七十
「で、私のトコへ来た、と」
有名美容師のヒカリさんは、胸の前に左腕を水平に当て、その手の平の上に右肘を置き、右のもみ上げの辺りを摘まんでは離すという動作を繰り返しながら、オカショーの顔をじっと見つめた。
ちなみに、ヒカリさんは三十代前半の女性である。
ストレートの長い黒髪を頭の真ん中で分けた日本人女性的な容貌の美人で、目は『目』を漢和辞典で調べた時に出てくる象形文字で、横から縦にする前の金文のような形をしていた。
「私の役割、オモいわ」
「ヒカリさん、お願いします。いつもの感じで、チョチョイっと」
ヒカリさんは、店の入り口付近で、申し訳なさそうに猫背にしている梨菜の姿を、上から下まで眺め回した。
(背は高いけど、パッとしない感じだね……)
というのが、ヒカリさんの第一印象だった。
「ショーちゃん、あの子に本気なの?」
「そりゃ、もう」と、オカショーは鼻の下を指で擦った。
「今までに会った女子の中では一番だよ」
「うーん。ショーちゃんの相手になるにしては、セレブとしての資質が……」
ヒカリさんは、何となく呟きながら、梨菜のあちこちに目を動かしていると、突然、「んん?」と声を詰まらせた。
もう一度、上から下まで、じっくり眺めるのを繰り返して、つかつかと梨菜のそばに歩み寄っていった。
「こんちは」と、ヒカリさんは梨菜に挨拶した。
「こんにちわ……」と、梨菜は小さな声で返し、「……スイマセン」と、これも小さな声で謝った。
「緊張してるのね。美容院は初めて?」
「はい……」
「今まで、どんなところで、髪を切ってたの?」
「近所の床屋さんです」
「床屋さんって言い方も、今じゃ、珍しいね」
「そうですか……」
梨菜は、お腹の辺りで結んでいた両手をしきりに動かし、ヒカリさんから視線を逸らした。
「ちょっと、ゴメンね」と、ヒカリさんは言って、いきなり梨菜のお尻に右手を当てた。
「!」
驚いた梨菜の背筋がシュッとまっすぐになった。
梨菜の反応に合わせて、今度はヒカリさんの左手が梨菜のお腹に当てられた。
「ああ」と、梨菜は小さく悲鳴を上げた。
横から両手で梨菜を挟み込んだヒカリさんは、マジマジと梨菜の身体の側面と横顔を確認した。
「……スゴいわ、この子……」
ヒカリさんは、真面目に驚いた顔をしていた。
「でしょう」と、オカショーがニコニコしながら、近寄ってきた。
「線は細いけど、小顔で、完璧な九頭身。ブカブカの服着てるから気づかなかったけど、骨格も良いし、こんな子、初めて見たわ」
「やっぱり、ヒカリさんも気づいちゃいましたか」
オカショーは、「ククク」と笑いを漏らした。
「こりゃ、まいったね。ショーちゃん、女子を見る目があるわ」
「お褒めに授かり光栄です、お代官さま」
「この子をキレイにできたら『彼女』にできるってことよね。ショーちゃん、それって詐欺じゃないの?」
「ヒ……ヒト聞きが悪いことを言わないで下さい……ヒカリさん、早く始めちゃって下さいよ。つまり、ボクたち、まだデート中なんで、時間が無くなっちゃう」
ヒカリさんは、不安げにうつむいている梨菜を改めて眺め回し、「よし、やるか!」と、動き始めた。
* * *
完成したヘアスタイルを見て、誰より驚いたのは、やはり本人であった。
梨菜の目は、仕上げが終わってから、ずっと真ん丸のままだった。
「九番カラーなんだけど、そんなに茶色って感じじゃないでしょ。光を当てると、ほんのり茶色に見えるって感じで」
ヒカリさんは、JHCAレベルスケールを梨菜の染め後の髪にあてがい、説明を始めた。
「普段から手入れはキチンとしてたみたいで、白いのを抜いたり、自棄になってグチャグチャにしてたりじゃなかったんで良かったわ。ここで使った染料はね、バージンヘアをできるだけ痛めないように、天然素材のヘナだけを使った高級品なのよ」
元々のショートを調髪し、ナチュラル感を維持させながら、髪のいく筋かを『外ハネ』させただけのシンプルな髪型だが、梨菜の整った小顔を引き立たせる効果は絶大だった。
長い睫毛。
キラキラ輝く大きめの黒瑪瑙のような瞳。
スラリと筋の通った鼻。
桃色の引き締まった唇。
惜しむらくは、痩せ過ぎて頬にヘコミができてしまっている点だが、誰から見ても客観的に『美人』と評価されるのは間違いない出来ばえと言えた。
店内にいた従業員や他の客たちも、うっとりと長身の美少女に見とれていた。
「肌もね、化粧水を薄く塗っただけで、もうピカピカになってね、改めて若いって羨ましいなって思ったわ。服装は変わってないから、ビフォーアフターがはっきり見えるよね。ほら、ショーちゃん、近くに来て、見てあげなよ」と、ヒカリさんがオカショーに手招きした。
オカショーは、胸をときめかせながら、梨菜のそばに行った。
「さあ、梨菜ちゃん、判定をショーちゃんに伝えてあげて。もし、ショーちゃんの『彼女』になりたくないなら、気に入らないって言っても良いわ。私は許します」
「ヒカリさん……」
オカショーは、ヒカリさんの言い回しに不服を言おうとしたが、梨菜の視線の前に来て、口を噤んだ。
「……ありがとう」
梨菜の第一声を耳にし、オカショーは両足が床から浮かび上がったような気がした。
「納得したよ。自分の容姿に自信を持つなんて、今までの私に、そんな選択肢が無いと思いこんでたんだ。不幸であることが、私の定めだって……でも、そうじゃないことをキミは証明してくれた。賭けはキミの勝ち。だから、私も約束を守るよ。私は、キミの『彼女』になる」
その瞬間、店内から「わっ」と拍手が起きた。
オカショーは、両手を上げて、「やった!」と大声で喜んだ。
「颯爽としてる。本質的にカッコ良い子だわ」と、ヒカリさんが梨菜を褒め称えた。
「ショーちゃん、梨菜ちゃんの美貌を維持するのは、アナタの役割だからね。特上の女子を『彼女』にできたんだから、ちゃんとしなさいよ」
「わかってますって!」と、オカショーは意気込みを見せた。
「ということで、ヘアーサロン・ヒカリ、またの利用をお待ちしておりまーす」と、ヒカリさんは快活に笑い飛ばした。




