三十一
「つまり、私が倒せたのは丸野一人だけ、というわけなのだわねよ」
と、言って、有利香は小さく舌を鳴らした。
「丸野クンには気の毒なことをしました」
沼田のゾンビ姿となったオカショーは言った。
「きっと何もわからないまま、天に召されたのでしょう。まぁ、彼は、ちょっと自信過剰でしたね」
「その性質を、キミが利用したのだわよ」と、有利香が鋭く指摘した。
「まぁ、結果的には、そういうことになりますがね」と、オカショーは否定しなかった。
「で、私とどんな話がしたいのかしらよ?」と、尋ねて、有利香はオカショーのあまりにおぞましい姿から目を逸らした。
「良い流れですね。私にも話をする機会を与えてくれるんですね」
オカショーは、いかにも楽しそうな笑顔を作ったつもりだが、崩れかけた顔では、それが伝えられたかどうかは疑問である。
「つまり、まぁ、私がお願いしたいのは、たった一つなんですけどね」
オカショーは咳払いをしようとしたが、ゴボゴボと口の奥から血の混じったゼリー状の塊がこみ上げてきて、しばし会話が中断された。
「ず……ずいません……」
オカショーは息を切らせながらも、会話を続けようとした。
「わ……わたじと、てをぐみまぜんか。ずまり、わたしなら、あなだの『けんげん』をぼっといがすこどがでぎばずよ。どうが、わだじど……」
オカショーは、言葉を言い切れないまま、路上に突っ伏した。
最後の力を振り絞って、制服の胸ポケットにしまっていたスマホを掴み、それを有利香に向かって放り投げた。
小さなスマホは、有利香の足元まで転がると同時に、着信メロディーが鳴り出した。
有利香は、おずおずとそれを拾い上げ、耳に当てた。
《すいません。体が持ちませんでした》
オカショーの快活な声が聞こえてきた。
「ずいぶん変わったことが、お出来になられるのねよ」と、有利香は皮肉を言った。
《さすがは有利香さん。この状況を見ても、うろたえませんね。やっぱり、ボクの……》
「電話さんは、どこにいるのかしらよ?」
有利香は、意図的にオカショーの言葉を遮った。
そばにいる玲人がクスクス笑った。
《電話さんって、私のことですよね……近くに来ています。まもなく、そちらに到着できますよ》
「私は会いたくないから、手身近に用件を話すのだわよ。電話さん」
玲人は、今度は声を立てて笑った。
《私に協力していただけませんか? 『マジック・アイ』に関する画期的な研究を進めているんです。その完成には、ぜひとも有利香さんの協力が必要です》
「協力すると、私に何か良いことがあるのかしらよ?」
《もちろん、お礼はします》
「お金なら、いらないのだわよ」
有利香は、オカショーの提案を容赦なく却下した。
「私が誰だか、わかってるのだわねよ」
《それは、もちろん……》
スマホのスピーカーの向こう側で、オカショーが歯軋りする様子が伝わってきた。
《有利香さんがお望みのモノを用意しますよ。どんなものだって……岡産業グループが全力で用意いたします》
「私に何をしてほしいのかしらよ?」
《情報提供です。『伝承』に関する……おわかりでしょう?》
電話越しでも、オカショーが有利香の機嫌を窺っているのは明白である。
玲人は、ニヤニヤ笑いながら、二人のやり取りを窺っていた。
「やっぱり、そう来たのねよ」
《わかってくれますか》
「電話さんの目的は見えたのだわよ。もし断ったら、私をどうする気か、それも聞かせてほしいのだわよ」
スマホから、フウとため息を漏らす音が聞こえた。
《そこに兄がいます……》
いかにも不本意な展開になると言いたげである。
《先ほども伝えましたが、兄はあなたを性的な対象にしか見ていません。それでも、私は兄に任せます。兄は、目的達成のためなら、手段を選びません。例え、僅かでも、あなたに関する情報を手に入れてくれるでしょう》
「それが電話さんの本性なのだわよ」
有利香は、スマートホンを持つ指に力をこめた。
《私としても不本意な判断です。どうか私に協力して下さい。これが最後のお願いです》
「断るのだわよ」
有利香は、スマホを炎上したミニバンの方角へ、思い切り投げつけた。
「あたっ」と、男の悲鳴が耳に入った。
「アナタ、狙ったわね」と、聞き覚えのある声がした。
有利香は、玲人を呼び寄せた。
「投げたスマホの方向に一発撃ちこむのだわよ」
「承知」
玲人は『アーム砲』を構え、先ほどミニバンを破壊したよりも小さな『光弾』を練り出し、発射させた。
『光弾』は夜の影に吸い込まれるが、すぐにボムと音を立て、人型の火柱を浮かび上がらせた。
「きゃー」
男の甲高い叫び声が響いた。
「もう一発」と、有利香の指示が飛んだ。
玲人は、すぐに次の『光弾』を練り出し、人型に向けて発射した。
さらに激しく、人型の火柱が燃え上がった。
「アナタ、容赦ないわね」
男の声は、まるで人ごとのように、先ほどとは幾分か落ち着いた口調で言った。
人型の火柱は、段々と二人に近づいてきた。
「もう一発」と、有利香。
「ちょっと、もういい加減にしてよ」
男の文句も受け入れられず、玲人はすぐに反応して、『光弾』を撃ちこんだ。
またもや炎上。人型の動きが鈍くなった。
「撃たれたくなかったら、そこで止まりなさい」と、有利香は男に向かって言った。
男はフンと鼻を鳴らして、足を止めた。
「そんな攻撃したって、私に通用しないわよ。でも、面倒だから止まってあげる」
男を包む炎は、にわかに消え去り、その人影が徐々にオカダイの姿を形成していった。
有利香は、右腕に着けている小さな腕時計を気に掛けた。
オカダイは、一糸纏わぬ全裸で、二人の前に立ちはだかった。
その間隔は五メートル程度。
有利香は、男の姿が完全に再現されるまでの時間が、およそ約三十秒であることを確認した。
「姉貴、コイツの存在を、どのタイミングで把握してたんだ?」と、玲人が尋ねた。
「ゾンビさんと知り合ったあたりからなのだわよ」
有利香は、この事態がそれほど深刻ではないような落ち着きぶりを見せた。
「コイツ、変態か」と、玲人は露骨に嫌悪感を表した。
「アナタね」と、オカダイは玲人を指さした。
「二回もコイツって呼んだわね。タダで済まないわよ」
「やってみろよ」と、玲人は構えた。
オカダイの目が輝いた。
玲人は、たちまち嘔吐感に襲われた。
さらに、玲人の脇腹に激痛が走った。
痛みと引き換えに嘔吐感は消えていった。
「あのオカマさんの『才能』を甘くみてはダメなのだわよ」
有利香が玲人の耳元で囁いた。
玲人の脇腹には、有利香が右手に構えていた『筆』の銃口が突きつけられていた。




