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マジック・アイ  作者: 守山みかん


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八十四

『美園総合医療センター』では、とりわけ来訪者数が多い矢吹パンナの見舞い客用に社員向けの研修室を開放した。

テーブルと椅子だけが設置してある七十人程度を収容できるスペースだが、学校が終わる時間帯になると、見舞いに来る学生たちでひしめき合っていた。

仄香が研修室に入るなり、ワッと学生たちが彼女を取り囲んだ。

「先生、矢吹会長は大丈夫ですよね?」

「お願いです。矢吹さんを助けて下さい」

その多くは、『北高』の女子生徒だった。

「とほほう、とほほう、おろろーん」

一際、大きな奇声を上げて泣いているのは、ミキミキだった。

その両目は直線が上側の分度器、口は直線が下側の分度器の形をしていた。

「ミキちゃん、そんなに泣かないで。私まで泣きたくなっちゃう」

そばで慰めているのは、汐見レナだった。

彼女も、今にも泣きくずれる寸前の顔だった。

「可能性は、まだあるのよ。最後まで諦めちゃダメ」

仄香は、皆を元気づけようとする。

すると、皆の動揺が静まり、ミキミキもピタリと泣きやんだ。

「先生が、ああ言ってるんだから」

「矢吹会長が死ぬなんて、あり得ないじゃない」

「今、棚田先輩がね、神宮さまの大鳥居から本宮まで、百回往復してるんだよ」

室内に落ち着きが戻り、仄香はホッとした。

「おふくろ」と、玲人が話しかけてきた。

「西藤有利香から連絡は無いよ。こちらから何度も呼び出してるんだけど……」

玲人は、申し訳なさそうにうつむいた。

「『姉貴』で良いわよ。有利香のこと、そう呼んでるんでしょ」

仄香は、玲人の頬を手の平で撫でた。

「報告してくれて、ありがとう」

次に、彼女の足は、隅の方でぼんやりした顔でたたずんでいる女性の元へ向いていた。

見た目の年齢は四十代後半くらい。

頭に白いモノが目立ち、全体に疲労感を漂わせている。

その中年女性は、仄香に気づくと、スッと立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。

「娘のこと、いつもありがとうございます」

この女性は、()(ぶき)(えつ)()

パンナ……いや、梨菜の保護者である。

血の繋がりは無いが、キリリとした目つきと口元は、どことなく梨菜の面影を感じさせた。

「先生には、本当に力を尽くしていただいて」

「お母さま……」

仄香は、話しかける言葉が見当たらず、声を詰まらせた。

「友だちがほしいって、いつも一人で寂しそうにしていた子なのに、いつの間にか、こんなにたくさんの友だちができていたんですね。私は母親でありながら、あの子のここ数年間の変化を、ほとんど知りません。そして、こんな形で、あの子の命が終わろうとしてるなんて……」

「梨菜ちゃんは、まだ助かる可能性があります!」

仄香は、毅然と言い切った。

越美は、ニッコリと微笑みを返した。

「先生、本当にありがとうございます。でも、無理はなさらないで下さいね」

仄香は、まっすぐに越美の目を見た。

「お母さまには正直に言いますけど、梨菜ちゃんを助けられる、わずかに残された可能性は、もはや私自身の力ではなく、誰かの助けを待ってるような状況です……私、医師として失格ですね」

仄香の正直な告白に対して、越美は、もう一度、丁寧なお辞儀をした。

「先生のお話を聞いて、私は安心しました。不思議と涙が出てこないんです。血の繋がりのない親子だから、冷たいって思われるかもしれません。私も、母親失格です」

《センター長》

その時、天井のスピーカーから仄香を呼ぶアナウンスが響いた。

《お客様がお見えです。西側のエントランスまで、お越し下さい》

今は、外来の対応が終わった夕刻。

西エントランスは霊安室の近くにあり、関係者か一部の仕入業者のみが使用している出入口である。

ピンクが仄香に近づいてきた。

仄香は越美に会釈をして、立ち上がった。

「桃ちゃん、お母さまのそばにいてあげて」

「わかりました」と、ピンクは越美の隣に座った。

越美は、笑顔でピンクを迎えた。

仄香は研修室から外に出て、両の拳を強く握り締め、夕闇で暗がりになっている西エントランスへの通路を、脇目もふらず、足早に歩いた。

辺りは非常口を示すグリーンの表示灯だけで照らされ、脇に並ぶソファ等は闇に溶けて、その影を黒く写していた。

そして、正面に人影が表れた時、仄香の歩みがピタリと止まった。

女子校生と思しき影は、仄香の接近に対して、明らかに警戒心を働かせていた。

「それ以上の接近は、危険なのだわよ」と、影が声を発した。

仄香は、フンと鼻で笑った。

「ずいぶん冷静ね。私なんか、もう気が狂いそうになってるのに」

「……」

「私たちは、同一意志の存在。接近は、『(そう)(さい)(かん)(しょう)』を招く。そんなことはわかってるわよ。でも、顔の見えない相手と話をするのはイヤなの。せめて、お互いの顔がわかるくらいまで近づきましょう」

