八十七
柴田明史の突然の登場に、仄香は驚きと懐かしさの両方が入り交じり、苦笑にも似た複雑な笑みを見せていた。
「先生、こちらの方をご存じなんですか?」と、レナが尋ねた。
「アカデミーの技術担当だったヒトよ」と、仄香は答えた。
「私ね、そこに三年くらい出向してたの」
「羽蕗さんが入所してたところですね」と、ピンク。
「そう」と、仄香は頷いた。
「アカデミーが閉鎖するより前に、彼は辞めちゃったんだけど、『マジック・アイ』吸着の仕組みを発明したのは彼よ。『筆』や『アーム砲』といった『光弾』を発射させる武器も、彼の考案なの」
「わあ」と、レナは瞳を輝かせながら、柴田の風貌を上から下まで、しげしげと見つめた。
ふっくらした顔。
丸く膨らんだ腹。
特に外見でチャームポイントらしき要素は見当たらない。
「ヒトは見かけによらないんですね」と、レナの評価は容赦がなかった。
「今は、警備会社に勤めてるシステムエンジニアですよ」と、柴田は頭の後ろを掻いた。
「それは、『隠れ蓑』でしょ。アナタほどの技術者が在り得ないわ。で、アナタがここに来た理由は?」と、仄香が尋ねた。
「気が変わって、岡産業の研究部長になってくれるって言うんじゃないでしょ」
「西藤所長の指示ですよ、アネさん」と、柴田は答えた。
「アネさん……」と、レナは、その呼び方をなぞってみた。
(柴田さんの背中には、きっとコワイ顔をした『彫り物』があるんですわ)
(小指とか、何かの責任を取らされて、第一間接から上が無くなってたりするんです……)
(あ、そういうヒトと『指切りげんまん』する時は、気を使ってあげないといけないですね)
(うっかり進めちゃって、気まずい感じになるのは、相手に失礼ですし……)
レナの想像は膨らみ、コワイ顔のイメージとして、ウサギが眉間にシワを寄せているのを想い描いた。
「静香?」と、仄香は首を傾げた。
「静香が、未だにアナタの上司なの?」
「建前上はね」と、柴田はすげなく答えた。
「雇用関係も、指揮命令関係も無いでしょ。まったく、よくわからない関係だわね、アナタたち」と、仄香は言って、肩をすくめた。
「指揮命令……」と、レナは、その言葉に反応した。
(鬼教官が、厳しい指導をしてるんでしょうか)
(どんなに厳しい指導を受けてもサーイエッサーと返事をしなくてはなりません)
(それ以外の返事は許されません)
(言ってみろ!)
(サーイエッサーだ)
「サー……イエッサー……」
レナが急にそんなことを呟いたので、隣にいたピンクが驚いた。
さらに、鬼教官のイメージとして、ブラパン姿の矢吹パンナが、皮ムチを振りおろしている場面を描いた。
しかも、その時のパンナは、しかめっ面のウサギの小さなお面を額に着けていた。
「私とキミの関係は何? 答えてごらん」
「生徒会長と、その役員です」
「違う! 雇用関係だ!」
パンナは、皮ムチでビシッと床を打った。
「使用者と労働者。お友だちじゃないんですね……」
レナの両目から涙がこぼれた。
ピンクが、さらに驚いた。
「レナちゃん、どうしたのね?」
「悲しい場面を想像してました……」と、レナは鼻をすすった。
「パンナさんがピンチだって話を聞いてね。急いで準備してきたんですよ」
柴田は、重そうに持っていたボストンバッグを床に降ろした。
「私が知ってる柴田クンは、ヒトのために動くタイプじゃないと思ってたけど」
「アネさんも同じでしょ。それに所長も。みんながパンナさんを助けるために集まってるんです」
「確かに、今回はみんないつもと違うわね」
「みんな、パンナさんのことが好きみたいです」
柴田は、ボストンバッグの中から鉄パイプのようなモノを何本か外に出し、一本の長い棒になるように繋ぎ始めた。
「で、次の展開として、必要なのはこういうモノではないかと」
「何を始めたいの?」
仄香は興味深そうに、柴田の行動を見つめた。
柴田は、金属製の長いパイプを仄香に見せた。
六十センチくらいのモノを三つ繋げて二メートル程度の長さになっていた。
「もっと広い部屋が良いんで、ここではこれ以上は繋げませんが、みんなの力を集めれば、パンナさんは目覚めるはずです」
「これは?」と尋ねる仄香に対して、柴田はフフンと笑った。
「広い部屋に、みんなが集まるように伝えて下さい。『権限』の有る無いは関係なしで。とにかく、パンナさんに目覚めてほしいと思っているヒト全員です」
* * *
研修室に多くの梨菜の見舞い客たちが終結し、柴田はその中心に立ち、持参した長いパイプを披露した。
全てのパイプの連結は済み、その長さたるや七メートル超に及んでいた。
「何人集まったかな」と柴田が尋ねると、ヨーデル棚田が代表して、「十六人です」と、答えた。
集まった顔ぶれは、棚田、犬飼★、レナ、ミキミキ★、ピンク★、玲人★、越美、『北高』生徒会メンバーの男子二名、女子六名、そして仄香★である。
その内、『権限者』は★印の五名。
「よし。じゃあ、この長さで十分だな」
