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マジック・アイ  作者: 守山みかん


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六十八

羽蕗梨菜は、児童期に県境を隔ててI市に隣接しているK町の小中学校へ通学していた。

両親は、梨菜が九歳の頃に離婚し、その後は母親側に引き取られた。

離婚理由は、父親がまともな職に就かず、家族を遺棄し、扶養の義務を果たさなかったということだった。

母親は、離婚後に自転車で通える場所にある倉庫業者にパートタイマーで雇用され、昼間は家を留守にしていた。

一人っ子の梨菜は、ほとんどの時間を学校と家の中だけで過ごしていた。

内気な性格ではなく、人見知りをするようなタイプでもない。

勉強はできる方で成績は良いが、自分の見た目に対して、過剰に劣等感を抱いていた。

その理由は、中学一年生(十二歳)の時点で、百七十センチ近い長身であったこと。

同年の女子の中では一番背が高く、背丈順に並んだときは一番後ろで、一つ前の子でも肩ぐらいの高さしかなかった。

そして、高身長の割に体重は三十キロ台の痩せぎすで、細枝の若木のような容姿であったこと。

少食とか、ご飯を食べさせてもらえなかったわけではなく、栄養が身長に取られて、横に大きくなれなかったのが理由と思われる。

小顔で、目が大きい点が、この若木の体形と組合わさると、まるでミイラのように見えた。

実際に、男子からは『羽蕗ミイラ』というあだ名が付けられていた。

さらに、梨菜をおとしめる要因となっていたのが、『若白髪(わかしらが)』であった。

遺伝性なのか、ストレス性なのかは不明だが、なぜか梨菜の頭髪には白髪が混じって生えていた。

それも頭髪のあちこちに見えるという程度ではなく、かなりの割合を白いモノが占めており、遠目で見ても梨菜の頭髪はグレーに見えるくらいであった。

こんな特徴的な容姿であるため、梨菜がイジメの対象にされやすいというのは、子供たちにとっては、ごく自然な流れだったのかもしれない。

ただ、梨菜の場合は、悪口を言われて落ち込むタイプではなく、むしろ悪口を発する者に向かって、金切り声を上げて反抗するタイプだったので、囲まれて悪口をなじられるような経験は無かったが、そのかわり無視されるようになった。

敏感で神経質な性格ゆえに、自分を不当に扱われそうな空気をすぐに察知すると、回避策として、回りに注意を呼びかける行為をすることがあったが、回りから見た印象は、訳もなくキレて、うるさく当たり散らしているようにしか取られず、次第に男子だけではなく、女子からも無視されるようになった。

集団無視は、終わりを見せることなく、習慣的に淡々と継続された。

体育の授業でペアを組まなければならない時は、いつも最後まで取り残され、掃除や給食の当番で、梨菜に作業が集中する場面があっても、誰も助けに回ろうとする者はいなかった。

授業のグループワークでは意見を求められることはなく、露骨にイジメの様相が見えないので、先生にも気づかれなかった。

相談によって解決することは可能であったのかもしれないが、そういう方法で、無視が解決したとしても、自らが抱える劣等感的なイメージの解決には至らないことを理解していたので、相談という手段を選択肢に入れることはしなかった。

家に帰っても、朝早くに出かけ、夜遅く帰ってくる母親とは会話を交わす機会がほとんど無かった。

一日、全く声を発することなく終わることも、ままあった。

梨菜は、決して人付き合いを嫌う性格ではなかった。

むしろ、誰かと話をしたい、誰かに話を聞いてもらいたい、という願望を胸に抱き続けていた。

可愛い女子ではないけれど、いつか自分のことを気に入ってくれるような理想のヒトが現れてくれると、そんな空想をする毎日を慎ましく過ごしていた。

ある日、留守気味の母親とやり取りするために、梨菜にスマートホンが渡された。

さっそく、梨菜はネットのコミュニティサイトを覗いてみた。

ほんの好奇心から、というのが最初のきっかけだった。

ネット上での脅威をあまり理解していなかった梨菜は、自分の本名と年齢、性別を正直に公表し、誰か話相手になってくれるヒトが現れるのを期待して、掲示板に書き込みを行った。

