六
「しかし、なんで西藤なんだろな」
白尾のぼやきに、丸野は食傷気味の目つきをした。
「きっと良い性格なんだろうさ」
丸野は吐き捨てるように言い、嘲笑をおまけに添えた。
「良い性格の女子が、おあつらえ向きなんだ」
「目的が見えねぇ」
白尾がしつこく食い下がった。
「目的なんか、オレたちが詮索する必要はないさ」
丸野は、白尾をにらんだ。
「いい加減に納得しろよ」
丸野の言いくるめてくるような態度に、白尾は予想外の驚きを示した。
丸野も、自分と同じ不服を抱いているモノと思っていたからだ。
「いいか。方針と言うモノは、オレたちが決めるんじゃねぇんだ。オレたちは組織に身を置いている。組織に貢献する働きを見せ、それと引換えに報酬をもらってる。不満があるなら、組織から抜ければ良いんだ」
「そりゃ困るよ。オレは、金がもらえるというから付き合ってるんだ」
「金なんてモンは、何もせずに手に入るモンじゃねぇ」
「わかったよ。わかったよ。そんなに怒るなよ。オレは、ただ写真の一枚も撮れていない現状に、不安を感じてるだけだよ」
「わかってるよ。そんなことは!」
丸野の苛立ちは、ますます加熱した。
白尾の指摘は、まさに核心を突いていた。
写真が撮れていない。
写真が無ければ、標的の特徴を口頭でしか伝えられない。
つまり、兵隊たちにうまく命令が出せないということだ。
正確な伝達ができなければ、取り逃すリスクが大きくなる。
このまま結果を出せないでいたら、ボスに大目玉を食らうのは間違いない。
丸野は、スマホに保存してある写真を改めて確認する。
ぼやけた紺ブレザーに白いヘアバンド、焦点の合っていない『のっぺらぼう』のような女子の写真ばかりが、数十枚にも及んでいる。
やはり、使えそうな写真は見当たらない。
オートフォーカス機能付きのカメラだが、撮れた写真は全てピンボケになる。
試しに、白尾のニヤケ顔を撮ってみると、憎らしいくらいキレイな写真が撮れる。
ピンボケになるのは、被写体が西藤の時だけか……
「で、これから、どうするんだ?」
白尾の意地の悪そうな質問が、耳に飛び込んだ。
「心当たりが一つだけある。これがダメなら、あきらめる」
「心当たりって何だ?」
「オレとしては不本意だが、あの男に相談してみる」
「あの男って、誰だ、そいつは?」
「森脇恭二。校内の女子を知りつくしている男だよ」
「どんなヤツなんだ?」
「『男』を商売にしてる」
「何だ、それ?」
「つまり、女子が男子に金を払って、シテもらってるってことだよ」
「女子から金を取るって、そんな商売が成り立つのかよ?」
「ヤツが言うには、誠意を込めたサービス業に、暇は無いそうだ」
「何か、ニクらしそうなヤツ」
「オレもキラいだよ。矢吹嬢にも睨まれてる男で、ヘタに関わると、とばっちりを食らいそうだしな」
「そいつからなら、西藤の写真を手に入れられるかな?」
「さぁな。どうにもならんかもしれんが、方法はこれしかねぇんだ」
「じゃあ、すぐにでも会いに行くか。で、どこにいるんだ、そいつは?」
二人は、西校舎の木陰に包まれたコンクリート二階建ての、まるでグレーのレゴブロックで作られたような角張ったクラブハウスの一階隅のドアの前に立ち、ノックした。
ドアには、『鉄道模型部』と書かれた薄汚れた表札が掲げられていた。
白尾がドアノブを回してみるが、内側からカギが掛けられていて、開かなかった。
さらに、荒っぽくノックを繰り返すが、返事は無かった。
「留守かな?」と、白尾がつぶやいた。
丸野は、スマホを取り出し、電話した。
「森脇さん。今、部室の前に来てるんです………え、ドアを開ければいいんですか?」
丸野はスマホをしまい、ドアノブを回した。
いとも簡単にドアノブは周り、ドアは開いた。
二人は、首をかしげながら室内に入った。
「すぐにドアを閉めて」
甲高い声が聞こえた。
白尾は、後ろ手でドアを閉めた。
「いるんだったら、すぐにドアを開けて下さいよ」
丸野が不服を言った。
「ここへ来る時は、連絡してからってルールじゃなかったかな?」
部室の中央で、エルメス柄の安楽椅子に足を組んで座り、丸野たちを嘲るような目で見つめる男子が視界に入った。