緑色の表示灯が中心になるようお互いが少しずつ歩み寄り、双方の顔が確認できる位置まで近づいた。

その間隔は五メートル程度。

鈍い緑色の光源は、白いヘアバンドの西藤有利香の姿を写し出していた。

「これが限界なのだわよ」と、有利香は警告した。

「手を伸ばしただけでも、『相殺』が始まるのねよ」

「アナタの『予測(プレディク)』に基づいてるんでしょ。信じるわよ」

仄香は顎を上げ、胸の前で両腕を組んだ。

「久しぶりね。というか、その姿で会うのは初めてね。静香……いえ、今は有利香だったわね」

有利香は、口を噤んだまま、何も話さなかった。

「アナタ、梨菜ちゃんのこと、わかってたんでしょう?」

「……」

「私と梨菜ちゃんを分断したのも、アナタの『計画』だった。アナタが『不老不死』プロセスを私に完成させまいとしていた理由については、今さら、もうどうでもいいけど、梨菜ちゃんの命を救うには『不老不死』を完成させるしか方法が無いわ。でも、アナタが施した分断のために、梨菜ちゃんへの治療がここまで遅れたんじゃなくて?」

「それは違うわよ」と、有利香が反論した。

「遅れていたのは、私の『伝承』プロセスの完成だったのだわよ。梨菜さんの『意志』を『伝承』させるためには、専用の『才能(アプリ)』が必要で、それを完成させるために時間が必要だったのだわよ」

フッと、仄香は苦笑する。

「私と梨菜ちゃんを分断した理由を聞いてるのよ。アナタの都合なんか、どうでもいい」

「私には、アナタが要求している理由の説明の方が、どうでもいい話なのだわよ」

「何ですって……」

仄香の両目の奥に、怒りの炎が燃え上がった。

「あの時のアナタに、梨菜さんを渡すわけにはいかなかったのだわよ。アナタが、梨菜さんをどうするつもりだったか、私には見えていたのだわよ」

有利香は、さらに仄香を攻め立てた。

仄香は下唇を噛み締め、有利香を睨みつけた。

「私の会社は、世界中の軍需産業から取引の依頼が殺到して、あっという間に大きくなった。たかが『疑似権限者(インダストリアル)』への変身程度のサービスに、みんなが飛びついてきたのよ。でもね、『攻撃側面(アグレッシブ)』のみの『疑似権限者』なんて、私にとって研究課題のスタート地点にも立っていない下劣なレベルのモノよ。私が目指すのは、人間の持つ可能性の向上。進化の限界を超えた成長なの。梨菜ちゃんの登場は、私の胸を躍らせたわ。だって、あの強さと美貌よ。まさに『権限者(ギフター)』の象徴として、私の前に天使のように舞い降りてきたの」

仄香は、うっとりとした目つきで、非常灯の反映で緑色に染まった天井を見上げた。

「梨菜ちゃんの能力を『再現』できれば、私の研究課題は大きく進展する。まあ、そんな野心を持ってた時も、確かにあったわね。今となっては、それがいかに危険な野心であったか認めるわ。梨菜ちゃんは、心に大きなキズを持っていたのよ。超人的な『意志』の強さの源泉になっている要素なんだけど、そのあまりのムゴさは、中身を確認した佳人から聞いてたわ。そして、私も、梨菜ちゃんの過去を、ついさっき知ったのよ。どんな状況でもね、梨菜ちゃんは、前向きに生きてた。過去よりも、明るい未来を見すえてた。私は、梨菜ちゃんの能力的な側面より、そういった生き様の方が、とても魅力的だと思うわ……きっと、梨菜ちゃんは感づいてたんだと思う。自分に明るい未来が訪れる前に、命が終わってしまうことを……」

仄香は小さくため息を漏らすと、その両目に大量の涙が溜まり始めた。

「私は梨菜ちゃんと……私は……梨菜ちゃんといっしょに……楽しい時間を過ごしたい……ただ、それしかないわ……それなのに……」

仄香の膝が崩れ、両手を床についた。

「ようやく仲良しになれたと思ってたのに、こんなことになってるなんて……ヒドすぎるわ……」

「……」

有利香は無言で、ただ仄香の様子を見守っていた。

仄香は、床に何度も拳を打ちつけながら、激しく泣いた。

「……世界中から注目される成長企業の経営者になったって……たった一人の……たった一人の女の子も救えない……梨菜ちゃんに生きててほしい……生きてほしいの……」

仄香から流れ落ちた涙が床に飛び散り、なおも拳を打ち付けて拡散させ、ビチャビチャと雨降りに水溜まりを踏みつけた時のような音を辺りに響かせた。

「……うっ……うっ……」

やがて、拳の動きは止まり、仄香のすすり泣く声だけが、その場に残った。

「…………助けて……」

仄香から、小さくその声が発せられた。

「……お願い……姉さん…………助けて……」

有利香の瞳が(りん)と輝き、その口元に笑みが浮かんだ。

「道を開けなさい」と、有利香は容赦なく言った。

「何度も言わせないでほしいのだわよ。面倒なヒト。アナタのそばに近寄れないのねよ。私に伝えたいことが済んだなら、どこか、視界に入らない遠くへ行くのだわよ」


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