四十八
午後七時の十分前、つまりは午後六時五十分に、パンナは人道公園の東西に二つある出入口の西門にたどり着いた。
約十万平米の規模を誇る敷地の大部分は平地であり、利用するのは歩行者だけでなく自転車も多い。
が、何のイベントも設定されていない十月も終わりの夕刻は、陽もすっかり沈み、所々に設置してある外灯の足元を除いては闇に包まれ、人の気配もほとんど見当たらなくなる。
広い敷地でも、大勢の学生が集まれば、否応でも目立つ。
昨日、五十人を締め上げた実績を考慮して、今回はどれだけの人員を集めただろうか。
目立つ状況なら、誰かに通報される可能性がある。
ああ、その場合は、どのみち自分が対処することになるのか……
そう考え、パンナはペロリと舌を出した。
パンナのスマホから着信メロディーが流れた。
この時、設定してあったのは『コールドプレイ』の『美しき生命』だった。
そして、画面には、『蛭沢 桃』の名が表示されていた。
「はい」と、パンナは応じた。
《今は、どこなのね?》
「公園の中に入ってるよ。もう十分前だから当然だろ。同じ質問をキミに返してやるよ。どこにいるの?」
パンナは、質問内容に合わせるように、大型の園内地図の前に立った。
《西側の芝生広場にいるのね。西門から入ったのなら、すぐ近くなのね》
「犬飼クンは?」
《カスリ傷しか与えられなかったのね。頑丈なヒト。意識は無いけど》
「どうやって気絶させたかは知らないけど、キミたちでは、討伐は無理だよ」
《でも、助けに来てるのね。討伐される心配があるからなのね》
パンナは、何も答えなかった。しばしの沈黙の末、電話は切れた。
芝生広場までは平坦で見通しが良く、とにかく、だだっ広かった。
広場の中心辺りに、小さなライトが点いているのが見えるので、そちらに向かって、一直線に歩んでみた。
近づくにつれて、暗い中に黒い影が大勢たたずんでいるのが見えてきた。
影は、ザワザワと動き始め、パンナの周りをグルリと取り囲んだ。
黒い学生服を纏った男子たちが、いったい何人集まっているのか、肉眼で確認するのは困難であるが、パンナを中心として半径約十メートルくらいの円には、びっしりと隙間が見当たらないのは、何となくわかった。
「美少女戦士の大ピンチってところだね」
パンナは冷静に自分の状況を語った。
ほぼ正面に、小さな明かりの持ち主が立ち、自らをチラリと照らして見せた。
ピンク色のエッセンスをふんだんに取り入れた出で立ちの女子の姿が見えた。
「相変わらず趣味の悪いピンク色だね」
パンナは相手が口を開くより早く、言葉の先制攻撃を仕掛けた。
「美少女戦士か……」
ピンクは、吐き捨てるように言った。
「その顔をボッコボコにして、二度と直らないくらいの『醜女戦士』にしてあげるのね」
「醜女と言えばさ、岡田美夕の最期だよね。グチャグチャ。アレって思い出してみれば、キミに似てたんだよね。キミがモデルだったんだ」
「フン」と、ピンクは下唇を噛み締めた。
「あの『幻影』に、三ヶ月もまんまと騙されてたのね。お陰さまで、色々といただいちゃったのね」
「アレを通じて持っていかれた情報なんて、たかが知れてるよ。でも、信じちゃってたところはあったね。それは認める。まさか、キミたちに、あんな技術があったなんて思わなかったからね」
「つまりは、私とアナタ、そんなに差が無いってことなのね。意地を張ってないで、私と仲良くやっていけば、色んなことが、きっとうまくいくと思うのね。そろそろ、そういう風に考えてみたら良いのね。どう?」
「それは断る」と、パンナは拒否した。
「キミと私の差が無いって? ウケる話だね。何でそういう結論に行き着くのか不思議だよ。私をボッコボコにする話は、どこ行ったの? 私としてはね、キミと敵対してる方が楽しい」
「何度も……」
