五十二
「記録」と、仄香は詠唱し、ニヤリと笑みを浮かべた。
アーモンド型の瞳には、赤い正方形のような模様が浮かび上がっていた。
「あの子、面白いわ。あんな攻撃方法があったなんて」
「仄香さん、ヤバいから早く逃げるのね。もう一度、アレを食らったら、今度こそ立ち上げれなくなるのね」
ピンクは、仄香の左腕を掴み、自分の方に引き込もうとするが、仄香は動こうとしなかった。
「もう少し動きを見たいわ。何とかアレを『再現』させたい」
哀れ芝生広場は、黒いマットを敷き詰めたような模様で焼けただれ、まだ炎と煙が残っている箇所があった。
黒い男子たちは散り散りとなって逃げ、組織としては、もはや機能していなかった。
さらには、パンナと犬飼の二人は、とっくにその場から逃げ去っていた。
「さて、敵はすでに満身創痍」
棚田は第一局の攻撃成果に満悦し、上唇を舐めた。
「三木クン、続きを始めましょう。今度は、あのキレイなヒトを狙うんです」と、棚田は仄香を指差した。
「きゃはあ。ウケるう」
ミキミキは両手を顔の前に横にして見せ、一本一本の指を三センチほどの等間隔に開いた。
仄香は、その動きを見逃すまいと、赤い正方形が浮かび上がっている瞳で、ミキミキの動きを追った。
ミキミキの両手がゆっくりと左右に開いていき、いっぱいに開いたところで、今度は胸の方に向かって移動していった。
制服のブラウスの襟に巻かれたスカーフの辺りまで来た時、いつの間にか、全ての指の間に三センチほどのプラスチック製のカプセルが挟まっていた。
カプセルトイ用の空き容器で、中には小さな気泡も見当たらないくらいに水が満たされていた。
その動きを阻止しようと、ピンクがミキミキに向けて『光弾』を発射するが、ミキミキに到達する前に『爆発』による爆風で跳ね返された。
「やっぱり、私の『意志』では届かないのね」と、ピンクは嘆いた。
「臨界」と、ミキミキが唱えると、カプセルの中に光り輝く金色の粒が現れ、瞬く間に、全てのカプセルが金色の輝きを放った。
ミキミキは、両手を横に広げ、右足の爪先立ちで、ゆっくりと時計回りに回転し始めた。
「次が来るのね。仄香さん……」
ピンクは仄香にすがるが、仄香は『記録』に夢中で、聞く耳を持たなかった。
「電気エネルギーを『選択』して、水から水素を練り出してるのね。それで、あれだけの破壊力が……若い子の発想って面白いわね」
ミキミキの回転が独楽のように速くなり、指から放たれた『光弾』のカプセルが、遠心力によって、勢いよく仄香の正面に向かってきた。
仄香は、とっさに構えた『筆』で細い『光弾』を練り出し、カプセルに撃ち込んだ。
その瞬間、カプセルが球状に爆発し、激しい爆圧が周辺に広がっていった。
ピンクが仄香をかばい、地面に押さえつけた。
「ミキミキを楽しんでいただけてますね。さあ、続いて行っちゃいますよお。きゃはあ、ミキミキぃいい回転球」
ミキミキからは、さらに二発、三発と次々にカプセルが弾かれ、ピンクと仄香の周囲に着弾し、爆発と炎上を繰り返した。
続いて四発、五発、とカプセルが弾かれ、辺りは煙で視界が完全に塞がれてしまった。
「何これ。もう何にも見えないじゃない」
仄香が叫び、『爆発』で煙を払い除けた。
視界が晴れた先には、ミキミキが残り三球のカプセルを、いつでも仄香に向けて投擲可能な状態で、右手に構えていた。
「あれま、追い込まれてるわね」
仄香は眉一つ動かさずに、自らの窮地を冷静に語った。
「きゃっ、きゃっ!」
ミキミキは直線が上側の分度器の形に口を開け、ハート型の『のどちんこ』を見せて笑った。
「さあ、覚悟して下さいよ、キレイなヒト」と、棚田の口元がつり上がった。
「もう、オバサンよ。年齢的に」
仄香は言い、『筆』を棚田に向けて構えた。
『光弾』は、まだ練り出していなかった。
「懲りてませんね、この状況で」と、棚田は嘲笑した。
「アナタたちは、まだ学生」
仄香は『筆』を握る指に力をこめた。
『光弾』は、まだ練り出されていなかった。
「四の五の言ってないで、すぐに攻撃しなさい。大人に向かって手加減なんて、十年早いわ」
「三木クン、トドメの一撃いこう」と、棚田は指示した。
「きゃはあ」
ミキミキは上半身を大きく捻って、『回転球』の構えをとった。
そこへ、ピンクが両手を左右一杯に広げて、ミキミキと仄香の間に立ちはだかった。
動きにぎごちなく、よく見れば左足をヒドく負傷していた。
地に足が着ききらずに、細かい震えも見せていた。
「桃ちゃん、そのケガは……アナタ、私をかばって……」
「私のケガは、後で仄香さんが治してくれれば良いのね」
