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マジック・アイ  作者: 守山みかん


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38/89

三十八

拍手が鳴り止んだところを見計らって、進行役が矢吹パンナの演説開始を指示した。

「はい」

快活に返事をしたパンナが立ち上がり、ゆっくりした動作で、マイクの前に近づいていった。

とたんに、場内に女子たちの声が響いた。

「矢吹、がんばれ!」

「先輩!」

棚田のサクラを除いた、ほとんどの生徒による幾重にも織り成す歓声と拍手が、次第にある種の調和(ハーモニー)を生み出し、均整の取れた強弱を醸し出していった。

成瀬は、思わず固唾を飲んだ。

(この調和の素晴らしさといったら、どうだ)

(まるで聖歌隊のコーラスのようだ)

(口裏を合わせるだけでは、これだけの調和は生み出せない)

(練習を積み重ねた、という(たぐい)でもない)

(歓声を上げている全員に、矢吹パンナという一人の女子を想う共通意識が育っているということだ)

(これは、紛れもなく、カリスマ性が生み出す調和だ)

(矢吹パンナには、すでにカリスマ性が備わっている)

成瀬は拳を握り締め、パンナを睨んだ。

パンナは、成瀬の鋭い視線を、事も無げに受け流した。

マイクは棚田の身長に合わせてあり、それは彼女の胸元あたりの高さしかなかった。

パンナは、自分でマイクの高さを調整した。

「でけぇ女」

小声で話す男子の声がパンナの耳に入った。

パンナは、その男子に向けて、柔和な微笑みを投げかけた。

群衆に包まれた状況で、小声で囁いた言葉など聞こえるはずがない、と思い込んでいた男子は面食らい、さらには四方八方から敵意を持った視線の集中放火を浴びる結果となった。

「本来なら」

パンナの声がスピーカーから鳴り出した瞬間から、場内が一斉に静まり返った。

「まずは、推薦者の発言から始まるのですが、そこに座っている犬飼クンは」

パンナは、大きな男が座っている席の方に、右手を差し伸べた。

犬飼と紹介された(ぶっ)(ちょう)(づら)の男子は、紹介を受けても、まるで反応を見せなかった。

爪の先でも摘まめないほど短く刈り込まれた髪に、太い眉。岩石の奥にめり込んだ砲丸のような眼。

堀の深い眉間に、一際高い鷲鼻。

横一文字に、頑なに結ばれた薄い唇。

武骨な雰囲気を漂わす彼に対して、目を合わせようとする者は無く、注目は必然的にパンナに戻された。

「彼は、ご覧のとおり、無口な人でして、私から無理を言って、壇上に上がってもらったんです」

(茶番だな)

成瀬は舌を鳴らした。

「時間が限られていますので、簡単に犬飼クンのことを話します。私にとって、犬飼クンは、とても信頼できるパートナーです。犬飼クンは、私と同じく水泳部で、男子側の部長を務めています。同じ部だから仲が良い、という程度ではなく、友人関係を越えた信頼関係にあります。それが、いかなる深さのモノかをお話したいところですが、割愛します。今、この場で、私が話すべきことは、まず私がどういう人間なのかということと、会長職に就いて何をするのか、という二点です。まず、皆さんに、あるモノをお見せします。多くの人は、それをいかがわしいモノと思い、目を背くでしょう。でも、これは私自身であり、私を他の何者にも置換えることができないと証明するモノでもあるのです」

パンナは、マイクから離れ、壇上の先端ギリギリの位置に移動すると、着ていたブレザーを脱いで二つに折り、足元に静かに置いた。

続いて、首にかかっていた赤と紺の斜めストライプのスカーフを外した。

場内が、ざわめき始めた。

(何をする気だ?)

成瀬は、眉をしかめた。

パンナの右手が白いブラウスの一番上のボタンにかかり、器用に一つを外した。

ざわめきが大きくなった。

二つ目、三つ目と外すにつれ、場内はますます落ち着きを無くしていった。

全部のボタンを外すと、パンナは勢いよくブラウスの前をはだけた。

わぁ、と声が上がった。

根回しができているのか、教員は誰一人乱すことなく、パンナの行為を静観していた。

パンナは、水着を着ていた。

紺地に、右肩から真下にサックス色の帯が走っているデザインで、地味な印象だが、競泳用ではなかった。

続いてスカートも脱ぎ、すでに脱いだブレザーなどと一緒に重ねて置き、大きめのバストを隠すように、両手を胸の前で組んだ。

下品に口笛を吹く者もいた。

パンナは、腕を組んだ姿勢で、ゆっくりと後ろを向いた。

水着は、背中がお尻のすぐ上まで開いているデザインで、露出した背中には、面積一杯に配置された十字架と、それに巻き付く赤い薔薇(ばら)の彫り(タトゥー)(あらわ)になった。

