Fukk! B.K.B
俺は、親父のようにはならない。
俺は、親父のような生き方はしない。
俺は、親父のような死に方はしない。
そう心に決めて生きてきた。いままで、ずっとだ。
俺は、身体にタトゥーなんていれないし、喧嘩も盗みもやらない。
俺は酒も飲まないし、ハッパも吸わないし、クスリもやらない。
俺は、ギャングスタラップなんて聞かないし、ローライダーになんて乗らない。
俺は、真っ赤なコンバースなんて履かないし、ディッキーズになんて袖を通しはしない。
俺は、このクソみたいな街からギャングスタを消し去る。
本当はこの国すべてからと言いたいところだが、自分の無力さくらいはわきまえてるつもりだ。
俺はしっかりと中学に通学した。それどころか高校も卒業する。
もっと言おうか。大学にだって通ってやる。怠惰な学生生活なんて絶対に送らない。真面目に勉学に励み、もちろん首席で卒業だ。
それが、俺の出来る最大の親孝行であり、親不孝であり、親父と、お袋と、親父が所属していたギャング組織、ビッグ・クレイ・ブラッドの連中への復讐だと信じている。
俺が背負って生まれてきた何もかもが、嫌で嫌で仕方がなかったんだ。
自己紹介が遅れたな。俺は、クレイの名を持ってこの世に生を受けた男だ。それは別にいい。お袋が名付けてくれたと聞いている。
だが忌々しいことに、この名を持つ、俺と同じ名を持つギャングがこの街には存在しているのだ。それが我慢ならない。
ビッグ・クレイ・ブラッド、通称B.K.Bはこの街を根城に拡大と縮小を繰り返し、つまり吸収と分裂を繰り返し、支配と従属を繰り返し、血で血を洗う抗争と見せかけの和睦や同盟を繰り返している。
奴らは現在、五十名程度の構成員しか持たない小さな所帯かもしれない。だが、その数がゼロを迎える日まで安息の日はこの街に訪れない。
俺は戦う。だが手に持つのは剣じゃない。銃でもない。かと言ってペンでもない。この手に持つのが一体何なのか、それはまだわからない。
イーストロサンゼルスの隅っこの、この小さな街に必要なのは暴力じゃないはずだ。少なくともそれだけは分かってる。
二十一世紀になって十年以上経つ。殺しや盗みは確かに減った。だが数か月に一度は誰かが撃たれ、数日に一度は誰かが身ぐるみを剥がされる。国単位の話じゃないぞ。この、世界一の先進国と呼ばれるアメリカ合衆国の中の、こんなに小さな街一つでだ。
現代に生まれ、高校に上がる前の年齢で既に三人の友人が撃たれて死んだ経験をした人間がどこにいる。わかってるだろ、それが俺だ。なにもかも、間違ってるんだよ。
……
「クレイ、部屋にいるのかい」
お袋の声が聞こえる。
俺は勉強机から振り返って大きな伸びをし、部屋の扉を半分ほど開けた。
「いるよ、何だ?」
お袋の、白髪交じりのボサボサ頭と、しわがれた顔が見えた。
以前は酒浸りで荒れていた時期もあったが、彼女の両親、つまり俺のじいさんとばあさんが立て続けに死んじまってからは、すっかり元気をなくして家に引きこもっている。時折ヒステリックに何かを喚き叫んでいる夜があるが、それも今となっては慣れっこだ。
とはいえ、そんなお袋でも簡単な食事は作ってくれるし、生活費や学費もじいさんの保険が入るとかで大きな問題はない。
どんな人間であろうと俺にとってはお袋が最後の肉親であることに変わりはない。俺の人生に、ギャングを無くす以外の意味があるとすれば、それはお袋の幸せなのだ。そのためにも真っ当な人生を歩む。勝手に馬鹿をやって無責任にも命を落とした、ジャックというクソ親父の代わりにな。
「昨日から、ちょいと車の調子が良くないみたいでね。メイソンさんの店で見てきてもらえないか」
俺の部屋にお袋がやってくるときは大抵がお遣いのような頼みごとなので、予想通りの言葉に「あぁ」と生返事を返した。
ちなみにメイソンさん、というのは昔からこの田舎町にある自動車の整備工場の主人だ。先代が引退してからは息子がその仕事を継いでいる。非常に気さくな兄さんで、車以外のどんな話でも作業の手を止めて付き合ってくれる。腕は確かなのだが、そのせいで修理の仕事が遅いとお得意さんたちから叱られているのもご愛嬌だ。
チャリ、と音を立てて車のキーがフローリングの廊下の上を滑ってきた。
「さてと」
キーシリンダーを回すと、ゆっくりと止まってしまいそうな音がして、エンジンはダルそうに目を覚ました。どっこらしょと腰を上げる老人のようなやる気の無さだ。もう何十年も前に生産されたオルズモービルだ。老人というのはまんざらな比喩でもなく、骨董品と間違われても無理はない。
運転免許は少し前、取ったばかりだ。最初の三日間くらいは緊張したものの、今となっては鼻歌交じりに幽霊船の舵ほどに重いステアリングを切れる。
道へと繰り出す頃に、お袋が好きそうな古臭いファンクミュージックが雑音とともにスピーカーから入ってきた。
ウインカーは点かない。どこもかしこも故障だらけだ。だいたい、調子が悪いと思ったのがどの部分なのか聞いてくるのを忘れた。もっとも、戻って本人に聞き直したところで「どこだったっけか」と返ってくるのも分かっている。なんとなく、車全体の調子が悪いと感じたから俺に言ってきたんだろう。
……
十分足らずで到着した整備工場。薄暗い蛍光灯の下で、かちゃかちゃと機械をいじる音が聞こえる。
「メイソンの兄ちゃん」
