Grieve! K.B.K
カチャカチャと、夕飯の食卓ではお袋がフォークを動かす音が響いていた。メニューはサーモンのソテーとマッシュポテト。どっちも味は絶品だ。特に俺はお袋の作るマッシュポテトが好物だった。
「ごちそうさま。マッシュポテト美味かったよ」
「そうだろう? うん、今日も腕は落ちてないようだね」
そう言って小刻みにフォークを動かしているが、お袋は一度もそれを口に運んではいない。サーモンも同様に、フォークを動かして皿の上を引っ掻いているだけだ。食欲がないのだろうか。
「腹……減ってないのか?」
「まぁね。でもこうやって……」
お袋が皿の横にあるワイングラスを軽く傾ける。注がれている白ワインが僅かにその口へと入っていった。
「少しは飲んでるから心配はいらないよ」
「すきっ腹に酒は体に毒だぜ。ちょっとくらい食えよな」
「これが空いたらそうするよ」
俺が起こした警察沙汰のせいで参っているのではないだろうか。胸が痛んで仕方がない。
「でもこんなに美味いのはなんでなんだ? その……じいちゃんが好きだったから、ばあちゃんに教わったとか?」
「あぁ。そうだった……気もするね」
なんとかお袋の気を紛らわせようと、大好きだった祖父母の話を持ち出した。本当は「ジャックが好きだったからか?」と訊きたかったのだが、お袋は親父の話を極端に嫌がるので避けた。もちろん、ジャックを恨んでいるとかそういう事じゃない。今でもお袋は確実に親父の事を愛しているはずだ。
だが、その背後にあるB.K.Bの存在。それがお袋を悩ませていたのは間違いない。俺のギャング嫌いも、そんなお袋から受けた影響がかなり大きい。当然だ。自分の愛する男を奪ったギャング組織。そんなもの、好ましく思えるはずがないのだから。
「そういえば、メイソンの兄ちゃんが今日も割引してくれたぞ。ほんとにお人よしだよな、あの人は。古い付き合いだって聞いてるけど、じいちゃんの知り合い?」
「いや……ジャックだね」
しまった。祖父母の話を広げるつもりが、あそこは親父の繋がりだったか。
「そ、そうか。親父もちょっとくらいはまともな知り合いがいたんだな」
「……」
お袋は何も答えず、ジッと俺の目を見つめてきた。
「……な、なんだよ」
「ジャックの話、聞いたのかい?」
「は? いや、何も聞いてねぇけど」
お袋の目が血走っている。声色は穏やかだが、これはやめておいたほうがいい。
なるほど。メイソンがジャックの知り合いだったなら、あのシザースを歯牙にもかけない振る舞いはさらに納得できる。当時のギャングスタと付き合いがあったのなら、それこそシザースなんてピヨピヨのひよっこにしか見えないだろう。
「クレイ」
「何だよ! 何も聞いてねぇって! これはマジだぞ!」
「アンタの名前、つけた理由は話したことあったかね」
なんだ? 急に話が飛んだが……
聞かない方が良い気がする。だが、気になるのも事実だ。自分の名前の由来。何かが隠されているのだろうか。
「B.K.Bのフルネームは分かるね?」
俺が返事をするよりも先にお袋がそう口にした。心臓が跳ね上がる。待て、お袋の方からB.K.Bの話を振ってくるなんて。どういうことだ。
やめてくれという声は喉に閊えて出てこず、それと一緒に俺は生唾を飲み込んだ。
「ビッグクレイブラッド。簡単な事さ。あたしはそこからアンタに名前を与えたんだからね」
「なん……で……」
どうしてお袋はいつになく饒舌なのか。量からして、さして酔っているはずもない。不安な気持ちで押しつぶされそうになる。だが、話を聞きたい気持ちが勝って何も言えない。
「あたしはね。ジャックにギャングから足を洗って欲しかったのさ。ジャックだけじゃない。サムにも、ニックにも、ガイにも、ルークにも、そしてコリーにもね。他のみんなだってそう。B.K.Bを終わらせてほしかった。ジャックが帰ってくるようにね」
「……」
「でも、それは簡単な事じゃない。彼にとってギャングスタってのは生き様だったからね。そんな時に授かったのがアンタだよ」
お袋の目は変わらず血走ったままだ。だが、そこから一つ二つと大粒の涙が溢れ出した。
