二十
「屋高クン、報告を続けて」と、警部が促した。
「は……はい」
屋高は、自分の手帳に視線を戻した。
「犬走には、靴跡が残っていました。あまり人が降りる場所じゃありませんからね。跡は西側に向かっていました。大きさは二十から二十一センチくらいなので、小柄な人物のモノと思われます。校舎の側面で犬走が途絶えている場所があるのですが、その途絶えた場所から、ロープ等は使わずに階下に降りた形跡があり、落下の衝撃による跡が強く残っていました。そのまま地上に降り立って、北側に向かっています。その先は、校舎と裏庭の外壁が狭まっている箇所があって、通り抜けができませんが、西通路に非常用の出入口があり、そこから出入が可能になっています。出入口は、常に施錠され、カギは南校舎1階の職員室に保管されていました。保管場所は、職員用ロッカーの側面にある金属製のキーボックスの中で、キーボックスには施錠はされておらず、誰でも自由に開閉できる状況でしたが、カギは持ち出されずに収まっていました。おそらく、職員の隙をついて、事前に合カギを作っていたものと思われます」
屋高は言葉を切り、警部の様子を窺った。
警部は目をつぶり、質問をぶつけてくる様子はなかった。
「その非常用出入口から、北校舎の隅にある宿直室とは目と鼻の先でして」と、屋高は報告を続けた。
「宿直室は、現在は使用されておりません。部屋のカギは、職員室の例のキーボックスの中に保管されていました。やはり、こちらもいつの間にか合カギを作られていたんでしょうね。室内は乱された様子はありませんが、菓子パンの袋が散在していました。異なる消費期限が刻印された袋が混在していたところから、何日も前から部屋を利用していた、と考えられます」
「つまり、女子生徒の行動は、計画されたものだった」と、警部が付け加えた。
「あの……この事件は、丸野英治が企てたモノなのでは?」
屋高の問いかけに対して、警部は首を横に振った。
「普通は、女子生徒たった一人の誘拐が目的で、五十人もの人間を動員しないだろう。そうしたのは、相手が手に負えない人物だと踏んだからだよ。もちろん、そこには『生徒会警察』対策も考慮されていたと思う。実際に、兵隊のほとんどを消耗してしまったわけだからね。丸野英治には、これまでにも誘拐を決行する機会があったはずなんだ。少なくとも、矢吹パンナが登場しない校外での決行は試みてるはずだよ。なぜなら、わざわざリスクの大きい校内で、こんな大掛かりな行動を取ったのは、失敗続きで、丸野英治が追い込まれていた状態を示していると思う。この計画を動かしていたのは丸野英治じゃない。むしろ、彼は動かされていた方だ。さあ、屋高クン、報告の続きを聞かせてくれないかな」
警部は、屋高に報告の継続を促した。
「例の宿直室に散在していた菓子パンの袋が、これです」
屋高は、手元に置いてあった透明の袋を、警部の目の前にスライドさせた。
警部は、袋を手に取り、裏表を盛んに確認した。
「『チーズ蒸しケーキ』。Y社の製品です。コンビニとか、スーパーとかで、よく売られてますね。これが大量に落ちていました」
「一日で食べたとは思えないね」と、警部が言った。
「袋を取り扱った指紋が全て同一のモノかどうかは調査中です。先ほども言いましたが、消費年月日が異なる袋が混在しております。その差が三日ありました。でも、製造記号はどれも同じで、おそらく全て同じ店で購入したものと思われます。学校付近のコンビニ、スーパーで、この製品を大量購入した者がいないかどうか、すでに捜査させています。あと、宿直室では争った様子はありませんでした。女子生徒はここに隠れていて、見つかってしまった後は、大人しく丸野たちに連行されたのでしょう。まぁ、男子たちを相手に、小柄な女子一人の力で抵抗するのは無理でしょうね。そちらの姪御さんのようなヒトなら別ですが」
屋高は、パンナを見つめ、ニッコリ笑った。
「続いて北校舎一階廊下の状況ですが、まず数箇所に落ちていた血痕が誰のモノかを、大至急調べさせております」
「きっと、女子生徒のものではないな」と、警部。
「では、丸野英治がケガをしたのでしょうか?」と、屋高が尋ねた。
「他にも、誰かいたかもしれない…」
警部は思考を巡らしてみるが、気の利いた推理は浮かんでこなかった。
屋高は、警部の様子を窺いながら、報告の続きを再開した。
「血痕は、宿直室のドアから六メートルほど離れた床の上に大量に落ちていた他は、東に向かって、数箇所にこぼれ落ちていました。つまり、ケガを負いながら、廊下を歩いていったのでしょう。ただ、妙なところは、最初に落ちていた血液の量から判断すると、相当な大ケガをしていると思われるのですが、その後に残している血痕は、段々と間隔を広げて落ちていまして……要するに重傷を負いながらも、走ったのではないかと思われる点です」
「パンナ、キミは銃声を聞いているんだね」と、警部。
「うん」と、パンナは頷いた。
「二発、聞こえた」
「銃弾は、宿直室ドア付近の壁と、廊下の突き当たりの壁にめり込んでいました。おそらく、その二発でしょう」と、屋高は説明を加えた。
「発砲したのは丸野かな?」と、警部が尋ねた。
「拳銃の型は現在調査中です」
「なぜ、後ろに発砲したんだろうか?」と、警部は首を傾げた。
「パンナ、キミたちは現場に行くのに、西側の通路を通って来たんだよね」
「そうです」と、パンナは答えた。
「じゃ、丸野は東側に進む以外に道は無かったわけだ。連行しようとする者を、自分の後ろに置いたりしないだろう。やはり、自分の進行したい方向に向かって、銃で背中を突きながら歩かせるのが、だいたい考えられる状況だと思うのだが……すると、後ろに発砲した意味がわからないね。あるとしたら、同行させていた部下がいて、そいつが邪魔になったから抹殺するという理由かな。それでも、撃たれた人物は生きながらえているんだからね。実に、不思議な状況だよ」
警部は、顎を撫でながら言った。
屋高は、報告を続けた。
「床材の一部が剥げていた箇所があり、昼休み終了後に、この廊下は清掃がされていまして、その時にこの剥げた痕は無かったそうです。おそらく弾丸が跳ね返った痕と思われます。また、調理室の扉の蝶番と、天井の蛍光灯ソケットが破損していました」
「もともと壊れていたわけではないのだね?」と、警部
「はい」と、屋高は即答した。
「今は、この調理室の扉を開けようとすると外れてしまうような状態になっていまして、昼食前にこの調理室が使われたそうなのですが、その時に問題は無かったそうです。蛍光灯ソケットの破損についても、床に部品の一部が散在していました。これも清掃時には無かったそうです。あと、事件にどのように関わっているのかはわかりませんが、床が剥げた辺りにスズメバチの死骸が落ちていました」
「スズメバチ? 学校の近くに巣があるのかな?」
警部は、右手で顎と頬を行き来するように撫でながら尋ねた。
好奇心が湧き出た時に見せる仕草だった。
「北校舎の裏庭の茂みに巣があったそうですが、私が行った時に偶然、駆除業者が来ていまして、ついさっき除去されました。最近、このあたりを飛び交う姿が見られたので、教員が駆除を依頼したそうです。業者の話では、種類はキイロスズメバチだそうです。このあたりに、他にハチの巣は無いということなので、おそらく、その巣のハチでしょう」
警部は、屋高の報告に頷きながら、耳を傾けた。