すると、たちまち数十件もの返信があった。

相手の顔が見えないとはいえ、この過剰とも言える反響には、人付き合いの疎い梨菜でも、さすがに恐ろしさを感じずにはいられなかったが、書かれた内容については、一件一件確かめてみた。

大多数は送信者が男性と思しき人物からで、「話を聞いてあげるよ」といった友好的な内容なのは嬉しかったが、こちらが本名を始め、個人情報を正直に出しているのに対して、年齢も性別も無記入、あと変なハンドルネームと、趣味の悪いアバターに扮している送信者は無視した。

あと、上から目線だったり、礼節に欠いたり、誤字がヒドいのも無視。

と、こんなフィルターを次々に設定していき、絞り込みを進めていった。

その中に、I市に在住する同年の男子を名乗る書きこみが目に付いた。

名前は、(おか)(まさし)という。

愛称は「オカショー」

梨菜は、岡とだけやり取りができる掲示板を設定し、メッセージを送った。

岡は、快くSNS上の交際を承諾してくれた。

コミュニケーションに飢えていた梨菜は、始めから長文を送り、相手を驚かせたが、オカショーは丁寧に内容を読みこんで、梨菜に向けて励ましの言葉を返信した。

梨菜は涙を流しながら、送られてきたメッセージを読み、長時間に及んで、やり取りに夢中になった。

オカショーは嫌がる様子を見せず、誠実に応対してくれた。

やり取りが継続していき、やがて、彼の方から近くに住んでるんだから会いたい、という提案が出てきた。

梨菜は、この展開になることを恐れていた。

オカショーとのやり取りを日々の楽しみにしていたのだが、会った途端に楽しい雰囲気が壊れてしまうのではないかと、梨菜は心配していた。

なぜって……

白髪のミイラのような醜い自分の姿を見せれば、きっと、オカショーは遠ざかってしまうに違いない、梨菜はそう思いこんでいたのだ。

やり取りの中で、容姿のことを聞かれる場面は、何度かあった。

梨菜は多くを語らないようにし、反対に相手の容姿のことも聞かないようにしていた。

だが、相手側の、梨菜の容姿に対する好奇心が、文章の中にも日に日に色濃く染まっていくのは明らかだった。

梨菜は、正直に自分には白髪が多いことを打ち明けた。

オカショーは、染めればいいと意に介さなかった。

《今まで髪を染めたことが無いんだ》

《いろんな色が出てるよ》

《急に染めたら、きっと何か言われるよ》

《ハデな色でなければ、良いんじゃない》

話題が髪の色で盛り上がるが、結局、二人は会うことになった。

梨菜は悩んだ末、髪を染めずにありのままの自分を岡に見せることにした。

飾るにしろ、盛るにしろ、今の梨菜には実行する経済力が無く、そもそも見映えの悪いモノを良く見せるのは無理があると思い、諦めたのだった。

実は、中学一年生を半ば過ぎたこの時点で、梨菜の身長は百七十センチを超えた辺りで一時的に止まっており、縦方向に取られ続けていた栄養が、横方向にも回されるようになったせいか、女子らしいふくよかさが表れ始めていたのだが、当の本人はそんな微妙な変化に気づいていなかった。

とにかく、梨菜が自分の容姿に対して抱く評価は、相変わらず『醜い女子』だった。

まさしさんに嫌われたくない。

切な想いに胸を締めつけられながらも、梨菜とオカショーが、初対面となる休日がやってきた。

母子家庭の収入だが、母親が目一杯の残業をしてくれているのと、公的扶助のおかげで、そこそこの身だしなみは整えられる経済状況にあった。

とはいえ、梨菜はオシャレなんか醜い自分には無意味なモノであり、これまで関心を示したことは無く、可愛いデザインの服を買ったり、化粧とかが器用にできたり、キレイなアクセサリーを持っているというわけではない。

