Wait! B.K.B
「メイソンの兄ちゃん、いるか?」
いつものように何気ない様子を装って、俺は整備工場内へと入っていった。だが、メイソンの姿はない。工場のシャッターは開いているので、不在という事はないはずだが、昼飯でも買いに出たのだろうか。
「ん……おぉ、クレイか」
工場内ではなく、裏手にいたようだ。裏手には雑草が生い茂る荒れ地しかない。エアコンの室外機や電力のブレーカーなど、工場内設備の点検でもしていたのだろう。
だが、メイソンが指でつまんでいるのは、工具ではなく紙巻きの大麻だ。そういうことか。火はもみ消されている。あとで続きを楽しもうって事か。
「おい……やめとけって」
「知り合いからの貰い物だよ。貧乏性だから捨てるのも勿体なくてな。たまにはいいだろ? 許してくれって」
俺は大きなため息を一つ。お袋から頼るようにと太鼓判を押された人物の醜態をいきなり見てしまったわけだ。何だかやるせない気持ちになってしまう。
もともと、メイソンに対しては生真面目な人間だというイメージはない。仕事中でもビールを飲むし、よくサボって居眠りもしている。納期切れだったのか、客が店先に怒鳴りこんでくるところを目撃したことだってある。
だが、人情味があって憎めない人物、というのが俺の下した評価だ。仕事の腕自体も悪くはない。むしろ敏腕だといえる。
ただしそれは作業の手際と出来栄えのみであって、仕事の回し方は最悪だ。気分で優先順位をコロコロ変える。言うまでもなく、俺やお袋の依頼は最優先でやってくれるので、あまり悪く言ってやるわけにもいかない、というのが正直なところだ。
「くだらねぇクロニックなんかで捕まんなよな。そうなりゃ俺が困るんだから」
「メシ、食いに行くけど一緒に来るかい?」
分かりやすく話題を変えやがった……まぁ、メシの場なら質問責めにできそうだし好都合だと俺は頷いた。
ちなみにクロニックとは大麻を表す隠語のようなものだ。
「あ、しまった。今日は手持ちがないんだ。クレイ、貸してくんない?」
「……あぁ」
高校生に金を借りるとは、どこまでもいい加減な大人だ。なぜ、お袋がご指名をしたのか、ますます分からなくなる。
トヨタのピックアップトラックでステーキレストランに連れてこられた。距離は整備工場から車で三分程度か。
仕事柄、当然なのだが、メイソンは色んな車を乗り換えている。このトラックも個人の持ち物なのか、工場で使う代車のようなものなのかは不明だ。
「好きなもの食べていいからね」
「俺の金だろ」
「だから借りるだけだってば。つまり結局は俺の金ってこと」
ため息を返したが、メイソンは鼻歌混じりにメニュー表に視線を落としている。
「そういえば、今日は修理か?」
自分の注文は決まったのか、メイソンがメニュー表を俺に手渡しながら訊いてきた。
「いや……ちょっと教えて欲しいことがあってな」
「ふーん、そうなんだ? とりあえず先に頼んじゃおうか。腹ペコなんだよ。すいませーん!」
今、メニュー渡されたばっかりだろ! 俺はまだ決まってないってのに、まったく!
「お決まりですか」
「俺はサーロインステーキで。付け合わせの野菜類はいらないから外して。それとビールを。あー、なんだバドしかないのか。まぁいいや、バドを一本ね。クレイ、お前は?」
「あー、えーと、これで」
「はい。少々お待ちくださいね」
ウェイトレスが来てしまったせいで、俺は大して選びもせずにハンバーグとポテトのセットを注文した。あぁ、くそ。ステーキ屋だってのに咄嗟にハンバーグなんか頼んじまったじゃねぇか。
しかもメイソンはちゃっかり酒まで頼んでやがる。帰りの運転は俺かよ。本当にこんなんでいいのか、社会人ってのは……
「なんだよ、その目? 喉乾いたんだからいいじゃん。楽しくいこうよ」
「言葉もねぇよ」
「そりゃどうも。んで、何か聞きたいことあるって言ったよな。何だい?」
「あぁ、お袋の事……なんだけどさ」
俺の言葉に一瞬、メイソンの顔が曇ったように見えた。だが、目の前にはいつもの優しい顔があるだけだ。俺の見間違いか?
