八十六
ピンクの悲鳴を聞いて、まず看護師が来て、すぐに梨菜の『本体』の状況を確認した。
続いて、レナが入室し、「蛭沢さん、どうしたんですか?」と、ピンクのそばに行った。
さらに、「桃ちゃん!」と勢いよく仄香がやってきて、泣いているピンクを理由も聞かずに抱き締めた。
「何があったの?」
仄香は遠い『センター長室』から走ってきた様子で、激しく息を切らしていた。
「羽蕗さんの心臓が……止まりました……」
ピンクは、何度もしゃくりながら仄香に伝えた。
仄香は、そばにいる看護師に状況を尋ねた。
「ああ……そういうことね……」と、仄香は頷いた。
「心臓が停止したのは『本体』の方ね。梨菜ちゃんの『意志』は、新しい体の方に移ってるから、死んじゃったわけじゃないのよ。ほら、見て」
仄香は、『幻影』側のベッドサイドモニタを指差す。
「こちらは、血圧の最高値が93、最低値が55、心拍数が58になってるでしょ。ちょっと低めだけど、これは人工機器によるモノじゃなく、梨菜ちゃんの身体機能による動きなのよ。その証拠にね、人工機器はもう外してあるの。梨菜ちゃんの自律神経が機能しているってことよ」
「それは、前に説明を聞きましたからわかってます。でも……でも……」
ピンクの涙はまだ止まらなかった。
「そうね……こういうのって……ツラいわね」
仄香のピンクを抱き締める両腕に力が入った。
(確かに梨菜ちゃんの意志の『伝承』が成功している前提で来ちゃってるけど、もし失敗していたら、梨菜ちゃんはこの時点で亡くなったことになるわね)
(モニタの記録、確認しておくべきかしら……)
仄香は、そこまで考えて、頭を大きく振った。
(そんなの想像したくないわね)
(ああ……桃ちゃんが泣き出した気持ち、わかるわ)
(私も泣きたくなってきちゃった……)
「仄香さん……」
大きめの胸の中に口元を埋めているピンクが、呻き声を上げた。
「苦しいです……」
「あら。ごめんなさい」
仄香は両腕の力を緩め、ピンクを解放した。
ピンクは、すぐにレナの前に行き、その両手を握り締めた。
「レナちゃん、すぐに来てくれてありがとう」
「蛭沢さん、会長の最期を看取ったんですね」
レナも涙を浮かべながら、ピンクの赤く腫れた目を見つめた。
「う……ん……」と、ピンクはぎごちなく答えた。
「違うのね……私、画面を夢中になって見てただけで、羽蕗さんの最期の瞬間は見てなかったのね。そういう自分って……何か……悲しいね……」
「そんなこと無いですよ」と、レナは首を横に振った。
「会長は、こっち側で生きてるんですから」
レナは、『幻影』の梨菜の前までピンクの手を引いた。
こちらの梨菜は笑顔ではないが、口元を一文字にキリリと結び、戦闘場面で見せる凛々(りり)しさをたたえていた。
「先生」と、レナは仄香に話しかけた。
「会長は、どれくらいで目を覚ますのでしょうか?」
「うん……そうね……」
仄香も、レナとピンクの横に並び、『幻影』の梨菜の顔を見つめた。
「私も初めてのケースだから、あまりわかってないんだけど……今は眠ってる状態だから、目を覚ますようなことを試してみましょうか」
「会長が目を覚ますようなこと……ですか?」
「例えば、電気ショックとか」
仄香に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「会長が、悪い男子をシビれさせてた『火花』っていうのですね」
レナが無邪気に騒いだ。
「私も、矢吹さんとの戦闘でやられたことがあるのね。何時間か手足の震えが止まらず、歯がガチガチしたのね」
ピンクは、その時の状況を思い出し、体を震わせた。
「じゃ、ここで仕返しするっての、どう?」
仄香は言うと、ニンマリと笑った。
「仕返し……」
「仕返しですか……」
「そうよ。良い機会だから、梨菜ちゃんに対して、この際にやっとくとかね。梨菜ちゃん、人気者だから、ヒトから恨まれたりとか、あまり無いかな」
「そういうことなら」と、ピンクの周辺温度が急上昇し始めた。
「私、矢吹さんには、ずーっとイジられ続けてきたのね。私の一途な想いも踏みにじられ、笑いモノにされて……今、矢吹さんは無防備。積年の恨みを晴らす、絶好の機会なのね」
「ええ! 桃ちゃんが熱くなってる……」
仄香は、ピンクの予想以上の反響にうろたえた。
「私もです」
レナの瞳にも、熱い炎が燃え上がっていた。
「あらら、レナちゃんもなの……意外ね」
仄香は、レナの予想外の反響に、なおうろたえた。
「会長ってば、何かとすぐに脱いじゃうヒトなんです。もう、あちこちにブラウスとか、ストッキングとか、下着なんかもそこらに脱ぎ散らかして、いつも私に片づけさせるんです」
