四十三
《どうされますか?》
「どうもこうもない。生徒会長を追い返すわけにはいかないだろう。すぐに通して」
《承知しました》
森脇は、部屋の隅に置いてある空気清浄機をソファのそばまで引きずり、スイッチを入れた。
カラカラと乾いた音が響き始めた。
部屋のドアが静かに開き、パンナが部屋に入ってきた。
二メートル弱の低めの天井に、百八十一センチの長身は、かなり窮屈な印象を感じさせた。
「割とキレイにしてるね」
パンナは、狭いながらも背筋を伸ばし、燈台のように首を動かして、部室を見渡した。
「どうぞ」と、森脇はソファを勧めた。
「ありがとう」
パンナは、遠慮なく腰を落とした。
柔らかめのソファは、彼女の体重で深めに沈み、膝の方が上がってしまうが、パンナは抵抗せずに背もたれに体重を預け、仰け反るような姿勢になった。
森脇は、その向かいに着席した。
「活動報告書、出してくれてたね。どうも、ありがとう」
「いえいえ」
「来年の予算計画も見たけど」
パンナは、自分の横でカラカラ音を立てている空気清浄機をチラリと見た。
「鉄道模型って、結構高いモノだと思うんだけど、その割に淡白な感じがしたね」
「高いのは車両購入費ですよ。ウチでは、車両は各自持ち寄りで、ジオラマ製作の場だけを提供することにしてるんです。お金がかかるのは、その製作に関わる費用だけなんで、あれぐらいの予算で十分ですよ」
「I市駅周辺の模型が入口に置いてあったね。すごく、よくできてたよ」
「部員に伝えておきますよ。矢吹さんに褒められたって言ったら、喜びます」
「車両は、自分で持ち寄りって……みんなお金持ちなんだね」
「自分の世界を持ってる人間ばかりですからね。家でもジオラマ作ったりしてる部員もいますよ」
「この音が、ちょっと気になるね」
パンナがすぐそばの空気清浄機を指差した。
「調子が悪くて、やかましいから切りたいところですけど、ちょっと薬品使ってたんで、臭いがこもるから動かしてるんです。音はするけど、機能してますから」
「ところで」
パンナは仰け反っていた姿勢を起こし、森脇に顔を近づけた。
森脇は、緊張気味に肩を引き締めた。
「昨日の騒ぎのことなんだけど」
「昨日の騒ぎ?」
「丸野英治が主導で、『南校』の大勢の不良たちを校内に送り込んできた騒動だよ」
「誰それ?」
「丸野は、ある女子を狙って、この騒動を起こしてるんだ」
「女子って誰の話?」
白を切る森脇に構わず、パンナは自分の話を突き進めた。
「二年B組の生徒らしいんだけど」
「へええ」
「何がどうなったのか、現在、丸野は行方不明。両親から捜索願が出てるよ。標的となった女子も、誰だかわからずじまい」
「何だか知らないけど、大変ですね」
「私は、黒幕はオカダイだと思って、彼のマンションを目指したんだ」
「ふむふむ」
「マンションまで行き着いたところで、事件の行方を完全に見失ったね」
「それが、ボクと何の関係があるの?」
パンナの大きな目が少しだけつり上がった。
「キミは知ってるよね?」
「どうして?」と、森脇は、空々しく首を傾げた。
「丸野が事を起こす前に、ここを訪ねてる。目撃者が何人かいるんだよ」
「ああ、思い出しました」と、森脇は頷いた。
「来ましたよ、確かに。写真を撮ってほしいと頼まれました」
「誰の?」
「えっと、誰だったかな?」
森脇は目を閉じて、思案に耽るような仕草をした。
「わざとらしいな。女子に関して記録力の良いキミが、ど忘れするなんて不自然だよ」と、パンナが指摘した。
「それがですね、丸野クンは依頼をしていかなかったんです」
「依頼の有無は関係ないよ。キミが撮影を頼まれた女子を知っているか、知らないかを聞いてるんだ」
「えっと……誰だったかな」
森脇は、頭の後ろを掻き、空気清浄機の働きを気にするようにチラチラと見た。
「やはり思い出せないな」
