五
「ずいぶんとクリアになった。上達したね」
佳人に褒められ、梨菜は照れくさそうにした。
「ずいぶんと鍛えられたましたから。佳人さんには、何度も泣かされましたし」
「そんなに厳しくしたつもりはなかったんだけどな」
おどおどする佳人を見て、梨菜はクスクス笑った。
「おかげで会話は、もう平気です。もう石を蹴るんじゃなく……」
《タンポポの綿毛を吹き飛ばすような感じで、メッセージを送れます》
梨菜は口をつぐみ、得意げに会話の続きを佳人に送信してみせた。
「上手になれて良かった。では、次のステップに移ろう」
佳人は、梨菜に向けて手を伸ばし、握手を求めた。
「握手ですか?」
「いいから、握ってごらん」
梨菜は、佳人の手を握った。
《もちろん、この声は届いてるよね?》
高感度の佳人の声が、梨菜に伝わってきた。
《いつもより、はっきり聞こえます》
《もちろん、この声も『遠隔感応』によって送信しているわけなんだけど、直接つながっている状態、つまり、今の場合だと手から手だね。これが最も確実で、機密性の高いメッセージ伝送手段なんだ。外に流さないから、盗み読みされる危険性が少ない、ということね》
《私と佳人さんとで、秘密の会話ができるんですね》
梨菜は、頬を紅潮させながら言った。
《そのとおり。では、次の実験に移ろう》
佳人は、梨菜と手を離し、クルリと背を向け、部屋のドアの前まで行った。
「どこへ行くんですか?」
梨菜は、佳人の後を追おうとするが、佳人は手の平を梨菜の前に突き出した。
「梨菜さんは、ここにいて。ボクは、となりの部屋に行くだけだから」
「となりに何かあるんですか?」
「今にわかるよ」
佳人は部屋の外に出て、そっとドアを閉めた。
しばらくして、佳人の声を受信した。
《ボクの声は届いてるよね?》
《え……ええ……よく聞こえます》
梨菜は、少しうろたえていた。
《どうしたの? 何を動揺してるのかな?》
《佳人さんが目の前からいなくなって、改めて気づいたんです。佳人さんの声は、ちゃんと佳人さんの声で届いてきてる。考えてみれば不思議です。音が聞こえてるわけじゃないのに》
《別のことを教えようと思ったのに、キミはもう『認知』について気づいてしまったようだね》
《『認知』ですか?》
《つまり、受信内容から送信元を特定する技術だよ》
《技術って、私は何もやってないです》
《特別に何かの操作をするわけじゃない。ボクがメッセージを組立てる際に、ボクに関する情報を一緒に送ってるんだ。受信者は運ばれてきた情報から送信者を特定する情報を認識したら、受信者の記憶に保存してある送信者の声質や抑揚に関する情報を参照して、メッセージに送信者らしき声を当てはめているんだ》
《わかりにくいですけど……つまり、私は佳人さんを特定する情報を解読しているわけなんですね》
《いや、微妙に違うな。特定情報から、ボクの声を取り出しているんじゃないよ。特定情報から理解できるのは、それがボクのものだということだけなんだ。で、ボクからのメッセージであるとキミは理解し、キミがイメージしているボクの声を、キミ自身から読み出している、という仕組だよ》
《いまいち自信が無いけど、何となくわかりました。じゃあ、『遠隔感応』による会話は、これまで会ったことのない知らない人とはできないんですね》
《そんなことはないよ。キミの本能が代替の声を割り当てるだろうからね。でも、これから教えるのは、そのことじゃない。今、ボクは、キミから離れた場所にいる。つまり、キミの視界にボクが存在していない状況を作り上げているんだ。この状況で会話してみよう》
《何てことないです。私のメッセージは、佳人さんに届いているようですから》
《そうだね。今のメッセージも、ちゃんと届いてる。曖昧だけど、キミはボクの所在位置を把握できているからなんだ。じゃあ、次はどうかな。十数えてから、またメッセージを送ってみて》
佳人の気配がプツリと途絶えた。
梨菜は、十数えるのを無視して、すぐに佳人の居所を探り始めた。
だが、梨菜の放つセンサーには、まるで感触が無かった。
目をつむって、もう一度、隣の部屋の隅々まで、丹念に探してみた。
三十秒ほどの『走査』で、梨菜の表情に焦りが見え始めた。
すでに、三度の『走査』が終了しているが、佳人を見つけ出すことができなかった。
佳人はとなりの部屋から出て、ずっと遠くへ行ってしまったようだ。
佳人の居場所が特定できなければ、メッセージは空を漂ってしまう。
どうしたらいいかな?
梨菜は考えた。
すぐに、その答えを見出だした。
佳人さんの居場所を示している『マジック・アイ』を回収すれば良い。
さっそく梨菜は試みた。
最初の回収効率は良くなかったが、効率を上げる、ある方法を思いついたら、一気に情報が集まった。
《やったね》
佳人の鮮明なメッセージが梨菜の心に届いた。
梨菜は、まだ目をつむったままだった。
《まさか、こんなに早く解答を導くとは思っていなかったよ》
「情報を得るには、『マジック・アイ』を効率良く回収すれば良い」
梨菜は目を閉じたまま、声に出して言った。
「佳人さんが基本を教えてくれました。佳人さんの居場所に関わる情報を持つ『マジック・アイ』を回収すれば良い、と」
梨菜は、そこで目を開き、佳人のいる方角へ正確に視線を向けた。
「戻ってきてたんですね。さらに、遠くに行ったと見せかけて」
佳人は興奮気味に目を大きく開き、梨菜を見つめた。
「この限られた空間の中に、何百億何千億もの『マジック・アイ』が存在するけど、ボクに関わる情報を持つモノは限られている。しかも、『マジック・アイ』には時系列が存在し、運良く回収できたとしても、情報が現在のモノか、過去のモノかを見極める必要がある。正確な情報を集めるには、より多くの『マジック・アイ』を回収しなくてはならない。そこで、キミが実践したやり方だよ。目的とする情報を持つ『マジック・アイ』についての情報を、さらに持っている『マジック・アイ』を探す」
* * *
「熱心に読んでますね」
その声で、浦崎警部の注意が現実世界に呼び戻された。
「ああ」
警部は気抜けしたような生返事をし、再び空想世界に入ろうと試みたが、うまくいかなかったので、本を開いたままデスクの上に伏せた。
「ジャマをしてしまったようですね」と、屋高は申し訳なさそうに声を落とした。
「いや、良いんだ」
警部はデスクに肘をつき、両手を揉み合わせた。
機嫌の良い時に見せる仕草だった。
「それは、岡田美夕が所持していたのと同じ本ですね」
屋高が質問すると、警部の手の動きが早くなった。
「そうだよ。本屋で買ってきて読んでるんだ」
「警部がティーンズ向けの小説をですか?」
「探すのに苦労したよ。カテゴリーが不明瞭で、売場が全くわからなかったからね。何度も本屋に問い合わせて、やっと探し当てたんだ」
「どんな話なんですか?」
「先生と教え子が登場する」
「学園モノのラブ・ストーリーですか?」
「教えているのは勉強じゃない。『権限者』ついてだよ」
「何の『権限』ですか?」
「情報を持つ粒子『マジック・アイ』を集められる『権限』だよ」
「何だか科学的な話ですね」
「科学……そうだな。これは科学だな」
警部は、屋高の言葉にうなずいた。
「まぎれもなく科学だよ」