ピンクは視線をミキミキに向けながら、仄香に向かって言った。
「私は、攻撃側面しか知らない『疑似権限者』。仄香さんがケガをしても『治癒』できないのね。ここでの私の役割は、仄香さんにケガをさせないこと。その役割を果たすのね」
「桃ちゃん……」
「むむむ」と、棚田が唸った。
「さすがは『南のスケバン』。見せてくれますねえ」
「とほほう。何となく、私の方が『悪役』みたいで面白くないのですわん」
ミキミキの目が直線が上側の分度器の形に変わった。
右手に三球だけ残っていた『臨界状態』のカプセルが、左手にも三球増えて、倍になった。
ピンクは、震えている両足に力をこめて、踏んばりを見せた。
「桃ちゃん、無理しないで」
仄香がピンクの背後から優しく話しかけた。
「梨菜ちゃんには逃げられちゃったけど、私ね、桃ちゃんと仲良しになれて良かったわ。私のワガママに付き合ってくれて、ありがとう」
仄香はそれだけ言うと、構えていた『筆』に、いつの間にか練り出していた『光弾』を発射させた。
針状の『光弾』がピンクの背中の真ん中から胸の真ん中を貫通して、さらにミキミキの眉間の辺りにまっすぐ向かった。
一瞬、ミキミキの目が丸くなるが、『光弾』の破裂音と共に、両膝を地面に着き、そのままパタリと仰向けに倒れてしまった。
「え?」
棚田は何が起きたのかすぐには理解できず、ミキミキの方に首を動かした。
ミキミキの両目には、グルグルの渦巻きが現れ、鳴門巻きのようになっていた。
「いかーん!」と、棚田は叫び、ミキミキのそばに駆け寄った。
「三木クン、三木クン」
激しくミキミキの肩を揺さぶるが、両目の渦巻きは消えそうになかった。
さらには、『臨界状態』のまま放置されているカプセルが芝生の上に散在し、危険な輝きを維持していた。
「くっ! こんな時のために、この棚田豊国彦が同行したんですよ。ええ、こういう状況こそ、ボクの出番なんです」
棚田は倒れているミキミキの背中に両手を回し、器用に自分の背中に担ぎ上げた。
「三木クン、撤収ぅううう!」と、大声で喚きながら、背中を見せて一目散に逃げ去っていった。
その直後に、放置されたカプセルがドドーンと大きな音を立て、一斉に爆発した。
ピンクは腰が抜けたように、その場に座り込んだ。
「あのミキミキを……一撃で……仄香さんの『意志』の強さ……スゴい……」
ピンクが茫然としているところへ、背後から仄香が抱きついてきた。
「桃ちゃん、大好き」
「仄香さん……」
ピンクは、胸に巻きついてきた仄香の両腕に、自分の両手を添えた。
「桃ちゃん、私とずっと仲良しでいてね。私も桃ちゃんのこと、ずっと大事にするから」
「作戦は失敗でしたね。犬飼を押さえておきながら、まんまと矢吹さんにあざむかれました……」
ピンクは、肩を落とした。
「チャンスはまだあるわよ。私にとって、収穫は多かったと思ってるわ」
「ミキミキの情報は役に立たないと思います」
「『才能』としてコード化できても、あの身体能力を『再現』するのは無理かもね。でも、取っておいても損はないわ。ところで、来週、会社の役員会があるの。桃ちゃんも参加してちょうだい」
ピンクは目を丸くして、仄香の方を見ようとするが、仄香が強く密着しているので、目を合わせることはできなかった。
「私のような子供が出ても、経営のことは、何もわからないのね」
「アナタを私の秘書に任命します」
仄香のその宣言に、ピンクは、さらに目を丸くした。
もはや真ん丸であった。
「私にできることなんか……」
「信頼関係が大事なの」
ピンクの言い分を遮って、仄香が言葉を被せた。
「仕事については、私の指示に従ってくれれば良いだけのこと。今は満点の仕事ができなくても、桃ちゃんなら、いつかはできるようになるわ。それよりも、信頼できるパートナーを見つけることが難しい課題なのよ。今日のことでね、私ね、桃ちゃんが信頼できる子だって気付けたの。私がさっき言ってた収穫ってね、桃ちゃんのことなのよ」
ピンクは、仄香の話に耳をかたむけ、唇を小さく震わせた。
「西藤さんや……矢吹さんじゃなくて……私で……良いって……ことなんですね……」
あるだけの勇気を絞りきって、仄香に確認した。
「アナタが良いのよ」と、仄香が強調した。
「私の夢を一緒にかなえてくれると、期待してるわ」
「仄香さんの夢……」
ピンクは、細い声で呟いた。
「壮大よ、私の夢は。困難も多いの。桃ちゃん、手伝ってね」
「私でできることなら……」
仄香の両腕に添えていただけだったピンクの両手に、みるみる力がこめられていった。




