十三
「まだ私と争う気なら、できるだけ覚悟してね。でも、争う気が無いって言うのなら、キミの持っているハンカチで、この血を拭いてほしいな」
余裕を見せるパンナの言葉を聞き、たちまち沢木の顔が赤くなった。
「やれ!」
沢木の掛け声で、二十名ほどの兵隊が一斉にパンナに襲いかかった。
パンナは、左手の人差し指を眉間に当てる動作を一瞬した後、とある方角へ向かって、猛烈に突進を始めた。
その方角には、木刀を構えた痩せ型の男子がいて、正面から突進してくるパンナの攻撃を交わそうと、とっさに木刀を振り下ろすが、あいにく木刀は空を切った。
その直後に、左の脇腹に激痛が走った。
パンナは、左肩から木刀の男子に体当たりしていた。
男子は弾き飛ばされ、パンナは楽々と円陣の外に出た。
パンナのあまりにも素早い動きに、兵隊たちは乱され、慌てて彼女を追おうとするが、次の瞬間、付き添いの大男が立ちはだかり、全員が一斉に立ち止まった。
「犬飼クン」と、パンナは兵隊の動きを警戒しながら、その名を呼んだ。
犬飼と呼ばれた大男は、血が付着したパンナの手を握り、上着のポケットから出したパイル地のハンカチで丁寧に拭い取った。
「どうやら、紳士はキミだけみたいだね」と、パンナは満足げに言った。
犬飼は、血で汚れたハンカチを元通りにポケットに仕舞い、今度はパンナを庇うように前に歩み出た。
左手に、先ほどパンナから預かったブレザーを、大切そうに抱えていた。
「そのブレザーは邪魔だよね」と、パンナは言った。
犬飼は首を横に振り、さらに兵隊たちに歩み寄った。
兵隊たちがどよめいた。
犬飼の動きが、正面に立つ一人の兵隊に向かい始めた。
徐々に、犬飼の歩みが速まり、たちまち兵隊との間合いが詰まっていった。
標的にされた兵隊は落ち着きを失い、靴底を何度も地面に擦りつけた。
助けを求めるように左右に目配せするが、誰もがすくみ上がって目を合わせようともしなかった。
「おい! 生徒会役員が暴力ふるって良いのかよ」
標的にされた兵隊は、ノドの奥から絞り出すように声を張り上げた。
「女子一人を囲んで、暴力ざたを起こしといてさ、バカみたいなこと言ってほしくないよね」
パンナは、右手で左肩を押さえ、首を反時計回りにグルリと回す体操をしながら言った。
犬飼は、歩みを停めなかった。
標的の兵隊は、自転車から外した武器用のチェーンをポケットから出した。
相手は、パンナのブレザーを持ち、片手の状態だ。
兵隊は、上唇を舐めた。
ジャラジャラと金属の触れ合う音で犬飼を威嚇するが、犬飼は構わず距離を詰めてきた。
間合いが二メートルを切ったあたりで、兵隊の手が横方向に動いた。
チェーンがムチのように伸び、犬飼の脇腹を撃ちつけようと襲いかかった。
犬飼は、それを避けようともせず、まともに鉄製のチェーンが放つダメージを腰で受けた。
同時に、犬飼の岩をも砕きそうな大きな拳が、攻撃してきた兵隊の腹に食い込んだ。
兵隊の頬がグッと膨らみ、前のめりに倒れようとするところへ、大きな手が首の後ろを掴み、引っ張り上げた。
まるで、首の後ろを掴まれた猫のように、軽々と兵隊の体が持ち上げられた。
兵隊は、下腹部の激痛を庇うこともできず、手足をバタバタさせてもがいていた。
さらに、犬飼のトドメの膝蹴りが、拳のダメージを受けた下腹部の同じ患部を襲った。
兵隊の黒目は裏がえしになり、両手がぶらりと垂れ下がった。
犬飼の手が開いた。
そこまでの動作を、犬飼はパンナのブレザーを抱えていない右手と、右脚だけで行った。
兵隊の体は地面に激突し、そのまま動かなくなった。
「死んだのか!」
「やり過ぎだ」
犬飼の視線は、お構いなしに次の標的を定めた。
「おい!」
新たに標的となった男子が悲鳴を上げた。
犬飼の足が一切の迷いもなく、標的へ向かって突き進んだ。
「待て! 待てよ! 何でオレなんだよ!」
標的の悲鳴が、犬飼の行動を変えることはなかった。
犬飼は、先の兵隊同様、まず重厚なボディブローを撃ち込み、首の後ろを掴んで体を持ち上げ、決定打の膝蹴りを腹にめり込ませる、という攻撃を愚直に繰り返した。
白目を剥いた兵隊を開放し、犬飼は、次の標的を定めた。
睨まれた標的は、構えていた木刀を水平にスイングし、犬飼の左脇腹を狙った。
犬飼は、パンナのブレザーが木刀に掛からないよう左腕を持ち上げるが、木刀の攻撃そのモノを避けようとはしなかった。
木刀が犬飼の脇腹に食い込む直前に、パンナは素早く犬飼の左側に走りこみ、鋭いキックで木刀を下から蹴り上げた。
