六十六
『不老不死』という言葉が出た途端、仄香の酔いで赤みを帯びていた顔が、さらに色濃くなったように思えた。
パンナは、小さな顎を引き、やや上目づかいで、仄香を見た。
「できるんですか、そんなことが?」と、パンナが尋ねた。
「量子情報理論の解明となると、まだまだ時間がかかりそうだけど」と、仄香は説明を始めた。
パンナには、最初の方がゴニョゴニョという感じにしか聞こえなかったが、話の内容について聞き返すこともせず、口を閉じて、仄香の話に耳を傾けた。
「結果に対するプロセスは、『ブラックボックス』ではあるんだけど、理解はしているのよ。何が必要なのかも、わかってるわ」
「手に入れにくい材料でもあるんですか?」
パンナの屈託のない質問に対して、仄香はニッコリと笑顔を返した。
「『材料』という扱いをするなら、それは入手困難な状況にあると言えるわね」
「レアもの、とか?」
はしゃぎ気味のパンナを見て、仄香のテンションも上がっていった。
「私が欲しいモノは二つよ。一つは、守りが固くて、なかなか近づけない。もう一つは、行方すらわからない」
「行方?」と、パンナは、首を傾げた。
「仄香さんが欲しいモノって、ヒトのことですか?」
「アナタも、よく知っている二人よ」と、仄香は言い、パンナを覗きこむように見つめた。
「え?」と、パンナは驚いた。
「私が知ってる人ですか……」
仄香は、フフンと笑った。
「『不老不死』へのプロセスを、どう考えているのか、まず、それから教えましょうか」
「お願いします」と、パンナは、頭を下げた。
おそらく、仄香から得られる最高の成果がこの話題にあると、パンナは期待した。
「まず、『幻影』の製造から始まるの。そして、『意志』を『伝承』し、『幻影』と『意志』を結び付ける。大きな流れは、こうね」
「シンプルなのか、複雑なのか、私には何が何だか……」
パンナが「はてな?」となっている状況に、仄香のテンションは、さらに上がっていった。
「『幻影』って、遠隔で指示命令を与えないと動かすことができませんよね」
パンナが、目一杯、考察して、話を繋げようとした。
「遠隔操作になるのは、『意志』が『幻影』に結びついていないからよ」と、仄香が説明した。
彼女のワイングラスに、新たなワインが注がれた。
これ以上、飲まない方が良いのにとパンナは思うが、口には出さなかった。
「『伝承』のプロセスで、『意志』は、『転送』できるわ。良い? 『意志』はね、『転送』でなければならないのよ。もし、『転写』なんかしたら、同一人物が二人できてしまうわ。容姿が違っていてもダメ。同じ『意志』が二つ存在するなんてことになったら、『干渉』により、二つの存在は『相殺』されるわ。これは、とても危険な状態になるってことよ」
「『相殺的干渉』の話は、とあるヒトから聞いたことがあります」と、パンナが話を入れた。
「とあるヒト……なんて」と、仄香の眉がハの字になった。
「梨菜ちゃん、もう仲良し同士なんでしょう。そういうの、やめてよ。アナタに、そんな話をする人って、篠原博士以外では、私の姉くらいのモノでしょう」
仄香は、そこで、ワイングラスに唇を当て、スッと口の中に含んだ。
これまでも、少量を口に入れる程度のペースで飲んできているが、間隔は少しずつ短くなっていた。
「そのとおりです。とある人とは、静香さんのことです」と、パンナは、素直に白状した。
仄香は、機嫌良さそうに微笑んだ。
「『伝承』のプロセスによって、古い体から、新しい体に『意志』を『転送』できるのよ」
同じような話が繰り返し出てくる。
仄香の酔いが、かなり回ってきているのを感じた。
「それができれば、『不老不死』の仕組みは完成するんですね」
パンナの問いかけに、仄香は、ゆっくりと首を横に振った。
「梨菜ちゃん、アナタが『幻影』について、どれだけの知識を持っているのか知らないけど、『幻影』の素材となる『基礎細胞』に与える情報は、現実に存在する人間から抽出したモノだと、現年齢の『幻影』しか作れないのよ。体を若返らすには、遺伝情報から『成長』に関する『日記』を十八歳時点までリセットし、その情報に基づいて、『幻影』を製造しなくてはならないのよ」
「そっか……おじいさんを若返らそうと思ったら、若かった頃の情報が必要なんですね」
「簡単な話じゃないわ」
仄香は、ワインをちょっぴり口に入れた。
「量子工程に基づく情報解析が必要なのよ。そこは、私の『再現』プロセスが役に立っているわ。そうして完成した若い『幻影』に、『意志』を『伝承』させるの」
「これで若返りができる、というわけですね」
パンナは、楽しそうに両手を打った。
「まだよ」と、仄香は、勝ち誇ったように言った。
「『幻影』と『意志』の結合には、『覚醒』のプロセスが必要なの」
「『覚醒』……」と、パンナは、つぶやく。
《ああ、私は『覚醒』だよ。キミを『覚醒』する手順は、私が作り上げたものだよ》
アカデミーから逃げる途中に、篠原博士が言っていた話が頭に浮かんだ。
「そっか……仄香さんが探してる二人って、『はかせ』と静香さんのことですね」
「私が何も知らないって思ってるのね」
仄香から微笑みが消え去り、鋭く突くような目つきでパンナを睨んだ。
パンナは、両肩を強張らせた。
「篠原博士の行方については、まだ捜索中だけど、姉の静香さえ見つけ出せれば、全てが解明するはずよ」
「仄香さん……」
パンナが、不安そうに仄香を見つめた。
それを、察した仄香は、再び優しげな笑みをパンナに向けた。
「コワイ顔しちゃったわね。ゴメンね。梨菜ちゃん、アナタは、有利香に会ったことが無いわよね」
「ええ」と、パンナは正直に答えた。
「有利香は、現実に若返りが成功した唯一の事例よ。そして、篠原博士を匿い、アナタと私を敵対させ、私が目指している『不老不死』プロセスの構築を阻止していた張本人なの」
仄香は、グラスに残っていたワインを一気に飲み干した。
「言ってる意味わかるわよね。アナタを背後から見守っている静香……いえ、有利香こそが」
仄香は、手に持っていた空のワイングラスをカツンと音を立てて、テーブルに置いた。
「『計画』を司る存在なのよ」




