Beat! B.K.B
「昨日の話、聞いたかよ? 例の発砲事件さ」
クラスルームで教科書をしまっていた俺に、背中を軽くたたきながら声をかけてきた奴がいた。振り返ると、少しばかり高揚した様子のリカルドが立っている。彼はメキシカンと黒人の混血で、家も近いので昔からの仲だ。
いつもなら気兼ねなく会話に応じるところだが、話題は昨日の発砲事件ときたもんだ。小さく息を吐いて立ち去ろうとすると、慌てて後を追ってきた。
「おい、おい! クレイ! なんだよ、また例のギャング嫌い病か!?」
クルリと振り向き、小柄なリカルドの襟首をつかむ。
「二度とその話題を口にするな。分かったな」
「今回は違うっての! お前が喜ぶだろうと思って!」
「はぁ?」
付き合いの長いリカルドは当然、俺の身の上や考え方も理解してくれている。そして、それを応援してくれている数少ないうちの一人だ。確かにそんな彼が俺を不機嫌にさせるような話題を振るとは考えづらい。
「とにかく手ぇ放せって。帰るだろ? ファイブガイズ寄ってこうぜ」
……
リカルドに連れられて、俺はファイブガイズの店内にやってきた。別に腹なんか減ってないし、早く帰って勉強がしたい。だがドリンクを驕ってくれるとなれば話は別だ。
むっつりとした顔で、コーラのカップに挿したストローを吸っていた俺に、リカルドが笑いかけてくる。
「お前、この街から荒くれどもを消し去りたいんだろ?」
「おい、ちょっと気をつけろよ。誰が聞いてるか分からねぇんだから」
「へーきへーき。このくらいの声なら誰にも聞こえてないっての」
そう返してはいるが、リカルドは慌てた様子で店内をキョロキョロと見渡した。遠くの席で談笑しているカップルがいる以外は空席だ。
「で? なんで俺が発砲事件なんかで喜ぶんだよ。むしろ逆なんだが」
「そうだった。昨日の発砲事件、撃たれたのは警官らしいんだ。死んではないけど大怪我なんだと」
「撃ったのはどうせB.K.Bの構成員か、息のかかったクソ野郎だろ」
「大正解!」
ぴっ、とリカルドが人差し指を立てる。昔からコイツには勿体ぶる癖があって話が全く見えてこないが、とりあえず顎で続きを促した。
「そんで、その警官を撃ったB.K.Bの連中、今朝方に五人も捕まったらしくてさ。お前にとっては大ニュースだろ! その警官には気の毒だけど、これで街の治安も少しは良くなるんじゃねーの?」
「へぇ、そりゃ確かに悪くないな。さっきは掴みかかって悪かったよ」
「だーろー? この情報通のリカルド様に狂いはないってね!」
ポテトフライをつまみながら、リカルドは上機嫌だ。だが、話はこれだけではないだろう。ケチな彼がコーラを奢ると言ってまで俺をここに連れてきたのだから、まだまだ聞いてもらいたい話があるはずだ。
あまり勿体ぶらせても、それこそ俺の時間が勿体ない。ここはあえてこちらから切り出すべきだ。
「他にも何かあるんだろ?」
「なんだよ、鋭いじゃんか」
「はは、お前の事は何でもお見通しだからな」
「聞いて驚くなよ。B.K.Bの連中、近いうちにデカい抗争をひき起すつもりらしいんだ」
俺は耳を疑った。抗争だって? 大勢の人が巻き込まれしまう。それを、何て暢気な声色で話してやがるんだ。
「待てよ!」
バンッ! と立ち上がった俺に、カップル客や店員が訝し気な視線を送ってくる。だがそんなことは構わない。
「落ち着けよ、クレイ。抗争は何もこの街で起こるんじゃない。B.K.Bの連中が攻め込むんだと。そこで何人もくたばってくれたら万々歳だろ? 昨夜の警官は運悪く、武器調達中だった奴らの構成員にやられたって話さ」
「待たねぇよ! よそでやるんなら、そこの人たちが苦しむだろうが! 何考えてんだ、アイツらは!」
「そこまでは俺も知らねーって! とりあえず座れ! 誰が聞いてるか分からねーって言ったのはお前だろ」
舌打ちをして椅子に座った俺に、リカルドがポテトを一本差し出したが無視だ。ガキじゃあるまいし、そんな慰めは不要だ。
「だが俺は、今回の抗争はお流れになると睨んでる。何せ五人もパクられてんだぜ? 戦力が減って大痛手だろ。だからお前の心配は杞憂で終わるんじゃねーの?」
