七十二
梨菜とオカショーがリアルに出会ってから半年が過ぎていた。
梨菜の身長は百七十三センチあたりで横ばいになってくれているおかげで、栄養配分が偏ることなく、身体に満遍なく行き渡るようになり、痩せぎすで骨と皮しかなかった体つきに、胸の膨らみ、丸みを帯びたお尻と、身体面において女子らしい成長が見られるようになった。
そこに、美容師のヒカリさんの指導と、オカショーによる経済的支援、そして、美容に対する自身の積極的行動を導けた効果が大きく寄与したことが重なり、安定した美貌を維持できるようになった。
それからというもの、彼女に対する集団無視のイジメが全く起きなくなっていた。
今は、オカショーの応接室。
父親であり、地元では中心的企業である岡産業株式会社の代表取締役である、岡 政夫(以下「オカセイ」)と引き合わせるため、梨菜を自宅に呼んだのだった。
その目的は、二つあった。
一つは、公式の交際相手として両親に認めてもらうことだった。
この点は、両親とも梨菜の魅惑的な容貌と、自分の意見をはっきりと伝える聡明さが気に入られ、あっさりクリアできた。
そして、二つめの目的だが、これは会社事業に関する相談ということで、母親には席を外してもらうことにした。
オカショーは、中学生の身分であるが、作業のアルバイトとして製造現場に入るなどして、現場経験を積み上げていた。
もちろん、これは事業継承を視野に入れた行動であった。
「社長、この羽蕗さんはですね」と、オカショーは父親に向けて話を切り出した。
今まで『パパ』と呼んでいた自分の父親に対して、仕事に話題が変わった途端に社長と呼びかえ、『ですます口調』に切り替えられるTPOの徹底ぶりに、梨菜はちょっとだけ感心した。
「『天然の権限者』の可能性があります」
「ほう」と、オカセイは関心を示し、梨菜と目を合わせた。
梨菜は、緊張気味にニッコリと微笑み返した。
「私の『走査』では情報精度が低いので、確実かどうかは言えませんが、検査を行う価値はあると思います」
「ふむ」と、オカセイは頷いた。
「あの方が、今は政府の研究機関に出向していて、なかなか時間を取ってもらえないのだが、きっと関心は示されるだろう。今度の『ついたち会議』に、出席していただける予定なので相談してみよう」
「あの……まさしさん……」と、梨菜が戸惑いながらオカショーに話しかけた。
「私のことを話題にしてるみたいだけど、いったい何の話?」
「羽蕗さんにはね、未知の力が宿ってるかもしれないって話をしてるんだよ」
オカショーは目を輝かせて、梨菜を見つめた。
「ボクたちはね、その力を使えるヒトのことを『権限者』って呼んでるんだよ」
「もし、羽蕗さんが『権限者』だったら」と、オカセイが会話に加わった。
「当社の新規事業の発展に大きく繋がっていきます。ぜひ、協力をお願いしたいですね」
「そんな……まさしさんの会社って、とても大きな会社なんですよね……私のような子供が協力できるようなことがあるなんて信じられません」
「非公式だけど、『権限』のことを専門で研究している機関があるんだよ。ウチの会社の研究顧問の人が、今そこに出向しているんだ」
オカショーがなるべく専門的な言葉を使わないように気を使いながら、説明を始めた。
「ちなみに、その人は女性なんだけどね」
「まさしさんは、私が……その……『権限者』かもしれないってことを、いつ知ったの?」と、梨菜は尋ねた。
「初めて、羽蕗さんと握手した時だよ」と、オカショーは答えた。
「いつだっけ?」
「羽蕗さんをキレイにできたら、ボクの『彼女』になるって賭けをした時」
「何だね、その賭けというのは?」と、オカセイが興味深げに割りこんできた。
「羽蕗さんをキレイにできたら、なんて賭けを成立させたのかね? それは、全部『7』のスロットマシンを回すようなモノじゃないか」
「どういう意味ですか?」と、梨菜はキョトンとして尋ねた。
「最初から将の勝ちが決まっていたってことだよ。つまり、まあ、一口で言えば詐欺だな」
オカセイが、きっぱり言い切った。
「それ、ヒカリさんにも言われたよ」と、オカショーの眉が下がった。
「まさしさん、どうやってそのことを知ったのか、やって見せてよ」
梨菜は、オカショーに右手を差し出した。
オカショーは梨菜の手を握り、『走査』を試みた。
やはり、以前と同じように入り込むことができず、眠っているような領域があることが確認でき、その正体を探ることはできなかった。
