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マジック・アイ  作者: 守山みかん


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37/89

三十七

(なる)()(こう)()は、もう一度上着のポケットにしまってあった原稿を取り出し、広げてみた。

用心深い性格で、これで四度目だった。

生徒会長の継続立候補は、前例が少ない。

受験勉強を考慮し、歴代のほとんどが任期一年の単発就任者であった。

成瀬は、校長の『開会のことば』を聞き流しながら、自分の背後の壇上に着席している(たな)()(とよ)(くに)(ひこ)の表情を見てやろうと振り返った。

棚田は、神妙な面持ちで校長の方を見ていたが、成瀬の視線に気づき、ニッと白い歯を見せた。

成瀬も笑顔を返し、棚田の膝を叩いた。

続いて、成瀬は対抗する、もう一人の立候補者に視線を向けた。

大きめの女子が、背筋をまっすぐに伸ばし、軽く握られた両方の拳を丁寧に膝の上にのせ、じっと校長の話に耳を傾けていた。

小さめの顔の割に大きく占有している瞳が、天井からの照明を受け、磨かれた(くろ)()(のう)のようにピカピカ光っていた。

かなりの美形だ。

それに高い身長。

座高から推測して、身長百七十一センチある自分より、ずいぶんと高い。

何にしても、美形というのは大きな武器だ。

それだけで、効果的なパフォーマンスに繋げられる。

我々にとっては、大きな脅威となるだろう。

成瀬は、暗記する勢いで何度も読み返した調査資料を頭の中で広げてみた。

立候補者である女子の名は矢吹パンナ。

片仮名で『パンナ』とは、変てこな名前だ。

両親が大のパンナコッタ好きで命名したのかどうかはわからないが、その珍名のおかげで、小学生の時には、相当なイジメに遭ったらしい。

中学になってもイジメはエスカレートし、不登校になった時期もあり、自棄になった彼女はいろんな問題を起こし、警察沙汰にもなったそうだ。

売春とか、援助交際とか、暴力団との付き合いなど、落ちるところまで落ちた時期があった、と噂で聞いた。

そんな彼女が何をきっかけにしたのか、中学二年生の時に突如として復帰して、いきなり全校一斉学力テストで上位に入ってから、急にイジメが無くなったそうだ。

その後に、世間一般では名門とうたわれている我が校に首席入学し、水泳で活躍の見せ場を作った。

県総体を個人種目で総合優勝。

インターハイでは四位に入る健闘を見せ、今は女子水泳部の部長を務め、魅力的な容姿も相乗効果となって、アイドル的な存在になった。

特に、下級生女子の支持が大きい。

この点が重要だ。

我が校の女子の比率は四割弱だが、その中で一、二年生の占める割合は六割程度で、そのほとんどが彼女の支持者と言っても良い。

また、彼女の推薦者とされている犬飼武志は、男子側の水泳部部長である。

彼は、国体出場経験者だ。

二人の『カリスマ』が影響して、我が校は水泳部員が多い。

男子水泳部員も、ほぼ全員が彼女の側だろう。

すると、全生徒の三割五分程度の票が、あちら側に入る計算になる。

反面、こちらの支持は、昨年からの安定支持派と、棚田が部長を務める吹奏楽部の部員全員を見込んだとして、四割近い支持数になる。

まだ我らが優勢だが、残り三割弱の無党派及び無関心族どもの動きしだいで、どちらにでも転ぶ可能性がある。

そんな彼らから、いかにして票を得るかが勝負の決めどころだ。

ポリシーの薄い無関心族を相手に、どんなに旨味のある選挙公約を並べたところで、何の効果もありはしない。

人の話を聞かないのだから、力を入れるだけ無駄な話だ。

こういった連中の気を引くには、何か派手な演出を仕掛けるのが一番だ。