ドォッと、講堂を揺さぶるような声が上がった。

成瀬も、棚田も、息を飲み、目の前に衝撃的に現れた彫り物を、ただただ凝視していた。

さらに、パンナは横を向き、左上腕に彫り込まれた十字架をも披露した。

十数秒間、気を付けの姿勢で静止した後、パンナは脱いだ制服に手を伸ばし、素早く着始めた。

ブレザーのボタンを上まで留めると、再びマイクの前に立った。

「これについてのご感想がありましたなら、後ほど、お聞かせいただければと思います。今は、これについて私の方から説明させて下さい。矢吹パンナという私の名を初めて耳にした人の多くは、驚いた様子を見せるか、プッと吹き出すかの、どちらかの反応を見せます。両親が可愛らしい印象という理由で、付けてくれた名前ですが、そのために、私はずいぶんと凄惨な少女時代を送りました。それは、イジメでした。幼年期の私は、ヒョロヒョロと背が高く、ガリガリに痩せていて、まるでマッチ棒のような風貌でした。器量が悪い上に、無口で愛嬌が無くて、内向的で、そしてこのヘンテコな名前でしたから、きっとそれがイジメの対象にされた原因だと思います」

「先輩!」

女子の数名が声を揃えた。

パンナは、ニコッと笑顔を返した。

女子たちのはしゃぐ声が響いた。

「イジメというモノは、自分できっかけを掴まない限り、止まらないモノなんですね。高学年になると、イジメの形態が変わり、皆が一斉に無視をするようになりました。誰にも相手にされないツラさというものは、経験した者にしか理解できないと思います。修学旅行で相部屋になった子や、フォークダンスの相手の子には、露骨にイヤそうな顔をされました。耐えきれなくなって、先生に相談も試みました。その直後は多少の改善はあっても、結局は元に戻ってしまいます。それどころか、先生に告げ口したとののしられたり、事態は悪化するばかりでした。もちろん、両親にも相談しましたが、両親はパンナなら大丈夫だよ、とか、自分で解決しなくてはならないよ、とか言われて、受けあってくれません。中学生になっても、イジメは続きました。校区が同じだったので、基本的にメンバーも同じだったんです。私の心は、すっかり荒んでいました。誰でもいいから、友だちになってほしい。話を聞いてほしい。そんな想いが屈折して、私はネットのコミュニティサイトを利用するようになりました。当時、痩せぎすだった私に、性的な魅力があったのかどうかはわかりませんが、年の離れた男性たちには優しくしていただきました。少なくとも、学校よりは自分の話を聞いてくれる人たちがいたのです。()り所を求めていた私は、どんどん深みにはまっていきました。今、お見せした彫り物は、この頃に知り合った男性に付いていって、勧められるままに描いてもらいました。デザインは、その男性の好みに合わせました。とにかく、私の話を聞いてくれる人を求め、その代わりに私に提供できるものなら、何だって捧げました。妊娠中絶をした経験もあります。そんな風に荒れていた時、私はある人と出会いました。サイトで出会った人ではありません。真夜中に出歩いているところを、ある警察関係の人に見つかったのです。つまり、補導されたのです。中学二年生も終わりに近づいていた頃でした。その人は本署勤務の刑事さんで、その夜は非番で、背が高かった私は、その当時で百七十三センチありましたが、ずいぶんと目立ったらしく、またすぐに未成年と見抜いたそうです。警察と知って、私はすくみ上がりましたが、非番だったためか、刑事さんは両親や学校へ伝えることはしませんでした。刑事さんは、深夜営業しているレストランに私を連れて入り、私の身の上のことについて尋ねました。私は、正直に全て話しました。名前のことも、イジメに遭っていたことも、何もかも話しました。話を聞いてもらうことに飢えていた私は、次から次へと湧き出てくる言葉を、刑事さんにぶつけていたのです。刑事さんは、少しも退屈な様子を見せず、真剣に私の話を聞いてくれました。話し終えた時、私は刑事さんに泣きついていました。自分の両親にも甘えなかった私が、初めて人に甘えた瞬間でした。刑事さんは私の肩を優しくたたき、話したかったことは全部話せたかいと、言ってくれました。私は、涙まみれの顔で頷きました。刑事さんはニッコリ笑って、コップに水を一杯注いでくれました。氷が浮かんでいて、よく冷えていました。私は、一気に飲み干しました。しゃべり疲れたノドに、冷えた水がとても気持ち良く、あの水の味は今も忘れていません。その後にも、私はその刑事さんと何度か会い、お話ししました。私は、刑事さんとの出会いを通して、優しさというモノの本質を知りました。そして、何度か流した涙から、強さと勇気を得ることができました。今の私は、こういった経験が背景にあり、私に対して優しくしてくれた人がいたからこそ、あるのだと思っています。さて、こんな私ですが、生徒会長になって、何をするつもりなのか。今度は、この点についてお話します」