たっぷり塗ったヘアクリームで髪は艶々に輝き、剣山の針のように上向きに立っていた。
目の下、顎の下、それに指先には、小さな銀色の粒が混じったクリームを塗りつけてあり、天井の蛍光灯や狭い窓から差し込んでくる陽光に反射して、キラキラと輝いていた。
「ボクのところに来るときは、ボクのルールに従ってもらわないとね」
「すみません。森脇さん」
丸野は頭を下げ、作り笑いを浮かべた。
「ようこそ。ボクの部室へ。で、このボクに何の用かな?」
森脇は、銀色に輝く手を揉み合わせた。
丸野は、つかつかと森脇の前まで近づき、座っている彼を見下ろした。
森脇は、壁に立てかけてある折りたたみ椅子を指差した。
「座るといいよ。悪いけど、ここはセルフサービスでね」
森脇は、丸野の腹の辺りを見て話した。
「話は、すぐ済みますよ」
「短い話でも、これでは話しづらいな。相手の顔を見ずに、話をするのはボクの流儀じゃない」
「じゃ、椅子をお願いします」
「セルフサービスというのが聞こえなかったのかな」
「あれを自分で用意したら、その分を安くしてもらえますか?」
丸野のケチな要求を聞き、森脇は「んー」と唸り声をあげた。
「キミの用件をまだ聞いてない。その内容で、ボクが請負うかどうかを判断するんだ。確かに、キミが懸念するとおり、ボクの料金は高く設定してあるが、相応のサービスを提供していると自負してるよ。これでも精一杯リーズナブルであるように意識してるんだけどね。さぁ、観念して、あの椅子を持ってきたまえ」
丸野は、左手を伸ばして折りたたみ椅子を取り、すばやく組み立てて、腰を下ろした。
「ハイブロウに行こう」と、森脇は言った。
椅子を指差したとき以外は、ずっと揉み手は動いたままだった。
「実は、ある女子の写真を手に入れたいんです」
「ほう。クラスと名前は?」
「二年B組の西藤有利香」
丸野は、すばやく動く森脇の手を注視した。
ふいに、森脇の手の動きが止まった。
いや、止まったのは手だけではない。
サービス業に従事する店員が見せるような愛嬌のある表情を浮かべたままで、森脇はピタリと固定されていた。
瞼も、頬の筋肉も、器用に動いていた耳も、壁に掛けてある時計の秒針も、彼を取り巻いていた空気の対流すら、活動を停止させていた。
不自然な停止だが、丸野にはこの停止の理由がわかっていた。
丸野自身も全身の動きが封じられているが、ただ一つだけ、停止していない機能があった。
丸野は、時間の停止を自らの目で確認できている。
つまり、彼の視覚だけが停止していないのだ。
次の瞬間、再び森脇の揉み手が忙しく動き始めた。
「二年B組といえば」と、森脇。
「キミのクラスメートだろう。スマホでも、何でも、シャッターチャンスはあるだろうに」
「これが、なかなか難しいんですよ。ボクは、警戒されてましてね」
「可愛い子かな?」
「でも、もう、いいんです」
丸野は、椅子から立ち上がった。
「すいませんでした。おじゃまして」
「なんだ。お帰りなんだ」
森脇は揉み手を止めずに、丸野を見送った。
丸野が室外に出て行ってから、森脇の手の動きが止まった。
「小田クン」
森脇が呼ぶと、彼の背後の扉から細身の男子が入ってきた。
「今の見ていたかい?」と、森脇は尋ねた。
小田は、こくりと首を縦に動かした。
「アイツ、何かやっていったな」
「『時間停止』です」
「目だけ生きてるヤツか」
「そうです」
「ショーちゃんかな。アイツに吹き込んだの」
「おそらく」
「ボクにも使えるかな、アレ」
「あまり使えません。あの『才能』は」
「女子をじっくり見るのに使えそうだ。今度、ショーちゃんに頼んでみよう」
小田は、頭を横に振った。
「さてと、西藤有利香か。これはダイちゃん絡みだな。小田クン、悪いけど調べてくれるかな」
「『生徒会警察』が関わっているかもしれませんよ」
「好奇心に勝るもの無しだね。この際、矢吹さんとお知り合いになるのも悪くない気がするよ」
小田は、あきれ顔で奥の部屋へと引っ込んでいった。
「さて、何が起こるか」
森脇は、愉快そうに揉み手を再開した。