「ええ! 梨菜ちゃんって、普段はそんな風なの?」
仄香は、目を丸くして、驚いた。
レナは口をツンと尖らせて、首を縦に振った。
「人前だとキチッとしてますけどね、集会とか終わって、生徒会室に戻ってくると、すぐにブラとパンティだけの姿になります。私とか、ミキちゃんとかと二人きりになると、思い切り崩れますね。脱ぎ捨てないで、自分で片づけて下さいって注意すると、キミも同じ格好をすれば良いって、全然答えになっていない答えが返ってきたりするんです」
(絶対に梨菜ちゃんのキャラじゃないって信じたいわね……)
(矢吹 パンナのキャラ作りに力が入りすぎてるんじゃ……)
仄香は、燃え上がる女子二人の意気込みに圧倒された。
「私も、会長にキツイ電撃をお見舞いしたいです。でも、私は『権限者』ではありませんから、蛭沢さんに私の分も合わせて、強烈なのをお願いしたいと思います」
「引き受けたのね」
ピンクは右手を目一杯広げ、発汗により練り出した『マジック・アイ』を即座に『臨界』させ、剥き出しになっている梨菜の首元を目がけて、その手を降り下ろした。
「いつまでも眠ってないで、早く目を覚ますのね!」
ピンクの光る手の平が、梨菜の首に接触した瞬間、バチンと火花が発生し、梨菜に繋がっていた心電図モニタ画面が瞬間的に歪むが、状態はすぐに回復し、正常さを取り戻した。
「結構、思い切りやったわね」と、仄香が感心した。
「会長、死んでませんか?」
レナが不安げに梨菜の顔を覗きこんだ。
「ちょっと確認」
仄香が梨菜の左手首を掴んで『走査』した。
「え?」と、仄香は思わず唾を飲みこんだ。
「やり過ぎましたか?」と、ピンクも不安そうにしていた。
「全然、梨菜ちゃんの『意志』に届いてないわ」と、仄香が言った。
「ええ!」
ピンクとレナがそろって声を上げた。
「バチンと音がしてましたよ。ビリビリって感じで、会長の全身に電流が……ああ……電気こわい……」とレナは言って、身震いした。
「梨菜ちゃんの『意志』が強くて、弾かれてるみたいね。じゃあ……」
今度は、仄香が羽織っていた白衣を脱いで、さらにその下に着ていたブラウスの右袖をまくり上げた。
「今度は、私がやってみるわ」
仄香は、すぐに右腕を発汗させ、たちまち『臨界』させた。
先ほどピンクが練り出した時よりも強い輝きを放っていた。
「仄香さんが本気出してるのね。レナちゃん、危ないから離れるのね」
ピンクはレナの手を引き、仄香から一メートルほど離れた位置まで下がった。
仄香は大きく深呼吸した後、ピンクが狙ったのと同じ首元に、右腕を降り下ろした。
「みんなに心配かけて、とっとと起きろーっ!」
ドン!
と、重い爆発音と共に、梨菜の全身が白く光り、繋がっていたモニタの液晶が破裂した。
「センター長、特別治療室用の非常電源装置から煙が上がってるそうです」
看護師が、受話器で受けた報告内容を仄香に伝えた。
「あらら、私としたことが、やり過ぎちゃったわ。すぐに技術者を呼んで対処させて」
看護師は、対応のため退室した。
「先生……さすがに今のは……」
ピンクとレナの二人の顔が青ざめていた。
仄香は、すぐに梨菜を『走査』した。
「ええええーっ!」
仄香は悲鳴を上げて、その場に座りこんだ。
「……全然、届いてないわ……何て子なの……」
ピンクも腰の力が抜け、その場に座りこんだ。
「……ミキちゃんを一撃で倒した仄香さんの『意志』が届かないなんて……矢吹さんの強さって、どんだけ……百人の男子を連れて戦闘を挑んでも、歯が立たないわけがよくわかったのね……」
周囲の損壊状態など気にもかけない様子で、梨菜は一ミリも表情を変えずに眠り続けていた。
「会長は、目を覚ましてくれるのでしょうか?」と、レナは不安そうにした。
「何か……」と、仄香が両手を握り締めた。
「こんなに苦労してるのに、平然と寝ていられると憎たらしい感じがするわね」
「このムカムカくる感じ。これこそ、矢吹さんなのね」
ピンクも全身から熱気が上がり、ハイテンションになっていた。
「やあやあ。どうやら、お困りのようですね」
不意に男の声が場に入り込んできて、治療室内にいた女子たちの背筋がキュッとまっすぐになった。
おそるおそる男の声の方を見ると、太り気味の中年男がニッコリと女子たちに笑顔をふりまいていた。
「だれ?」
「だれですか?」
ピンクとレナがキョトンとしているところへ、仄香だけが懐かしい友だちに会った時のような笑顔を見せ、男の名を呼んだ。
「柴田クンじゃない……アナタが、なぜここに?」




