五十九
「アナタ、いつの間に……」
オカダイは、言い終えるより早く『筆』をパンナに向けた。
パンナは、すかさず右手の平を銃口に押し当てた。
「そんなんで、私の攻撃を避けられると思ってるの?」
オカダイは、ニヤリと笑った。
「やってみなよ」
パンナが答えるより早く、オカダイは練り上げた『光弾』を発射させた。
その瞬間、オカダイの方の身体が後方に飛ばされ、森脇を巻き込んで転倒した。
「うそ! 私の『光弾』が通用しないって、手の平だけで、そんな防御って有り得ない!」
「追加されたんだ」
パンナは、一昨日の人道公園の騒動で披露したピンク色のヘソ出しキャミソールに、サックス色のホットパンツという出で立ちだった。
彼女流の『戦闘服』である。
「アナタ、良い体つきしてるのね」
オカダイの最初の感想はそれであった。
パンナは、ノーブラで大きめの胸の形が一枚布にクッキリと浮かび上がっている状況など気にもせずに、両手を腰に当て、さらには胸を張り、小さな顔の割に大きな瞳をキラキラ輝かせて、オカダイの顔を正面から見つめていた。
オカダイは、上唇をペロリと舐めた。
「だらしなくニヤけちゃってさ、『始まりの権限者』も地に落ちた感があるね」と、パンナが言った。
「?」
森脇には、何の話か飲みこめなかった。
オカダイは、ニヤリと微笑んだ。
「まあね。何だかんだ言っても、私が『起源』なのよ」
「起源?」と、森脇が目をしばたいた。
「私から始まったってこと」
オカダイが鼻先を突き上げた。
「私が最初に発見された『権限者』なの。『覚醒』のプロセスを経ずして、生まれながらの『天然の権限者』。私の事例があったから、この分野の研究が始まったのよ」
「そうだね」と、パンナも同調した。
「『天然の権限者』の割合は、一万人に一人くらいだって言われてるけど、そのほとんどは知らずに一生を終わってたんだ。キミの存在が『マジック・アイ』の発見に繋がり、『はかせ』が『覚醒』のプロセスを発明した。そういう意味では、キミは貢献者だね」
「アナタ、年下の女子のくせに、私のことをキミ呼ばわりして、感じ悪いわね」
「きゃはあ、先輩。悪い後輩をシツケしていただけますかあ」
パンナは高い声を出して、オカダイをからかった。
「フン」と、オカダイは唇を『へ』の字に曲げた。
「『覚醒』しなかったら、アナタも普通の女子で終わってたのよ。私に言わせれば、私以外は、みんな『疑似権限者』よ」
パンナは目を細め、形の良い鼻をフンと小さく鳴らした。
「『起源』を敬えか……キミは神様にでもなりたいのかな。つまらない話だね。キミのお父さんに銅像でも作ってもらったら、どう?」
「アナタね」
オカダイは、激しく歯軋りをさせながら、パンナを睨んだ。
「ホントに性格が悪いわね。何度もキミ呼ばわりして、絶対に先輩とかを敬ったりするタイプじゃないわよね」
「そんなことないですよお」と、パンナは甘えた声で応答した。
「先輩を敬う気持ちなら持ってますよお。棚田先輩とか。いつも、私のことを気づかってくれて。棚田先輩なら、どんなことをされても、全部許しちゃいまあす。でもね」
そこで、途端にパンナは鋭い視線をオカダイに向けた。
オカダイの背筋に冷たいモノが走った。
「私ね、バカはキライなんだ。だから、許せない」
オカダイは、むうと、大きな唸り声を上げた。
「アナタ、あのヨーデルよりも、私の方がバカだと言うの?」
パンナは、首を縦に振って、ニッコリ笑った。
「棚田先輩は、キミたちと違って、賢い人だよ。私の一番の相談役なんだ」
「成瀬の言いなりになってた、名ばかり生徒会長じゃないの」
「キミたちに棚田先輩を悪く言う資格なんて無いよ。棚田先輩は、強い正義感の持ち主。キミたちのようなバカとは、比較できる要素なんか、一つも無いんだからね」
「言わせておけば、何度もバカバカと、調子に乗るんじゃないわよ」
オカダイは、もう一度、『筆』を握る手に力をこめ、銃口をパンナに向けた。
パンナは、一ミリも怯まなかった。
「私利私欲のために犯罪を働くような人間なんて、例外なく全員バカだね。キミたちは、二人とも大バカだよ」
