八
浦崎警部は、店員の「いらっしゃいませ」の声に反応するかのように、文面から店内に入ってきた長身の女子高生に視点を移した。
紺のブレザー、丁寧にプリーツの入ったスカート、アンダーには襟の大きな白いブラウスを覗かせ、赤と紺の斜めストライプのスカーフという出で立ち。
すなわち、I市立高校の生徒であり、そして警部の姪でもある。
長身の姪は、脇目もふらず、警部のテーブル席の対面まで通路を進み、長い脚を背の低いテーブルの下へ潜らせるのに窮屈そうにしながらも腰を落ち着けた。
後を追いかけるように店員がやってきて、水の入ったグラスを置こうとした。
「ケーキセット。ミックスベリータルトと、ドリンクはアイスミルクティで」
グラスがテーブルに着地するよりも早く、注文を口にした。
店員は慌ててそれをメモに取り、「かしこまりました」と言って、そそくさと退散した。
「慌てなくてもいいですよ」
長身の姪は、ウェイトレスの背中に声を掛けた。
あまりに目立つ風貌、そして、その美貌に、店内の多くの視線を集めているが、彼女はまったく気にしていない様子。
「ここには来たことがあるんだ」と、警部が尋ねた。
「初めてだよ」と、姪は答えた。
「学生だけで飲食店に出入することは、校則で禁止してるからね」と言って、さらに小さな声で「学生服を着ていたらの話だけど」と付け足した。
「さすが生徒会長だね。規律はしっかり守ってるんだ」
「おじさんもそうでしょ」
姪にそう言われ、警部は「ははは」と歯を見せて笑った。
「メニューも開かずに、てきぱきと注文するから、ここに来たことがあるのかと思ったんだ」
姪は、冷水のグラスを両手で持ち、ちょっぴり口を付けた。
「私が、なぜそうできるかは、そろそろおじさんにも理解できてる頃だと思うんだけど」
姪の視線が、警部の手前に伏せてある文庫に向けられた。
「まだまだ最初の方しか読めてないよ。なかなか咀嚼しにくいストーリーだね」
「私を呼んだのは、ストーリーの解釈について聞くためかな?」
「とんでもない」
警部は、テーブルの上の文庫本をソファに畳んであるジャケットの上に落とした。
そして、すかさずポケットからメモ帳とシャープペンシルを取り出した。
「パンナ」
警部は目の前の姪の名を呼び、形式的に次のように宣言した。
「キミを呼んだ目的は、他でもない。これから、キミに対して事情聴取を行いたい。かしこまらなくてもいいよ。リラックスしたまえ。ケーキがもうすぐ来るだろう。それを食べながらでいい」
刑事の立場から事情聴取を行う、と宣言されても、矢吹パンナは少しも驚いた様子を見せなかった。
むしろ、彼女は反抗的な視線で警部を睨み返していた。
「だが、キミの立場を考慮して、これはあくまでも非公式な対応とするよ」と、警部は補足した。
「よくも人が大勢いる前で、私の恥ずかしい名前を読み上げてくれたね」
パンナは声を荒げた。
姪の予想外の反応に、警部は驚いた。
「キミは、もうそのことを気にしてないと思ってたよ」
「気にしてるよ。一生、私に付きまとってくるモノだからね」
パンナは、なおも噛みついてきた。
「そりゃあ、すまなかった。でも、キミを呼ぶ時に名前を呼ばないわけにはいかないからなぁ」
警部は押され気味に、両手をパンナに見せた。
「おじさんの目の前には、私一人しかいない状況で、わざわざ名前を呼ぶ必要があったのかな? 少なくとも、さっきのタイミングでは、私の名前を呼ばなくても、私に伝わる内容だったと思うよ」
パンナの熱のこもった声を浴びせられ、警部のこめかみに汗が流れ始めた。
「キミは、名前を呼ばれるたびに、いつもそんなふうに腹を立てているのかなぁ」
警部は、頭の後ろを掻きながら言った。
パンナは、ふんぞり返って、警部から視線を逸らした。
「で、何に対しての事情聴取なのかな?」
幾分、落ち着いた口調でパンナは切り返した。
警部はニッコリと笑って、手帳を開いた。
「まぁ、キミが相手だからね。事情聴取と言うよりは、情報共有といった方が妥当かな。気に触るかもしれないが、とにかく、キミの持っている情報を教えてほしいんだ。一応、何となくだが、私自身が状況を理解できる水準まで来ていると自負しているんだよ。えっと……まず、キミの学校についてだね。I市立高等学校、通称『北高』の生徒会長をしてるわけだね」
パンナは、「うん」と頷いた。
「生徒会組織は、キミが指名した生徒で構成されているわけだね。生徒会には、どんな権限が与えられているのかな?」
「校則の運営、違反者の取締り。それと、校内行事の執行。部活動または同好会活動の支援。あとボランティア活動の統括とか」
パンナは早口に答えた。
警部は、うなずきながらメモを取った。
「生徒会活動を監視する組織というのも存在するらしいね」
警部が尋ねると、パンナは苦いモノを口に入れたような顔をした。
「単なる揚げ足とりだよ。ちなみに代表者の名前は岡将。通称『オカショー』」