「おぉ、クレイか。いらっしゃい」
車の下に潜り込んでいた小柄な身体が出てくる。彼こそ、この整備工場を一人で切り盛りしている男だ。ディッキーズ製の灰色のつなぎやコンバース、そして顔やオークランド・レイダースのキャップもすっかり油まみれだ。
「今日は何だ? オイル交換か? あぁ、クソ、この汚れ落ちねぇな」
メイソンは金盥に張った水と粉石けんで手を洗いながら笑いかけてきた。黒人なので肌の油汚れは目立たないのは利点だが、逆に落とし忘れも多いらしい。
「いや、それが俺もよくわからねぇんだ。お袋が車の調子が悪いから見てもらえって言うんだが、故障だらけでどこの故障の話をしてたのかわかりゃしねぇ」
「なんだそりゃ、俺は占い師じゃないんだ。お前のお袋の心の内なんて知ったことか」
「だよなぁ? だったら、適当になんか傷んでる部品交換してくれよ。すぐ終わるような安い箇所でいいから。ウインカー消えてんだ。その玉替えでいいんじゃねえか」
メイソンはごしごしと擦り続けていた手を止め、つなぎの裾で水気を拭う。
「ウインカーなんかどうせ使ってないだろ、お前のお袋は。一体どこを直したんだって突き返されるぞ。ちっと、エンジンルーム見せてくれ。お前の言う通り、安く見繕ってやるよ。それも、調子が良くなったと気づく箇所でな。ま、騙し騙しはしばらくそれで乗ってな」
現在の別作業を中断してまで俺の頼みを優先してくれるらしい。ありがたいことだが、そこまでひどい状態なら是非ともお袋に買い替えを検討するようにアドバイスをしてほしいところだ。毎度毎度、メイソンがこのポンコツを走れる状態にしてしまうから、いつまでもお袋がこいつを愛用してしまう。
「あー、どこもかしこも古くなっちまって。だがまだお陀仏させるには早いな」
「人で言えば人工呼吸器付けて無理やり延命させてるみたいな状態なんだろ」
「悪くない例えだ、クレイ。とりあえず、キャブ全部開いて掃除しといてやるよ。それも100ドルぽっきりだ。儲からなさすぎて泣けてくるなぁ」
メイソンはそう言いながら工具を取りに、工場に併設されたプレハブの事務所へと消えていった。
俺はデニムのポケットに手を突っ込み、中にあった小銭や札を手のひらに乗せて勘定した。全部で34ドル25セント。全く足りない。
「さーて、やるぞ。このクリーナーはなかなか強力で綺麗になるんだ」
「あ、あのさ。持ち合わせが足んねぇんだ。どこか、もっと安い修理に変えてくれねぇかな」
作業が始まってからでは遅いので、俺はメイソンにそう声をかけて、スプレー缶を振っている手を止めさせた。
そして、俺の手のひらの上の金を見せる。それに対してメイソンは何回も小刻みに頷いた。きっと頭の中で金を数えているのだろう。
「なぁんだ、ちゃんとあるじゃないか。気にすんな」
「は!? 計算は苦手かよ! 全然足りてねぇだろ」
「さっき、お代は25ドルって言ったろ。ガキが金の心配なんかすんなっての」
……
俺が工場の隅の廃バイクの上で寝そべって小一時間が経過した。すっかり錆びくれてしまったハーレーダビッドソンだ。作業が終わったらしく、足音が近寄ってきて、顔の上に車のキーとぬるい缶コーラが乗せられた。破格の料金といい、どこまでもおせっかいな男だ。
「おっ……と!」
「飲め。ガキにはお似合いのコカ・コーラだよ」
言いながら、自身は缶ビールのプルタブを引いている。まだ仕事中だろうに良いご身分だ。俺がコーラの缶を開けるよりも早く、腰に手を当ててグイグイと中身の酒をあおっている。
「あー、その、ありがとよ」
「いいからさっさと金を払いなっての。礼の言葉じゃ腹は膨れないんだよ」
「けっ! 一言多いんだよ!」
金はメイソンが数えたあと、一旦俺の手に戻って来ている。投げつけるようにポケットの中の全財産をメイソンに放ると、俺はキーを手に、ポンコツのエンジンへ火を入れた。悔しいが、確かに来た時とは打って変わって絶好調だ。
メイソンが「おい、25ドル以上あるぞ!」などと言いながら床に散らばった小銭と紙幣を拾っていたので、半分ほど残ったコーラの缶を最後に投げつけてやった。中身が激しくぶちまけられて彼はさらに何か叫んでいたが、さっさと道路に車を乗り入れた俺には届かない。しかし、全部投げたはずが、1ドルだけくしゃくしゃになってポケットに残っていた。25ドルなんて、馬鹿な割引するからだ。これは俺がいただく。ざまぁみろってんだ。
俺は理由もなくイライラとした気持ちで、ポンコツを真っ直ぐに家へと向かわせた。ぐずぐずと下りるパワーウインドーを動かして、四枚の窓を全開にする。
涼しい夕暮れの風に乗って、パン、パン。と乾いた音がした。そう遠くない。イラついてのぼせ上っていた気持ちは、一気に沈んで陰鬱なものになる。間違いない。銃声だ。
クソが。
クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!
なんだってこの街はこんななんだ! いつもいつも! 暴力が平然と闊歩し、弱者は簡単に虐げられる。間違っていることが正しいと、正しいことが間違っていると、この街自体がそういった考えを持っているかのようだ。
そして、俺はそれでも何もできない己の情けなさに吐き気すら催しながら、銃音が聞こえたのとは反対へと車を進め、涙と鼻水で顔を汚しながら遠回りをして自宅へと帰りついたのだった。