「スマホ」と、パンナは手の平を森脇に差し向けた。
「今すぐ、ここに出して」
「プライバシーの侵害ですよ」と、森脇は拒んだ。
「書類が必要なら、すぐにでも取り寄せるよ。捜査令状でも、逮捕状でもね」
「た……逮捕状。穏やかじゃないなぁ」
「穏やかでいられる事態じゃないんだ。さぁ、早く出して」
「ボクが、どんな理由で逮捕されるというのかな?」
「『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律』に抵触する違法行為」
パンナがそう言うと、森脇は唇を震わせた。
「私が、何も知らないと思ってるのかな?」
「いや、その……どうして、そんな話が出てくるのか、よくわからないな」
「別にわからなくたっていいよ」と、パンナはすげなく言った。
「カッチリした物的証拠が掴めてるわけじゃないからね。でも、私は知ってるよ。キミは公に宣伝しないタイプで、『クチコミ』による伝達力を利用してる。まぁ、こんなヤバイ話を公に宣伝するようなバカはいないだろうけど。でも、もし私がキミの立場だったら、もう少し『クチコミ』を調整することを考えるね。なぜなら、『クチコミ』は放置しておくと、知られたくない相手にまで知られてしまうリスクを常に抱えているモノだからね」
森脇は、口を噤んだまま、相槌も打たず、パンナの出方を見守っていた。
「でも、今の私は、キミよりも興味があることが他にあってね。そのことで、キミに相談に来たんだ。ぜひとも、協力してほしいんだけど」
「わかりましたよ。ボクでできることなら」と、森脇は苦笑した。
「じゃ、スマホ」
パンナは、差し向けた手の平を、さらに森脇に突き出した。
森脇は、しぶしぶ自分のスマホをパンナの手にのせた。
「もういいよ」と、すぐさまパンナは言った。
「え?」
「確認が終わったから、もういいよって言ったんだよ。これには私の欲しい情報が入っていないことがわかったからね」
森脇は、チンプンカンプンなまま、スマホを取り戻した。
「次は、それを見せて」と、パンナは、森脇が抱えるノートPCを指差した。森脇は、反射的にPCを持つ手に力をこめた。
「こいつの中身を見るのは時間がかかりますよ」
「ちょっと触らせてもらうだけでいいんだ」
森脇は、PCのディスプレイ部を開いたまま、画面をパンナの方に向けようとした。
「そのまま、じっとしてて」
パンナの掛け声で、森脇の動作が停止した。
「プリンタはあるよね」
森脇は、部屋の隅のカラーボックスの上に置いてあるインクジェットプリンタを指差した。
パンナは、右手五本の指先をディスプレイ部の背面に当て、数秒間、じっとそのままの姿勢を保った。
「もう、いいよ」というパンナの言葉に、森脇は拍子抜けした。
「たった、それだけで良いんですか?」
パンナは何も答えず、ゆっくりと立ち上がり、インクジェットプリンタの前へと移動した。
「ちょっと、これを借りるよ」
森脇の了解を得る前に、パンナはプリンタの電源を入れ、プリンタ本体を抱えるように両手で押さえた。
間もなくして、プリンタが作動し、印刷を始めた。
森脇は、目を丸くして、その様子を大人しく眺めていた。
全部で十一枚の印刷が終わると、パンナは刷り上ったモノを整理し、それを確認しようともせずに、つかつかと出入口に向かった。
「ジャマしたね。ご協力、どうもありがとう」
振り向きざまに、パンナは言った。
「もう、お帰りですか?」
「ここで手に入れられるモノは、もう無いからね。その機械のスイッチ切っても良いよ」
「え?」
パンナは、空気清浄機を指差して言うと、ドアから外へ出て行った。
それに併せるように、ドアとは反対側に位置する窓がスルスルと開き、外で待ち構えていたオカショーが器用に部室に入ってきた。
「帰りましたか」
オカショーは乱れた制服を整えながら言った。
