Fun! K.B.K
「これがクラッチで、こっちがギアシフトだ」
「なんだよ、やっぱり車と全然違うもんなんだな」
およそ一か月後、とうとう俺はメイソンからバイクを譲ってもらうことが出来た。車の免許は持っているが、バイクの免許は持っていないので、取得の前にこうしてメイソンから乗り方のレクチャーを受けているところだ。
このバイクは始めから状態が良かったので、バッテリーやオイル周りを交換しただけですぐに走行可能となった。
ちなみに、リカルドが乗る予定のハーレーはレストアの途中なのでまだ動きもしない。言い出しっぺに先んじて俺が自分の愛車を手に入れ、そして運転をしているわけだからリカルドはカンカンだ。もちろん、奴の給金が宣言通り差っ引かれているのも怒りに起因している。
「さっさとこけろー」
工場内からスパナを振りあげて奴が叫んでいるが、俺とメイソンは無視した。
クラッチを繋いでアクセルを捻ったつもりが、WRは「ストン」とエンストした。ふらつくが、軽い車体のおかげで転倒は免れた。
やはりこのくらいのサイズであれば扱いやすい。大型バイクであればこうはいかなかっただろう。リカルドの期待通り、バイクと仲良くおねんねするところだ。
「クラッチを放すのが早いな。まずはアクセルを意識せずにゆっくりとクラッチを繋ぐことだけ考えると良いよ。平地ならそれでも発車できるから」
「わかった」
エンジンをかけ直し、もう一度チャレンジするも失敗した。そして三度目でようやく車体が転がり始める。
「よし、いいぞ。クラッチを握って前後のブレーキをかけるんだ」
発車ができれば次は停車か。停車時にも俺はエンストさせてしまった。クラッチをうまく握れていなかったのだろう。遠くでまたリカルドの野次が聞こえる。いいからハーレーを直せっての。
……
「おっ? なんだ、バイクの練習かよ」
「あ」
いつの間にか日が高くなった頃、不意に声を掛けられる。運転に夢中で気づかなかったが、車を店先に乗り入れてきたのは、なんとシザースだった。上下カーキ色のディッキーズに、赤いコンバースを履いて赤いニューエラを被っている。バンダナは右尻のポケットからひらひらと顔を覗かせていた。
ひと月以上待ったが、ようやく会えたな……!
メイソンは少し離れた場所で仕事をしていたが、あまり俺とシザースを会わせたくなかったらしく、遠くからでも分かるくらい顔を歪めている。
「シザース! てめぇ!」
バイクのサイドスタンドを立てて降りる。
「うるせぇよ! マジでいつも叫んでんな! 聞こえてるっての!」
「シザース、よく来たね。何か部品がいるのかい」
メイソンが近寄ってきて俺とシザースの間に身体を割り込ませた。笑顔が張り付いているので仕事モードだ。
リカルドもハーレーのレストア作業を放り出して駆け寄ってきた。おい、喧嘩じゃねぇんだから、スパナを持ってくるなよ。
「シザース、答えろ。こないだ一人、チャカで弾いただろ」
「あぁ? 何言ってんだ、てめぇ?」
詰め寄ろうとする俺をメイソンが押しのけた。シザースは何の話か分からないと首を捻っている。なるほど。人を殺しておいて、ひと月も経てばそんなことはすぐ忘れちまったってか。クズが。
「クレイ、ちょっと黙っててくれ。リカルド、作業に戻るんだ」
「黙ってられるか!」
「一応、これが目的だからな。悪いね、メイソンの兄ちゃん」
俺もリカルドもメイソンの言葉には従えない。目の前にシザースがいるのだ。直接問いただすに決まってるだろ。コイツが殺したのはジェイクを街から去らせ、グレッグが大怪我を負うきっかけを作った男なのだから。
「おい、待ってくれよ。マジで話が見えねぇんだが。お前ら、俺にキレてんのか? なんで?」
「お前が先月、人を殺したかどうかを訊いてんだよ!」
「知らねぇよ! いちいちうるせぇってんだよ!」
ゴン、と鈍い音が頭の中で響いて、目の前で星がチカチカと輝いた。そのままぐらりと身体がゆらいで、俺はゆっくりと膝から崩れ落ちそうになる。何だ……?
