七十一
I市立南高校のグランドの隅にあるクラブハウスの一室に、岡大(愛称は『オカダイ』)ら一味が集うアジトがあった。
アジトといっても、そこは「ヤバいやつらの巣窟なので、近づかない方が良い」という認識については公然と広まっており、それでも限られた者のみが出入りするという点では徹底されていた。
ドアを開けて中を覗いてみると、六帖程度の間取りの中央に丸テーブルと本革張りの肘掛け椅子が一脚あり、オカダイはその立派な椅子に猫背で着座し、集まった紙幣を一枚一枚丁寧に数える作業に夢中になっていた。
その周りを、南高制服の詰襟を纏った黒ずくめの男子が四名、じっと大人しくオカダイの様子を眺めていた。
ちなみに、オカダイだけが紺のブレザースーツに白のワイシャツ、それに赤と紺の斜めストライプのネクタイという出で立ち。
すなわち、I市立高校(通称『北高』)の制服姿であった。
季節は、年が明けて冬のただ中。
まもなく卒業シーズンで、普通の三年生ならば、高校生活のクライマックスを迎えようとしているところだが、この時のオカダイは十八歳に達していても、意図的な留年が決まっており、もうすぐ卒業生的な高揚感は微塵も見られなかった。
「ずいぶんと広まったわね」
オカダイは満面に笑みを浮かべ、数え終えた紙幣をテーブルの上に置いた。
そして、今度はテーブル隅に置かれた、拙い手書きのレポートを手に取り、内容を確認した。
「一番、進んでるので、レベル四か……すると、今度のカードは……四万円ね。高校生のお小遣いでは、買うのが難しい価格になってきたわね」
「レベル五をクリアされると、その次は八万円です」
そばに立つ太った男子が調子を合わせてきた。
「倍額になっていく価格設定を考えたのは、アナタだったわね。なかなか、ハイブローよ。しかし、このレポート、キタナイわね。字もキタナイけど、構成もキタナイわ。私の会社で、こんなレポートを社長に出したら解任よ。もう、高校生なんだから、もっとキレイなモノを求める意識を持たなきゃ」
「ウチの妹が」と、男子の一人が応じた。
「ヒルちゃんの妹って、あのピンクが好きな子?」
「ええ。まだ中学一年ですが、ワープロができるんです。色々と作りたがってたんで、今度やらせてみましょうか?」
「へえ、見かけによらず、ハイブローなのね。今度、頼んでみて」
「はい」と、ヒルちゃんは頭を下げた。
「ピンクちゃんも、良い女子になってるんじゃないの?」
「まだ、ガキですよ」
「今度、私に回しなさい」
「ええ?」と、ヒルちゃんはうろたえた。
「冗談よ」と、オカダイはすげなく言った。
その時、外からドアに激しくヒトがぶつかったような音がし、勢いよくドアが開かれた。
「お願いです」と、ドアを開けた男子が言った。正面のオカダイと視線がまともに合った。
「次のレベルのカードを……」
男子は絞り出すように言うと、テーブルの上に両手をついた。
「コイツは?」と、オカダイは誰と特定せず周りに尋ねた。
「如月尚哉です」と、前歯が出ている男子が答えた。
「レベルは?」
「四です」と、前歯。
「じゃあ、四万出して」
オカダイの視線が、入室してきた如月に向いた。
「四万……この間は、二万じゃ」
「払えなければ、カードはあげない」
「うう……」
如月は呻き声を上げながら、だらしなく体を崩し、床に膝をついた。
「頼む……カードを……」
「四万よ」と、オカダイは容赦なく言った。
「ちくしょう!」
如月は、ポケットから取り出したバタフライナイフを右手だけで器用に組み立て、オカダイの鼻先に刃先を向けた。
オカダイは、それを予測していたかのように、全く動揺しなかった。
「出せよ……今、すぐに!」
如月は、目一杯の脅しを仕掛けるが、オカダイはそれを軽く受け流した。
「脅しじゃねえぞ」と、如月はさらに迫ったが、オカダイは不敵に笑っただけで、やはり動じなかった。
「アナタ、そのナイフで刺されたら、自分でどれだけ痛いか知ってる?」と、オカダイは言い、じっと如月の目を見つめた。
「?」
如月は、自らの左の手をテーブルの上にのせた。
「??」