パンナの声が、はきはきと活気づき、それまで静聴していた場内が、にわかにざわめき始めた。

「棚田会長の話にもありましたが、今の我が校に必要な政策は、やはり平和の維持にあると思います。やっと、築きあげた平和を、今後は如何にして守っていくか。それを棚田会長ができることは、会場の皆さんもご承知のとおりです。はたして、私にそれと同等のことができるのか。この点が、問われていることだと認識しています。棚田さんには棚田さん流のやり方があり、私には私流の考えがあります。そして、私に要求されることは、棚田さんがやってきたこと以上のことである、と考えております。揚げ足を取るつもりはありませんが、棚田さんが先ほど示された内容は、現行制度の継続であり、現状を維持することであると言われました。本当に、現行制度を継続することで、現状を維持できるのでしょうか。『継続は力なり』という言葉もありますが、ここで言う継続というのは、『今まで行なってきたことを続ける』という意味合いではなく、『目的を固持し、それに向かって適切な取り組みを行なう』、これこそが継続に相当するものではないでしょうか。そこで、私が考えている取り組みとは何かと言うと、『警察機能』を学校に取り入れることです」

ドンと、鼓膜を刺激するように、ざわめきが膨らんだ。

パンナは口を噤み、ざわめきの沈静を辛抱強く待ち続けた。

教員たちが、ざわめきを沈めようと、身振り手振りで生徒たちに注意を促した。

ざわめきは、少しずつ落ち着きを取り戻していった。

棚田と成瀬は息を飲み、パンナの次の言葉を待っていた。

「学校という組織は、年に一度、『進級』という避けることのできない大きな組織変更が起きます。つまり、『進級』によって、それまで働いていた組織内の関与(コミットメント)相乗作用(シナジー)に大きな影響を与えることになるのです。均衡が改められ、それまで安定して機能していたものが不安定になり、予測不可能な組織体制を余儀なくされる事態、それが『進級』が起こす脅威(リスク)です。この毎年発生する大きな変革に対応できる治安維持とは何か? それは、わずか三年で組織を去ってしまう個人の能力によるものではなく、制度として存続できるものでなくてはなりません。では、『警察機能』とは何なのか? 簡単に言えば、犯罪の予防、被疑者の逮捕を執行する権限を持つ委員会を設置することです。決して、警察のママゴトをしようと言うわけではありません」

パンナは、ブレザーの内ポケットからチョコレート色の四角いモノを取り出し、民衆の前で掲げて見せた。

二つ折りにされていたソレからは、内側から金色に輝く紋章と、警官の制服を着用したパンナの写真が現れた。

最前列に座っていた男子生徒が、「おおっ!」と声を上げた。

「警察手帳だ」

「本物か?」

パンナは、注視されている手帳を、民衆が満足するまで、じっと掲げた。

場内が静まると、パンナは警察手帳を閉じ、元のポケットに収めた。

「皆さん、これが何かを、もうおわかりのようですね。警察手帳です。もちろん本物です。なぜ、私がこれを持っているのか、疑問に思われる方々も多いでしょう。これは、ある方の配慮により取得できました。そして、同じモノを、こちらの犬飼クンも所持しています」

パンナは犬飼の方を手招きするが、それに導かれて犬飼の方へ視線を移した者は少人数だった。

彼の(こわ)(おもて)は、万人には、なかなか視界に取り入れ難いモノであるようだ。

「私が、この『権限』を得た理由は、学校内の治安を維持するためで、その目的は、公安委員会に相当する組織を設置することです。でも、この委員会という名称はカタイ感じがするので、もっと親しみのある名称を考えました。名づけて『生徒会警察』です」

ドッと笑い声が起きた。

はたして、その名称が受け入れられたのかどうかは、この段階では判断できない。

もはや、声が静まる見込みは感じられそうに無いので、パンナは被せるように、マイクに向かって地声の音量を上げた。

「私が『生徒会警察』を発足し、進めていきたいのは、公安維持のための執行力を持つ組織を校内に配置すること以外に、制度の継続のための教育制度を設けることです。つまり、本物の警察官の存在が、校内犯罪の抑止力となるよう、その『権限』の継承を行なっていくということです」

今度は、逆に場内が静まり返った。

パンナの力の入り方に、もしや彼女が怒っているのではないかという印象を感じ取れ、場内に緊張感が漂ったのだった。

パンナは、柔和な笑顔を向け、今抱いている感情が怒りではないことを知らせようと試みた。

その効果は上々で、にわかに場内の緊張感が解けていった。

「具体的な実施計画は、私が当選できたときに公示いたします。長くなってしまいましたが、私の話は、これで終わりです。こんな汚れた経歴のある私が、生徒会長選挙に立候補することなど、おこがましいことなのかもしれません。あとは、皆さんの判断にお任せします」

パンナは、マイクから一歩後退り、ペコリとお辞儀をして、犬飼の待つ席に戻った。

フンと、成瀬は鼻を鳴らすした。

(泣き落とし戦法か……古いやり方だ)

(ボクらは、泣きではなく、笑いで勝負してる)

(やり方としては、ボクらの方が新しいし、明るいやり方だ)

(同情だけでは、票は集められない)

(実績と信頼だ)

(作戦も十分練った)

()は、ボクらの方にある)

成瀬は自分に言い聞かせるようにそう考え、盛んに両手を擦り合わせた。

だが、後に、彼は衝撃的な開票結果を知ることとなった。


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