Bite! N.C.P
その後、十人程度のクリップスとぶつかったが数の暴力で問題なく蹴散らして、いよいよ俺たちはノース・コンプトン・パイルのテリトリー付近に到着した。
「ふいー、ついたついた。来るのは初めてだが、この辺だよな?」
ビリーが壁や道路に描かれたN.C.Pのギャングタグを指さしながら俺に訊く。
「あぁ、もう入ってる。しかし妙だな。一人や二人、メンバーの連中に出くわしてもいい頃だが」
通りに車は止まっているし、民家の明かりもついている。
この危険な地域で暮らす人々の営みは普段通りだ。しかし、肝心の味方のギャングスタがいない。コンプトン攻めでは彼らを頼りにしていたのだが。
「ここにいるのが誰だか知らねぇが、どっかで喧嘩をおっぱじめてんじゃねぇかぁ?」
「確かにな、カン。それはあり得る話だ」
のらりくらりと生きてはいるが、あれでいてマイルズは好戦的だ。
クスリを買う名目でC.O.Cのハスラーとは仲良くしていたに過ぎない。
一団がテリトリーの中心部、マイルズの家へと到着した。
先ほどの違和感はそのまま、やはりN.C.Pのギャングスタには出くわさない。
「ビリー、ここがマイルズの家だ。いつものなら本人が不在でも表に誰か立ってるが……今日は無人だな。こんなのは初めてだ」
「普通の家だな」
「中は豪勢というか、調度品がたくさん置いてあるぞ。まるで雑多な美術館だ」
「ほーう。よくわからない趣味だ」
その辺の民家を尋ねてそこの人間にギャングスタたちの行方を訊いてもいいが、早いのは本人に電話だな。
待つこと5コール。マイルズの声が聞こえてきた。
「よう、兄弟。どうしたんだ?」
「生きてたか、マイルズ。今、お前の家の前にいるんだがな。地元を空っぽにして、メンバー総出でピクニックでもやってるのか?」
「はは、ピクニックか! 良い響きだ。まぁ、似たようなもんだぜ」
やはり、どこかに出張って喧嘩していると考えるのが自然だろうな。
オリジナル・ギャングスタ・ニガズの指示なのか否か、サウスセントラルにも飛び火していたくらいだ。ここコンプトンが燃え上がっていないわけがない。
「手を貸そうか?」
「いや、手出し無用だ。お前らはお前らの仕事をしろよ。そのためにウチまで来てんだろ? 俺の部屋は拠点として好きに使っていいからよ」
お見通しか。出来れば一緒にやりたかったが、わがままも言っていられない。
ただ、快く家の使用を許可してくれたのは素直にありがたい。
応急処置しかできていなかった怪我人を休ませたいし、何より俺たちも連戦でくたくただ。
「わかった。有り難く使わせてもらうぜ。それじゃ、また連絡する。そっちも、ピクニックに飽きたら気楽に電話してくれ」
「そうそう飽きるなんてことはねぇけどな! じゃあな、兄弟!」
飽きる前に、俺たちのようにくたびれることもあるだろうが、それもまだ先の話だ。
……
マイルズの家は俺たち全員が入れるほど広い。
怪我人は寝室のベッドやソファなどに寝せ、怪我のない面々はリビング。見張りは数人を家の表に立たせた。
「みんな今日の喧嘩はここまでだ。一日に何回も、よく戦ってくれたな。今はゆっくり羽を伸ばしてくれ」
俺の一声で、張り詰めていた緊張感は一気にほぐれていった。
ただし……
「おいおいおいぃ! もう休憩か! もう少し喧嘩しても良かったんだぜ!」
ビッグ・カンだけはそんな威勢のいいことを言っている。しかしそうは言うも、どっかりと床に丸太のように太い足を投げ出して、誰よりもくつろいでいる様子。
その巨体でよく頑張ってくれたものだ。
「余裕なふりして汗だくじゃねぇか。シャワーでも浴びて来いよ、カン」
「あぁん!? デブは汗っかきなもんだろうがっ!」
「知らねぇよ! 迫ってくんな! 暑苦しいんだよ!」
ふん! と鼻を鳴らし、ずかずかとシャワールームを探して消えていくビッグ・カン。