「ジャックだけが帰ってくることはあり得ない。彼にとっては仲間が第一。だったら、その仲間全員が帰ってくるような手を考えればいい」
「それが……俺の名前……?」
話が見えない。なぜ、ギャングの名前を俺に与えることがジャックの更生に繋がるのか。
「そう。彼らの旗印だったのはクレイという人。それがリーダーのサムのお兄ちゃんだったって聞いてる。B.K.B結成時には既に植物状態だったらしいけどね。でもすぐに亡くなったんだって。それが彼らの結束を維持しているなら、別のクレイがいれば……って。バカだろう? アンタにもひどい重荷を背負わせることになってさ……ごめんね」
つまり……既に死んだ旗印とすげ替えるために同じ名前を? 俺を生き神みたいにしてメンバーたちの目をこちらに向けようとしたって事か。それでB.K.Bがギャングとしての活動をやめればいいと。
「いいさ……話してくれてありがとう」
「でも、ジャックは帰ってはこなかった」
ついに堪えきれなくなったお袋がわぁっ、と泣き崩れた。俺は立ち上がり、お袋の後ろに回り込んでその細い身体を抱きしめた。
「大丈夫だ。俺の名前そのものが親父への、そして他のギャングメンバー達への愛だったんだろ? 確かに上手くいかなかったかもしれないけど、それが分かっただけでも充分だ。お袋、愛してるよ」
お袋はこの事実をずっと隠し続けてきた。俺のために。でも俺は不思議と平気だった。これは憎むべきギャングスタの名前ではなく、お袋が愛したジャックへの贈り物だったのだ。それが分かっただけでも本当に良かった。
「お袋、とりあえず何か食べろって。泣き叫んでても腹は膨れないぜ?」
そう促すも、しゃくりあげるばかりでお袋は聞く耳を持たない。これは長期戦になりそうだな、と覚悟を決めて一時間後、ようやく一口だけマッシュポテトを食べてくれたお袋を寝室に連れていった。
……
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
これで何度目だろうか。ベッドから跳ね起きた俺はお袋の寝室へ向かう。
予想はしていたが、この晩のお袋のヒステリーは今までとは比べ物にならないほどのものだった。
三十分と経たずに叫び、その度にこうやって俺は駆けつけている。
泣きじゃくって暴れようとするお袋を抱きしめ、おとなしくなったら自室で目を閉じる。それを繰り返していた。いっそ、今夜だけは同じベッドで寝るべきではないだろうか。
「ジャック! ジャックぅぅ!」
「お袋、落ち着けよ!」
虚空に手を伸ばして親父の名前を呼び続けるお袋。幻覚でも見ているのか……? いや、悲壮感に押しつぶされて怯えているのか。
「クレイ……ごめんね」
「いいって。とにかく寝ろよ。ほら、薬は飲んだか?」
精神安定剤ならこの部屋に山ほどストックがある。あまり飲ませたくはないが、今回は薬の力を借りた方が良さそうだ。
俺が二粒の錠剤を差し出すとお袋は素直にそれに従った。
数分で、お袋は半身を起こしたままでうつらうつらと身体を揺らし始めた。それをベッドに横たえさせる。一応はこれで大丈夫か。しかし、やはりこの部屋にいてあげた方が良さそうだ。俺は自室からマットレスだけをお袋の部屋に移動し、床に敷いた。
お袋のいびきが聞こえてくる。俺もまどろんでいった。
……
ギシリギシリと何かが擦れる音がする。縄で吊り下げられた何かが揺れている?
何度も夜中に起こされたせいでひどく頭が怠い。今日は登校日だが休んだ方が良いだろうか。いや、きちんと行って勉強しなければ。
手に、冷たい感触があった。液体だ。お袋、水でもこぼしたか? それに、妙な臭いがする。目を開ける。ぼんやりと視界が回復していく。カーテンは開いており、既に日の光が室内に差し込んでいた。
お袋が、首を吊っていた。
天井のフックにかけられた細いロープ。こんなちぎれそうな縄ですら、お袋の体重を支えるのには充分だったわけだ。それほどにお袋の身体は痩せ細っていた。
お袋が垂れ流した小便が俺のマットレスに落ち、それに俺の手が触れていた。傍らには手書きの「クレイ。ごめんね」というメモがある。これも小便に濡れて文字が霞んでいた。
呆気にとられるばかりで、泣き叫ぶことは出来なかった。
……この世界は間違ってる。