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マジック・アイ  作者: 守山みかん


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二十四

オカダイは両手を床につき、四つん這いの姿勢でニヤリと笑った。

キイロスズメバチは、性懲りもなくオカダイの肌を狙うのを止めようとしなかった。

「たった三匹だったのね。位置と数さえわかれば、どうってことないわよ」

オカダイの鋭い右拳が、空間を突き刺した。

中指の第二関節がハチの胸部に入り込み、衝撃でオカダイの足元に墜落した。

オカダイはためらいも見せず、ハチの腹部を踏みつぶした。

ヌルヌルした油を踏んだような感触を、足の裏で感じ取った。

さらに、別のハチがオカダイの背後に回ろうと、右肩の上辺りを通過した。

オカダイは雄叫びに合わせて、右手の甲でタイミングよくハチを撃った。

ハチは、手の甲に圧されるままに壁に激突し、圧死した。

二匹の惨劇を目の当たりにした最後の一匹は、仇討ちであるかのように、猛然とオカダイの顔面を目掛けて突進してきた。

オカダイは、右手でタイミングよく横方向からハチの胴体を握り締めた。

オカダイの拳に動きを封じ込められたハチは、抵抗を試みるために、針をあちこちの肌に差し込んでみた。

少なくとも五回は針を差し込んだはずだが、握る力は一向に緩む気配が無かった。

「あの女子め」

オカダイの拳に力が入った。

針の傷みが通用しない敵に対して、ハチは為す術も無く、針の出し入れを繰り返した。

「私の『才能(アプリ)』がアマいですって。催眠術程度のことが、私の『権限』の全てなわけないでしょ」

オカダイは「治癒(ヒール)」と唱える。

またたく間に、瞼にできていた腫れが小さくなり、跡形も無く消えた。

オカダイは、今度はハチを握り締めている手に力をこめた。

グシュッと音を立ててハチの腹部が潰れ、茶色い体液と共に、黄色い頭がポロリと床の上に落下した。

「こんなモノで私を懲らしめようなんて、ローブローもいいとこだわさ。だいたい、中途半端な攻撃で帰っちゃってさ。いったい何なのさ、あの女子は」

オカダイは静かに立上がり、ハチを潰した方の手に付着した体液を壁に塗りたくった。

ベージュ色のクロスの凸凹(でこぼこ)した溝に、茶色の染みが入り込み、掻き絵のような細いラインが出来上がった。

「ハイブローなお仕置しなきゃね」と、オカダイはペッと唾を吐いた。

「一瞬の優越感が自分の人生をダメにした、と後悔させてあげようじゃないの」


 * * *


「大丈夫ですか」

梨菜は、心配そうに佳人に尋ねた。

(さば)を調理する際に、佳人が包丁の操作を誤って、人差し指の腹を切ってしまったのだ。

一文字の切り口から、鮮血が滲み出てくるのを、痛々しげに眺めていた。

「大丈夫だよ。ちょうど良い機会だから、キミに見せようと思って、まだ止血してないんだ。大した傷じゃない」

「何を見せてくれるんですか?」と、梨菜は首を傾げた。

「この指を、よく見てて」

佳人は、切れた指を突き出した。

梨菜は、佳人の傷口に注目した。

すると、傷口が見る見るうちにファスナーを閉じるように塞がっていった。

梨菜は、「あっ」と、思わず声を上げた。

佳人は、残留した血液をウェットティッシュでキレイに拭い取り、改めて指の腹を梨菜に見せた。

滲み出ていた鮮血は完全に封じ込まれ、わずかにピンク色に盛り上がった痕が残されているだけだった。

「もう治ってますね」

梨菜は、佳人の指の腹をしげしげと見つめながら言った。

「まだ、内部に痛みが残ってるけど、気になるほどではないよ」

佳人は人差し指の裏表を梨菜に見せた。

「何をしたんですか?」と、梨菜は尋ねた。

「『時間停止(タイム・ストップ)』と同じ原理だよ」と、佳人は得意げに答えた。

「体内に分散されていくエネルギーの流れを一点に集中させて、特定の目的を達成させる技法を覚えてるだろう。『時間停止』は、視覚に集中させていたけど、今のは回復に集中させたんだよ。上達すれば、骨折のような重傷も『治癒(ヒール)』できる」

「私も練習すれば……」と、梨菜は意気込みを見せた。

「もちろんだよ。キミは、すごく真面目な人だから、あっという間に上達すると思う」

「私は、真面目過ぎて、つまらない人間だって言われたことがあります」

梨菜は苦笑した。

佳人は、梨菜の肩に優しく手を添えた。

「『権限』について重要なのはね、『持っている』ということではないんだ。利用目的を明確にし、適切な方法と判断で、利用できるかどうかが大切なんだ。『権限』と真面目に向き合うことは、『権限』を生かすための一番大事な資質だよ」