「ボクは……ボクは……」
森脇は、パンナに何かを訴えようとするが、うまく言葉になって出てこなかった。
「風俗法違反は別として、法では、私を裁けないわよ」
オカダイの方は、強気でパンナに挑んだ。
「『FA』の取り締まりに関する法規制は、まだ存在していない。アナタ、警察官なら、それくらいわかってるでしょう」
「まあね」と、パンナは平然と応じた。
「当初の予定ではね、そこの森脇クンだけを検挙するつもりだったけど、とあることがきっかけで、キミがこの場に現れることがわかってね。これは、一挙に問題解決できるチャンスと思って、いろいろと準備したんだ」
「準備?」
オカダイは一歩踏み込んで、パンナに近づいた。
銃口は、パンナに向けたまま。
威圧したつもりだったが、パンナはわずかな動揺も見せなかった。
「まず、このホテルは包囲されてるからね」と、パンナは不敵に笑った。
「それも、熟練の『権限者』たちだよ。まあ、私もここにいるしね。キミの武装程度では、抵抗しても無駄だよ」
「包囲ですって?」
にわかに、オカダイの額に汗の粒が滲み出てきた。
「ずいぶんと用意が良いじゃないの。私がここへ付き合ったのは、ほんの気まぐれで、誰にも伝えてなかったのに……」
オカダイは、声を詰まらせた。
パンナは、余裕の笑顔を見せた。
「これまでは、二十二秒だったんだよね」
「……」
「この意味わかる?」
「ダイちゃん……」
森脇が、すがるようにオカダイにすり寄ってきた。
「アナタ……さっき『追加』されたって言ったわね」
オカダイの問いかけに対して、パンナは何も答えなかった。
「その二十二秒というのは、本来なら敵対する相手に知られてはいけない情報なんじゃないの?」
パンナは、なおも口を噤んだままだった。
「ダイちゃん、何の話をしてるの?」と、森脇が尋ねた。
「『予測』が可能な限界値のことよ」と、オカダイは早口で答えた。
「この子は、今まで二十二秒先までを『予測』して、行動してたってことなのよ。それを自分から教えてくれたの」
「へえ……」と、森脇の相槌は宙を漂った。
「ぜったい理解できてないわね」と、オカダイが指摘した。
森脇は、頭の後ろを掻いた。
「『予測』は、自分に都合の良い未来を維持するか、または都合の悪い未来を変えるための『才能』でしょ。もし、二十二秒なんて限界値を敵に知られたら、事前に阻止することが可能になっちゃうでしょ」
「なるほど」と、森脇は納得した。
「でも、矢吹さんは、その限界値を教えてくれたんだよね。これって……」
「アナタ、ちゃんと聞いてなかったの? 『これまでは』って言ってたでしょ。そこが『追加』された要素というわけね」
「よくできたね」と、パンナ。
「割と人並み以上に思考が働くんだ」
「また上から目線で……」
「悪いけど、キミたちは敬える存在じゃないね」
オカダイの愚痴を封じるように、パンナは言葉を被せた。
「待っているのは、犯罪者たる仕打ちだよ。今から、それを始めようか」
「何回も言わせないでほしいんだけど」と、オカダイはパンナを睨み返す。
「法では私を裁けないわ。法規制が存在しない限り、覚醒剤取締法にあるような厳しい刑罰は適用できない。コワイ人たちで取り囲んだってね、私には手も足も出せないわよ」
「自分に都合の良い思考癖は相変わらずだね」と、パンナは鼻で笑った。
「法律が無いってのは、合法ってことじゃないよ。そういうのを脱法行為って言うんだ。それに、逮捕することばかりが取り締まりじゃないよ。目的は、キミに『権限』を濫用させないことを確実にすること。それが『更正』ってことなんじゃないかな」
「小娘のくせに、私に対して、ずいぶんとエラそうなこと言うわね、アナタ」
オカダイは、奥歯をギリギリ鳴らしながら言った。
「治安を維持するためだよ」と、パンナは言い返した。
