四十九
仄香は、右手のひらを上に向け、タマゴくらいの大きさの光の塊を練り始めた。
光は徐々に膨らみ、「発光」の詠唱と共に、光の玉は頭上に打ち上げられ、あたりを明るく照らし出した。
「これで見やすくなった」と、仄香。
昼の明るさ、とまではいかないが、ピンクがちょこまかと動かしていた懐中電灯よりは、状況はわかりやすくなった。
黒い男子たちは、相変わらず黒いままだったが。
仄香は、前を開いたタイプライターブラウスの内に見える紫色のキャミソールを覆うように腕を組み、長身のパンナを見上げて、そのまま一気に足の先まで直線的に視線を動かし、満足そうに微笑んだ。
「あれから二年。本当にキレイな女子になったわね」
「そりゃ、どうも……」と、パンナは頭を低くした。
「仄香さんも、お変わりなく……」
「お世辞はけっこう」と、仄香は突き放した。
「もう、いいオバサン年齢なんだから」
「でも、そんな連中従えて、騒動起こしたりして、やってることは不良学生レベルです」
パンナは、容赦なく先制攻撃を仕掛けた。
「あはは。そうね、アナタの言うとおり、大人げないわね。でも、誰に対しても、まったく遠慮しないその態度、アナタも変わってないわ。好きよ。アナタのそういうところ」
「で、人質までとって、私を呼び寄せて、私にどんな用件なんですか。そこのピンクは、まったく意識してないと思いますけど、誘拐は重罪ですよ。そして、私は警察官でもあります。哀れなピンクは、あなたと同じ年齢になるくらいまで刑務所暮らしってことにできてしまうのですが」
「ひ!」と、ピンクが悲鳴を上げた。
「き……聞いてないのね、そんな話は……」
「私、見た目ほど若くないのよ」と、仄香は平然と言った。
「もう、十七歳になる息子がいるくらいだからね」
「美園玲人クン」と、パンナがすかさず答えた。
「把握してるわね。油断ならない子」
「その繋がりのおかげで、昨日の騒動で、あなたたちが誰を狙っていたのかもわかりました」
「アカデミーでは、旧姓を名乗ってたからね」
「二年B組に、仄香さんの旧姓と同じ姓の女子がいます」
「アナタたちには、もう少しの間、知られたくなかったんだけど」
「ようやく追いつきました」
「ふふ。甘いわね」と、仄香は、不敵な笑みを見せた。
「アナタが知ったのは名前だけ」
「顔も知っています。写真を入手しましたから」
「アナタは、事態の本質をまだ理解できていない。追いついたとは言えないわ」
「では、ここで教えていただけるんですね。そのために私を呼び出したとか」
「あはは」と、仄香は声を立てて笑った。
「本当に面白い子。私もね、桃ちゃんやショーちゃんと同じなの。アナタと仲良しになりたい。ただ、それだけよ」
「それは、さっきピンクに断りました。相手があなたに変わっても同じです」
「私は、世界征服だとか、悪いことを企んでいるわけではない。純粋な研究心だけよ。アカデミーを出て、科学関係事業に強い岡産業側に付いたのも、環境面で有利な方を選んだという理由なの」
「仄香さんのその行動で、アカデミーは消滅しました」
「あの時、アナタたちは逃げる必要なんか無かったのよ。研究員が所属組織によって分断されるなんてナンセンス。同じ研究題材を扱っているもの同士で協力し合えば、もっともっと素晴らしい成果が得られたはずよ」
「私は、研究員じゃありません」
「梨菜ちゃん、アナタの力が必要なの。ぜひ、私たちに協力してちょうだい」
「その名前の役割は終わりました」と、パンナは苦笑した。
「今は、名前によって、心にキズを持つ女子を演じています」
「そもそも、そんな必要は……」
「仄香さんの環境面で有利というのは、お金のことですか?」
パンナは、仄香の言葉を意図的に遮り、皮肉を含めて『お金』という単語を強調した。
「言うわね。でも、お金は大事よ。佳人が政府高官に対して一生懸命レポートを作成していたのも、限られた予算から研究費を捻出するためだった。でも、私となら……」