「……大変だったもんなぁ。むしろ、こんなに早く元気になってるのが不思議なくらいだよ。しばらくは家に引きこもってるかと思ったけど」
「まさにその通りになってたさ。ホーミーが家をたまたま訪ねてくれなきゃ餓死してたかも」
「は、マジかよ? 俺も近々行くつもりではいたけど、気づいてやれなくてごめんよ」
先に運ばれてきたバドワイザーの瓶を傾け、メイソンが喉を鳴らす。別に謝ってもらう事なんてないが、仮にもアンタは謝ってる人間だよな? 酒なんか口にしながら謝罪されても何も伝わらねぇだろ……
「それは良いんだよ。俺はもう大丈夫だからさ。それよりお袋が数年前から身体を壊してたらしいんだ。知ってたか、メイソンの兄ちゃん」
「精神的に不安定な話とは別かい? 他にどこか悪いって話なら俺は知らないけど」
「そうか。兄ちゃんになら話してたのかもと思ったんだけどな」
はずれか……メイソンが何も知らないのなら、お袋の意思にも特に裏は無かったという事になる。単純に、いい人だから頼りにしなさいって事だろう。
「クレイ、お前はこれからどうするんだい?」
「何だよ、藪から棒に」
「そりゃ、これからは何でも一人で決めて生きてかなきゃいけない。親戚の家に入る気もないんだろ?」
遠くに血のつながりの薄い親族はいるらしい。だが、俺はそんなとこや施設にも行くつもりは無かったし、高校を出れば何の問題もない。あと一年と少しばかり、この大人と子供の中途半端な時期を一人で耐え抜けば済むわけだ。
「一応、学校は出る……だろうな」
「まぁ、困ったらいつでも言ってくれよ。そうだ、勉強の合間の気晴らしに、たまにはウチの作業手伝わないか? バイト代も少し出してあげるよ」
「は?」
社会勉強ならお断りだ。そんなの、大学を出るまでにやればいい。
「勉強が好きならいいんだけどな。クラブ活動とか趣味とか、何か楽しめるものあるのか?」
リカルドと似たような事を言われた。そんなにまで、俺には生きる活力が必要だという事か。
「楽しみはないかな。馬鹿やってる仲間はいるけど」
「葬儀の時にいた連中か。でも、仲間といて楽しくはないのか?」
「分からねぇ。色々と仲間と活動はやってたんだけどさ。それが正しい事なのか、分からねぇんだ」
ここで二人分の料理が運ばれてきた。しかし、すぐに飛びつくと思っていたメイソンは手を付けずに俺を見ている。
「正義のヒーローか?」
「……!」
「何で知ってるって顔されてもなぁ。俺の顔の広さは尋常じゃないんだよ? シザースだって顧客だしさ」
そうだった。それに、メイソンにK.B.Kが知られたからといって別に不都合はないのだ。俺が気にすることは無いだろう。
「多分だけど、ヒーローごっこはやればやるだけ、それが正しい事かどうか分からなくなるんじゃないかな。別にやめろとは言いやしないけどね」
「……何、どうしてだ? やっぱり暴力で解決するなんて間違ってるからか?」
「いや、そんな小難しい話じゃないさ。もっと単純な事。誰かを痛めつけるってんなら、必ず自分や仲間も同じ目に合う機会が増えるだろ。何もしなくたって一般人がギャングスタに殺されたりするじゃないか、だったらこっちから倒してやる、ってのが根底だとは思う。でも、矢面に立つのは必ずしも自分たちである必要はあるのか?」
「あると思う。いや、そう思ってた。誰もやらないから俺が、ってな。でも今は、よくわかんねぇや」
メイソンより先に、俺はハンバーグにナイフを入れた。
「ただし、それが仲間とお前を繋ぎとめてるものなら……逃げられはしないわな」
「……遠回しに、やり続けろって言ってるじゃんか」
「そうかな?」
いじらしく笑って、メイソンもステーキを切る。
「そうだ。お袋の事、昔から知ってんだよな?」
「そりゃね。昔からの付き合いだ。何か聞きたい話でもあるの? ジャックとの馴れ初めでも話してやろうか」
「いらねぇよ!」
そんなことまで知ってやがるのか! どうやら、顔が広くて色々と情報を握ってるのは今に始まったことじゃないらしい。
お袋の口から、メイソンが俺の親父の知り合いだったから、現在に至るまで付き合いがあることを知ったのも最近だ。
「照れるなよ」
「照れてねぇよ! クソ親父の話なんかいらねぇっての!」
それに、間違っても馬鹿なギャングスタをやってた親父の話なんか聞きたくもない。メイソンが親父の知り合いだと聞いていたとしても、俺は質問なんかしなかっただろう。
「おい」
フォークを持つ左手が止まる。冷たい目が、俺を見据えていた。
「は?」
なんだ。メイソンがキレてる……のか?
こんな顔は初めて見た。普段の優しい顔とのギャップに驚く。だが、それだけではない。ただ見つめられているだけなのに、息が出来ない。身体が固まってしまうほどの恐怖。なぜだ。なぜ俺はそこまでの感情を向けられている。
「ジャックの事をどう思ってようがお前の勝手だけど、俺の前で奴の文句を垂れるな」
「あ……」
何も理解できないまま、返事にもならない返事をすると、メイソンはゆるゆると首を左右に振った。嘘のように張り詰めていた空気が弛緩する。
「なんて言うか、実の息子にここまで嫌われちまうとは不憫な奴だなぁ。そりゃアイツは絵に描いたようなOGで、とんでもないワルだったけど。それでも結構いい奴だったんだよ?」
「知らねぇよ……」
「そうだね。お前は知らない。だから知らないことを知った風に言うな」
それっきり、メイソンは黙々とメシを食い始めた。