意外と言う事は聞くんだな。それに人一倍、自分の体格を気にしているのはなんなんだ。乙女かよ。
「シャワーなんてあんのか! 俺も使ってみてぇ!」
「俺も!」
まさか、今時シャワーのない家に住んでるのか。いや違うな、そもそも家のないやつだっているだろう。
ギャングとしてはかなり恵まれている環境のB.K.Bとは違うのだ。
俺はサーガや、ここの家主のマイルズのような立場が上の連中の暮らししか知らないから……自らの知見の狭さを恥じるばかりだ。
「使い方が分からないからって壊したり汚したりすんなよ? 俺が怒られちまう。それに、今はお前らのお頭が使ってるんだからちょっと待ってろ。狭いバスルームで裸の野郎同士がひしめき合うなんて、この世の地獄だ」
「お頭とホモダチってか!」
「そりゃ傑作だぜ! おい、誰か掘られて来いよ!」
皆が容易にその地獄を想像できたのか、大爆笑の渦が起きた。
いつ何時でも、下世話な話題ってのは野郎どもにはウケがいい。
ホカホカの湯気を全身から出しながら、パンツ一丁の姿でビッグ・カンが戻ってきた。
服で隠れて見えなかったが、やはり足先から手先、首筋、頭までびっちりとタトゥーが刻まれている。もう入れるところが顔面くらいしかない。
「げっ!? お頭、何で裸なんだ!?」
「まさか俺たちの誰かを襲う気か!」
先ほどの話題はこちらではまだ続いていたので、そのノリのままビッグ・カンをからかい始める。
身体から立ち上る蒸気が、確かに欲情しているアニメや映画の誇張表現に見えないこともないが。
「あん? 襲う? そりゃ、風呂上りは裸だろうよ」
「んだよ、お頭ぁ。盛大なボケを期待してたってのによぉ!」
「知らねぇよ、んなノリは! お前らも汗くせぇからさっさと浴びて来い! ほら、行った行った!」
風呂なんか週に一回二回程度の常識しか持たないギャング連中ではあるが、その中でも特にビッグ・カンの仲間たちは確かに中々の匂いを放っている。
身綺麗にするのは結構だが、こう何人も連続で使用するとシャワールームの中が垢で真っ黒になりそうだな。
マイルズが顔を真っ赤にして怒りそうだ。
「クレイ、いいのか? 呑気に風呂浴びなんかさせててよ。一応は敵の本拠点の近くなんだろ、ここはよ?」
床に胡坐をかいて座っているビリーが言った。
「大丈夫だ。お前はここに来るのは初めてだから緊張してるかもしれないが、N.C.Pは信頼できる」
「だがそのN.C.Pは他との喧嘩で出払ってるじゃねぇか。いくらここがそのボスの家だからって、兵隊がいないんじゃ丸裸も同然だぜ。そこの、ビッグ・カンみたいによ」
「あん!? なんだ、俺をいじってきやがってよ! このわがままボディがうらやましいってかぁ!?」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ……話聞いてんのか、お前」
ぶるん、とぜい肉を揺らしながらビッグ・カンが両手を頭の横につけてセクシーポーズをとっている。
それを見たビッグ・カンの仲間はもちろん、B.K.Bのメンバーたちも大笑いに包まれた。もちろんビリーや俺もだ。
まったく、ふざけた大将だぜ。皆から人気なのも大いに理解できる。
対してユーモアセンスのかけらもない自分が恨めしい。
「うらやましいって話なら、その底抜けの明るさだろうな」
「は! B.K.Bってのは狙って、根暗ばっかり集めてるのかと思ったぜ!」
「うるせぇ、能天気め」
この、俺の皮肉にもさらなるセクシーポーズで返してきやがった。化け物め。
……
翌朝。
結局、俺も俺もと謎のシャワールーム行きブームが起き、ここにいるほとんどの連中がひとっ風呂浴びることとなった。
どれだけ影響力があるんだ、ビッグ・カンには。まるでハリウッドスターが愛用するブランドに群がるファンだな。
