七十五
水野は、N市内にある『量子情報物理工学研究所』、通称『アカデミー』と呼ばれている政府が建設した研究施設のミーティングルームにいた。
今は深夜の二時ということもあり、施設内は無人で、物音一つしない静けさに満ちていた。
間もなくして、ミーティングルームのドアが開き、若い男が入室してきた。
「やあ」と、水野は親しげに声をかけた。
男は、眠そうにアクビをして、水野の正面に座った。
この男は、水田佳人。
アカデミーの研究員の一人。年は二十四歳。
M大学理学研究科の現役の大学院生で、彼もまた『覚醒』した『天然の権限者』であった。
そして、もう一つ補足すると、岡産業株式会社から客員研究員として出向してきている美園仄香は、佳人の父親の妹、つまり、叔母にあたった。
「夜、遅くに呼び出してゴメンね」
水野は両肩を左右交互に上げ下げする仕草をした。
「楽しそうですね」と、佳人は半分目を開けた状態で微笑した。
「見つかったんだよ」
水野は、盛り上がってくるテンションを抑え込み、あえて囁くような小声で言った。
「『天然の権限者』が」
「!」
佳人の半開きだった目が大きく開いた。
キレイなアーモンド型で、そこは叔母の仄香とよく似ていた。
「まだ『覚醒』していないけどね」
「貴重ですね」と、佳人は鼻息を荒くした。
「今、どこにいるんですか?」
「I市中央病院に預けてあるよ」
「ケガでもしてるんですか?」
「緊急治療を受けてる。K町に住まいがあるけど、I市の駅前商店街でうずくまってたのを見つけた。体調が悪そうだっから、声を掛けたんだ。検査してみたら、集団による強姦を受けていたことがわかった。何か事件に巻き込まれてるようだ」
「女性なんですね」
「十三歳の女の子だよ」
「十三歳で強姦ですか。そりゃ、キツイな……」
「質の悪い初期中絶を受けさせられた痕があった。それも一度じゃない。おまけに『FA中毒』の症状も出てる」
「……いたたまれませんね」と、佳人は首を横に振った。
「両親に連絡は?」
「母親には連絡して、病院に来てもらった。でも、ちょっと複雑な事情があるみたいだ。母子家庭らしいんだけど、実は血縁関係が無い。父親側の連れ子だったようで、再婚したけどうまくいかず、結局、離婚することに。まともに職にも就かないだらしない父親に任される子供を不憫に思って、引き取ったそうだよ」
「その子の容態は、どうなんですか?」
「中毒症状に関しては、関係する『才能』を全部削除して、停止させたから大丈夫だと思う。ただ、女性の部分の治療については、かなりの重症で、治癒には時間がかかりそうだ。障害が残るかもしれない」
「かわいそうに……」
佳人は、両目の間を指でつまんだ。
「そこでだ」と、水野がまっすぐに佳人を見た。
佳人は両肩に力をこめ、細く萎ませた。
指示命令、それも『無茶ぶり』を受け止める構えだった。
「犯罪に巻き込まれているからには、保護が必要と考えてね。当アカデミーで預かろうと考えてる。それを、キミに頼みたい」
予想どおり、さっぱり意味がわからない、と佳人はため息を漏らした。
水野の本意を知るため、質問を重ねて、少しずつ咀嚼していかなくてはならない。
「預かるというのは、この施設で、ということですか?」
「そうだ。特別な場合を除いて、ここから一歩も外に出さないつもりだ」
「何だか監禁するような感じがしますが、母親と本人の同意は取れてるんですか?」
「お母さんなら承諾してくれた。本人も同意したよ」
「本当の親子関係じゃないから、案外、ドライなんですかね」
「そんなこと、ボクは知らん。同意さえあれば、問題ないだろ」
「ここに居住させるってことですよね。そんな設備ありませんが。ましてや、年頃の女の子が住めるような仕様は……」
「キミが作っていいよ。年頃の女子が気に入るような部屋を」
「えっと……」
「工事見積もり、出しといて。ボクが適当に稟議を通すから」
「そうだ。学校は、どうするんですか? 義務教育ですから、通わせないと」
「このアカデミーには、教員免許持ってるヒトが何人もいるから、そのヒトたちに頼もう。今通ってる中学校は転校だね。キミが手続きしといて」
「進路とかは考慮しなくても……」
「そういうのは、あとで考えよう」
「母親の面会とかは……」
「月一」
水野は、佳人の眼の前にビシッと人差し指を突き出した。
「会ってもいいよって伝えておいた。それで十分だろ。もう、子供じゃないんだし」
「中学生は、まだ子供だと思いますが……」
「キミの主観など、どうでもいい。それより、研究員なら能力的な側面に関心は無いのかな。さっきから、キミの質問はオッサンくさい内容ばかりだ」
「オッサンって……」
これには、温厚な佳人もムッと来たようだった。
「水野さんの方が、ボクよりもずっと年上で、オッサンに近いじゃないですか」
「ボクの定義では、オッサンというのは年齢で決まるモンじゃない」
水野は、クソ真面目な顔で説明を始めた。
「オッサンの性質を備えたモノがオッサンだ。できない理由を並べたり、年齢を理由に体が動かないふりをしたり、自分は勉強をする必要はないと思い込んでいたり、暗い未来の話ばかりしたり、ヒトの揚げ足を取ることに燃えたり、肝心な時の決断をヒト任せにしたり、そういうのがオッサンだよ。それが、六十代、七十代になってもオッサンじゃないヒトもいれば、二十代ですでにオッサンなヒトもいる。そういうモンだ」
「で、水野さんは、ボクがオッサンだと……」
佳人の言葉と肩が震え、怒りに満ちた目つきが、一口で言えば、スゴイ状態になっていた。
さすがの水野も、思わず息を飲み、「ま、そうは言ってないよ」と、とりあえず回避行動を取った。
「彼女について、もう少し説明を加えるとね」
水野は、とにかく話題を変えることにした。
「子供時代から、かなり悲痛な経験をさせられた事実は、いたたまれないの一言だが、今の彼女が苦にしているのは、健康状態を維持できていない点にあるようだ。つまり、健康であることを、今は一番望んでるんだよ。過去よりも未来のことを気にしてる。これは、スゴイ逸材だと思うよ。ボクが言いたいことがわかるかな?」
水野の話を聞き、佳人の目が輝いた。
「精神面の強さですね」
佳人の答えに、水野はニッコリと微笑んだ。
「精神の強さは、当然に『意志』の強さに繋がる。ボクは、かなり将来が有望な逸材だと思うよ」
「早く会ってみたいですね」と、佳人。
「それから、何と言っても、彼女の一番良いところはね」
水野の両肩のリズムが、さらに激しくなった。
「飛びっきりの可愛い子だ、ってところだよ」