梨菜は、胸を締めつけられる想いを抱きながら、佳人の言葉に耳を傾けていた。


 * * *


「ちょっと、アナタ、こんな所で何してるのよ」と呼びかけられ、丸野はムチを打たれたように背筋を伸ばした。

「ボス……」

とっさに言い訳を考えようとしたが、言葉がノドにつっかえて出てこない。

ただ、有利香が去っていった方角に、指をさすことだけはできた。

オカダイは、風景が夕闇に溶け込む中で、ゆっくりした歩調で遠ざかっていく有利香の後姿を見つけた。

「ハイブロー。ずいぶんと余裕みたいね。マルちゃん、車を用意して」

オカダイの言いつけで、丸野は慌てて駐車場に向かった。

有利香は、オカダイのマンション前の道路を横断し、向かう側の側道に待機しているオートバイを目指していた。

オートバイには、フルフェイスのヘルメットと黒い革つなぎに身を固めた長身のライダーが跨がり、有利香の接近に反応して、エンジンをスタートさせた。

「ずいぶんと時間がかかったな」

ヘルメットの中から美園玲人の声がした。

「面倒だけど、階段で降りてきたのだわよ」と、有利香は答えた。

「そうしないと、あの人たちが付いてこれないのだわよ」

「カメラに姉貴の姿を残さない、という理由もあるだろうけどな」

玲人は、有利香に自分が着用しているものと同じデザインのヘルメットを手渡した。

有利香は、不満げにそれをかぶった。百四十一センチの身長にヘルメット着用は、頭でっかちの宇宙人のように写った。

「一応、念のためだよ」と、玲人は笑った。

《玲人、『才能(アプリ)』を使うのだわよ》

有利香の言葉が、玲人の脳内に響いた。

《急に『遠隔感応(テレパス)』を送るなよ。びっくりした》

《ヘルメット越しの声の会話は、ノドが疲れるのだわよ》

《オレは、姉貴と違って通信会話が苦手なんだよ》

《この際だから、練習するのだわよ》

《おっと、やってきたぜ》

玲人は、駐車場からエントランス前のロータリーへ侵入してくる白いミニバンの方を、顎の先で示した。

オカダイは、車体後部の(へこ)みと塗装の剥がれをすぐに見つけ、顔をしかめながら後部座席のスライドドアを開けて乗り込んだ。

「アナタ、またやったね」

オカダイの咎める声に、丸野は両肩を縮ませた。

「すいません。あの女の言葉に惑わされて……」

丸野は、うまく有利香に責任を押しつけられるような理由を伝えようとした。

「ローブローね。まあ良いわ。今回は勘弁してあげる。あの女子を絶対に捕まえるのよ」

丸野は、暴力的制裁を受けずに済んだことを安心したが、急スピードで車を発進し、ロータリーの縁石に危うく乗り上げそうになった。

「言ってるそばから……」と、オカダイはあきれ顔になった。

ミニバンの動きに合わせて、玲人もバイクを発進させた。

「まったく、ワザとらしい動きしちゃって」

オカダイは鼻で笑った。

《おかしいぜ、姉貴。姉貴は確か、相手は三人って言ったよな。二人しか姿が無いのはどういうことだ?》

《あのオカマさんのヘンテコな暴力を受けて、目が見えなくなったとかで、一人途中で脱落したのだわよ》

有利香から、『遠隔感応』で聞き取っても、あからさまに侮辱に満ちた感覚が伝わってきた。

《しょうもない話だけど》

玲人は、スロットルを開けた。

丸野が猛然と加速し、玲人との間を詰めようとしていた。

制限速度四十キロの道路だが、すでに七十キロに達していた。

辺りの交通量は少なく、二組のチェイスを妨げるものは何も無かった。

《姉貴の『予測(プレディク)』が狂ってきてるってのが気になるな》

《『干渉ズレ』なのだわよ》

《干渉ズレ?》

玲人は、有利香の言葉をなぞった。

《『予測』した事態に対しての回避行動を取ろうとしたとき、それは例え行動を取っていなくても、事態に影響が出ることだわよ》

《例えば、何が原因で?》

《私が『予測』したことをキミに伝えた、というだけでも、『干渉ズレ』を起こす原因になるのだわよ》

《回避行動って、微妙な判断が必要なんだな。それにしても……》

玲人は、バックミラーに写る白のミニバンを一瞥した。

丸野は、必死の形相だった。

速度計は、八十キロに達しようとしていた。

《あいつ、自分の制御できるスピード域を超えてる。放っておいたって自滅するぞ》


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