四十六
生徒会会議室前でミキミキと別れた直後に、今度は男子がパンナに近付いてきた。
どうやらパンナが空くのを、そばで待っていた様子。
黒い髪を真ん中で分け、襟足をキレイに刈り上げした細長い面持ちの男子で、パンナと目が合うと、「やあ」と声を掛けてきた。
「棚田先輩」と、パンナは男子の名を呼んだ。
「まだ帰られてなかったのですね」
「アナタが大変そうなんでね」
棚田は、キンと跳ね上がるような甲高い声を出した。
「何か用事を言いつけられるかもしれないと思って、会議室に残ってたんだよ」
「お気づかい、ありがとうございます」
パンナは前期生徒会長に向かって、ペコリと頭を下げた。
棚田は、受験シーズン真っただ中の三年生だが、会長の座の留任を狙って再選に挑み、パンナに大敗した経緯がある。
今は、パンナの要望により、生徒会運営の相談役を引き受けている。
「それと報告があるんだけどね」
棚田は、時おり声が甲高く跳ね上がる独特の軋み声を交えながら言った。
「犬飼クンが一人で出かけたよ」
「さっきレナから聴きました」と、パンナは答えた。
「珍しく、電話がかかってきてたんだ。てっきり、アナタが呼び出したと思ってたよ」
棚田の話を聞き、パンナはキュッと口元を引き締めた。
「アナタの指示以外では、彼は動かないだろうからね」
「そうですね……誰か私の声色を使ったかな」と、パンナは苦笑した。
「事態を重く見た方がいい」
棚田は深刻そうな表情をパンナに向けた。
「仮に、アナタの声色を使って、犬飼クンを呼び出しているとしたら、それはとんでもない事態なんじゃなかろうか。彼の場合、他の誰よりも、アナタのことに関しては、繊細な感覚を持っているだろうからね。それを騙せているとしたら……ね」
「確かに」と、パンナは頷いた。
「ご助言いただき、ありがとうございます。やはり、先輩は頼りになります」
「あと、さっき三木クンに用事を頼んでたね」と、棚田は言った。
パンナは、神妙な面持ちで棚田の話に耳を傾けた。
「こっそりと彼女の後を付けてみたんだ。こう見えても、尾行は得意でね。彼女はもちろん、それ以外の輩にも、おそらく気づかれていないと思うんだが」
「……それ以外の輩……」
パンナは力の抜けた声で、棚田の言葉をなぞった。
「そういうのがいたんですね」
「うん」と、棚田は頷いた。
「『南高』の男子が二名、三木クンを監視するように、後を付けていたんだ。ボクとの位置関係を説明すると、男子二名は三木クンとボクとの間ね。三木クンに対して、何か妙な動きをしたら、すぐにアナタに連絡しようと構えてたんだけど、結局は何もせずに、どこかに消えたよ。たぶん、三木クンの『能力』のことを知ってたのかもしれない」
「それはあると思います。『南高』の生徒を検挙する時に、何度かミキミキを連れて行ったことがあって、彼女の強さは認識されてるはずですから」
もし、非力なレナに行かせていたら……と想像し、パンナは胸を撫で下ろした。
「改めて」と、棚田は咳払いを交えながら話し始めた。
「アナタに忠告しますよ。絶対に油断してはダメです。アナタの力は、よく理解しています。でも、昨日の騒動みたいに、犬飼クンと二人だけで出ていくようなマネは、金輪際やめていただきたい。どれだけリスクの高い行動だったか、思い知らなくてはなりませんよ。相手はとてつもなく卑劣な手段を使ってきてもおかしくなかったのでは。そういう相手であることを、アナタは知っているはずなのでは」
パンナは、真顔で棚田の言葉に耳を傾けていた。
「アナタは、『北高』の希望なんですよ。油断なんかで失うわけにはいかないのです。これからは、もっと慎重に判断して下さい。ボクには、アナタのような力はありませんが、アナタより一年先輩であり、生徒会運営をしてきた経験から、気づいたことをアナタに伝えることができます。アナタも、そういうのを見こんで、ボクに声を掛けたんでしょう。ボクの役割を務めさせていただきますよ」
「棚田先輩……」
パンナの小さな顔の割に大きめの瞳に涙が浮かんでいた。
