Find! B.K.B
次の日も、その次の日も、俺は何もしなかった。いや、出来なかったというのが正しい。ただダイニングの椅子に座り、空になったドーナツの箱をぼんやりと眺めていただけだ。
他に何かしただろうか? あぁ、二度、トイレにいったか。でもそれだけだ。茫然自失となったまま、水すら口にしていない。自室で眠ってすらいない。
その次の日、ダイニングの卓上にあった俺の携帯が短く鳴った。リカルドからのメールだ。
朦朧としたままその内容を開く。どうやら今日の下校時に講義の内容をまとめたノートを持ってきてくれるらしい。ご苦労な事だ。
他には、俺が不在の間にK.B.Kは活動を再開する予定だと書いてあった。まったく、馬鹿な奴らだ。ワンクスタが減って、ギャングスタが消えて、それが何だというんだ。
……もう、どうでもよかった。
……
身体を揺すられて初めて、目の前にリカルドの顔があるのに気が付いた。そうか、いつの間にか来ていたのか。
「……あ」
上手く声が出ない。それもそのはずだ。二日前に声がかれるほど泣き叫んでおきながら、水分を取っていないのだから。
「あ……う……」
「クレイ、お前マジでやばいって。病院連れてくよ」
そんなに俺はやつれているのか……まぁ、そりゃそうだろうな。これで元気な方がどうかしてる。
ファイブガイズの袋が見える。リカルドが途中で買ってきたのだろう。俺への見舞いか、自分で食べるつもりなのかは分からないが、俺はその紙袋を震える手で指差した。
「飲み物……ある……か?」
「あぁ、コーラが入ってる。でもそんな状態でいきなり炭酸ってヤバくねぇか? 牛乳とかにしろよ。あ、ほら、冷蔵庫に入ってるじゃん」
リカルドは適当なグラスに牛乳を注ぎ、コーラのカップにささっていたストローを抜いて牛乳入りのグラスに挿した。
弱々しい力でそれをすする。ストローを通って僅かに牛乳が喉へと流し込まれた。文字通り、生き返るとはこのことだ。生きる屍のようになっていたのは認めるが、俺は別に死にたいわけではないのだと改めて確信した。
「ほら、そんじゃ病院行くぞ。着替えろって」
「いや……もう大丈夫だ」
さらに一口。頭がじわじわと覚醒していくのを感じた。そうなると次に感じるのは空腹感だ。もう一度、ファイブガイズの紙袋に目をやる。
「なんだよ……あぁ、分かったよ! 食えよ! 本当は俺の晩飯だったんだからなー」
「はは……そうか」
見舞いの差し入れではなかったか。だが、せっかくだ。ここはリカルドの言葉に甘えて、食い物を頂戴するとしよう。
「ほら、バーガーしかあげねぇぞ。付け合わせのポテトとピーナッツは俺のだ」
「メインディッシュをくれるってか。泣けてくるぜ」
「この中じゃ一番栄養ありそうだからな! 本当はあげたくねぇけどな!」
なぜお前が涙声になるんだよ。ケチなリカルドにとっては断腸の思いだってか。
……
一息つくと、力がみなぎってくる感じがした。やはり水分と食料ってのは大事なものなのだと思い知らされる。
目の前で未だにブツブツと呪詛のような悪態をついているリカルドに、ノートを出すよう言った。ギロリとひと睨みされた後で、カバンからノートが出てくる。食べ物の恨みは怖いな。
「お前が取ってる講義は全部入ってるはずだ。また、金曜日に渡しに来る」
「あぁ、助かる」
「次もゾンビみたいになってたら知らねーからな」
「大丈夫だ……と思う」
「うわー、信用ならねー。お前がへこむのも無理はねーし、どれだけ傷ついてるかって気持ちは分かってやれねーけどさ、マジで死んだりしたら最悪だぜ? 超親不孝じゃん。絶対に天国で会った時に叱られるって」
俺のお袋が自殺だったことはリカルドも知っているはずだ。自ら命を絶ったお袋が、俺にとやかく言う権利なんか無いと思うのだが……まぁいい。コイツなりに心配してかけてくれている言葉なのだ。素直に頷いておいた。
「それと、K.B.Kはどうなってるんだ?」
「何も。とりあえず、明日は久々に街をパトロールするらしいぜ。ジェイクが言ってた。ワンクスタがいれば、やっつけるだろうな」
「……もう、やめてもいいんじゃないか」
リカルドが目を丸くして口をあんぐりと開いた。
「え、お前がそれ言う?」
「冷めちまったと言うか何と言うか……な。もうどうでもいいんだよ」
「なーんかメソメソして気持ちわりーな、お前」
「うるせぇよ……」
ピーナッツの殻を指で弾き、顔にぶつけられた。おい、なんだっての。
「まぁ聞けよ、ホーミー。俺らは仲間だろ? お前は大事にしてた家族を失っちまったんだ。だから今、すげー虚無感みたいなのに襲われてんだと思う」
良く分からない説法が始まりやがった。だが、反論するような元気まではない。
「だったらもう、仲間しか頼るもんはねーんだよ。でも今、K.B.Kが解散しちまったら、それこそお前には何もなくなる。生きる目的っつーかなんつーか。夢中になれるクラブ活動とか、どうしても入りたくて目指してる大学、なりたい職業、そういうもんがあるなら俺も何も言わねーよ。でも、お前には今それがないだろ?」