その左手の甲の真ん中を目掛けて、自らの右手のナイフを振り降ろした。
「体が勝手に……」
ナイフは左手の真ん中を突き抜け、テーブルの上に昆虫標本のように打ちつけられた。
如月の悲鳴が、けたたましく部室内に響いた。
「ドア、閉めて」と、オカダイが指示した。
ヒルちゃんが対応した。
オカダイは右手を伸ばして、バタフライナイフの柄を持ち、如月の左手から引き抜いた。
そして、左手で男子の手首を掴んだ。
「治癒」と、オカダイが唱えると、如月のナイフが貫通したキズが見る見るうちに塞がっていき、苦痛にあえぐ如月の顔もにわかに穏やかになった。
そこへ、オカダイがナイフを如月の左手の甲の同じ箇所に、寸分の狂いなく突き刺した。
再び、如月の悲鳴が響いた。
オカダイは、ナイフを引き抜き、『治癒』を施した。
「その痛み、何度でも味合わせてあげるわよ」
オカダイの口元がつり上がった。
「や……やめて……」
如月は、さかんに首を横に振って、許しを乞うた。
「アナタ、彼女、いるの?」
「は?」
如月は混乱が激しく、オカダイの質問の趣旨が理解できなかった。
「彼女がいるかどうか聞いたのよ。答えなさい!」
オカダイは、男子の左手をギリギリにかすめて、ナイフを突き立てた。
「ひいい」と、如月はたまらず悲鳴を上げた。
「います……」
「名前は?」
「秋川優衣です」
「知ってる?」
「三年E組です」と、オカダイの問いかけに前歯が答えた。
「可愛い子?」
「そこそこです」と、前歯。
「今すぐに、ここに連れてきなさい。そしたら、次のレベルのカードをあげるわ」
「え?」
如月は、まだ混乱していた。
「彼女を、ここに連れてきなさいって言ったのよ。四万円、チャラにしてあげるわ」
「優衣に、何をするつもりなんですか?」
オカダイは、フンと鼻を鳴らした。
「密室にハングリーな男子が五人いて、そこに女子を入れたら、どうなるかって質問よね」
「へへへ」と、男子たちの下卑た笑いのアンサンブルが響いた。
「どうか、優衣だけは……」
「私は提案してるだけよ」
オカダイはナイフを畳んで、如月に向けて放り投げた。
「私が要求してるのは四万円。女子で立て替え払いするかどうかは、アナタが決めることでしょ」
如月はナイフを拾い、シュンとなって部室を出ていった。
「アイツ、彼女、呼んでくるかな」
上唇と下唇を内側に丸め、大きな目をギョロギョロさせた『真実の口』のような顔をした男子が言った。
「あんなローブローな男子の言いなりになるような女子なんて、いるわけないでしょ」
オカダイは立ち上がり、アジトの外に出た。
グラウンドを越えた向こうがから、男女がけたたましく言い争う声が聞こえてきた。
そして、バチーンという誰が聞いても明らかにビンタと判定できる音が鳴り響いた。
遠くの方で、如月が地面を土まみれになりながら転がり回っているのが見えた。
女子の方は背中を向けて、校門を出ていった。
「やっぱり、今日は女子にありつけそうに無いわよ。オツカレ」と言い残し、オカダイはアジトから立ち去った。
* * *
帰宅し、玄関ポーチに入ると、見慣れない女子向けの白い通学靴が目に止まった。
「おかえり」と、奥から出てきた母親が声を掛けてきた。
「パパは?」と、オカダイが尋ねた。
「ショーちゃんと話してるわよ。友だちを連れてきてるの。それがね……」
母親は、目尻にたくさんのシワをつくって、ニコニコ笑った。
「すごくスタイルの良い、可愛い女の子なのよ。背もスラッと高くて、まるでモデルみたいな子よ」
「何それ?」と、オカダイはふてくされた顔をした。
「弟のくせに生意気な……」
オカダイは自分の部屋に戻り、パソコンの電源を入れ、ポーンと立ち上がった画面の左下隅のアイコンをクリックした。
すると、画面一杯に応接室の様子が映し出された。
応接室には小型カメラが来客には気づかれない場所に設置されており、これで誰が来たのか、わかるようになっているのだった。
弟の隣に座る長身の美少女を一目見て、オカダイは思わず息を飲みこんだ。
「中学生よね?」
オカダイは、梨菜の映像をズームアップさせ、上唇を右から左へと舐めた。