「ありがとうございます……改めて、先輩を相談役に選んで良かったと思います。先輩のおっしゃりたいことは、よくわかりました。これからは、決して油断しないように気をつけます」
棚田は、パンナの目を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「お説教体質なんでね、ボクも言い過ぎないように気をつけますよ。アナタを泣かすつもりはありませんでしたから……」
その時、パンナのスマホからメロディーが流れ出した。
電話着信用のメロディーである。
画面表示によると、犬飼からの着信であるが、寡黙な彼から連絡があったことは、これまでに、ただの一度もなかった。
棚田も、画面から発信元を確認すると、意外そうに目を細めた。
「はい。もしもし」と、パンナが応じた。
《矢吹さん……》
犬飼とは似ても似つかぬ女子の声がパンナを呼んだ。
「キミか」と、パンナは聞き覚えのある声の主に対し、親しげに話しかけた。
「久しぶりだね。まさか、こんな繋がりで、キミと話ができるとはね。予想外だよ」
「誰ですか?」と、棚田がパンナに小声で尋ねた。
パンナは、通話中の相手にきこえないように、棚田の耳元に向かって「蛭沢桃」と囁いた。
「犬飼クンのスマホを、なぜキミが使ってるのかな?」
パンナは親し気な調子で話しながらも、上唇を右から左へと舐めた。
《想像してみると良いのね》
相手はクールに応じた。
《犬飼武志のスマホを使われてるって状況がね、何を意味してるのかって》
「そりゃあ、単純に考えれば……」
パンナは、さほど動揺していない調子で返した。
「何らかの方法で犬飼クンを締め上げて、スマホを取り上げるのに成功していると考えるよね」
《よくできたね、と褒めてほしいのね》
ピンクのケラケラ笑う声が聞こえた。
「確かに……あの岩石男をどうやって仕留めたのか知りたいね。キミたちの中に、そんなことができる人がいるとは、まったく思っていなかったからね」
《力関係ってね、いつまでも同じじゃないと思うのね。これまで、やられてばかりいた方だって、何らかのきっかけで力を得て、やる方に変わるってこともあるのね》
「キミの稚拙な説法に、興味は無いね」と、パンナは相手の言葉を遮った。
「で、私にどうしろと?」
《犬飼武志をこちらで預かってるのね。それで、わかると思うのだけどね》
ピンクは幾分か蔑んだように、声の調子を落とした。
「その内、犬飼クンが目を覚まして、自分で問題解決するよ。私がそちらに行く必要は無いね」
《彼、本当に死ぬのね》
「やれば」と、パンナは全く応じようとしなかった。
「キミたちが練り出す『光弾』では、カスリ傷程度だろうね。犬飼クンは、とにかくカタいからね」
《大人しくさせる技術はあるのね。そちらが応じないなら、いつまでも、こちらで拉致を続けるのね。困るのは、そっちだと思うのね》
「セフレが一人減るだけだよ……」と、パンナはボソッと呟いた。
隣にいる棚田が、それを聞いて、思わず吹き出した。
《強がりだってことは、丸わかりなのね。とにかく、こちらの言うことを聞くしかないと思うのね》
「わかったわかった!」
パンナは、自棄気味に声を張り上げた。
「犬飼クンを引き取りに行きます。一人で行けば良いんだね。で、時間と場所を教えて」
《今夜七時。人道公園》
「非人道的なくせに、よくそんな場所を選べるね」
《楽しみに待ってるのね》
「あっと、そういえばキミに伝えたいことがあったんだ」
パンナは、電話を切ろうとするピンクを引き止めた。
《何なのね?》
「岡田美夕の件」
《……》
「私が処分しておいたから」
電話はプツリと切れた。
パンナは、静かになったスマホをブレザーのポケットにしまい、棚田の方を見た。
棚田は、パンナの視線をしっかりと受け止め、パンナが話し始めるのをじっと待っていた。
「先輩……そばで聞いててくれたから、状況はわかりますよね」
「まあね」と、棚田は答えた。
「やはり、先輩が心配されたとおりの事態になりました」
「うん」と、棚田は頷いた。
「犬飼クンを助けに行きます」
