三
「おじさん」
浦崎警部の集中力は、小説の世界から目の前に登場した長身の女子に向けられる。
背丈は百八十センチ超。
起伏のある均整の取れた体つき。
そこに濃い茶色に染めたショートヘアの小さな顔。
小さな顔の割に大きな瞳をキラキラと輝かせ、警部の顔を親しげに見つめていた。
「キミか……」
警部は、額を人差し指で掻きながら、困ったふうな顔をした。
「ここは事件現場なんだけどね。一応、関係者以外は立ち入り禁止なんだが……まぁ、いいか。久しぶりだね。また、背が高くなったんじゃないかな。それにキレイになった。あれは、まだ続けてるのかな? その……」
警部は、息を継いで、こう続けた。
「生徒会警察」
女子は、不機嫌そうに顔を歪めた。
「続けてるのかなって聞き方はヒドいと思うな。まるでゴッコをしてるみたいだよ。私は飽きたからやめた、なんて言うタイプじゃないからね」
「悪かった」
警部は降参を表明するように、両手を上げた。
「用件は何かな?」
「用件は、おじさんの方にあるんじゃないかと思って」
女子は、子供のように笑った。
警部は思案し、女子をじっと見つめた。
「ああ。そうだったね。そうだとも」
警部は、シートに包まれた遺体を指差した。
「この子は生徒会役員を務めていた。同じ役員であるキミなら、面識があると思ったんだが」
「あるよ」と、女子ははっきりと答えた。
「書記長をやってもらってたからね」
「やってもらってた?」と、警部の動きが止まった。
「キミの役職は?」
「生徒会長」
警部は、手のひらで額全体を打った。
ピシャっと鈍い音が立った。
女子はクスクス笑った。
「キミと岡田美夕は、友だち同士だということを認めるんだね」
女子は、コックリとうなずいた。
「では、新たな問題が浮上するわけだ」
警部は、興奮気味に言った。
動揺を隠せないのか、発音のアクセントにかかる前に、変に声が裏返った。
大粒の汗が頬を流れ、短く刈込んだ髪はシャワーを浴びた直後のような湿気を帯びていた。
ビニールシートで包まれた現場は、微風一つ起きず、じっとりとした熱気が充満していた。
警部は、蒸し風呂の中でも、汗一つかかずに涼しげに振る舞っている姪を、訝しげに見つめた。
「なぜ、そうなのかな?」
警部は、ノドの奥から言葉が押し出されるように、姪に尋ねていた。
「ここに横たわっているのは、キミの友達なんだ。なのに、なぜキミは……」
姪は、またもやクスクス声に出して笑った。
「笑っていられるんだろうか?」
警部は、そこまで言い切ると、とたんに口が重くなり、何も話せなくなった。
姪の笑い声も止まった。
静けさが二人を包み込んだ。
姪は、警部に一歩近付いた。
彼女の視線は、警部を見下ろす形になった。
(やはり背が高いな)
警部は、姪を見上げた。
(大きくなったものだ)
(一時は落込みが激しかったが、今では堂々としている)
(母親には、全く似ていないな)
(彼女の成長は、彼女自身が持つ独創的なセンスが導いた成果である、と解釈するべきだろう)
(姪には、何らかの『才能』がある)
『才能』という言葉が浮かび上がり、不意に警部の思考が、あの文庫小説に向けられた。
あの話にあった『権限者』というのは、もしかしたら姪のような人間を指すのではないか。
根拠はないが、姪は『権限者』に分類されるような気がする。
「何か訳があるな」
警部の問掛けに、姪は首を縦に振った。
「今は説明してもらえないのかな?」
「おじさんに説明するには、準備が必要なんだ。おじさんの準備がだよ。たぶん、もう少し時間がかかると思う」
「どんな準備なんだろうか。説明が難しいものなのかな?」
姪は、またもや首を縦に振った。
「理解するには、時間がかかるモノなんだ」
姪の視線が警部が持っている文庫小説に向いた。
「大丈夫。私が理解できるようにするから。おじさんなら、この問題を自然に理解できるようになるよ」
「問題だって?」
警部は、心配そうに姪を見つめた。
「キミは、何かトラブルに巻き込まれているんだね?」
姪は苦笑した。
「あと二十二秒だよ」
「え?」
反射的に、警部は腕時計に視線を向けた。
十四時十二分十三秒。
再び、姪に視線を戻した時、すでにその姿は消えていた。
「警部」
入れ替わるように、屋高が蒸暑い現場に戻ってきた。
「監察医は、あと十分以内に、ここに到着するようです」
「そうか。そこで、背の高い女子に会わなかったかね?」
「いいえ」
屋高は首を横に振る。
警部は腕時計を見た。
十四時十二分三十五秒。
「今が十二分ですから、二十分くらいの到着ですかね」
屋高も、自分の腕時計を眺めながら言った。
「三十五から十三を引いて、きっちり二十二秒経過した」
「は?」
屋高は目を大きく開いて、警部を見つめた。
「きっちり二十二秒だ!」