「私の立場は問題じゃないね。神様だけが説法できるなんて言ってたら、誰も言う資格が無いなんてことになって、それこそ無法地帯になるよ。私はね、キミから見れば、年下の、礼儀知らずの、生意気な女子にしか見えないかもしれないけど、私に課された役割を務めるために、私にある全ての未熟さを棚上げして、キミに対して、どんなことでも言ってやるからね」
それに対して、オカダイは何も言い返すことができず、ただ黙って、パンナの顔を睨み返していた。
「そして、森脇クン」
パンナは森脇の方にチラリとだけ目を動かすが、注意はすぐにオカダイに戻した。
森脇は、背中を叩かれたように、背筋をピンと伸ばした。
「おとといに会った時、警告したよね。あの時にやめていれば良かったんだけど、あれから続けちゃったからね。もう、逃げられないよ。ウチの子が、キミとのやり取りをしっかりと記録したからね」
「記録って……動画を撮ってたとか……あの状況で?」
森脇は唇を震わせ、何度も声を詰まらせた。
フフと、パンナは笑った。
「レナの記憶力はスゴいよ。『権限者』じゃないけど、私なんかより、ずっと頭が良いんだ。キミとの行為を完璧に記憶してた。私は、その情報をいただいただけだよ」
「あの子が生徒会メンバーだったって……ちゃんと調べたのに……」
「キミとキミのパソコンの記憶を、私が操作していたからね。私がキミの部室に行った時、キミも自分に対して、同じことをやってたんじゃないのかな」
パンナは、胸の前で両腕を組み、ツンと鼻先を上に向けた。
「西藤有利香さんに関する情報を意図的に記憶から消してたりとか」
「ああ」と、森脇の両膝が崩れ落ちた。
「ボクの未来は……もう、おしまいだ……」
両腕を頭の後ろに回し、床に額が着くくらいまで前に伏せた。
まるで、パンナに対して、土下座しているようにも見えた。
「別に、おしまいじゃないと思うよ」
パンナは、すげなく声を掛けた。
「もし、キミが人生設計をしっかりと組み立てていたというのなら、計画が中断するだけじゃないのかな。どのくらいの期間になるのかはわからないけど、社会復帰できたら、またその続きを始めれば良いんじゃないの?」
「そんな……」と、森脇は口ごもった。
パンナは、さらにこう続けた。
「要はね、自分がやるか、やらないかだよ。やると決めたら、どんな状態からでも、這い上がれるはずだよ」
「うう……」と、森脇は嗚咽した。
「情けないわね。男のクセに泣いたりして」と、オカダイがチッと舌を鳴らした。パンナの注意が、今度はオカダイに向いた。
「次は、キミが泣く番だけどね」
「何さ」と、オカダイは言って、イーと歯を剥き出しにした。
「私を『更正』させるなんて言ってたけど、どうするつもりなのかしらね」
「法の裁きを受けるべき罪が少しでもあるのなら、キミは、その裁きを受けるべきだよ」
「そうね、私に罪があればね」と、オカダイは余裕の態度を見せた。
パンナは、両目を大きく開いて、わざとらしく驚いた素振りを見せた。
「まさか、自分には全く罪が無い、なんて思ってるんじゃないだろうね。もしそうなら、やっぱり、次はキミが泣く番になるよ」
オカダイは、構えている『筆』を羽織っていたジャケットのポケットにしまい、代わりに重苦しい黒鉄の拳銃を取り出し、銃口をパンナに向けた。
「これなら『意志』の力量差に関係なく、威力を発揮できるでしょ」
オカダイの口元がつり上がり、能面のような無機質な笑顔となった。
「懲りてないね。まぁ、やってみたら」
パンナは、右手の人差し指と中指をオカダイの目の前に突き立てた。
にわかに『臨界状態』となった『マジック・アイ』が光る汗と共に滲み出て、金色に輝き始めた。
「ダイちゃん!」と、森脇が悲鳴を上げた。
「硬化」
パンナが、そう唱えるのと同時に、オカダイは引き金に掛けていた指に力をこめた。
「バンッ!」と、ゴム風船が破裂するような音と、「ビシッ!」というガラスにヒビが入ったような音が、ほとんど同時に鳴った。
森脇は、度を過ぎた恐怖心のあまり、失禁した。
オカダイのキツネのような目が、限界まで大きく開かれ、真ん丸になっていた。
パンナは、突き立てた人差し指と中指のほぼ真ん中で、煙を上げている弾丸を受け止め、ニヤリと笑顔を見せていた。