母親が、これまでにバーゲンセールで買ってきて、衣装ケースに積んできた服があるだけだった。

その購買基準は、安かったということだけで、梨菜を引き立ててくれるような要素は、あまり考慮されていない。

梨菜自身も、可愛い服など自分には無縁と決めつけていたので、その基準に不満は無かった。

だが、着ていく服が乏しい状況は、梨菜を大いに悩ませたのだった。

とにかく、限られた手持ちの服の組み合わせだけで決めなきゃいけない。

梨菜は、考え抜いて、最も見た目がマシな持ち服の組み合わせを決めた。

その基本コンセプトは、自分の見すぼらしい箇所が相手に見えないようにするであった。

まず、梨菜が選んだのは、白いオックスフォードシャツと紺色のカーディガンだった。

ほっそりした首元を見られないように、シャツは一番上のボタンまで、しっかりと留めた。

そして、ボトムは針のように細い脚が目につかないようにするために、モスグリーンのワイドパンツを選んだ。

さらに、白髪隠しのため、ピンクのギンガムチェックの大きめのハンカチを使って、()()()(まき)風にした。

できあがった出で立ちを鏡で確認して、梨菜は苦笑した。

(可愛らしさは全く無いね)

梨菜の評価は、それであったが、これ以外の装備は思いつけないので、この格好で出掛けることにした。

待ち合わせ場所としているI市駅へは電車で二駅。

確かに近所であるが、川が県境となっているため、子供の視線では、川の向こう側は、まるで別天地のような感覚があった。

駅に着くと、東の改札口に向かった。

東側の駅前広場の一角に、地元の祭をイメージしたモニュメントがあり、その辺りでオカショーは待ってくれているはずである。『コールドプレイ(Coldplay)』の『美し(Viva)(la)生命(Vida)』のCDを目印に持っている。

オカショーは、背はそんなに高くないと聞いていた。

梨菜も自分の背のことは伝えていた。

実際に向き合って、あまりに高低差がありすぎて、相手が引いてしまうかも……こんな心配も浮上してきた。

祭のモニュメントが見えた。

近くにオカショーがいるはずだ。

その時、同年の中学女子たちのグループが、梨菜のそばを通り過ぎていった。

みんな、パステル調の色彩の可愛い服やリボンやカチューシャを身に着けてて、楽しそうな笑顔をふりまいていた。

途端に見すぼらしい自分との対比が、思考の中で始まった。

梨菜の歩みは、すでに止まっていた。

(やっぱり、来るべきじゃなかったかも……)

(まさしさんは、私を見てガッカリするに違いない)

(私を見て、目を逸らしたり、他人のふりをされるかもしれない)

それでも、モニュメントに向かって、再度、歩み始めた。

ゆっくりと。

ゆっくりと。

梨菜の大きな両目からは、涙がこぼれていた。

見慣れた『コールドプレイ』のCDケースを持つ、男子が視界に入った。

男子の視線が、梨菜に向けられるのを感じた。

(無理して、声をかけなくてもいいよ)

(無視されるのには慣れてるから……)

(キミが素通りしても、私はキミのこと恨んだりしないよ)

(これで交際は終わりにするね)

(今まで話を聞いてくれて、ありがとう)

梨菜は、心の中で男子に向かって想いをつぶやいた。

「羽蕗梨菜さん、ですよね」と、男子が声を掛けてきた。

すっかり、素通りされると思いこんでいた梨菜は、首元に冷たい水を注がれたように驚いた顔をした。

「ボクが、岡ですよ。オカショーです」

オカショーは、目印のCDを梨菜の前に掲げた。

「いやぁ、背が高いですね。それに、予想以上に可愛いヒトで、驚きました」

梨菜は、茫然とした顔で、オカショーを見つめていた。


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