森脇は、ブラシを持ってきて、オカショーの手助けをした。
「PCの情報を持っていかれたよ。大丈夫かな」と、森脇が言った。
「遅かれ早かれ、矢吹さんには気づかれますよ。ここに来ることも予想していましたし、つまり、仕方のない展開です」
「ボクとショーちゃんの関係も知られたかな?」
「おそらくね」と、オカショーは空気清浄機に目を向けた。
「この『情報削除機』の機能について、あのヒトは気づいたようです。つまり、私の差し金であると理解したでしょう。これも、仕方のない展開です。つまり、この機械を置かなければ、私がここにいるという情報の削除ができませんからね。つまり、あのヒトに気づかれないように隠れることができないのです」
「できれば、彼女がここに来ること自体を阻止できたら良かったのに」
オカショーは、ハッハッと快活に笑った。
「女子好きのキョーちゃんでも、苦手があるんですね」
「A評価の美人には違わないけど、ここに入れるにはリスクが大き過ぎるよ」
「肝心なのは、どこまでの情報提供を許容するかですよ。つまり、知られたところで、影響の無いラインを把握しておくことです」
「ボクのPCには、南北校の大半の女子の情報が記録されてるんだ。結構重いと思うんだけど……」
森脇は、不服そうに言った。
「あのヒトは、キョーちゃんの全ての情報を持っていったわけではないですよ。つまり、それの証拠に印刷していったじゃないですか。つまり、あのヒトの記録能力は、大量の情報を長く保存できる構造じゃないってことを語っていったようなモノです」
「どれくらいの情報を持っていったんだろう」
「あのヒトは十一枚印刷しました」
オカショーは、窓から急ぎ足で帰っていくパンナの後姿を、視線で追いながら言った。
「もう少し時間が稼げそうです」
「それで、見つかったのかな? その……なんて名だったっけ?」
森脇が唸るのを見て、オカショーは人差し指を彼のこめかみに当てった。
「西藤有利香に関わる情報を消したままでしたね。今、戻しました。念のための処置です。つまり、キョーちゃんが不意に彼女の名を思い浮かべたりしないように」
「ありがとう」
森脇は、掻き回された頭の中を整理するかのように、首を回す運動をした。
「西藤さんは、我々が隠す以外に、自ら自分が関わった情報の消去を施してましたからね。つまり、かえって好都合です」
「その西藤有利香は、捕獲できたのかな?」と、森脇は尋ねた。オカショーは、ゆっくりと首を横に振った。
「堂々と登校してきて、大したヒトですよ。ずっと見張りを付けて、確実に追いかけたはずなのに見失いました。巧みに死角に溶け込んで、忽然と消え失せてしまうんです。『予測』が使える『権限者』を相手にするのが、これほど厄介とは。つまり、丸野クンの苦労が、今になってよくわかります」
「それで、これからどうするのかな。西藤有利香の元に矢吹嬢がたどり着くのは、時間の問題だと思うんだけど」
「次は、矢吹さんをどうするかが課題です」
オカショーの目がキラリと光った。
「もう、次の手は考えてあります」
その時、パンナは校舎に入る直前だったが、鉄道模型部室の方を振り返った。
すでに小さく映っている彼女の姿だが、不満と軽蔑の入り混じった眼差しを、こちらに向けているのがよくわかった。
オカショーは、窓越しにその眼差しを受け止め、ニッコリと笑った。
「気づかれたかな?」と、森脇が不安そうに言った。
「無理ですよ」と、オカショーははっきり答えた。
「偶然、こちらを見ただけです。つまり、いくらあのヒトでも、全てを一度に知ることはできません」
オカショーは、パンナが腰を下ろしていたソファに、彼女が座ったのとほぼ同じ位置に、彼女がやっていたのと同じ仰け反るような姿勢で座った。
花のような彼女の残り香が、心地よくオカショーの鼻をくすぐった。