昨年は、棚田にヨーデルを歌わせてやった。

棚田はイヤがったが、演説の合間に高い声を入れながら話す様が民衆にウケているのを見て、自分から率先してやるようになった。

演説内容は、校内風紀の改善を中心に盛り込んだ内容だった。

『北高』は、学力水準の高い名門校として名が通っているが、治安はお世辞にも良いとは言えない状況にあった。

それというのも、同市内にある『南高』の悪影響が大きかった。

『南高』は、当校の生徒であるオカダイが、ドラッグの流通や暴力的解決の請負業などの悪事を牛耳っていた状況だった。

そこへ、『南高』の事実上の代表者である(ひる)(さわ)(もも)に協力を求め、風紀改善委員会を発足し、両校共に悪いウミを外に出そうという、かなり身の入った改善計画の決意表明を行なった。

棚田がヨーデル節で読み上げても、その内容の質を汚すことはなかった。

ふざけた奴だが、なかなか良いことを言っている、というようなイメージで、聴衆の心を掴んだのだ。

「では、現職の棚田豊国彦さん側から、演説を始めて下さい」

選挙管理委員会を務める教員の導きにより、成瀬は回顧の世界から呼び戻された。

まずは、推薦者である成瀬が、壇上に立つ番だ。

成瀬は立ち上がる際に、棚田の左肩を軽く叩いた。

棚田は、小声で「頼むぞ」と、ささやいた。

成瀬は、つかつかと軽快な足取りで、マイクに向かった。

二度目の経験だ。

昨年は、あっけないくらい楽勝だった。

そして、公約どおり、風紀改善委員会を結成し、腕っぷしの良い格闘系クラブの部員を集め、力づくで対抗勢力の排除を行なった。

手段については、多くの批判を受けもしたが、ワルどもに侮れない存在、という脅威を植え付けることができたし、悪の巣窟ともいえた旧三年生は卒業により『粛清』され、隣校とのタイアップ政策のため、目立ったトラブルも起きず、本当に平和が訪れたのだ。

もっとも、『南高』の蛭沢桃の示した交換条件を受け入れたおかげで、多少の弊害を残してはいるのだが、まぁ、この際は校内平和のためだ。

多少の犠牲はやむを得ないところだろう。

コツン、とスピーカーから耳障りなマイクを小突く音が響いた。

マイクの調子は良好だ。

成瀬は、例のメモを取出し、マイクの根元に広げた。

はっきり意って、このメモはもう用無しだ。

話す内容は、全て頭の中にあった。

音読のテストを受けるわけじゃないし、多少の読み違いがあったとしても、誰もわからない。

成瀬は口を開く前に、壇上に立つ彼の足下の高さで、じっと注目している民衆を、グルリと見渡した。

もう慣れたな、この雰囲気にも。

昨年よりも、格段に度胸がついてきた。

許されるなら、この場でフルチンにだってなれる。

「これで二度目ですね」

民衆の一部から笑いがもれた。

小さな笑いだが、民衆の緊張感を緩める効果はあった。

「まぁ、多くを話す必要は無いのですけどね。棚田クンのことは、皆さん、よくわかってるようだ。本人以上にね」

場内がドッと笑い声に包まれた。

演説のキモとなる部分を話すなら、今しかない。

民衆の緊張が解け、この男は次に何を話すのだろう、という期待感に満ちていた。

「前期の政策で……まぁ荒っぽい政策ではありましたが」

クスクスと笑う声が、あちこちから聞こえ、途切れる間がない。

良い感触だ、と成瀬は握り締めている拳に力が入った。

「とにも、かくにも、あの政策で、校内に平和が訪れたのは事実です。集団暴力に、恐喝行為など、一昨年の校内犯罪発生件数が五十六件だったのに対して、昨年はわずか四件でした。『南高』との友好関係が築かれ、今や両校の間の隔たりは取り除かれました。無差別な暴力に怯えながら登下校を毎日繰り返していたあの頃が、反対に、今となっては懐かしささえ感じるではありませんか」

