七十四
オカショーは、南高にあるオカダイのアジトのドアを乱暴に開け、中に入った。
室内は、中心に座るオカダイ、その周りの黒い四人組と、いつもと同じ配置だった。
そして、オカダイは紙幣を数える作業に夢中であり、これもいつもと変わらない光景だった。
「ドア、閉めて」
オカダイは、紙幣を数える手を止めずに、誰と特定するでもなく、指示を出した。
ヒルちゃんが、その指示に対して動こうとしたが、先にオカショーが対応した。
ヒルちゃんは、オカショーに右手の親指を突き立てた。
「おかえり」
オカダイは、留学帰りの弟に向かって、抑揚なく言った。
紙幣チェックが終わると、札束をテーブルの隅に置いて、視線をオカショーに向けた。
「色々、言いたいことがあるでしょうから、まず、それを聞いてあげるわ」
「羽蕗さんに……ヒドイことをしたな……」
オカショーは声を詰まらせながら、オカダイに迫った。
何とか落ち着いて話を繰り出そうとする努力は窺えたが、盛り上がってこようとする感情は、抑え切れていなかった。
「羽蕗さんは、ボクの『彼女』だ。なぜ手を出した?」
「私も、あの子のことを気に入ったから。まず、それが理由」
オカダイは、興奮ぎみの弟を宥めるように、優しげな口調で説明を始めた。
「ヒドイことをしたってのは心外ね。アレは、私の可愛がり方よ。あの子が可愛くて仕方がないの。私なりの愛情表現よ」
「一方的で、自分勝手だ」
オカショーは、テーブルを両手で力をこめて叩いた。
「羽蕗さんは、ヒドイ仕打ちに苦しんでた。兄さんは、羽蕗さんの人生を狂わせたんだ。人間のすることじゃない」
「ローブロー。中学生のアナタが、エラそうに人生を語るの?」
オカダイは、フンと鼻で笑った。
他の四人も、なぞるように鼻を鳴らした。
「あの子を幸せにしたいんだったら、アナタがしてあげれば良いじゃない。私は、つまみ食いしたいだけよ。そんなに大事なら、アナタがもっと守りなさい」
「あんな彫り物までして……一生消えないキズが、羽蕗さんに残ったんだぞ」
「そりゃ、あんな可愛い子、私が手離すわけないじゃない」
オカダイは、ヘラヘラ笑った。
他の四人も同じに。
「悪い虫が寄りつかないようにするための措置よ。私から離れないように『FA中毒』にもしたわ。レベルアップして、新しいカードを欲しがった時に、あの子が何をしたか、ちょっとアナタには教えられないわね」
男たちは、ドッと吹き出した。
笑い声に包まれ、オカショーの怒りは完全に頂点に達した。
「この、クソ野郎!」
オカショーは、テーブルを両手で持ち上げ、オカダイの方へぶん投げた。
オカダイは、散らばる前の札束を左手で掴み、右足の靴底で飛びそうになってるテーブルを止め、『臨界』させた汗で濡れた右手をオカショーに向けて、『爆発』を仕掛けた。
爆風によって、テーブルとオカショーの体が、瞬時に後方へ吹き飛んだ。
「つくづく、ローブローな弟ね。たかが女子一人で、熱くなってるんじゃないわよ」
オカダイは立ち上がり、ゆっくりした足取りで、オカショーに近づいた。
左手で掴んだ札束は、握り締めたままだった。
オカショーは、コンクリート壁にぶつけた右肩を庇いながらも、オカダイと向き合うように立ち上がった。
「羽蕗さんは……ボクにとって、特別なヒトなんだ。兄さんだからといって、あのヒトにした仕打ちを許すわけにはいかない」
「だから、さっきから言ってるでしょ。守ってみなさいって」
オカダイは不敵な笑みを浮かべた。
「私も、あの子を諦めないわよ」
「兄さんのやったことは犯罪だ。全部、訴えてやる」
オカショーの威嚇に、オカダイはまたもや鼻で笑った。
「法の仕組みで解決させるってこと? それが、アナタの手札だっていうの? だったら、アナタは勘違いしてるわよ」
オカショーは、右手で拳を作ろうとするが、肩に激しい痛みが走り、握ることすらできなかった。
どうやら、ぶつけた時に肩の骨を損傷したようだった。
「アナタ、あの子とじっくり話をしたの? あの子はね、妊娠したことも、彫り物があることも、全部、母親には内緒にしてるのよ。警察に被害届なんか出したら、バレちゃうでしょう。あの子がそれを希望するはずがない。もし、アナタに何かを相談しているとしたら、こんな感じじゃないかしら」
オカダイは、あと半歩程度でぶつかるくらいの間合いまで、オカショーのそばに歩み寄った。
「何とかして。助けてって」
オカダイは、そこまで話すと、ニンマリと笑った。
オカショーは、ゴクリと唾を飲んだ。