「そう……かもしれないな」
「それならワンクスタを潰すっていう、明確な目的があるK.B.Kの仲間との繋がりは絶つべきじゃねーよ。俺は正直なところ怖いし、ケンカなんかしたくはねーけど、それでもお前が言い出しっぺでジェイクたちが集まってくれて……今、ちょっとだけ楽しいんだよ。実際、ワンクスタがいなくなるのは良い事だし、俺もそれが叶うと良いなって思ってんだ。あ、でもギャングスタは勘弁な。それはパスだ。死にたくねー」
リカルドがまたピーナッツをぶつけてきた。しけたツラすんなよって事か。俺はゆっくりと言葉を紡いだ。
「……そりゃ、分かってるさ。俺は確かにギャングスタやワンクスタのいない街を作りたかった。みんなが幸せに……笑って暮らせるような街をな。でも、その街で暮らしていて欲しかったお袋が……もういない。それが俺をこんな風にしちまってるんだろうな」
「そうだな。だが、お前は母ちゃんだけが幸せに暮らしてほしかったわけじゃねーんだろ? 俺達の幸せは? 街の人たちの安全はどうでもいいのか?」
「どうでもよくねぇよ……」
「なら、お前が言ってる事とやってる事は矛盾してるじゃねーか」
クソッ。正論だ。言い返せない。
「大志を持ってやり始めたんだから、最後までやりきろうぜ。警察沙汰はもう御免だけどさ」
警察……そうだ、警察だ。リカルドを滅多打ちにしていたあんな警官がいたせいで、俺は警察にも微かな疑念を抱いている。奴らは、本当に正義なのか?
「警察は、信用ならねぇ気がしてる」
「あのクソ警官だよな。マジでアイツはゴミ以下だった。俺なんかじゃなくてギャングスタかワンクスタにやれっての」
「他にもあんな奴が働いてたらと思うとゾッとするな」
壁掛け時計を見て、リカルドが立ち上がった。長らく話し込んでしまったが、そろそろ帰るようだ。コイツには感謝しないとな。命の恩人だ。
「ま、ワンクスタをボコってた場面だったからK.B.K側に矛先が向くのも分からんではないけどよ。敵側だった通報者も、俺達を凶悪犯扱いで電話したんだろうしよ。そんじゃ、俺は帰るぜ」
……
翌朝。俺はきちんと食事をとり、軽く室内で腕立て伏せなどの運動をした。そして昨日受け取ったノートを見て勉強をする。何かしてないと、また廃人みたいになってリカルドに説教を食らう事になってしまうからだ。
あえて、お袋の部屋も覗いてみた。寂しさは消えないが、こうやって徐々にお袋がいないという現実に向き合って、慣らしていくしかないだろう。
こぢんまりとした化粧台の引き出しを開ける。櫛やドライヤー、化粧品やサプリメントが入っている。だが、その中に一枚の手紙を見つけた。
クレイへ、と書かれた封筒だった。
「あ……? 俺宛て?」
緊張で手が震える。なんだ、なぜお袋は俺に宛てた手紙なんか隠してたんだ。裏面に日付が書いてある。およそ二年前の日付だ。封を開け、一枚の便箋を取り出した。
『クレイへ。高校入学おめでとう。お前がこれを読む日が来るのかは分からないけど、今のうちに書き残しておきます』
「なんだよ、これ……」
『もしお前がこれを読んでいたら、あたしの身に何かが起こったという事でしょう。それは事故なのか病気なのか、はたまた事件なのかは分かりません。物騒な世の中だからね。最初に言っておきます。この命はそう長く持たないと思います。頑張って食べてはいるのだけれど、実はお前に見えないところで吐き戻したりしててね。ちっとも快調じゃないの。知っての通り、精神的な問題も抱えているけれど、先に身体がダメになってしまうかもしれません』
知らなかった。最近は極端にお袋の食が進まないと思っていたが、二年前から少しずつ蝕まれていたのか。
『もし何かあっても、お金の心配はいらないよ。通帳の場所は知ってるでしょう。学費や生活費、お前の自由に使いなさい。それから、最後に大事な事を伝えておきます。友達を大事にしなさい。それが一番。でももし、頼る人がいなくて困ったら、メイソンさんを頼るように。絶対に力になってくれます』
メイソンの兄ちゃんを……? 確かに昔からの仲だし、いい人ではある。頼るつもりは無いが、わざわざお袋が彼を指名するのは意外だった。
『身体には気をつけてね。お前の幸せを願っています。母より』
「なんだってんだよ……」
幸せを願ってくれるのなら、どうして先に逝っちまうような選択をしたんだよ! どうしてもっと一緒にいてくれなかった!
やり場のない憤りと、身体の事に気づいてやれなかった後悔が襲ってくる。もしかしたら、お袋の事をメイソンは分かっていたのか? それを二人で隠していた? お袋は彼だけにはすべて明かしていて、もしものことがあった場合に俺の事をお願いしていたのか? いや、確率としては低い。
でも、聞きにいかなければ。そう思った時には、俺は庭のポンコツ車を動かすキーを手にしていた。