パンナの脚は金色に輝いており、木刀と接触した瞬間に、ドンと爆音が辺りに轟いた。
その激しい衝撃で、兵隊は握っていた木刀を離してしまった。
蹴られた木刀は垂直に上空へ昇り、柄の部分を下に向けた状態で、そのままストンと落下を始めた。
その落下位置にはパンナがいて、気がつけば、すでに彼女は木刀を八双に構えていた。
「犬飼クン、キミの戦い方は、見てて痛々しいんだよね。私のブレザーのために身を切らせてさ。やはり、ここは私一人で解決するね」
パンナは、構えていた木刀をおろし、深く息を吸い込んだ。
木刀を握る両腕から、おびただしい量の光る汗が噴出し、木刀の先端まで流れていった。
光る剣と化した木刀をパンナは構え直し、木刀の持ち主だった兵隊の鼻の頭に、剣先を突きつけた。
兵隊は後ずさりを始めた。
その兵隊の両側から、二人同時に、パンナに向かって、突きの構えで突進してきた。
パンナは、とっさに正面で光る剣を構え、V字に左右に振って、向かってくる二本の木刀に当てた。
カカンと小気味良い音が響き、軽く当てたように見えたにも関わらず、二人は大袈裟にパンナを避けるように左右に転げ回った。
新たにパンナに向かって、数名の兵隊が襲い掛かってきた。
パンナは、その動きをデリケートに読み取り、上半身を仰け反らせ、木刀やら、チェーンやら、金属パイプやら、彩り豊な攻撃をブリッジで綺麗に交わした。
長身のパンナの頭が、地面に対して垂直を維持したまま停止した。
さらに、その状態で構えていた光る剣を、時計回りに円を描くように大きくスイングした。
ドンと派手な爆音と共に、肉か骨を打つ手応えに構わず、一回転のスイングを完結させた。
周囲にいた兵隊たちは、突き飛ばされたように放射状に倒れていった。
光を失った木刀が十二時の位置に戻ると、パンナは勢いよくブリッジを解除し、正面に立つ、かつて木刀の持ち主だった兵隊の左肩に一撃を当てた。
もちろん手加減は施すが、それでも鎖骨が砕ける音が響き、兵隊は左肩を押さえてうずくまった。
わずか十数秒の間に、パンナの周辺に七人の兵隊たちが、のた打ち回っていた。
攻撃態勢に入っていた残りの兵隊たちが、尻込みを始めた。
一部始終を見ていた沢木のこめかみに汗の滴が流れた。
その時、沢木のスマホに着信が入った。
「何だ! この忙しい時に」
沢木は、携帯の相手に怒りをぶちまけた。
《標的が消えた》と、丸野の慌てふためく声が耳に入った。
《門番はきちんと置いてたんだろうな》
「ああ」と、沢木はぶっきらぼうに答えた。
「ちゃんと見張ってたんじゃないのかよ。捕獲チーム員を何人も送ってるんだぞ」
《目の前で消えたんだ。まばたきしてる間と言ってもいい》と、丸野は言い訳した。
「どうすんだ? 標的に逃げられて、今日は中止にするか?」
沢木は、自棄気味に提案した。
《いや。これは予測してたんだ》
丸野は、沢木の提案を至って冷静に拒否した。
《オレが確認したかったのは、門番が取り逃がしてるかどうかだよ》
「そんな報告は聞いてない」
《じゃ、いいよ。標的は、まだ校内にいるってことだ》
丸野は、いささか安堵した様子で言った。
「おしゃべりな電話相手だね」
パンナが割り込み、クスッと笑った。
「丸野英治クン!」
パンナが呼んだその名は、沢木の耳に密着したスマホに吸い込まれた。
「キミの目的を教えてくれないかな。私も面倒なことはしたくないんでね」
丸野の返答を待つ前に、沢木はスマホをしまった。
「オマエの相手は、このオレだろ」
沢木は、挑発的にパンナに歩み寄った。
兵隊たちが狼狽した。
「沢木さん。ここは一旦引いた方が…」
兵隊の一人がおそるおそる話しかけた。
その意見は、兵隊たち全員の意見でもあった。
だが、沢木は部下の忠告を無視して、両の拳を前に突き出し、ボクサースタイルのファイティングポーズを構えた。
「こいつは、お前たちには荷が重そうだ。このオレが相手するさ」
沢木のその宣言を耳にし、兵隊たちは一斉に口を閉じた。
『南校』ボクシング部主将の沢木が、矢吹嬢を相手にするらしいぞ。
たちまち、校内にいる生徒全員の注目を集め始めた。
高校ボクシング全国大会地区予選ウェルター級で優勝した沢木。
数十人の不良どもを検挙した『生徒会警察』のリーダー、矢吹嬢との一騎打ちだ!
どっちが勝つ?
どっちが勝つ?
沢木は、前歯を野獣のように、むき出しにした。
対して、パンナは憶するどころか、相変わらず美麗な笑顔を崩さないでいた。