「その意味が、わかってないわね。お金よ。お金を出せってこと。あの子、かなりのハイブローね。どんな窮地に立たされても、自分の利益になることを探って、効果的な交渉材料に仕立てあげることができるのよ。私ね、そういうところも気に入ってるの」
「羽蕗さんは、そんなヒトじゃない!」
オカショーの渾身の叫び声は、オカダイの耳には届かず、部室を形成するコンクリート壁に、空しく吸収されていった。
オカダイは、オカショーの右肩に触れ、『治癒』を発動させた。
肩の激痛は治まり、握り拳にも力が入るようになった。
「もうすぐ、次のレベルアップになるわね。アナタ、あの子が私のところにカードのおねだりに来ないよう、見張っておきなさいよ」
男子たちのヘラヘラ笑う声が響き渡った。
オカショーは、男たちに背を向け、無言で部室から外に出た。
(いつか、きっと……)
オカショーの両目の奥に、赤い炎が灯されていた。
(今は、おとなしく引き下がるが、もっと力をつけて、いつかきっと、コイツを排除してやる)
(羽蕗さんを取り戻すために……)
オカショーは、固く決意した。
* * *
水野警視監は、この時、三十三歳だった。
いわゆるキャリア組ではあるが、この異例とも言えるスピード出世の背景には、政府高官による後押しが効果的に働いたことが大きかった。
確かに、水野は優秀な警察官であり、特に科学捜査による事件解明の貢献度は、非常に高く評価された実績があるが、それ以外に重要な要素を彼が備えていたことが、最大の理由であると思われた。
それは、彼が『天然の権限者』で、すでに『覚醒』していたという事実であった。
水野は、政府が極秘で運営している研究機関の参事に任命され、極秘とされながらも、世界各国で関心を集めつつある『マジック・アイ』の研究に関わっていた。
彼の役割は、特に軍需産業としても発展の兆しを見せつつある『権限者』に対する取り締まりの仕組みを構築することであった。
当分野では、対立関係の様相を呈している政府と岡産業株式会社であるが、水面下では研究過程における結びつきは強く、お互いに情報提供しあっているという側面もあった。
そのため、水野の住居も、勤め先である警察本部もN市内なのだが、岡産業の本社があるI市を訪れることが、たびたびあった。
今夜も然り。
I市内にある、とある寿司屋の座敷個室で、オカセイとの酒抜きの密談を終えて、自家用車を預けている駐車場への帰りの夜道を歩いているところへ、ふいに「助けて」という言葉が頭の中に舞いこんできた。
水野が、この事象に最初に興味を示したのは、『遠隔感応』によるメッセージの転送である可能性だった。
水野は『走査』を周辺五十メートルの範囲に試みた。
すると、左手四メートルの歩道の脇に設置されているベンチに、少女がぐったりと首を垂れて、座っているのを発見した。
すかさず、水野の足がそちらに向かった。
「キミ」と、水野が少女に話しかけた。
少女は、お腹の下の方を両手で押さえ、汗をびっしょり掻いていた。
「かなり、苦しそうだね」と、水野。
「お腹が痛くて……」
少女は、水野に助けを求めた。
水野は、少女の肩に触れ、さらに『走査』を発動させた。
「羽蕗梨菜さんか……その……かなり、女性の部分が傷ついてるようだね。ボクは警察官だ。今日は非番だけど、すぐに病院へ連れていってあげるよ」
「た……助けて下さい……」
梨菜は、両目からポロポロと涙を流して、泣いた。
「かわいそうに。ちょっとゴメンね」
水野は、梨菜のお腹の辺りに手を当て、『治癒』と詠唱した。
たちまち梨菜から激痛が取り除かれた。
梨菜はキョトンとして、水野を見た。
「痛みが引いた……」
水野は、ニッコリと笑った。
「確かにね。一時的に痛みを抑えることができるけど、羽蕗さんの病気は、自然治癒できる程度じゃないから、病院へ行かなきゃいけないよ」
「不思議な力……」
「説明が難しいなぁ……でも、さっき覗かせてもらったけど、羽蕗さんも不思議な力を持ってそうだね」
水野は中腰になり、梨菜の脇と膝の裏に、両腕を通した。
「な……何を、するんですか?」
突然の水野の行動に、梨菜は驚いた。
水野は、中腰からスッとまっすぐに立って、梨菜を『お姫様だっこ』にした。
「やあ、身長が高いから苦戦するかと思ったけど、羽蕗さんは意外と軽いね」
水野の足取りがリズミカルに動く。
梨菜は振り落とされないよう、水野の首に両腕を回した。
「降ろして下さい。私、歩けます」
「すぐ、そこだから。こう見えても力はあるんだよ。鍛えてるからね」
水野は、飛ぶようなギャロップで、駐車場へ向かった。