柴田は、梨菜が眠っているベッドを部屋の隅の方に配置し、一辺が二十センチ程度の金属製の立方体を床に置いた。
次に、立方体の側面から飛び出している赤と青の二つの端子に、それぞれの色に合わせたクリップと電線を接続し、電線の反対側に着いている金属製のブレスレットを梨菜の両腕に着けた。
「何の仕掛け?」と、仄香が尋ねた。
「パンナさんの目覚まし時計ですよ」
さらに、立方体装置の上面に飛び出している黒い端子に、電話機に使われているようなカールした黒いケーブルを繋げ、先ほどの長いパイプの中心辺りをクリップで挟んだ。
「さて、お集まりの皆さん、このパイプを両手で掴んで下さい」と、柴田が指示を出した。
室内にいた十六人は、横一列に並び、順番に両手でパイプを握った。
「『権限者』の方は、『意志』を込めた『マジック・アイ』を練り出し、パイプに送って下さい。『臨界』させる必要はありません。『権限者』でない方は、『意志』だけを送り込んで下さい。パンナさんに対する想いを、どんな内容でも良いので強く念じて下さい。その想いの強さが、パンナさんを目覚めさせるのに有効なんです。『権限者』の方が送り込んだ『マジック・アイ』は、この黒い炭素素材でできたケーブルを伝って、この装置に届きます。この装置は、送られてきた『マジック・アイ』を自動的に電気エネルギーに変換し、パンナさんに高圧電流となって伝導します。相当、強力な電気エネルギーが発生します。さきほど、こちらの美園先生が一人で練り出したモノより、何倍も強力です。パンナさんを目覚めさせるには、それだけのエネルギーが必要だという、西藤所長の計算に基づく理論です。ですから、皆さん、全力で想いを伝えて下さい。それと、この装置が電気の発生と流れをコントロールしていますから、電流が逆流する心配はありません。では、ボクが『よーいどん』って言ったら、皆さん、想いを送って下さいね」
(よーいどん……)
レナの耳がピクリと動いた。
(柴田さんのようなタイプは、素直に「よーいどん」と言わないヒトです)
(きっと「よーいどんぶり」とかいうズッコケを言うんです)
「それでは、いきますよ。よーい」
「……どんぶり……」と、レナが小声で繋げた。
それを聞いていた隣のピンクの眉が上がった。
「どんぶり!」と、柴田が言って、ドッと笑いが起きた。
「おい、柴田!」と、仄香が声を上げた。
「やると思ったよ。オマエ、そういうトコ、全然変わってねえな。テンション下がることすんじゃねえよ。空気よめ、空気!」
「先生……こわい……」
仄香の隣にいた女子が目を丸くして震えていた。
「あ」と、仄香は口に手を当てた。
「コワイ声出して、ゴメンね。普段は、私も大人しい女子で、滅多にこんな声出さないのよ」
「よーいどん!」
柴田の意表をついたスタートに、各自がバラバラと気合いを入れ始めた。
仄香は、幾分かタイミングが遅れたが、ぶつぶつ言いながらも集中を始めた。
「良いですよ。その調子。その調子」と、柴田は囃し立てた。
皆が金属パイプを掴みながらウンウン唸っているが、ビジュアル的に何かが流れていく様や、溜まっていったりする様が見える訳でもなく、柴田が仕込んだプロセスは、ただ地味に進行していった。
柴田は、室内の壁掛時計を確認しながら、立方体装置の様子を見た。
「そろそろかな」
などと柴田は呟くが、実際に装置が高圧電流を送電し始めたのは、それから十分くらい経過した後だった。
装置から、ストンと重いモノが細いパイプを落ちるような音がすると、落雷のようなけたたましい音が轟き、あっという間に真っ白な閃光が梨菜のベッドを包みこんだ。
レナは大きく目を開き、眩しいのを辛抱して、梨菜の状態を見届けた。
「会長……おかえりなさい……」と、レナは言い、涙を流した。
梨菜のベッドから炎が上がった。
「消火器を!」と、棚田が即座に行動した。
「いえ、大丈夫よ」と、仄香が制した。
燃えたのは、シーツなどの布類で、梨菜の身体から発した爆風で、燃えているモノは吹き飛ばされた。
「でも、男子たちには退場してもらった方が良いかも。梨菜ちゃんのヌードが丸見えになってるわ」
仄香は、柴田を含めて、男子全員に外に出るよう促した。
「もう、梨菜ちゃんが目を覚ますには、これで十分。さあ、男子は外に出るのよ」
ついでに、看護師に替えのシーツを持ってくるよう指示した。
レナとピンクは、梨菜のベッドの横に並んで、じっと梨菜の顔を見つめていた。
「どう?」と、仄香が尋ねた。
「今、会長の目がピクリと動きました」と、レナが答えた。
そして、スッと瞼が開き、黒瑪瑙のようにキラキラ輝く大きな瞳が表れた。
「わっ」と、女子たちの歓喜の声が、室内に響き渡った。
新しいシーツを持った看護師がやって来て、梨菜の身体を覆った。
再び、男子たちの入場が許可された。
ヨーデル棚田が真っ先に入室し、目覚めた梨菜を見て、大きく唸り声を上げ、男泣きをした。
梨菜はぎごちなく口を動かし、言葉を発しようとしていた。
レナが、その口元に耳を近づけた。
「……た……だ…………い…………ま……」




