六十三
「五分後に蛭沢さんから着信があるよ」と、美園玲人が言った。
とある喫茶店の奥の隅のテーブルにて。
テーブル上には、ブラックコーヒーが注がれたカップと、ミルクティーのカップ。
それに、半分が無くなっているミックスベリータルトがのった皿がある。
玲人と向かい合って座っているのは、そのミックスベリータルトを口一杯に含んで、モグモグと口を盛んに動かしている矢吹パンナだった。
今日も露出度の高い『戦闘服』を纏い、ノーブラのキャミソール、ホットパンツ姿であるにも関わらず、両手を上げたり、剥き出しの長い脚を組んだりするので、周囲の注目を思い切り集めていた。
パンナは、一杯になっている口を空けるのに二十秒ほどを要してから、こう尋ねた。
「有利香さんは、その『予測』をどれくらい前からしてたの?」
玲人は少し考え、「ボクに矢吹さんと初めて会うことになった時に、今の指示は出てたから、少なくとも一週間は前かな」と、答えた。
「やっぱり次元が違うね」と、パンナは瞳を輝かせた。
「『追加』してもらったけど、足元にも及ばないね。有利香さんは、いつ私と会ってくれるのかな?」
「『計画』では、次の交渉が終わってからになってるね」
「交渉……」
パンナは、両手を頭の後ろに回し、ベルベット地のソファに体重を預けた。
「そうか……私は、仄香さんと交渉することになってるんだ」
「そうだね……」
玲人は目を閉じて、曖昧に頷いた。
まるで、頭の中に在庫しているモノを確認するために、目を裏側に回しているのを、瞼で隠しているようにも見えた。
「確かに、姉貴は『交渉』という言葉を使ってるね」
「私が仄香さんと交渉する? 交渉って、こちらにあるモノと、あちらにあるモノを交換するってことだよね?」
「そういうことになるね……矢吹さん、母が欲しがるモノを何か持ってるのかな?」
今度は、パンナが目を閉じた。
こちらは頭の中にある何かを探す動きではなく、頭の中の材料をいくつか組み合わせて、それまでには無かった何か新しいモノを産み出そうとする動きである。
「……きっと、そういうことじゃないよ。こちらが持ってるモノは把握できてるし、私が判断できる範囲となると、もっと限られてる。交渉で求められているのは、相手側が持ってるモノの何をいただくか、だと思うよ」
「ボクの母が持ってるモノは、きっと、たくさんあるよ」
玲人は、在庫確認のために再び目をつむった。
「姉貴のメッセージには、交渉によって何を手に入れたら良いのか、何も入ってないね」
「弱ったな」と、パンナは胸の前で両腕を組み、ウーンと唸った。
「有利香さんにはわかってるんだ。仄香さんが持っているモノで、私が何を選択するのかを。でも、当の私が何を選ぶべきなのか、わかっていない」
「姉貴は、あえて矢吹さんに伝えなかったんだ」
「成り行きに任せるかな」
パンナは楽観的に言った。
玲人も、同感と頷いた。
「交渉の場には、ボクも加わることになってるんで」
「お願いします」と、パンナはペコリと頭を下げた。
「母はね、矢吹さんのことが大好きなんだよ。いつも、仲良しになりたい、なんて言ってるくらいだから」
「それなら、交渉はこちらに有利に進められるかもね……」
パンナは、特に何かを期待しているようでもなく、上の空で呟いた。
「この間は、思い切り拒否ったからなあ」
「矢吹さんに対する母の姿勢は、前とは大きく違ってるよ。以前は、協力させるために実力行使。今は、協力と引き換えに得られるモノがある」
「うん」と、パンナは上体を起こし、熱い視線で玲人を見つめた。
「玲人って頭が良いね。私、賢いヒトは好きだよ」
「そりゃ、どうも」と、玲人は両肩を上げて、謙遜した。
その時、パンナのスマホに着信が入った。
玲人の伝達から、ちょうど五分だった。
パンナと玲人はお互いの目を見合わせて、ニンマリと笑った。
「やあ」と、パンナがスマホを耳に当てた。
《む》
ピンクが声を詰まらせた。
《その明るい感じの応答……着信が私からだってわかってて、その明るさは、いつもと違うのね》
「いや……今までね、キミに対して冷たく当たり過ぎてたかなって、ちょっと反省してね」
《それで、優しく接してやろうと思ったってわけなのね》
「そう……そのとおり。案外、キミと私、相性が合うのかもね」
《むむむ》
ピンクが唸った。
《絶対、いつもの矢吹さんじゃない。なんか、あやしい……》
「用件は何かな?」
パンナは、左足のサンダルを脱いで、ソファの上に膝を立てた。
向かいの玲人が、ゴクリと唾を飲み込んだ。
《仄香さんが、アナタに話があるそうなのね。どこかで、会う段取りをしたいんだけど》
「そんなこと言って、また乱暴を働くつもりなんじゃないのかな?」
パンナは、玲人に向けてウインクした。
《この間の件は反省してるのね。私たち、もっと落ち着いて話をする必要があると思うのね。今度は、日時をそちらに任せるのね。仄香さんも、どこでも行くって言ってくれてるのね。そういうの、どう?》
「いいよ」と、パンナが即答すると、ピンクがまたもや《むむ》と唸った。
《素直すぎる……やっぱり、いつもの矢吹さんとは違うのね……あやしい》
「まあまあ」と、パンナは宥めるように言った。
「私も反省してるって、言ってるんだから気にしないの。えっと……日時と場所をこちらが決めなきゃ、いけないんだね。うーん……超セレブの仄香さんを、警察署の取調室みたいな粗末なところに案内するのもなんだから、そちらで決めてもらっていいよ。アウェイであることに、特に不満は無いから」
《承知したのね。じゃあ、日時と場所は、こちらで決めるのね。レストランで食事会みたいな感じで。決まったら、また連絡します》
「それと、こちらも一人連れてくからね。四人ということで」
《むむ……犬飼を連れてくる、ということかな?》
「犬飼クンじゃないよ。誰かはお楽しみ、ということで」
《……》
ピンクは沈黙した。
隣にいる仄香に相談しているようである。
《承知したのね。じゃあ、また》
電話は切れた。
パンナは肩をすくめ、スマホをしまった。
「矢吹さん……」と、玲人がそわそわしながら話しかけてきた。
「ん?」
パンナは、飄々とした様子で、玲人の顔をじっと見た。
「あの……下着……着てないんだね……」
「え……あれ? 見えちゃった?」
「見えちゃったって……その……何て言うか……かなりヤバいよ……」
玲人は、明後日の方角を見た。
パンナは、ケラケラと笑った。
「猥褻物陳列罪だね。こりゃ、失礼しました」と言って、パンナはソファの上に立てていた脚を降ろした。