ピンクは、ギリギリと歯軋りを立てながら、両肩を震わせた。
「何度も、恥をかかせてくれるのね。こちらが歩み寄ろうとしてるのに、それを容赦なく踏みにじって……どこまでも性格が悪いったら……おい、オトコ出すのね。それと、アレも」
ピンクが背後にいる男子に命令すると、背景となっていた黒い影の中から大きな黒い塊が前に押し出されてきた。
やがて、その塊は灯りの届く領域へと入り、太いロープでがんじがらめに縛られている犬飼武志の姿として現れた。
顔や首など肌が露出しているどの部分を見ても大したキズはついていない状態だが、彼は彫像のように身動きせず、固まったままでいた。
それよりも、パンナが驚きの表情を見せたのは、犬飼のすぐ横に立っている長身の女子に対してであった。
小さめの顔の割に大きめの瞳。
大き目の胸。
引き締まった腰。
長い脚。
いつも見慣れており、自分に接続しているはずのモノが、自分から離れた場所に見える違和感に見舞われた。
でも、改めて見直すと、微妙な違いが見えてきた。
顔の各パーツの形と位置。
筋肉のつき方。
骨格。
時間をかけて観察するほど、段々と自分とは別物であることがわかった。
「デキの悪い『幻影』だね」と、パンナは率直な感想を述べた。
「声は完璧」
パンナらしき『幻影』がぎこちなく唇を動かしながら、パンナらしい声を出した。
そばで、ピンクが腹話術のように口を動かしていた。
「どうだかね。そんな短い言葉でも、抑揚が私じゃないって、まるわかり」
「スマホ越しだと、違いがわからないみたいなのね。現に騙されたのが、そこに一人」と、ピンクは犬飼を指差した。
「これの役目は終わったから、アナタにどんな風にけなされようと、どうでも良いことなのね。それに、ウチの戦闘員がこれを欲しがってるみたいなのね。アナタへの恨みを、これで晴らしたいって気持ち、わからなくもないのね。というわけで、これ、もういらないから、好きにしていいよ」
ピンクのその声で、付近にいた黒い男子たちが一斉にパンナらしき『幻影』を取り囲み、襲いかかった。
ピンクの制御から解き放たれ、身動きしなくなった『幻影』は、男子たちの欲望のままに制服等は引き裂かれ、もみくちゃにされた。
「次は、リアルにアナタがこうなるのね」
「バカみたい」
パンナは、チッと舌を鳴らした。
ピンクは、パンナにさほどの精神的ダメージを与えられていない状況を認識し、またもや下唇を噛んだ。
「すでに、ね」と、パンナはピンクの口調を真似て、話し始めた。
「リアルに、こういう目に遭ったことがあるのね。今みたいに、むさ苦しい男子たちに良いようにされたのね。またかって感じなのね。しかも、こういう男子って、不潔にしてるのね。後から色んな病気にかかってね、そっちの処置の方が長引いたのね」
「そっちって?」
ピンクが首を傾げた。
パンナは、フッと苦笑した。
「全部、言わせたいわけね。その時に、中絶の経験もしたんだよ」
「……私は別に……そこまで聞く気は無かったのね……知らなかったし……」
ピンクは釈明し、男子たちに「もう、やめるのね」と指示した。
「優しいのね、桃ちゃん」
パンナでも、ピンクでもない、第三の女の声が場に入ってきた。
「だれ?」
予想外の闖入者に、パンナは身構えた。
前方を塞いでいた男子たちの影がざわめきながら、左右に分かれていった。
その中央を、白いタイプライターブラウスにデニムのショートボトム姿の女がパンナに近づいてきた。
「結局は」
ピンクが持っている小さな電灯が向けられ、女の整った顔立ちとアーモンド型の大きめの目がキラリと光った。
「桃ちゃんも、ショーちゃんも、アナタと仲良くしたいばかりなのよね」
「あなたは……」
パンナは、思わず後ずさりした。
「久しぶりね……梨菜ちゃん」
女は愛想よく笑った。
「仄香さん……」