「場所はどこですか?」
「人道公園です」
「一人で行くつもりですか?」
「いいえ」
「でも、アナタは電話で一人で行くと言ってましたよ」
「私が勝手に切り出した条件です。ピンクは、それに対して、そうしろとは指示していません」
棚田はニッコリと笑った。
「冷静ですね。そのしたたかさが大事です」
「作戦が必要ですね」
「その前に、相手の状況を推測してみましょう。今まで歯が立たなかった相手に対して、急に強気に出てきたのには、何か理由があるに違いありません。どんな理由が考えられますか?」
「誰か、ピンクに入れ知恵をしている人物がいる可能性があります」
「もはや、可能性ではありませんよ。確実に、その人物がいます」
「それが誰かですね」
「想像できますか?」
パンナは、そこで推理を試みた。
「わかっているのは」と、棚田がパンナの推理を支援するよう語りかけた。
「相手は、強靭な犬飼クンの動きを封じることができる手段を知っていることと、その手段を具現化し、部下たちに展開できる力があるということ。そして、もう一つ、アナタ以外の声に耳を貸さない超シャイな犬飼クンを騙して、呼び出すことに成功している、という事実があることですね」
「おそらく……」と、パンナは言った。
「何か、思い当たることがありますか?」
「先輩に説明していただいた要件を、全てクリアできるヒトを想像してみました」
「思い当たるヒトがいるんですね」
「います。でも、もしそうだとしたら、私の手に負えないかもしれません」
「ふむ。そうですか。それ相当の人物が加勢しているのでしょうからね。そういえば岡田美夕のことを話していましたね」
「はい。ピンクが悔しがるだろうと思って」
「アナタもヒトが悪いですね。でも、そのやり取りのおかげで、ちょっと良いことを思いつきましたよ」
「良いことですか?」
「大至急、水野警視監と連絡をとっていただけますか」
「警視監ですか。大掛かりな話になりそうですね」
「アナタを守るための準備ですよ。急がなくてはなりません。それに、犬飼クンが誘拐され、アナタが手に負えないかもしれないなどと言ってるような状況は、これは一大事ですよ。警察本部も巻き込んで、しっかりと問題解決させるべきレベルの案件です。さっきも言いましたが、アナタは問題を一人で抱えてはいけません」
「わかりました」
パンナは、もう一度、スマホを取り出して、電話を掛けた。
「水野さん? 久しぶりです。ちょっと困ったことになって、それで相談したいことがあるんですが……いえ、お願いしたい内容は棚田先輩の方から……そうです。ヨーデル棚田先輩……今、代わります」
パンナは、棚田にスマホを手渡した。
棚田はスマホを手にするなり、「ヨロレイヒー」と、声を捻り出した。
「スミマセン。ボクが矢吹クンに頼んで、電話していただきました……元気ですよ……成瀬クンの暴走で、皆さんには、大変なご迷惑をおかけしましたからね……いや、彼のせいで、いろいろ狂わされたなんて思ってませんよ……任命した責任は、ボクにありますから……ボクは償わなくてはなりません……矢吹クンには、その機会を与えていただきました……ボクは全力で彼女を支援しますよ……元々、ボクと彼女の向かう方向は同じだったのですから……ありがとうございます……ああ、そうでしたね……助けてほしいんです……時間がありません。ちょっと厄介な人が関わってるみたいで……矢吹さんが手に負えないかもしれない、なんて言ってるくらいなんで、相当なヒトなんでしょう……ボクは知りませんよ……むしろ、警視監の方がご存知なんじゃないですか……え、警視監って呼ぶなって……前は名前で呼ぶなって言ってたじゃないですか……それは矢吹クンのことでしたっけ……まぁ、この際、そんなことは……いや、急いでる話があるんですよ……警察官を総動員させてほしいですね……いや、それぐらいの一大事ですって……甘くみると、イタい目を見ますよ」
棚田は、強い口調で、相手にこう伝えた。
「アナタも大切にしている、矢吹パンナを失ってしまうかもしれないのです」