「やはり、検査しきれないところがあるね。ボクの『意志』の力では届かないよ」
「……」
梨菜は、じっとオカショーを見つめ、目を細めた。
「今のが検査なの?」
「うん。羽蕗さんの内面を、少し覗かせてもらったんだよ」
「私には、何も感じなかったけど……でも、まさしさんには、今、私が何を考えてたか、わかってるんだね」
「え……いや……羽蕗さんのプライバシーがあるから、なるべく、そういうところは見ないようにしてるんだけど……」
「なるべくってことは、少しは見てたんだね」
梨菜の指摘があって、場が気まずい雰囲気になる。
「ごめん……ボクは、そんなつもりは無かったんだ」
オカショーは取り繕おうと、梨菜に謝った。
梨菜は、少しの間だけ考え、細めていた目を元に戻した。
「私ね、決心したよ。まさしさんには、一切隠しごとはしないって。だから、何でもまさしさんに話して、相談に乗ってもらうことにする」
「ええ!」と、オカショーは驚きの声を上げた。
「羽蕗さんってスゴイな。そう考えちゃうんだ。つまり、てっきり、ボクは怒られるとばかり……いや、そういう風に言ってもらって、嬉しいんだけどね」
「うむ」
オカセイも感心したように、何度もうなずいた。
「キモが座っているというか、大したヒトだ。あの方と雰囲気が似てる感じがするね」
「では、社長から、あの方にお話ししていただくよう、お願いします」
「わかった。羽蕗さん、今日は、我が家に来てくれてありがとう。これからも将のことをよろしく頼みます」
梨菜の訪問はここで終わり、帰途についた。
オカショーが、I市駅まで送っていく途中に、突然、こんな告白があった。
「……もう一つ、羽蕗さんに伝えておきたいことがあるんだけど……」
オカショーはそこで息を継ぎ、言いにくそうにしながらも言葉を繋げた。
「ボクね、明日から四月末まで、アメリカに行くことになったんだ。三ヶ月くらい会えなくなるんだよ。両親に会わせたのは、ボクがいない間でも、羽蕗さんにいろいろ支援できるようにお願いしておこうと思ってね」
「明日からって……急な話だね」
梨菜は立ち止まり、不服そうに口を尖らせた。
「……ごめん。先週に話が決まって、学校の許可とか、準備とか、してたら、羽蕗さんに伝えるのがギリギリになって……」
「いいよ。気にしないで」
梨菜は微笑み、再び歩き始めた。
「まさしさんは、将来のために勉強しなきゃならないから仕方がないね。帰ったら、色々と話を聞かせてね」
「ありがとう。両親も羽蕗さんのことを気に入ってくれたみたいで、良かったよ」
駅に着くと、梨菜はオカショーに向けて握手を求めた。
「気をつけて、行ってきてね」
「うん」と、オカショーは、梨菜の手を握った。
「今の私の気持ちわかる?」と、梨菜。
オカショーは握った手を通じて、梨菜の心を確かめると、顔を赤く染めた。
「じゃあね」と、梨菜は言って、改札口への階段を上っていった。
オカショーは、その後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
梨菜が券売機で切符を買おうとしているところへ、詰襟の男子が近寄ってきた。
「すいません」と、男子は、梨菜に話しかけた。
「岡クンに急いで追いかけてって頼まれて」
「はい?」と、男子の方を向くと、奇妙な色彩の絵だか、模様だかが描かれたカードを目の前に突きつけられた。
それを見た途端、梨菜の全身が痺れるような感覚に包まれた。
「ああ……」
梨菜の小さな悲鳴は、駅を利用する人々の賑わいに掻き消された。
詰襟の男子が、さらに二人、梨菜の元に駆けつけた。
三人の男子たちは梨菜を囲み、連絡橋を渡って、オカショーと別れた反対側の駅出入口に向かって誘導した。
梨菜は逆らう様子を見せず、従順に彼らと足並みを揃えた。
送迎用のロータリーには、白いミニバンが停車しており、男子の一人が後ろ側のスライドドアに手を掛けて開けた。
男子たちと梨菜はスムーズに乗車を終え、ロータリーから発進した。
「うまくいったわね」
ハンドルを握っているのは、オカダイだった。
梨菜の両目は開いているが、すぐ前にあるモノも見えていないような、虚ろな様子だった。
「可愛いな」
「割りと、良い体つきしてますよ。中学生に見えねえ」
男子たちが騒いだ。
「将は、しばらく不在」
オカダイは、ニッと白い歯を見せて微笑んだ。
「その間は、たっぷり楽しみましょう」