気に食わないのは、奴の子分どもだけではなくウチのウォーリアーも感化されて風呂に入ってしまったことだ。
「裸の付き合いとはプリズン以来だったぜ。悪くねぇ」
「あぁ。そういえば二、三年入ってたな、お前。でもジェイルじゃなかったか?」
「いや、プリズンだよ」
そんな話をウォーリアーのメンバーがしている。
プリズン、ジェイルはどちらも監獄を表すが、前者は数年などの長期間収容される施設であるのに対し、ジェイルは数週間、数か月などの短期滞在。
刑が確定する前の留置所、拘置所として使われることもあり、刑期が短いのでジェイルに入る本人としては、実刑ではなくただ拘置されているような感覚だ。
「入らないのか、クレイ?」
例外に無く風呂上がりのビリーが俺に訊いてくる。
結局こいつも入りやがった。残すは俺と数人だけだ。コンプトンで温泉旅行かよ。
「いや、俺はいい」
「はっはー! 意地っ張りなボスだぜぇ! クレイだけ臭いってクレームが来てんぞぉ?」
「うるせぇよ、カン。昨日まで地獄みたいな匂いを放ってた分際で」
「んだと、こらぁ!」
今は石鹸のような香りを漂わせている一団だが、結局同じ服を着ているので一日経てばすぐに元通りだろうな。かといって今から洗濯までするわけにもいかない。
「で、ここでマイルズたちが帰るのを待つのか?」
「いや、ビリー。それよりは動くべきだな。帰りも分からないし、ここに留まっていたずらに時間ばかりが過ぎても意味がない」
やむを得ない予定の変更だ。C.O.C、現オリジナル・ギャングスタ・ニガズに最接近しているのは間違いないので、俺たちだけでも奴らの捜索と撃破を続行する。
ただ、コンプトン市内をぶらつくというのは俺たちの地元をぶらつくのとはわけが違う。
味方は今ここにいるだけで、敵は四方八方に潜んでいると考えるべきだ。どのセットが敵に属していて、どのセットが中立なのかはわからないが、どちらもテリトリー内ではこちらに向かって攻撃を仕掛けてくるのは確実。
いたずらに中立のギャングセットと戦って消耗したくはない。だが、動かなければ何も始まらない。
「了解した。だったらなおさら風呂入れよ」
「いらねぇっての。なんなんだよ、ここに来てからの、この風呂ブームはよ」
……
場違いなほど良い香りを漂わせる連中を引き連れ、移動を再開。
ただ、ここからは目標地点が定まっていないので、ひとまずは以前、C.O.Cのドラッグディーラー、ガゼルと取引をしていた空地へとやってきた。
「おい、あれって……!」
何もないのを期待していたと言ってはおかしな話だが、残念ながらそこには先客がいた。
いや、先客だったものが『あった』。
驚愕するビリーの声に反応し、ウォーリアーのメンバーたちがそれに近づいた。
そして、首を横に振る。
「ダメだ、ビリー。くたばってやがるな。死人に口なし。何の情報も得られねぇよ」
転がっていたのはギャングスタの死体が二つ。クリップスらしき格好だが、果たしてどうか。
「上着を脱がしてセット名の入ったタトゥーがないか確認しろ」
続けて飛んだ俺の指示に、ウォーリアーのメンバーがぎょっとする。仏さんをまさぐるなんて、気持ちのいいものじゃないからな。
ましてや麗しのレディですらなく、男臭いだけの野郎の死体だ。気が進むはずもない。
「……うげぇ」
「あ。コイツ、ベルトにキャッシュを挟んでやがる。ラッキー。当然、俺のもんだよな?」
「いいから早くしろ! 金なんか後だ!」
たかだか数ドルで一喜一憂している場合じゃないだろう。
「……あ? おい、これは……」
捲り上げたシャツから、腹の当たりのタトゥーが見える。
ギャングセット名は基本的に腹、もしくは胸にアーチ状に彫り込まれることが多い。
なんと、その二人の身体には、ノース・コンプトン・パイルと刻まれていた。