「生徒会との関係は……」
警部が尋ねると、パンナは「良くないよ」と即答した。
「クレーマーと良好な関係なんて築けるわけないじゃない」
「その『オカショー』のことがキライなんだ?」
「大キライ」と、パンナは吐き捨てた。
ウエイトレスがミックスベリータルトとアイスミルクティーを運んできた。
パンナに笑顔が戻り、すぐにフォークの側面でタルトの縁をカットした。
「その『オカショー』のことだけど……」
警部がさらに尋ねようととすると、パンナが怖い顔をして警部を睨んだ。
「まだ、その話題が続くの?」
「いや……」と、警部は言葉を切った。
「キミがイヤそうだからやめるよ」
「すごくイヤだから、やめて」
パンナは、カットしたタルトを口に入れた。
「おじさんが聞きたいことって、ミユのことだと思ってんだけど」
パンナは、口をモグモグさせながら、幾分か優しげに言った。
「おいしい?」と、警部が尋ねた。
「甘さ控えめ。ベリーの酸味が強いね。私はもっと甘くしたのが好き」
厳しい批評を入れながらも、パンナはタルトを細かに切断し、少しずつ口に運ぶ動作を繰り返した。
タルトの四分の一を食べ終わったら、今度はミルクとシロップを紅茶に溶かし、ストローで一気に半分近くを吸い込んだ。
フウと大きく吸い込んだ息を吐いた後、こう呟いた。
「『つり銭切れ』だね」
「は?」と、警部の声が裏返った。
パンナは警部の後方を一瞬だけ指差した。
つられて、警部はゆっくり後ろを振り返った。
不意にテーブル席から立ち上がった一人の客が、店内の入口付近に設置されたタバコの自販機に近づいていった。
客は千円札を財布から出し、挿入口に入れようとするが、拒絶され、それを何度も繰り返した。
四回繰り返した後、ようやく『つり銭切れ』に気づき、ウエイトレスに声を掛けた。
「どうして、わかったのかな?」と、警部が尋ねた。
「『つり銭切れ』を示す赤いランプが点灯してる」
「小さなランプだよ。ここから十メートルくらい離れてるし、私の目では全然わからない。それに、キミは、あの客が立ち上がる前から『つり銭切れ』を予測していた。なぜ、そんなことができるのかな?」
警部が、さらに追求した。
「さあね」
パンナは、はぐらかすように言い、クスクス笑った。
「おじさんは、もう気づいてるんじゃないの?」
反射的に、警部の視線がジャケットの上に落とした文庫に向いた。
「漫画のような世界だよ。私には、このとおりのことが起きているとは信じられない」
「それは模倣だよ。理解しやすく表現するためのね。説明的だし、こじつけも多い。でも、自然と世界観が飲みこめるところが良いんだ」
パンナは、得意げに言った。
「私に読ませるつもりだった?」
「手っ取り早いと思ったからね」
パンナは、大きな瞳をキラキラさせて、叔父の表情を窺った。
「それは問題発言だよ。私は、岡田美夕の所持品から、これを知ったんだから。つまり、キミは岡田美夕にこれを持たせて、彼女を自殺させたことになる」
「自殺させるっておかしな表現だね。それって、率直に殺人だよね」
パンナが明け透けと言った。
警部は、手の平で自分の額をピシャリと叩いた。
「岡田美夕については、いろいろと納得できないことがある。告別式に行ったが、何だか妙な感じだった。葬式の流れは普通でも、雰囲気がね。特に、ご両親とキミを含めた一部の生徒だけどね。違和感を感じたのは、私だけかもしれないが」
「悲しんでるように見えなかった?」と、パンナ。
「耐え忍んでるって感じにも見えなかったね。それで、私は不意に思ったんだ。あれは本当に葬式だったのかなって。私の悪い習慣かもしれないが、時々、全く違うものを、あたかも私にそうであるかのように見せるよう、周囲にいる全員がグルになって仕組んでいるのではないかと疑いたくなることがある。例えば、この紅茶だけど」
警部は、パンナの手前のグラスを指差した。
「私は、紅茶だと思い込んでいる飲み物だけど、これの実体が実はコーヒーと呼ばれるもので、私は幼い頃からテレコで覚えさせられていたのではないかってね」
パンナは、思いっきり吹き出して笑った。
「それって職業病だよ。おじさんは疑うプロだからね。でも、名前を入れ換えて覚えてたとしも、おじさんはコーヒーと紅茶の本質がわかってるわけだし、問題は無いんじゃないかな」
「コーヒーと紅茶だったらね。確かに名前をテレコで覚えていたって、大した問題じゃないかもしれない。だけど、ヒトの場合だとそうはいかない。ヒトは、名前で個人の区別と識別を行っているからね。あの岡田美夕名義の葬儀で、葬られたのが岡田美夕ではなかったとしたら、これは大問題だよ。そこで、改めてキミに尋ねたい」
警部は、正面からパンナの顔を鋭く見た。
パンナは食べる手を止め、姿勢を正して、警部の視線を受け止めた。
「あの死体は、本当に岡田美夕だったのか?」