「だったらいいんだけどよ……なんだよ、抗争って。報復か何かか? それともテリトリーの拡大でも目指してんのかよ? ふざけやがって……!」
「……っ!!!」
突然、リカルドは裂けてしまうのではないかという程に目を見開いた。俺もその視線を追って振り返る。
真っ赤なディッキーズのワークシャツを着た一人の男が入店してきていた。長いドレッドヘアのてっぺんと、ズボンの右腰に真っ赤なペイズリー柄のバンダナ。足元はファットレースを通したコンバースのオールスター。
誰から見ても間違いない。この街を牛耳っているギャングセット。ビッグ・クレイ・ブラッドのメンバーだ。シャツで隠れているが、ベルトのバックルあたりが大きく膨らんでいるのは拳銃を隠し持っているからだろう。
強盗でもするつもりだろうか。店内には緊張が走った。
「……なんでここにギャングが? いや、もしかしたらメンバーの真似してるだけの粋がり野郎じゃねぇのか?」
ひそひそと話しかけると、リカルドは小刻みに首を左右に振った。
「いや、あれは正規の構成員だ……腰にバンダナ垂らしてるのがその証拠さ。あの印だけは、憧れだけで粋がって真似するとぶち殺される」
実際、この街にはメンバーとして認められてはいない準構成員、いわゆる非正規メンバーや、ワンクスタと呼ばれる半端な連中も多い。
メンバー入りするためには、B.K.Bの構成員たちからの激しい集団暴行に一人で耐え抜く必要があり、それに脱落した奴。もしくは単純にギャングに憧れてファッションを真似ている馬鹿な奴なんかがそれに当たる。
「よう、チーズバーガーを二つくれ、ねぇちゃん。持ち帰りでな」
そのギャングスタの男はまっすぐに注文カウンターに向かってそう言った。びくりと反応した若い店員が対応している。俺達はなるだけまっすぐ見ないよう、横目で視界にその様子を入れている。
「お待たせいたしました……」
支払い時が最も緊張する一瞬なのは間違いない。金がないからと拳銃を出すかもしれないのだ。しかし、男はズボンの尻ポケットからくしゃくしゃになった大量の一ドル札を取り出すと、カウンターに置いた。
「ほらよ、足りるか?」
「え、あ、はい……ありがとうございます」
「おう。釣銭は取っとけよ。小銭ジャラジャラ言わせてうろつくの嫌いなんだよ、俺」
「え、あ、はい……ありがとうございます」
意外な言葉に放心したのか同じ返事を繰り返している若い店員。チーズバーガーが入った紙袋を手にした男は振り返る。
「よう。ここのチーズバーガー、うめぇよな!」
目元を覆っていた真っ黒なロークをずらして、なぜか俺達に向かってニカッと笑うと、そのまま店の外へと出て行ってしまった。
店内に再度訪れる静寂。
「な、なんだ? 普通に買い物して帰ってったぞ」
まず、俺がそう言うと、水から上がった魚のようにリカルドが座ったまま飛び跳ねた。
「ほんとだよ! マジでビビったぜー! いや、道端でメンバーを見かけるくらいなら近づかなきゃ何ともないけど、まさか同じ店に、それもあんな話をしてたところだったから心臓バクバクだってーの! しかも何か話しかけてきやがったし!」
「今度はお前が落ち着く番だな、リカルド。普通に買い物してたり気安く話しかけてきたのは意外だったが……ありゃ銃持ってたろ、絶対? 周りをあんなにビビらせやがって許せねぇ。やっぱりギャングスタ共にはさっさといなくなってもらわねぇと、その存在自体が迷惑だ」
淡々と話す俺を見て、リカルドも深呼吸で息を整えた。
「あぁ、銃は間違いなくベルトに挿してた。ビビりすぎて変なテンションになっちまったよ。やっぱ、冷静になってみるとギャングスタって怖いよな」
「ぶん殴ってやりたかったが、俺だってビビってたんだ。息巻いてたのに文句の一つも言えなくて情けねぇ」
「んなことねーよ。むしろあそこで殴り掛かってたら悪いのは全部お前になるじゃん。そうなったらアウトローと同じ種類の人間に成り下がっちまうぞ」
もちろん、意味もなく殴りはしないだろう。だが、それではダメなのだ。ただそこにいるだけで他者を恐怖に貶める存在。許されるはずがない。しかし、何をすればいいのか、まだ答えは見えていない。
ただただ、拳を握り締めることしかできなかった。