ゲラゲラと会場に笑い声が大きく響いた。

苦笑いの校長。

笑いを沈めようと、無駄な足掻きを試みる若い教員たち。

雰囲気づくりは、これで十分。

棚田にシフトするのは今だ。

「では、五十年の歴史を誇る『北高』において、ここで史上四人目となる、二年連続就任に挑戦する、棚田豊国彦くんの選挙演説に、耳を傾けてみようではありませんか。それでは、壇上にどうぞ。棚田くん」

ここで、わざと棚田の『な』の発音で、かん高く調子を外してみた。

「ちょっとドジった。棚田クン、後のフォロー頼むよ」

棚田が立ち上がり、成瀬に近づいてきた。

成瀬は、マイクの方へ手招きしながらスゴスゴと後ずさりし、ある程度の間合いを計るなり、脇目もふらず、舞台から逃げ去った。

「キミがフォローする立場でしょうよ」と、棚田はマイクに向かって言った。

大きな笑い声と拍手。

そして、それはしつこいほど長く余韻を残し、宥めようとする教員たちを手こずらせた。

「おまけにボクの得意技奪っちゃってさ。ヨイヨイヨンドレイヒー」

十八番のヨーデルを披露し、棚田は、さらに笑い声と拍手を増幅させた。

「ヨーデル棚田!」

会場の誰かが、大きな声で叫んだ。

教員たちは、宥めきれないと観念し、自然に沈静するのを見守った。

棚田と成瀬は、スルメを噛み締めるように、会場全体に響く笑い声の余韻を味わった。

そして、棚田は、横目で矢吹パンナが座する陣営を一瞥した。

なかなか話を進めないボクたちに、イラ立ってくれてるだろうか。

棚田は、唇の周りを舐めた。

笑い声は、徐々に治まり、注意を促す教員の声の方が目立つようになってきた。

完全に静まったのを確認した後、棚田は演説を再開した。

「先ほどの成瀬くんの話にもありましたが、校内に平和が訪れたというのは、とても大きな意味を持っています。まず、生活の主導権を握っているのが、暴力を振るう側ではなく、私たち自身にあるという点です」

申し合わせたように、三年生の席側から大きな拍手が起きた。

自席に落ち着いていた成瀬が、水平に手を振った。

タイミングよく拍手が止み、静寂がほんの一秒間だけ割って入った後、ワッと笑い声が起きた。

「おいおい。サクラがバレてしまうでしょうが」

棚田が困った顔で言うと、一、二年生の側でも笑いが起きた。

「ちょっと上手く行き過ぎてるな」

棚田は、笑い声の混じった空気を胸一杯に吸い込み、深呼吸した。

さて、お嬢さんは、どう出るのかな?

棚田と成瀬は、意地悪な視線をパンナに向けた。

パンナは、瞳を閉じて、じっと自分の出番を待っていた。

まるで眠っているかのように、身動ぎ一つしなかった。

「肝心なのは、これからの生徒会の判断一つに、皆さんの生活が関わっているという認識を、はたして生徒会自身が自覚をしているか、という点にあります」

笑い声が静まるタイミングで、棚田は演説を続けた。

「つまり、せっかく訪れた平和も、ヒトの判断一つで、もろくも、崩れ落ちてしまう危険性が大きいのです。平和は、守る術を知っている者のみが維持できるのです。この平和な学校生活を築き上げた、この私に任せておけば、軽率な方針の変更という脅威を生むことなく、今までどおり、適切な形で継続されることになります。私の言いたいことは、これだけです。あとは、皆さんの判断に任せます。それでは、最後にヨンドレイヒー!」

棚田は、右手を頭上に掲げ、急ぎ足で成瀬の元へと戻った。

大きな拍手が講堂内に響き渡った。

成瀬は、戻ってきた棚田の肩を叩いた。

「上出来だ」

棚田は、ズル賢く微笑んだ。


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