それはこちらも同じだ。ギャングスタの悪事を暴こうにも、この携帯電話のビデオがどこまで暗闇で仕事をしてくれるかにかかっている。
「……聞いたかよ。またアイツらが入ってきて捌いてるってよ」
「あぁ? ふざけんなっての。何度目だよ、マザーファッカーが」
歩きで一本の細い路地に差し掛かったとき、そんな声が聞こえてきた。俺の緊張がさらに一段回高まる。内容まではわからないが、ギャングスタたちの会話に間違いない。
俺は身をかがめて、ゆっくりと顔だけで覗き込んだ。
頭に真っ赤なバンダナを巻いたギャングスタが二人。年齢は十八、九といったところだ。道端に座って紙袋に隠した酒瓶をあおっている。
路上での飲酒は犯罪行為だ。わざわざ紙袋で覆ってまでこんな場所で飲むんじゃねぇよ。ていうかお前ら未成年だろ。
大した罪でもないが、俺は一応カメラを向けて回し始めた。
「そんで、うちのボスはなんか言ってるのか?」
「いや、今はまだ時じゃねぇから放っとけってさ。こないだ何人かパクられたせいで、兵隊も減ってんだから仕方ねぇよな」
「冗談じゃねぇ。俺がその場にいたら頭に血がのぼってぶち殺しちまうところだぜ。上は慎重すぎんだよ」
なるほど。B.K.Bといえども考え方は一枚岩ではないのか。こういった反感を持っている奴を協力者に仕立て上げて密告させるのも有りだな。
「おい、あんまり出過ぎた真似すんじゃねぇぞ。ホーミーがお前の尻拭いする羽目になるだろうが」
「うるせぇ、余所者からこの街を守るために俺は生まれてきたんだよ」
ふん、悪者の分際で正義のヒーロー気取りか。ちゃんちゃらおかしい野郎だ。犯罪者め。
録画が開始されている画面を横目で確認する。やはり暗いせいで、個人の顔の特定までは難しそうだ。肉眼でもはっきりとは分からないのだからこんなものだろう。残念だが、このままでは使えそうにない。
俺は一度携帯電話をしまい、勇気を振り絞ってさらに接近した。電柱の陰、ゴミ箱の裏、看板の陰……物音を立てて奴らの気をひかないように細心の注意を払う。
奴らは話に夢中な上、酒を飲んでいる。周りに気を張っているとは思えない。大丈夫、俺なら大丈夫だ。
「そろそろ時間じゃねぇか?」
「ん、何のだよ?」
「ほら、仲間入りを希望してるって新入りが来る時間だよ。セントラルパーク集合じゃなかったか」
一人が立ち上がった。マズい。こっちに来るんじゃねぇぞ。さすがに真横まで来られたら、視界に俺の姿が映ってしまうはずだ。
だが、俺のそんな願いは届かず、二人のギャングスタは揃ってこちらへ向かってきた。こうなっては仕方ない。携帯電話をズボンの尻に隠し、とにかく身体を小さくする。
「あん?」
「なんだ、コイツ」
畜生、見つかっちまった……
「おい、お前、何やってんだ?」
「ヘルメット被ってるぜ。ウケるな」
俺の心臓が早鐘を打つ。何か返すべきなのかは分からない。どちらにせよ、声など出ない。聞こえていないふり、狸寝入りでもしておくのが精いっぱいだ。幸い、ヘルメットのおかげでこちらの表情は分からないはず。
「てか、セントラルパークに急ぐんだろ!」
「いや、でもなんかコイツ怪しいぜ? 奴らの仲間じゃねぇのか?」
クソッ……! そんなんじゃねぇから、さっさとどっか行けよ……!
「おい、寝てんのか? もしもーし」
コンコン、とヘルメットの天辺を小突かれた。もちろんここで反応するわけにはいかない。俺はだんまりを決め込むしかなかった。
「時間ねぇんだからさっさといくぞ! そんな奴は放っとけ!」
「でもさっきまでコイツいなかっただろ! てことは、俺達が気づかないうちに近づかれてたんだぜ? マジで怪しいじゃねぇか。殺すか?」
冗談じゃねぇ! こんなところで殺されてたまるか!
「ならお前が一人でやれよ! 俺はセントラルパークに行くからな! 遅れても知らねぇぞ!」
「あっ、待てよ! クソ、お前、何なのか知らねぇが次見たら殺すからな! 起きてんだろ、マザーファッカー!」
置いて行かれるのを恐れたのか、そんな捨て台詞を残してギャングスタは去っていった。とりあえずは助かったようだ……
俺は力を抜いてアスファルトに身体を横たえた。
およそ一分程度で呼吸を整え、腰を上げる。脚がガクガクと嗤って使い物にならない。一度、拳で両脚を強く叩くことで強制的に震えを止めた。
「……さすがに死んだかと思った」
しかし、ここでビビッたまま退散するわけにはいかない。今日、何度目になるか分からない勇気を振り絞る。
「セントラルパークとか言ってたな」
そこで何かが行われるのだろう。ギャングメンバーが集まるのであれば何かしらの問題行為を起こす可能性が高い。敵の目が増えることで発見されるという危険が増すのと同時に、こちらにとっても決定的瞬間を抑えるチャンスになるはずだ。
バイクを使ってそこまで移動しようかとも考えたが、さっきの二人は徒歩で向かった。排気音を響かせるデメリットの方が大きいと判断して俺も足を動かす。頭の中にある地図によれば、さしたる距離でもないはずだ。
セントラルパークと呼ばれる小さな公園は、遊具などは無いだだっ広い芝生といくつかの茂みだけを持つ場所だった。
そこにローライダーという改造車が数台、円を作るように中心に向けてヘッドライトの光を浴びせている。そこがパーティー会場というわけだ。
何をするつもりなのか知らないが、ライトの明かりのおかげでビデオはバッチリ映る。それに公園の外にいる俺の方は中央の光と対比して暗く見えるので、発見される恐れが少しは減るはずだ。
「おーい、新入りはまだかー?」
「俺に聞くなって! 知らねーっての!」
がやがやと騒がしい。集まっているB.K.Bのメンバーは二十人といったところか。ここまでの集団を肉眼で見るのは初めてだ。そのほとんどが中央の光の中に立って、何かが始まるのを待っている。
やがて、新たに一人の男がそこにやってきた。ボロボロのデニムと白いTシャツ。くたびれたクロックスのサンダルを履いている。ギャングスタには見えない。
それも、よく見ると非常に若い。いや、若いどころか幼い。十一、二くらいじゃないか?
「ひゅー! やっとお出ましかよ! 覚悟は決めてきたか、マーティン!」
そうか、新入りがどうのとか言ってたな。今日はその歓迎会ってわけか。いちいちそんなことを公園でやるなっての。かび臭いアジトでも使ってひっそりとやりやがれ。
こうやってまた、街にたむろするゴミが一人増えるわけか。それもあんなガキを受け入れるなんて……哀れな話だ。
バキッ!
「ごっ……ふ……」
「しゃああああ! やっちまえ!」
俺は目を疑った。あいつら、仲間に何をやってんだ!
一人、また一人とその幼い新入りに一斉に群がって、殴り、蹴り、投げ飛ばし、引きずり、無理やり立たせてはまた倒し……暴力の嵐が吹き荒れている。
俺の戦慄とは反対に、会場のギャングスタたちのボルテージは上がっていった。