「ぐぅっ……」
あぁ、どうやら軽い脳震盪を起こしているらしい。顔が地面とキスをする前に肩を引き寄せられた。
「はいはい、ケンカするなー」
メイソンの声。拳骨を脳天に食らわされたみたいだ。なんだよ、この馬鹿力は……ふざけんな……
ぺちぺちと頬を軽く叩かれて明確に意識が戻ってくる。
「いってぇな……!」
「悪い悪い」
膝立ちの俺を支えているメイソンと、分かりやすく口を抑えて吹き出しているシザースが見えた。どうやらメイソンの鉄拳制裁を受けたのは俺だけらしい。熱くなり過ぎだって言いたいのか。クソったれめ。
リカルドが「大丈夫か」と言いながら背面から俺の両脇に腕を入れ、抱きかかえるように立ち上がらせてくれた。
「しかしそんな物騒な話を大声でするなよ。もしまだ怒鳴り続けるなら……お前はここから退場だ、クレイ。いいね?」
「チッ……分かったよ」
「いい子だ」
肩に置かれようとしたメイソンの手を俺は払って彼を睨みつけた。ついでにシザースの面もだ。メイソンが「オーライ」と両手を上げる。
「ガキ扱いはやめてくれよな」
「はいはい。そんじゃ、とりあえず先にシザースの用件を聞こうか」
「あぁ、なんかパンクしちまったんで直してもらおうと思って来たんだよ」
クラウンヴィクトリアの左前輪を指差すシザース。確かに空気が抜けてひしゃげてしまっている。
「分かった。クレイ、修理してあげな」
「何っ! ふざけんなよ! 何で俺がこんな奴の車を直さなきゃなんねぇ!」
怒鳴ろうが怒鳴るまいが、俺をこの場から遠ざけようとしてるじゃねぇか!
「シザースから物騒な情報を聞き出したいんだよね? その駄賃みたいなもんさ」
「そうだぞー。何をキレてんのか知らねぇが、さっさと直しやがれ……いてっ!」
「お前もあんまり調子に乗るなって」
ふざけたことを口走ったシザースの頭にもメイソンの拳骨が襲い掛かった。俺がもらったのとは威力が全く違うようだが、それでもシザースは叱られた子供のように両手で頭を抑えている。いや、コイツは実際にまだガキンチョみたいなもんか。
「じゃあ、クレイ。よろしく頼んだからね」
「だから俺は……!」
「シザース、リカルド、コーラ飲むかい? 事務所の冷蔵庫に入ってるぞ」
俺の言葉を完全に無視してメイソンはこの場から離れていった。そして、シザースとリカルドも。シザースはともかく、リカルドも、だ。
……
俺はしばらく忌々しい気持ちでシザースの車を睨みつけていただけだ。数分後にリカルドだけがこちらへ戻ってきた。コーラの缶を二つ持っている。
「特別手当だってよ。ほら」
「コーラ如きでこの車のパンク修理をしろってか」
「まぁ、そういう事だろうな。お前のバイクの支払いのせいでここしばらくタダ働きだったしよ。まさかコーラなんか貰えるとは……涙が出そうだぜ。ありがたやありがたや」
厭味ったらしい事言いやがって。こうしてWRは手に入ったんだから、給料は復活するはずだろうが。
「言ってろ。俺は絶対にこんな仕事やらねぇからな。バイクの練習に戻る」
「ほー? そりゃ意外だぜ。今すぐにでもシザースのとこに突撃するのかと思った」
「メイソンにのされちまうだろ」
優男のようで、メイソンは屈強だ。悔しいが強行突破してシザースに問い詰めようとしたところでそれは叶わないだろう。
「メイソンの兄ちゃんなら、今ごろシザースに話を聞いてくれてるはずだぜ。俺がこの差し入れ受け取って出て来る時には話題振ってたし」
「何? だったらその場に残って聞いて来てくれよ」
「仕方ねぇだろ。コーラ持ってクレイのとこに行けって言われちまったんだから。俺だって出来ればそうしたかったさ」
シザースが起こした事件に関してはリカルドも当事者みたいなものだ。奴が白状した場合、メイソンはコイツも冷静ではいられないと判断したのだろうか。
何はともあれ、完全にK.B.Kは蚊帳の外にされてしまったわけだ。畜生め。せめてちゃんと聞き出してくれよな、メイソンさんよ。
「そういうわけだから、あっちはメイソンの兄ちゃんに任せて仕事は仕事としてちゃんとやろうぜ。めんどくせぇけど俺も手伝ってやるよ。じゃないと、いつまでもシザースがここに居座り続けちまうぞ。車が動かせねぇんだからよ」
「お断りだっての。お前だってやる必要はねぇよ。ハーレーでもいじってろ」
「クレイ、意地張ってる場合じゃねーって。今、言ったろ。メイソンさんは約束守ってくれてんだぞ? 給料も出るんだからいいだろ。嫌いなギャングスタから搾り取ってやると思えばよ」
そう言うとリカルドは工場内に一旦入り、パンクの修理キットや工具を台車に乗せて運んできた。本当に、金がかかると真面目なこった。
「ほら、やるぞ!」
「チッ……分かったよ! やりゃあいいんだろ!」
……
一時間後にメイソンとシザースが戻ってきた。シザースは何か言い含められているのか、俺の方を見ようともしない。
「クレイ、修理は?」
「見ての通りだ。応急処置だがとりあえず走れんだろ」
「よしよし。それじゃシザース、気をつけて帰るんだよ。払いは今度でいいから」
「りょーかい。んじゃな、メイソンさん。あとおまけ二人」
ふん、礼くらい言えよ。クソ野郎。まぁ、言われても中指で返すだけだがな。