仄香は右手を固く握り締め、パンナに突きつけた。
「正確に言うとね、私は『こちら側』に付いたんじゃない。私はね、岡産業の株式の五十パーセント超を保有しているの。筆頭株主ってやつね。つまり、『こちら側』は、私なの。私が岡産業を支配してるのよ」
仄香の話に耳を傾けながら、パンナもまた、右手の拳を固く握り締めた。
「岡産業の実態は、軍需産業と聞いています」
「そう言いたい人には言わせておけば良い。私が目指しているのは新兵器の開発じゃない。人類の可能性への追究よ。私のところへいらっしゃい。絶対に不自由はさせないわ。約束する」
「何に対する自由ですか。繰り返しますが、私は研究員じゃない」
「これは世界を揺るがす大きな転機よ。『天然の権限者』であるアナタの協力が必要なの」
「必要なのは、私の構造に関する情報なのでは? それと私が持っている情報……『はかせ』と『あの人』に関する……」
「人は成長するもの。一時的な協力だけでは、発展は成り立たないの。『天然の権限者』の恒常的な協力体制が重要なのよ。アナタを裏切ったりしない。お願い……梨菜ちゃん」
「私は矢吹パンナ」
パンナは、仄香から一歩引き下がった。
「この名前の持つ役割を果たさなくてはなりません。お断りします」
仄香は、握り締めた右拳を震わせ、下唇を強く噛んだ。
優しげに映っていた瞳は、にわかに怒りの赤色を帯び、鋭くパンナを睨みつけた。
「じゃあ、仕方がないわね」
仄香は、デニムボトムの右ポケットから『筆』を取り出し、その銃口をパンナに向けた。
彼女の動きに合わせ、周囲の黒い男子たちも一斉に『筆』を構え、パンナに狙いを定めた。
「これはね、新開発の武器なの」
仄香が集中すると、正八角形に配置された小さな銃口に細い針のような『光弾』が集まり始めた。
「そこの大きな男子を麻痺させたのは、これなの。この細い『光弾』を脳内に侵入させ、『発火』によって脳神経を麻痺させたのよ。操作は自動化されてるわ。つまり、未熟な『擬似権限者』でも被弾させれば、標的を麻痺状態にできるということ」
パンナは体勢を低くして身構えた。
「アナタと仲良しになりたいというのは本心よ……こんな手段はできれば使いたくなかったけど、アナタが完全拒否するからいけないのよ」
仄香は銃口をパンナに向けたまま詰め寄り、『筆』を構えていない左手を高く上げた。
次の瞬間、黒い男子たちの『光弾』が一斉にパンナに向けて発射された。
パンナは、地面すれすれで仰け反る姿勢のブリッジでそれらを交わし、すぐさま跳ね起きて、今度は仄香の足元を狙って芝の上を滑り、爪先での蹴りを試みた。
仄香は転ばされないように、とっさに脚を開いて、回避した。
パンナは、その脚の間に全身を潜らせ、すばやく仄香の背後に回った。
仄香は警戒して、後ろを振り向こうとするが、すでにパンナの長い腕が背後から伸び、首の辺りを押さえ込まれ、身動きが取れなくなっていた。
「チェックメイトです、仄香さん」
パンナは、仄香の首に巻き付けた腕にグッと力をこめた。
仄香は、ゴクリと唾を飲みこんだ。
「身体能力が優れてるのね。アナタは強いわ」
仄香は『筆』を持つ右手を静かに上げ、一ミリも表情を変えずに、その銃口を自らのこめかみに押し当てた。
「動かないで下さい」
パンナの注意を聞き入れず、仄香は『光弾』を発射させた。
針のような『光弾』は、仄香のこめかみから後頭部へすり抜け、パンナの眉間を襲った。
パンナが回避行動を取る間もなく、『光弾』はパンナの脳内に吸い込まれ、仄香の容赦ない『発火』によって内部で破裂した。
パンナは悲鳴すら上げられず、膝から崩れ落ちた。
パンナの身体の重みが仄香に掛かかってくるが、それを払いのけ、地面にドサリと落とした。
麻痺は全身に行き渡ったようで、パンナは口を開けたまま、白目を向いて、気を失っていた。
「これが本当のチェックメイト」と、仄香は呟き、パンナの耳の後ろ辺りを優しく撫でた。
「可愛い子。これで、私のモノよ」




